アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
クラシック音楽を自分の心が感じたそのままに記す事をモットーにしています。 クラシック・ギターのアナリーゼの考察実践の練習風景や、作品演奏動画、自作品をアップしています。 お知らせ下さればフォローいたします。
DAWソフトに詳しい方、是非お友達になってください。 オンラインで一緒にジャンル問わず何でもありのバンド演奏も如何ですか? 私はアコギ、エレキ、ベース、クラシック・ギターは演奏可能です。 自作品への参加も、お手伝いしてくださると助かります。
弦楽四重奏曲 第5番 変ロ長調 op.92/D.D.ショスタコーヴィチ
変ロ長調という調性が、こんなに自己主張を持って、いえ、その特徴は確かに顔を覗かせるのですが、ショスタコーヴィチの強い心の中の鬱屈のようなものが、無理やり調性を捻じ曲げて別の姿に仕立て上げてしまうような怖さがあり、そこから変ロ長調が逃げ出すように、或いは自己主張をするように時々漏れ出て来る、そんなアンバランスな姿に何かを感じる作品・・それが第5番なのだと思っています。・・??、私何か飛ばしてると、ここ...
24の前奏曲 op.28(3)/F.ショパン/アリシア・デ・ラローチャ/ミッシャ・マイスキー
ラローチャは包み込むような落ち着いたモーツァルトを聴かせるかと思えば、グラナドスやアルベニス等のスペインものでは誰も醸せないスペインの土の匂いとリズムを刻んで見せるのですが、モンポウ作品では、内へ内へと沈静して行く繊細な表現が見られると思います。ラヴェル「道化師の朝の歌」では、私の中では今でもラローチャの演奏を越えるものは無いと信じるのですが、彼女の凄い所は、先のモーツァルトや今回のショパンにスペ...
24の前奏曲 op.28(2)/F.ショパン/サンソン・フランソワ
フランソワの「24の前奏曲」は第2番が鬼門だと思い、作品を自分に引き寄せ伸縮するテンポとクセの強い表現か好きだと思えば物凄く深みのあるフランソワ自身の自叙伝に惹き込まれてしまうと感じます。そんな私はギターでセゴビアの美の毒の洗礼を受けたものですから・・ぇ、フランソワが見せるゾゾッと怖いくらいの魔界と、ただひたすら全てを忘却へと追いやってしまいたいかのような痛みを感じる程ののめり込みに言葉を失う程の凄...
サロンで華麗に弾くショパンとは別の、国も愛も理想も幻であったかのように心と乖離した現実に一人物思うショパン・・。彼の音楽には真の孤独、これは心の感じるものの中で他に頼る事の出来ない特別辛いものだと信じる私は、ショパンがふと漏らす本音と共に、どうにか誤魔化そうと音と戯れたり、幻想という夢を見ている姿を「12の前奏曲」に感じてしまいます。ショパンはop.28という作品番号に一纏めにして自身の心を閉じ込めたの...
良く似た名前で以前投稿したのが
このアルバムはネウマ譜により演奏、再現されたものです。
ローマ帝国の崩壊と西欧音楽の始まり/シャルルマーニュとレオナン(レオニヌス)、ペロタン(ペロティヌス)の出現
ローマ帝国の崩壊に続く混沌から近代ヨーロッパの基本的パターンが出現し始めるのに、キリスト教会は新しい文明の行く手を照らす灯として限られた地域的勢力以上のものに栄えたとあります。A.D.800頃、カール大帝(フランス語でシャルルマーニュ)が教皇レオ3世より神聖ローマ皇帝の冠を授けられフランク王国(以前記した吟遊詩人発祥の地といわれています)を興した事によりヨーロッパの広い地域に、或る意味の統一と方向づけがもたら...
ラッススの魅力はこういった世俗歌曲に遺憾なく発揮されるのだと思います。ここには教会音楽における旋法の決まりを離れ、新しい響きの模索が窺えます。それに輪をかけてラッススの特徴である明るい静かさが、時に陰る時に何とも美しい
ラッススは意外にもミサ曲は14曲しか私の辞典には掲載されてなく、意外にもこのジャンル作品を他に比べ書かなかったと感じます。しかし、作品は少ないながらもまだ見つかっていないものがあるのだと信じています。その事を思うのは、辞典には記されていないもので、ミサ曲の決まりである構成の最後のサンクトゥスとアニュス・デイのみ録音された盤を持つからなのです。ミサ曲「途方にくれて」編成 : 4声作曲 : 1577か78年刊 パリ(...
