紙面に落とされたアリスメンディの確固たる意志を感じさせる瞳が、蝋燭の炎を鋭く反射させている。 しばしの後、アリスメンディは、おもむろに顎を引いた。 「いかにも。 わたしが書いたものだ」 (──
征服者とインカの末裔たちとの戦いの物語。インカ皇帝末裔トゥパク・アマルを中心に描く長編歴史ロマン。
紙面に落とされたアリスメンディの確固たる意志を感じさせる瞳が、蝋燭の炎を鋭く反射させている。 しばしの後、アリスメンディは、おもむろに顎を引いた。 「いかにも。 わたしが書いたものだ」 (──
「俺は、この植民地生まれです」 ヨハンの答えにアリスメンディは「そうか」と頷く。 「だとすれば、そなたも、本国スペイン出身のスペイン人たちから、いわれのない差別を受けてきたのではないか?」
アリスメンディはゆっくりと首を横に振った。 「いや、ラス・カサス殿も聖ローザも、ふたりともイエズス会ではなくドミニコ会に所属していた。 今、わたしが世話になっている聖カタリナ修道院もドミニコ会に属
燭台の光を反射して、マリオのペンダントの先に付いているメダイ──金属製の小さな銀色のメダル──が、キラリと煌めきを放つ。 「へえ、綺麗だね」 思わず呟いたアンドレスに、マリオは「このメダイには、聖ロ
アリスメンディは、神父らしい面持ちで、次のように語った。 「わたしを匿(かくま)うことを願い出てくれた聖カタリナ修道院の修道院長が、ラス・カサス殿や聖ローザを崇敬している人物なのだ。 修道院
やがてアンドレスが口火を切った。 「アリスメンディ殿、あなたが英国から運んできて我々に供与してくださった武器は、先日のアレキパ砦戦でとても助けになりました。 本当にありがとうござい
明けましておめでとうございます 昨年もご来訪いただきまして本当にありがとうございました。今年も一歩一歩書き進めてまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします。 2023年は生成AIが身近なものとなり 創作に
と同時にドアが開き──扉の向こうから、全身黒ずくめの僧衣をまとった長身の男が姿を現した。 蝋燭(ろうそく)の明かりぐらいしかない薄暗い室内では、薄闇に隠れて顔はよく見えないものの、鋭い眼光と、そ
その時、キィッと静かにドアが開かれる音がして、先ほどの混血の美しい修道女リリアーナが入ってきた。 彼女は両手に大きなお盆を持っており、その上にはティーポットやカップが乗せられている。 「お茶
礼拝堂を横切りながら、「こっちだ」とマリオが小声でささやき、アンドレスたちを礼拝堂奥の廊下へと導いていく。 礼拝堂を出て、そのまま廊下の突き当りまで進んだところで、マリオは足を止めた。 正面に
逸(はや)る心と緊張感とで、アンドレスは武者震いのようなものを覚えながら、胸襟(きょうきん)を正す。 それは、まだアリスメンディとの面識のないジェロニモやペドロも同じようで、早朝の冷気の中にもかかわ
(いよいよか……!) にわかにアンドレスは身の引き締まる思いがして、手綱を握る手に力を込める。 それから、思い出したように、早朝の蒼天を振り仰いだ。 清々しい陽光を跳ね返しながら翼を羽ばたかせてい
そんな経緯で、今、旅のメンバーたちとマリオはアレキパの街中──人目を避けた裏通りだが──に来ているわけなのだが、まずは、彼らが訪れている街について記しておこうと思う。 アレキパは、インカ帝国の第4代皇帝
やがて目を見開いたトゥパク・アマルが、ハーブティを口元に運んでから、物思わしげに言う。 「……やはり、“あれ”を試してみるか」 不意のトゥパク・アマルの言葉に、その場にいた全員が息を詰めて、目を瞬かせ
