定子の遺体が安置された六波羅蜜寺

定子の遺体が安置された六波羅蜜寺

一条天皇の皇后・藤原定子は、1000年(長保2)12月16日、媄子(びし)内親王を出産した直後、難産のため25歳で崩御、23日、定子の遺体は、六波羅蜜寺に安置され、27日に生前の希望から鳥戸野の南のあたりに土葬されたといいます。定子の死後、中関白家(父・兼家と弟・道長の中継ぎの関白という意味)は人望に欠け没落の一途をたどった。敦康親王が、后腹の第一皇子でありながら即位できなかったのも、それが一因である。定子が儲け...

2024/07/21 21:01