モテットとマニフィカト集/スターバト・マーテル、アヴェ・マリア、音楽は神の最良の贈り物・他/O.de.ラッスス(4)
モテットとマニフィカトには、ラッススの魅力が遺憾なく発揮されていると感じるのは私だけでしょうか。こういった短めの作品中に深い信仰を潜ませる事のなんと秀でた作曲家なのでしょう。ジョスカン・デ・プレのモテットを何も損ねず自分の感性に置き換えたマニフィカトもまたラッススの素晴らしさを感じるものだと思います。音楽は神の最良の贈り物編成 : 6声作曲 : 1594年刊 グラーツアヴェ・マリア編成 : 5声作曲 : 1604年刊 ミ...
「聖ペテロの涙」はミュンヘンの地でラッススが最後に創った白鳥の歌で教皇に捧げた3週間後に亡くなりました。この作品のカタログには20のマドリガル集と記される事が多いようですが、最後にモテットがあり全部で21曲よりなり、それらが3部という構成に纏められています。宗教的連作マドリガーレ「聖ペテロの涙」編成 : 7声詞 : L.タンシッロ作曲 : 1595年刊 ミュンヘン20曲の宗教的マドリガルと最後の1曲はラテン語モテット(引用:...
海外生活中に国立博物館で観たラッスス像は、祖国を離れこの地で没した人生に不思議な共感を覚えた事を思い出します。この作品は最後の地ミュンヘンで刊行されたもので、作品の深み・構成の確かさは彼の辿り着いた境地を見るように感じます。ラッススのこの作品はCD2枚に渡る規模を持ちます。声楽と共に管楽器が用いられている事、そして、声部がきちんと確立されている事、器楽だけによる楽章を持つ事から荘厳さが増し、華々しく...
地球上のとある街中の一軒の古びた家、その裏にある今にも倒れそうな木で出来た腐りかけの垣根の、いつも日陰になる場所でポツンと生きる小さな雑草。そこは住人にさえ知られる事ない密かな場所なのてすが、それでもその土の下に暮らすミミズたちや、偶に飛んで来ては休むテントウムシがいます。ひっそりと生き、その存在さえ知られる事なく去って行くものたち、ラッススのレクイエムはそれらにも分け隔てる事なく存在する理由があ...
不思議な事に、一番最初に聴いたこの作品はあまり印象に残らない作品でした。ところが段々と好きになり、その内に特別好きになってしまうと言う作品なのです。印象派の絵が最初理解されなかったように、抽象性とリアルが、簡略とデフォルメが、やがて浸っていたいアンニュイさを伴う世界だと理解できた時に全体像が浮かび上がる、私にはまさに現代アートの先駆けであったように思えたのです。弦楽四重奏曲 ト短調 op.10作曲 : 1893...
自作自演に演奏家の素顔を見る(13)/フリッツ・クライスラー
クライスラーの作品が老若男女問わず誰からも愛されるのは、ヴィルトゥオーゾとしての彼がもう一つの素晴らしいものを持っているからだと私は思っています。それは、クライスラーは多感な幼・少年期時代の想い出を、負の何かで劣化させるものなく素晴らしい形で持ち続ける事が出来たからなのではないかという事です。ある時期から大好きであった故郷を遠ざけるようになってしまった私には何とも切なく羨ましい事でもあります。彼が...
イギリスでルネサンス時代に纏められた写本には、今では調べる事の出来ない作曲家の作品が多く残っています。合唱団はじめタリス・スコラーズたち優れた団体の多い事でも知られるイギリスの伝統を、ここでは慈しみに満ちた作品たちによって心を癒されながら感じる事が出来ます。
バッハの「ヨハネ受難曲」の激しさとメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」のスピーディな幻想性を併せ持った作品だと私自身は感じます。通奏低音のリュートがこんなに活きていると感じるのもこの演奏の魅力ではないでしょうか。主は言われた Dixit Dominus Domino meo ト短調 HWV.232作曲 : 1707年詞 : 『詩篇』109番(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
エンゲルベルク修道院の手写譜 第314号による中世後期の音楽
モースブルクやラス・ウエルガスがそうであったように、各地の修道院には実に様々な手書き写譜が残されている事に時代を巡るロマンを感じる私がいます。エンゲルベルク修道院で歌われた、当時の慣習通り男声のみによるこの演奏からは、不思議とわらべ歌のような親しみと懐かしさを感じるのが独特だと感じました。エンゲルベルク(Engelberg)はスイス連邦オプヴァルデン準州の基礎自治体で、スイス中央部の代表的な山岳リゾート地...