その後、トゥパク・アマルとスペイン人医師サレス、老練のインカ族の従軍医、コイユールたちはアレッチェの治療について協議を重ねていた。 会議室用の広間は、かつてはこの砦を取り仕切っていたアレッチェがいか
包帯に巻かれているにもかかわらず、火のように激昂した表情が見えるかのようなアレッチェの暴言に、スペイン人医師サレスは冷静さを失わぬままに答える。 「お気持ちは察するに余りあります。 ですが、閣下の
数日後。 早速、スペイン人の医師がトゥパク・アマルたちが居を構える砦へと招かれた。 50代後半位の年代に見える落ち着いた佇まいのスペイン人医師──サレスは、アレキパ界隈では腕利きの医師として有名で、こ
トゥパク・アマルはコイユールを助け起こすと、「アレッチェ殿を見舞いに来たのだが…。大丈夫かね」と、心配そうな眼差しをコイユールに向ける。 コイユールはいっそう深々と身を低めて、アレッチェに打倒された
「アレッチェ様を殺すだなんて、そんなことするはず……」 そう擦れ声で答えながら、コイユールは悲しげに目を伏せた。 (アレッチェ様、いつも以上に荒れていらっしゃる…。 治療の効果が全然見えてこないの
トゥパク・アマル陣営──。 モソプキオ村でのアンドレスたちとロカ神父との会合が、そろそろ終わりを迎えようとしていた頃の夕刻時。 スペイン軍総指揮官ホセ・アントニオ・アレッチェが治療を受けている居室で
「先ほどもお伝えした通り、アリスメンディ様と親交のあったドミニコ会などの神父や修道女は私だけではありません。 ですから、私と同じような境遇におかれ、モスコーソ大司教から出頭を命じられている者たちは他
少し前まで、時折、教会の外の広場から流れきていた村人たちの喧騒も、今はだいぶ静かになってきている。 治療や薬学に長けているロカ神父を呼びに来ないところからして、先ほどの戦いでの自警団員たちの負傷はさ
「私が追放されなかったのは、私はイエズス会に属する神父ではないからです」 「え!? それじゃ、あなたは……?」 「私はイエズス会士ではなくドミニコ会に属する神父なのです」 「ドミニコ会?」 「
明けましておめでとうございます。 昨年も大変お世話になり、本当にありがとうございました。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 全ての皆さまにとりまして、幸多き素敵な年となりますように。 ☆202
アンドレスの問いかけに、ロカ神父は実直な口調で語りはじめる。 「順番にお話しいたしましょう。 十数年前、イエズス会士がスペイン国王から国外追放を命じられたのはご存知かと思います。 その国外追放前
神父とアンドレスの様子を見守っているジェロニモ、ペドロ、ヨハンもまた、ますます集中して二人のやりとりに聴き入っている。 それは、彼らの傍で先ほどから何度も驚きに目を見張っているマリオも同様だった。
恭しく紙片を受け取った神父は、すぐに「はい」と頷いた。 そして、静謐(せいひつ)な瞳で、アンドレスを真っ直ぐ見つめ返す。 「アンドレス様は、これをお書きになった御方をお探しなのですか?」 ロカ神
かなり長い沈黙が流れた後、アンドレスの声が戸惑いがちに聞こえてくる。 「……どうして俺たちが旅商人じゃないって思うんですか?」 他方、ロカ神父は、アンドレスたちを長椅子の方へ招いて座るよう勧め、まだ
扉の中は執務室のような場所になっていて、いずれも簡素で素朴なものながらも、本棚や机、ちょっとした応接セットなどが置かれている。 部屋の奥には、仄明るい光の射し込む擦りガラスの窓があって、その傍に一人
────不意に、深い静けさと冷んやりとした空気に包まれる。 そこは、先ほどまでの戦闘中の雑踏と喧騒とは別世界だった。 裏扉から入ったために、扉の内側に広がる光景は聖堂の中ではなく、聖堂に続く廊下に面し
「ああっ、えっと…その…っ」 わたわたと慌てている覆面4人組をまじまじと見つめながら、マリオが呆れと感嘆の混じったような吐息をつく。 「ふぅっ……。 おまえたちは、いっつも、思いっきり怪しげなんだよ
きれぎれの雲がかかった美しい蒼穹を舞う銀色の翼が、初夏の陽光を跳ね返して荘厳な煌めきを放っている。 思いがけない鳥捕物帳に、広場の自警団員たちや応援していた村人たちも、楽しそうに鳥に向かって手を振
銃の引き金に添えた指先に、グッと、イヴァンが力を込める。 ────と、その刹那、彼の後頭部に、背後から飛び込んできた何かが、猛烈な勢いで激突した。 「グハッ!!!!!」 後頭部の皮膚に食い込む鷲爪の
イヴァンは銃を身構えながら、また口をへの字に曲げた。 味方の犠牲を前提にした隊長の狙撃命令には胸くそ悪さを覚えるが、あの邪魔な覆面を消せるなら、まあ、それにこしたことはないだろう。 「──とは
隊長に急(せ)き立てられて、副隊長イヴァンは「無茶を言いなさる…」とブツブツ言いながらも、指定された覆面を射殺するのに狙いやすい場所を物色しはじめる。 他方、己が狙われているとは知らぬアンドレ
かくして、アンドレスの懸念通り、スペイン兵の隊長は、いきなり飛び込んできて戦況をインカ側有利に大きく攪乱(かくらん)している覆面の男たちに憤慨しながらも、虎視眈々と反撃の機を掴もうと手ぐすね引いていた
いつしか太陽はだいぶ高く昇り、澄み渡った蒼穹から眩い陽光を地に降り注いでいる。 さほど広くない空間における至近距離での斬撃の応酬となっているため、味方撃ちを避けるために、敵が銃を使えずにいることもあ
(……!!) 鎌を握ったまま驚嘆している自警団の若者の前で、スペイン兵を仕留めた覆面姿の人物──アンドレスが「大丈夫ですか?」と声をかける。 質素な旅装束に覆面という非常に怪しげな風貌ではあったが、その人
戦いの場となっている教会前の広場は、せいぜい60~70メートル四方ほどの大きさで、それほと広くはない。 その中で100人近い両軍の兵がひしめき合いながら武器を振り回しているのだから、その混雑具合はかな
教会に向かって全力疾走しながら神父の言葉を読み取り、アンドレスは覆面から覗く目を思慮深気に細める。 (村人たちを巻き込むことを案じて──まともそうな神父だな。 それに、教会の前を血で汚したくないとい
疾走速度をさらに上げていくアンドレスたちの耳に、戦いの喧騒が次第に大きく響き渡ってきた。 その喧騒の流れ来る方角に突き進んでいくと、ほどなく、こじんまりとした質素な教会が見えてくる。 その教会前は広
しっかり覆面で顔を隠したアンドレスたち4人は、宿屋の主人から教えてもらった村の教会へと急いだ。 よく晴れた早朝の青空から降り注ぐ陽光は、次第に強さを増してきている。 そのような中、黒々とした覆面を被っ
「なるほど……。 神父様とはいえ、ずいぶん尖った感じのする人ですね。 これまでも危ない橋を何度も渡ってきたみたいですし。 まぁ、あのモスコーソが目の敵にするのもわかります」 実直な口調で語るペドロの言葉
スペイン国王によるイエズス会への弾圧、そして、その渦中で行われたアンドレスの父親の暗殺。 これまでこの国で行われてきた数々の蛮行を振り返れば、そのようなことが起こっていたとしても今さら驚くにはあたらな
明けましておめでとうございます! 昨年も遅々とした更新となってしまい 大変恐縮な思いなのですが…… そのような中でも ご来訪くださりお読みくださいました読者さま 本当にありがとうございました。 また、