マスネの美しさと儚さ/タイスの瞑想曲/エレジー/「絵のような風景」第4曲:ジプシーの祭り
J.マスネは美しいロマンが零れ落ちるかと思えば、エレジーでは他の作曲家の同名曲よりも深い悲しみを紡いだりします。私は何故か
フリードリヒ大王の宮廷にグラウン兄弟と知られる音楽家が活躍していました。前期古典派様式という過渡期を牽引した彼らは、今ではほとんど知られることのない音楽家となりましたが、どちらも名の知れ渡った音楽家であり、残された多くの作品が一部ながらもこうして取り上げられるようになって、それらの作品はどれも優雅で面白いと感じています。それは、古典派様式とロマン派様式では表現・手段は変わりましたが、作曲技法的な変...
ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 op.47 「クロイツェル」(8)/L.v.ベートーヴェン/[ピリオド]ヤープ・シュレーダー(Vn)/ジョス・ファン・インマゼール
第5番「春」が好きになり聴き始めたベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集ですが、最初にこのブログに記したのが第9番「クロイツェル」でした。もう4-5年前に買ったこの盤はピリオドの響きによるもので、私がヴァイオリン協奏曲(特にブラームスのもの)に於いて往年のヴァイオリニストを追いかけるように嗜好が時代を遡って行った事もあり、このソナタ集は今になってやっと自分の言葉で記せるようになったかな・・と思えてきたも...
意外だったレオンハルトのF.クープラン/クラヴサン作品(4)
バロック様式といえば私の中で最初に雰囲気として浮かび上がるのがF.クープランである事は以前に記しましたが、彼の記した全ての楽譜を揃える程大好きなクラヴサン作品は、演奏に於いても興味の尽きない収集の対象となるものです。レオンハルトはフランソワよりもルイスの作品が好みらしくあまり多くを録音していませんが、それまで多く持つ彼のチェンバロ演奏の響きを知ったつもりでいたという事を今回の素晴らしい録音で感じたの...
二段構えの序曲から颯爽と開始され、メヌエットによる舞曲の後に全3幕で演じられる仮面劇「アルフレッド」はそれまで聴いて来たイギリスのルネサンス時代のダウランドやバード、タリスたちと現代のブリテンやホルスト、エルガーたちの間に位置する作品の一つである事が分かります。全曲演奏のCDは驚く事にこの盤だけであるそうです(2014年BOX発売当時の記事による)Thomas Augustine Arne (1710-88 英)18世紀イギリス最大の作曲家。...
チェンバロ協奏曲 ニ短調 Wq 23/ハ短調 Wq 43-4(H474)/チェンバロとピアノのための二重協奏曲 変ホ長調 Wq 47/C.P.E.バッハ(2)
私はずっとチェンバロ協奏曲では大バッハのBWV.1052や、有名な
モンテヴェルディといえば、古楽の好きな方ならきっと誰もが知る大御所だと思うのですが、同時代に活躍した作曲家たちの作品が、現代では家に居てもCDで聴ける時代になったのだと思います。まだまだこれからも発掘され、そう、化石や遺跡が見つかり、恐竜が毛におおわれていた事も分かってきたように、宇宙の謎も音楽も解明され幅を広げて行くのだと信じます。そのモンテヴェルディの作品は多く持っているので後日記す事として、今...