再びアンドレスが深く頷く。 「確かに、ヨハンの言う通りだ。 今はあまり時間が無いから詳しくは説明できないけど、国外追放の件は大事なので話しておきたい。 ヨハンが言ったように、イエズス会の神父たちが国外
「そうですネ。 腹が減っては戦はできぬ、ですからネ!」 そう応じて、昨夜のうちに買い置いておいた朝食のパンやチーズを皆に分けていくジェロニモを眺めながら、アンドレスは懐に大事そうにしまっていた例の貼り
自分と宿屋の主人とのやりとりを見守っていたジェロニモやペドロたちを、アンドレスが鋭く振り向いた。 「君たちも想像がつくだろう? あのモスコーソに狙われた人間の末路がどうなるかってこと……! しかも、この
「ああ、それでしたら、あやつらの目的は、多分、村の教会の神父様です。 神父様を逮捕しに来たのでありましょう……」 宿屋の主人は声を潜めて答えると、困惑と悲しみの混ざった表情で溜息をつき、床に視線を落とし
一番面の割れやすそうなアンドレスが、ジェロニモの腕によって、有無を言わさぬ勢いで大棚の陰に押し込まれた。 アンドレスの姿が隠れたのを見届けてから、ペドロが軽く咳払いをして部屋の扉を開ける。 「コホンッ
アンドレスは瞬時に目が覚めて、ベッドから飛び降りると、窓枠の陰から外に鋭く視線を走らせる。 確かに、ジェロニモの言う通り、宿屋の外のそこかしこに、スペイン兵たちが殺気だった様相でたむろしている。 ジェ
一晩時を遡り、モソプキオ村では──。 マリオの案内で宿屋に着いたアンドレスたちは、2階の奥まった簡素な一室を借りて、商店街で仕入れた食糧で夕食を済ませ、早々に各自のベッドの中にもぐりこんでいだ。 早朝か
その後、重側近たちをはじめとした主だった者が20人ほど集まった軍議の席で、トゥパク・アマルは、昨夜、アパサの伝令兵からもたらされたアパサ軍の戦況について説明した。 アパサは、首府リマ周辺を警護する副王ハ
「ありがとう」 そう言って己の隣に立ち、眩げに大海原を見晴らしているトゥパク・アマルの方に、改めて本人なのかどうかを確かめるようにスペイン軍人の視線が吸い寄せられる。 インカ族らしい精悍さとインカ族ら
翌日の早朝。 予定している軍議の時刻には、まだ大分時間がある。 トゥパク・アマルは、少し頭を冷やそうと砦の外へ出て行った。 このスペイン砦は、ほぼ長方形の形状をしているが、正面を大海原に面し、背後は荒
トゥパク・アマルは席を立って扉の前に行くと、自らそれを開いて従軍医を招き入れた。 そして、執務机傍の椅子に座るよう勧める。 「陛下、畏れ多いことでございます」と、すっかり恐縮している従軍医の緊張をほぐ
トゥパク・アマルは、やがて漆黒の瞳を見開くと、怜悧(れいり)な横顔を鋭くさせながら、再び、一語一語かみしめるように手元の書面に目を通していく。 『この国の<キリスト教徒>を名乗る権力者たちは、主イエス
・✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽ 明けましておめでとうございます ・*:.。 。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽ 昨年もご来訪くださいまして、小説をご覧くださいまして、本当にありがとうございました! 励みになるコメントや応援をして
記憶をたぐり寄せようとするかのように、マリオはそのまましばらく大きな瞳を見開いて、アンドレスの顔を凝視していたが、やがて小さく溜息をついた。 「だめだ。 思い出せない……!」 一方、アンドレスは、己の進
背後の相手を刺激しないよう、アンドレスたちは動作を静止したまま、首だけ僅かに動かし、半顔だけ振り向いた。 そして、えっ!と、思わず目を瞬かせる。 彼ら4人に険しい表情を向けて、見張り小屋の前でオンダ(
モソプキオ村――。 すっかり日が暮れて、月明りや星明りを頼りに馬を馳せてきた旅の4人が集落の辺りに辿り着いたのは、夜7時半を回る頃だった。 村の入り口と思しき場所には、木製の素朴な看板が打ち立てられていて
こうして、ともかくも集落に向かうことにした4人が、月明りを頼りに辿った地図上の道は、この分岐点の先に「mosopuquio(モソプキオ)」という小さな村があることを示していた。 地図的には、馬を飛ばせば、30分程
(これは……!) アンドレスの喉奥から、声にならない擦れ声がもれた。 その周りでは、ジェロニモ、ぺドロ、ヨハンが、文書を回し読みながら、それぞれの感想を口にしている。 「書かれている内容は、トゥパク・ア
残りのメンバーも、いつしか意識を集中してアンドレスの提案に耳を傾けていたが、しばしの沈黙の後、ジェロニモが口火を切った。 「そうですねぇ、アンドレス様の言うように、今のうちにしっかり体力を蓄えておくっ
様々な思いを抱きながらも、旅の一行は、荒野を貫いて延びる裏街道を再び馬で馳せていく。 今のところ一枚岩のチームワークとは到底言えない4人組だが、馬を走らせていく騎馬姿は、なかなかさまになっている。 こ
こうしてトゥパク・アマルたちに見送られたアンドレスたちは、変装姿のまま人目につきにくい裏街道を馬で駆け続け、半日ほど経ったところで休憩のために馬を止めた。 辺りを原生林や岩に囲まれた清流の傍に馬をつな
アンドレスが心の中であれこれ呟いている間にも、またヨハンが何か言い返そうと口を開きかけた。 が、強い光を放つトゥパク・アマルの漆黒の瞳に貫くように見つめ返され、ヨハンの喉元がグッと言葉を呑みくだす。
「そなたが、ヨハン・エルナンデス殿か」 礼を込めた声音でそう言って、トゥパク・アマルが柔和な眼差しを注ぐ。 その視線の先では、にわかに周囲の注目が己に集中しだしたことに、あからさまに嫌悪感を滲ませてい
「トゥパク・アマル様、もしかして、わざわざ見送りに来てくださったんですか?」 アンドレスが頬を上気させて問いかけている背後では、ジェロニモもペドロも歓喜と緊張の入り交じった表情で居住まいを正し、そして
遅ればせながら、明けましておめでとうございます! 昨年も『コンドルの系譜』をお読みくださいまして、 本当にありがとうございました。 励みになるコメントや応援をしてくださいました皆さまには、 重ねて
翌朝――。 アンドレスたち一行の旅立ちの日である。 まだ夜明け前の初夏の早朝は、冷え込みも厳しい。 濃紺から澄んだ藍色へと移りゆく空の下、アンドレス、ジェロニモ、ペドロ、ヨハン、そして、彼らを見送るビル
「そなたの身柄と引き換えに、捕虜として囚われているインカ軍の兵たちの解放を、副王に願い出るつもりだ」 「な…に……? このわたしを、あの虫けら同然の捕虜どもと交換だと? ……ッざけるな!! わたしの命は、
「――アレッチェ殿」 トゥパク・アマルは去りかけていた足を止めて、こちらを振り向いた。 「これは失礼をした。 なんなりと聞いてくれ」 今一度、寝台横の椅子に戻ったトゥパク・アマルを、アレッチェの闇色の瞳
「この砦の周辺に広がる大地を耕し、長期間の療養が必要な負傷兵たちの食糧を自給自足できるようにしたいというのは偽りではない。 この国を統(す)べる要職の一人として、そなたとて、見た目は荒野のようなこのア
「それは、先ほど伝えた通り、負傷兵たちの食糧確保の手助けをしてくれる者たちが必要だからだ」 「そのような建前のことなど聞いていない。 何を企(たくら)んでいるのかと聞いている」 アレッチェの有無を言わ