日本歌曲で最も大好きな作品です。そのシュールでいてリアルという不思議な感覚は、谷川 俊太郎さんの詩と林 光さんの作曲とによって成された、どこまでも心の中の幻想世界を刺激する傑作となったのだと思っています。林 光/四つの夕暮の歌(1959)/谷川 俊太郎・詩(1959)・Ⅰ.夕暮れは大きな書物だ・Ⅱ.誰があかりを消すのだろう・Ⅲ.誰もいない隣の部屋で・Ⅳ.死者のむかえる夜のために※各アルバムに張り付けてあるバラ飾りは
弦楽八重奏曲 変ホ長調 op.20/+オーケストラ版/F.メンデルスゾーン
弦楽八重奏曲は、その編成に於いて弦楽四重奏を2ユニット用いるものになります。すなわち4台のヴァイオリン、2台のヴィオラ、2台のチェロが用いられます。ベートーヴェンの七重奏曲やシューベルトの九重奏曲、八重奏曲が管楽器を加えたものであり、その事を踏まえるとブラームスの弦楽六重奏曲はメンデルスゾーンのそれよりも編成は小さなものとなります。しかし、ブラームスの意図が中・低音の声部の拡張・充実であったのに対し、...
詩曲/妻への讃歌/リラの花咲くころ/セレナーデ/E.ショーソン/ヌヴー/ハイフェッツ/マイスキー
ショーソンの「詩曲」はヴァイオリンの魅力を伝える魅力ある作品だと思っています。この作品を好きになった方は、きっとそれを聴いたヴァイオリニストも好きになる類のものなのだとも感じます。今回の意図は作品の持つ幅広さ(別の顔)・ポテンシャルを知るという楽しみもクラシックにはあるのだと年始の再確認でもあります。Ernest Chausson (1855-99 仏)パリ音楽院でJ.マスネに学んだがC.フランクに傾倒。またR.ワーグナーの影響を...
ヴィオールの名手であり、ルイ14世の宮廷音楽家であったフォルクレは、私のブログでも最初期に記した作曲家です。その時はスキップ・センペのチェンバロとジェイ・ベルンフェルドのガンバ、そして1973年のグスタフ・レオンハルトのチェンバロ演奏をご紹介させて頂きました**この作品の編成は2つのヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音(またはクラヴサン)となっていてセンペ/ベルンフェルド盤が前者、レオンハルト盤がその後者によるもの...
新年あけましておめでとうございますコロナで出かける事を控えた元日は気分転換にヨーロッパ各地のオルガン巡りで旅行気分を楽しもうと思います。シリーズとして続けられたこれらを聴くと、それぞれのオルガンが独自の顔を持つ事を知る事が出来、荘厳なものから底抜けに明るいもの、古くなりすぎて空気の漏れるもの(これフゴフゴとした実に可愛い味があるのです)、メンテの行き届いた完璧なバランスで響くもの等々、オルガンによっ...
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アフロ・キューバン・ララバイJ.マーシャル編使用写真撮影者 : 学生時代に安いデジカメで撮影したものですギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214夏になると海を思いながら無性に弾きたくなる曲です。カリブ海の明るい日差しと、アフリカのリフのように繰り返される単調なメロディーが融合したよ...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
チャイコフスキーの交響曲は、ドヴォルザークのそれらと同じく、後期の3曲辺りが発売される事が多いように思っています。私はどの作曲家も第1番にそのルーツを見るような気がしていて、それが例えマイナーで入手困難であっても可能な限り揃えるようにしているのですが、そこには大成する前の初々しさ等と共に、彼等独自の感性の根源に必ず出会うようにも思っています。第4番から第6番「悲愴」は本当に録音が多いのですが、初期の標...
ヴィヴァルディの良さの一つに、情に深入りせずサラッと聴かせる、それでいて風景や喜怒哀楽の描写には強い共感を覚えるという事もあるのではないでしょうか。必要に迫られて実用音楽・教育(孤児院施設での)に大量生産した彼は、既に作られた自作品を変奏曲のように様々に料理できる才能に恵まれていたと感じたのです。いえ・・、もしかするとその需要こそが彼の素材を多種に展開する腕を磨いたのかも知れませんね。ですから、変奏...
もう使わずベッドの下に眠るだけのBOX・・。希少なものを集めていると自負する私は、誰かに聴かれる方が・・、欲しいと思っている人の手に委ねる方が・・、と思うようになりました。それは最近までこのブログでも単盤で貰い手を募っていたCDたちへの想いと同じです。中にはamazonに現在99,970円というとんでもない値段で並んでいるもの、3-4万のものなども多くあるのですが、オークションには10,000円程で次の日曜まで並んでいま...