「当然ながら、この砦にある食糧には限りがある。 多国籍の多くの負傷兵が参集して大所帯の当砦では、いかに充実した食料庫を保有しているとはいえ、いずれ底をつくのは時間の問題であろう。 かと言って、近隣の農
「いろいろ話が多くて、かたじけない。 なれど、このこともまた大切なことゆえ、聞いてほしい。 先ほどから我々の話の中心である負傷兵たちだが、そなた自身もそうであるように、まだかなりの重傷者も少なくない。
「アレッチェ殿――」 「それで? わざわざ治療して、そのおかげで回復したスペイン兵たちを、おまえはどうするのだっけ? ああ、そうそう、敵兵といえども、回復したら、釈放するのだったかな? それが、インカ帝
己の投げかけた話題に、僅かながらも相手が反応を返してきたことに、トゥパク・アマルは目の色を和らげる。 それからすぐに、申し訳なさそうに、まぶたを伏せた。 「すまぬ。 アンドレスの旅の行き先や、その目的
(恐らく、公人としても、私人としても、孤高を貫いて生きてきたのであろう――) トゥパク・アマルは、眼前の敵将を見つめながら、胸の内で独りつぶやいた。 公人としてのホセ・アントニオ・アレッチェ、つまり、全
さて、ここで、時間を少しばかり過去に戻そう。 アンドレスとコイユールが夜の中庭で語らっていた頃、トゥパク・アマルとアレッチェはどのような様相になっていたであろうか。 アレッチェの療養中の居室の中で、対
その時だった。 砦の外回廊の方から、従軍医の聞き覚えのある声が、こちらに向かって呼びかけてきた。 「コイユール…? そこにいるのはコイユールなのかね? そんなところで何をしているんだ? ――誰か一緒にい
驚愕と興奮で、擦れ声でささやき合う二人の視線の遥か先の上空で、その楕円形の発光物体は、確かに、動いているように見えるのだ。 いや、実際、月も星々も上空をゆっくり移動してはいるのだが、そのような天体の緩
――が、その閉じかけられたコイユールの瞼が、突如、ハッと、またも大きく見開かれた。 すっかり互いの顔が接近している状態だっただけに、あまりに大きく見開かれたコイユールの瞳に、今度はアンドレスの方がびっく
「コイユール、まだ今の話しは終わっては……」 そう応じつつも、自分が不在にすることも伝えておかねばならないと、アンドレスは居住まいを正した。 「実は、俺、しばらく砦を留守にすることになってしまったんだ。
「コイユール、まだ俺に何か隠してないよな……? 俺に心配かけまいとして、黙っていることが他にあるんじゃないのか? アレッチェが完治させろと脅してきたとき、一体、どんな会話をしたんだ? もっと詳しく教えて
「アレッチェ様は自覚してないでしょうし、お認めにもならないだろうけど、多分、孤独感や恐怖感が、すごくあるんじゃないかしら。 あの酷いケロイドが一生治らない人生は、そして、身体が不自由な人生は、どのよう
張り詰めていた空気がひとたび和らぐと、今まで妙に濃い闇に閉ざされたように感じられていた中庭が、にわかに月光と星々の煌めきに満ちた明るい世界に変わって見えてくる。 サヤサヤと木の葉と夜風が奏でる心地よい
誰もいないと思っていた中庭から突然声がして、ただでさえ身を硬くしていたコイユールは、ビクッ、と大きく肩を震わせた。 「………!?」 「ごめんごめん、驚かすつもりじゃなかったんだ」 梢の間から降り注ぐ月光
(――って言っても、コイユールは、どこにいるんだろう…? トゥパク・アマル様とアレッチェの面会が終われば、またアレッチェの看病に戻らなきゃならないんだろうから、やっぱりアレッチェの部屋の近くだろうか?)