当ブログで出会うことの出来ました皆様からの優しさ、記事のないままご訪問くださいます事に申し訳ない気持ちと感謝で胸一杯です。この場を借りてお礼申し上げます。アトリエ・バロック・フランセーズの臼井先生のブログからいつも前に進もうというお力を頂き、助けて頂いていたという事も記させてください。まだ暫くは徹夜に近い仕事に追われる毎日が続きますが、その甲斐あってもう一つの大きなプロジェクトにも参入出来る運びと...
ニ長調のワルツ作曲 : F.ターレガ使用写真撮影者 : ヒロサカ様 https://tomoyan10.blog.ss-blog.jp/ギター : 中出敏彦 MASTER DELUXE 120 1995年製作(松・ハカランダ)弦 : オーガスチン インペリアルRED SETオーディオ・インターフェース : steinberg UR22Cマイク : AKG C214昨年は介護のために爪を伸ばせなくなり録音する事が出来ませんでした。それでも毎日、基本練習だけはサボらずにしていたのですが、それまで染み込ませた感...
鍵盤楽器が独奏楽器として普及する前、それを担ったのが指で直接弾くギター族(仮)であった事は西欧音楽史の最初の方に記されています。ミランやナルバエス・・、スカルラッティたちが活躍する以前のスペイン宮廷で独奏楽器や歌曲の伴奏楽器としてのビウェラを用いて時代の音を響かせた彼らを知る音楽愛好家はまだ少ないのではないでしょうか。今回はビウェラ、リュート、ギターで弾かれるミラン作品を集めてみました。ルイス・デ・...
いみじき時 (歌曲集「灰色の歌」より)詞 : P.ヴェルレーヌ作曲 : 1892年葡萄摘みの3日間詞 : A.ドーデーリラの葉影の夜うぐいす (または「リラに来るうぐいす」)詞 : L.ドーファン恋する乙女詞 : ド・プリヴィユR.アーン Reynaldo Hahn (1874-19447 仏)マスネー風の甘美な旋律性により知られ、歌劇を含む80曲の劇場作品や、協奏曲、室内楽曲もあるが、104曲の歌曲がすぐれている。(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)※各アルバ...
フィヨルドの雄大な晩秋を感じる「秋に」は、演奏会用序曲としてのスケールと、グリーグの細やかで繊細な描写を併せ持つ作品ではないでしょうか。この作品でのグリーグの書法は明快であり、描くものが例えば下降音型であれば吹きすさぶ北風であったりと、ノルウェーの自然と密接な繋がりを感じます。それは短い秋に既に冬の厳しさが窺え、彼の家の立つフィヨルドを望む山と海とが一緒になった切り立った崖の壮観さとなるように思い...
ギター作品「セゴヴィア-ナ op.366」に聴く近代パリの街並みを思わせる雰囲気から知る事となったミヨーは、プーランク(ギター作品「ギターのためのサラバンド FP179」)やメシアンたちと同じ時代を生きた作曲家ですが、その作風はより馴染み良い特徴を持つと感じます。同じくギター作品を書いたルーセル(ギター作品「セゴヴィアop.29」)は印象主義からバーバリズム、新古典派へと作風が移り変わって行くように、当時のフランスは様...
この二つは書法的に正反対の作品ですが、驚く事に感覚として伝わるものは共通するのです。調性の持つ色、そこから生まれる音度差の作る情というものが、それを失ってなおベルクの世界を描いて見せる事に驚くのです。ベルク作品の場合は無機質なものとならず原子にまで分解されてもなお本質を残し続ける事に魅せられました。「私の眼を閉じさせて」の第1作は木や土壁、或いは程良く古びた壁紙に柔らかな灯かりの燈るカフェの片隅、...
バルビローリが現ワーナーに録音したモーツァルトの交響曲は29番と41番しかないという事に驚きます。そこで数年に渡る批評誌を持つ友人に29番とジュピターの様子を訊ねてみるのですが、そこには彼の録音はどの年度にも挙がっていないようでそれにも驚いたのです。何故って、29番の愉悦感、響きの美しさは私の持つ何れよりも美しく、しかも録音も優秀であった事を示すように目の前に浮かび上がって来る音場のどの角度もまんべんなく...