「え、ロレンソが俺に謝る…? 一体、何を?」 全く想像もつかないアンドレスが、先にも増して、大きな瞳をさらに大きく見開いている。 「つまり、それがだな…、さっきトゥパク・アマル様と話していて、つい、そな
「確かに、この状況の中で、戦場を離れなければならないそなたの心境は、わたしも察するに余りある。 この瞬間にも、どこで戦火が上がってもおかしくないし、実際に、クスコではディエゴ様とバリェ将軍が激しい戦闘
晴れた夜の空には、美しい白銀の月が煌めいている。 その夜空を、紅々と燃える松明の炎が、静かに焦がしている。 周りに誰もいないことを確かめつつ、二人は声をひそめながら、矢継ぎ早に言葉を交わし合う。 「ア
「アンドレス様、今、何と? トゥパク・アマル様が、アレッチェ殿に直(じか)に会って、ヨハンの件を尋ねると仰っていたのですか?」 トゥパク・アマルとアレッチェが直接会うと聞いて、ビルカパサの野性
トゥパク・アマルとアレッチェが、張り詰めた空気の中、それでも同じ空間を共にしていた頃、アンドレスたちの旅支度も、ほぼ整ってきていた。 倉庫近くの砦の一室では、ビルカパサの手ほどきの元、彼の率いる連隊兵
扉が閉まると、室内には、先にも増して重い沈黙が訪れる。 今も、アレッチェは、寝乱れた姿を少しも正そうとはせず、寝台に長々と寝そべったまま、包帯の向こうから憎悪に満ちた両眼でこちらを睨みつけている。 一
「気分はどうかね?」 そう語りかけて、トゥパク・アマルは、寝台上のアレッチェと同じ目の高さになるよう、床に跪(ひざまず)いた。 その様子に、コイユールは、殆ど飛びすさるようにして己の座っていた小椅子か
「中に入ってもよいか?」 軽く振り向いて視線で問いかけたトゥパク・アマルに、従軍医は丁寧に頷き、それから、低音(こごえ)で言い添えた。 「はい、トゥパク・アマル様。 コイユールが中におり、アレッチェ様
それ以上、追いかけようもなく、回廊の向こうからこちらを見守っているロレンソを背後に残し、トゥパク・アマルは従軍医の方へ歩んでいく。 彼の視線の先で、従軍医は、治療道具を小脇に抱えて床に目を落としたまま
「ですが……」と、まだ立ち去りがたそうなロレンソの肩に、トゥパク・アマルのしなやかな手が、スッと、添えられる。 「そういえば、ロレンソ殿、そなたに伝えておきたいことがあったのだ。 わたしの依頼した用向き
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紙面に落とされたアリスメンディの確固たる意志を感じさせる瞳が、蝋燭の炎を鋭く反射させている。 しばしの後、アリスメンディは、おもむろに顎を引いた。 「いかにも。 わたしが書いたものだ」 (──
「俺は、この植民地生まれです」 ヨハンの答えにアリスメンディは「そうか」と頷く。 「だとすれば、そなたも、本国スペイン出身のスペイン人たちから、いわれのない差別を受けてきたのではないか?」
アリスメンディはゆっくりと首を横に振った。 「いや、ラス・カサス殿も聖ローザも、ふたりともイエズス会ではなくドミニコ会に所属していた。 今、わたしが世話になっている聖カタリナ修道院もドミニコ会に属
燭台の光を反射して、マリオのペンダントの先に付いているメダイ──金属製の小さな銀色のメダル──が、キラリと煌めきを放つ。 「へえ、綺麗だね」 思わず呟いたアンドレスに、マリオは「このメダイには、聖ロ
アリスメンディは、神父らしい面持ちで、次のように語った。 「わたしを匿(かくま)うことを願い出てくれた聖カタリナ修道院の修道院長が、ラス・カサス殿や聖ローザを崇敬している人物なのだ。 修道院
やがてアンドレスが口火を切った。 「アリスメンディ殿、あなたが英国から運んできて我々に供与してくださった武器は、先日のアレキパ砦戦でとても助けになりました。 本当にありがとうござい
明けましておめでとうございます 昨年もご来訪いただきまして本当にありがとうございました。今年も一歩一歩書き進めてまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします。 2023年は生成AIが身近なものとなり 創作に
と同時にドアが開き──扉の向こうから、全身黒ずくめの僧衣をまとった長身の男が姿を現した。 蝋燭(ろうそく)の明かりぐらいしかない薄暗い室内では、薄闇に隠れて顔はよく見えないものの、鋭い眼光と、そ