いきなり文として成り立ちませんが、楷書による一筆書きのような演奏、それがワルターの29番だと思います。それは[端正で明確な意思を持つ]楷書による[その運びにより]一筆書きと感じたからです。演奏速度が私の持つ盤では最も軽やかで爽快、しかし弾き崩さない清潔感を保ったままでそれを成し得る事に驚きます。ワルター盤とコープマン盤はモダンとピリオドでの29番の理想像・・と、わたし自身は勝手に思っているのですが(なんと💦...
ケテルビーの描く世界は、実際はその土地っぽくリズムとメロディーを工夫したイメージ音楽である事に気付きます。それは映画などでも聴く独自のヴァーチャルな世界観を持つもので、その作曲書法はガヴォットを用いたりと、兎に角馴染み易い西欧のフォーマットを基本としたものである事が感じられました。しかし、子供の時に夢の世界へ連れて行ってくれた音の世界は魅力的であり、その楽しみはクラシックの下でも上でもない確固とし...
モーツァルト作品の魅力の一つに心地良い快速性を含めるとすると、29番はまさにそれに当てはまる交響曲だと思うのですが、クレンペラーは優雅に描き、そこに漂うニュアンスが細やかな表情を見せて愛らしいものになっています。これはベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」で触れた近寄り難いクレンペラーとはまるで別人のように思えたのも驚きの一つでした。クレンペラーはベートーヴェンとモーツァルトの違いをハッキリと描き分けた指揮...
私はモーツァルトの第29番を最もチャーミングな交響曲と思っています。彼の交響曲で最も大好きなのは第39番だと言うのは既に記しましたが、劇的な第25番や第40番の印象が強かったモーツァルトが、コープマンによる第29番との最初の出会いにより友人のような近しさを覚える事となりました。イ長調はギターではよく用いられる調で、その派手さと力強い輝きが特徴ですが、同主調のイ短調が組み合わされた時の響き、そのイ短調がハ長調...
オルガンもオーケストラも、その土地の響きを持つとするならば、今回の2組の演奏は見事にそれを表していると思います。録音年だけを見て、タイトルの通りどちらが現代風で、どちらが古風と考えられるでしょうか?実はカントロフ盤の響きというものが、案外バッハ達ドイツの作曲家の作品によって意識下に影響を受けているのではないかと思ったのもフランスの近・現代作品であるプーランク作品だからなのかも知れません。オルガン、弦...
複雑で心を騒ぎ立たせるロマン派の作品を楽しんでいると、たまに聴きたくなるのがただひたすら純粋な中世~ルネサンスの作品、あるいはPOPSやBlues.ROCKやJAZZであったりします。そして思います、遥か昔の世俗歌曲と現代の(広義での)POPSの共通点を。これらはいつの時代も変わらない人々の暮らしの一部として、或いは気軽な友達のようにずっと身近に在りつづけて来たのだと。何より曲によって使い分けられるリュートによるメロディ...
心はロマン派にあり、手法は古典派の先輩方への敬愛を示すシューベルトが残したピアノ三重奏曲は4曲あるそうです。しかし、辞典に記され演奏で聴くのは第1・2番と呼ばれる最晩年の作品2曲となっています。それら第1番・第2番と呼ばれるものは何れも最晩年に書かれていますが、第1番の方が第2番の後に作曲された(?)とも記されており現在でもはっきりとはしていないとあります。第1番が1828だとすると、それはシューベルト没年(1797-...
もしかすると人は愛しいもの(人だけではない)を想う時には美しい旋律を、別れる・離れる時には哀しさを堪えるために無機質(寂しい・虚しい/太陽は昇っているのに温かさを感じない/味がしない/周りが別世界に思える等)と感じるのでしょうか・・。それらと一緒に過ごせた喜びという想い出となった時に「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のように美しく漂い、同時にそれが過去形である事の切なさも心に固まりとなって存在する事...
前回記したメシアンの無調性による[美しい定旋律]を持たない世界のまさに逆、膨らんだ機能和声の極致[トリスタン和声]と濃厚な情念が湧き上がるワーグナー(特にトリスタンとイゾルデ)の固定観念を持つ旋律・・。そのどちらにも深い陶酔の世界がある事を知ってしまいました。「トリスタンとイゾルデ」第3幕開始のコーラングレと共に吹き過ぎる心が荒涼とした冷たく寂しい情景はワーグナーの世界の中でも特に好きな部分です。その習...