その時、キィッと静かにドアが開かれる音がして、先ほどの混血の美しい修道女リリアーナが入ってきた。 彼女は両手に大きなお盆を持っており、その上にはティーポットやカップが乗せられている。 「お茶
礼拝堂を横切りながら、「こっちだ」とマリオが小声でささやき、アンドレスたちを礼拝堂奥の廊下へと導いていく。 礼拝堂を出て、そのまま廊下の突き当りまで進んだところで、マリオは足を止めた。 正面に
逸(はや)る心と緊張感とで、アンドレスは武者震いのようなものを覚えながら、胸襟(きょうきん)を正す。 それは、まだアリスメンディとの面識のないジェロニモやペドロも同じようで、早朝の冷気の中にもかかわ
(いよいよか……!) にわかにアンドレスは身の引き締まる思いがして、手綱を握る手に力を込める。 それから、思い出したように、早朝の蒼天を振り仰いだ。 清々しい陽光を跳ね返しながら翼を羽ばたかせてい
そんな経緯で、今、旅のメンバーたちとマリオはアレキパの街中──人目を避けた裏通りだが──に来ているわけなのだが、まずは、彼らが訪れている街について記しておこうと思う。 アレキパは、インカ帝国の第4代皇帝
やがて目を見開いたトゥパク・アマルが、ハーブティを口元に運んでから、物思わしげに言う。 「……やはり、“あれ”を試してみるか」 不意のトゥパク・アマルの言葉に、その場にいた全員が息を詰めて、目を瞬かせ
その後、トゥパク・アマルとスペイン人医師サレス、老練のインカ族の従軍医、コイユールたちはアレッチェの治療について協議を重ねていた。 会議室用の広間は、かつてはこの砦を取り仕切っていたアレッチェがいか
包帯に巻かれているにもかかわらず、火のように激昂した表情が見えるかのようなアレッチェの暴言に、スペイン人医師サレスは冷静さを失わぬままに答える。 「お気持ちは察するに余りあります。 ですが、閣下の
数日後。 早速、スペイン人の医師がトゥパク・アマルたちが居を構える砦へと招かれた。 50代後半位の年代に見える落ち着いた佇まいのスペイン人医師──サレスは、アレキパ界隈では腕利きの医師として有名で、こ
トゥパク・アマルはコイユールを助け起こすと、「アレッチェ殿を見舞いに来たのだが…。大丈夫かね」と、心配そうな眼差しをコイユールに向ける。 コイユールはいっそう深々と身を低めて、アレッチェに打倒された
「アレッチェ様を殺すだなんて、そんなことするはず……」 そう擦れ声で答えながら、コイユールは悲しげに目を伏せた。 (アレッチェ様、いつも以上に荒れていらっしゃる…。 治療の効果が全然見えてこないの
トゥパク・アマル陣営──。 モソプキオ村でのアンドレスたちとロカ神父との会合が、そろそろ終わりを迎えようとしていた頃の夕刻時。 スペイン軍総指揮官ホセ・アントニオ・アレッチェが治療を受けている居室で
礼拝堂を横切りながら、「こっちだ」とマリオが小声でささやき、アンドレスたちを礼拝堂奥の廊下へと導いていく。 礼拝堂を出て、そのまま廊下の突き当りまで進んだところで、マリオは足を止めた。 正面に
逸(はや)る心と緊張感とで、アンドレスは武者震いのようなものを覚えながら、胸襟(きょうきん)を正す。 それは、まだアリスメンディとの面識のないジェロニモやペドロも同じようで、早朝の冷気の中にもかかわ
(いよいよか……!) にわかにアンドレスは身の引き締まる思いがして、手綱を握る手に力を込める。 それから、思い出したように、早朝の蒼天を振り仰いだ。 清々しい陽光を跳ね返しながら翼を羽ばたかせてい
そんな経緯で、今、旅のメンバーたちとマリオはアレキパの街中──人目を避けた裏通りだが──に来ているわけなのだが、まずは、彼らが訪れている街について記しておこうと思う。 アレキパは、インカ帝国の第4代皇帝
やがて目を見開いたトゥパク・アマルが、ハーブティを口元に運んでから、物思わしげに言う。 「……やはり、“あれ”を試してみるか」 不意のトゥパク・アマルの言葉に、その場にいた全員が息を詰めて、目を瞬かせ
その後、トゥパク・アマルとスペイン人医師サレス、老練のインカ族の従軍医、コイユールたちはアレッチェの治療について協議を重ねていた。 会議室用の広間は、かつてはこの砦を取り仕切っていたアレッチェがいか