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パレスチナの地では、今やイスラエルがパレスチナ人の息の根を止めようとしているように見えます。イスラエルのネタニヤフ首相は、今般の戦争を自らが描く‘大イスラエル主義’の総仕上げに位置づけているのでしょう。如何なる反対をも振り切って蛮行を強行しようとするその姿は、冷静かつ客観的な視点からはもはや狂信者としか見えないのですが、当事国が全世界にネットワークを張り巡らしているユダヤ人の国家であるだけに、全ての諸国、あるいは、人類は、傍観者の立場ではいられなくなります。停戦の見込みさえ薄い中、戦後のヴィジョンを語るのは、時期尚早あるいは的外れとの批判もありましょう。しかしながら、たとえイスラエルがパレスチナを武力で制圧したとしても、根本的な解決には至らず、将来的には同様の事態が繰り返されるリスクがあります。そこで、昨...イスラエルの最も望ましいマネー・パワーの使い方
1947年11月に国連総会で成立したパレスチナ分割決議は、独立国家としての法的地位をイスラエルに与えたのみで、他の決定事項については殆ど実現しませんでした。アラブ人国家の同時建国並びに経済同盟の設立のみならず、聖地イエルサレムを国連信託統治の下に置く構想も含めれば、同決議の内容の大半は忘却の彼方に去りつつあったと言えましょうところが、ハマスの奇襲攻撃に始まるとされるイスラエル・ハマス戦争は、図らずもパレスチナ分割決議を多くの人々に思い出させるという、皮肉な結果を招いています。ハマスによるテロの一場面だけを切り取れば、イスラエルが主張する正当防衛論には理があるように見えます。しかしながら、長期的な視点からパレスチナ紛争の全体の流れを眺めますと、イスラエルは、明らかにパレスチナ領を侵害する加害者の立場にあるこ...パレスチナ紛争解決のための試案
イスラエルのネタニヤフ首相は、停戦を求める内外からの声を無視し、‘ハマス壊滅’を口実としたガザ地区制圧作戦をあくまでも貫く構えを見せています。同地区制圧後の将来的なヴィジョンについても、イスラエルを背後から支えてきたアメリカのバイデン大統領が二国家共存を主張する一方で、ネタニヤフ首相はこの案を否定しており、両者の間での意見対立も報じられています。解決策としての二国共存論、あるいは、二国併存論については、パレスチナ国に対するイスラエル側の入植状況に鑑みて、非現実的であるとする意見もあります。既に多くのイスラエル人が国連決議で定めた国境線を越えてパレスチナ領域内に居住している現状からすれば、今更これらの人々に‘立ち退き’を求めることは現実的ではないというのです。しかしながら、この‘既成事実の追認’という意味で...二国共存案の否定は侵略の肯定
1947年11月のパレスチナ分割決議は、イスラエルの建国に法的根拠を与える一方、パレスチナの地にアラブ人国家並びに両国による経済同盟が出現することはありませんでした。悲願であった自らの国家を建国したことに加え経済同盟にあって移動の自由のみをイスラエルが享受し得たとしますと、いわばイスラエルの‘いいとこ取り’に終わったこととなりましょう。しかも、同構想の頓挫は、イスラエルを戦争当事国とする第一次中東戦争によるものですので、半ば、武力によって強制的に潰されたようなものなのです。かくしてイスラエル建国以降、パレスチナ紛争は泥沼化することとなったのですが、経済同盟を基盤とする同構想は、あまりにも非現実的な儚い夢物語であったのでしょうか。この問いに対しては、今日のEUが、ある程度の回答を提供しているように思えます。...EUが示唆するパレスチナ経済同盟の行方
1947年12月パレスチナ分割決議には、アラブ人並びにユダヤ人の双方が建国した二つの国家による経済同盟が組み込まれていたことは、‘カナン’の土地を分けてもらったユダヤ人によるアラブ人定住民に対する償いの意味が込められていたのかもしれません。同経済同盟が実現すれば、共通予算からのアラブ国家に対する多額の財政支出、すなわち、事実上のユダヤ人国家からアラブ人国家への財政移転が見込まれたからです。その一方で、もう一つ、考えるべきは、意図的に敢えて経済同盟という共通政策を伴う枠組みを設けたのか、否か、という点です。仮に、パレスチナの地に住んできた定住アラブの人々に対して土地の取得に伴う償いを行なうのであれば、敢えて経済同盟の形態を選択する必要性はそれ程には高くはないはずです。土地の取得代金あるいは立ち退き料等の名目...パレスチナ分割決議は将来的統合を期待していた?
1947年11月のパレスチナ分割決議の第一義的な目的が、イスラエルの建国であったことは疑いようもありません。1917年のバルフォア宣言から国際連盟の名の下におけるイギリスの委任統治への流れを見ても、その根底には、シオニズムの流れが脈々と息づいているからです。かくして国連総会における同決議の成立によってユダヤ人は、独立主権国家としてイスラエルを建国し、自らの悲願を達成したのですが、その一方で、同決議に含まれていた(1)アラブ人国家の同時建国と(2)経済同盟の設立は、日の目を見ることはありませんでした。それでは、同決議に盛り込まれたアラブ人国家と経済同盟には、どのような意味があったのでしょうか。イスラエル建国と同時に第一次中東戦争が起きたことは、イスラエルにとりましては、アラブ人国家の建国を妨げるチャンスとな...パレスチナ分割決議はアラブ人への償い条件付き?
今日、イスラエルは、国連加盟国の一国であり、独立主権国家として大多数の国家から承認されています。1993年のオスロ合意では、パレスチナ国もイスラエルの存在を承認することとなりました。かくして、イスラエルの国家としての法人格は凡そ確立しているのですが、それでは、イスラエルは、自らの法的地位をどのようにして手に入れたのでしょうか。ある人は、パレスチナ紛争の原因をイギリスの三枚舌外交にあるとし、イスラエル建国は、当時のイギリス政府によって保障されたと主張するかもしれません。しかしながら、1917年11月2日の日付が付されているバルフォア宣言は、当時の英国外相アーサー・バルフォアが、ライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に宛てた書簡に過ぎません。同書簡では、シオニズムに対する賛意が示され、パレスチナの地に‘ユダ...パレスチナ分割決議なくしてイスラエルなし
1947年11月29日に国連総会で成立した決議181号(Ⅱ)は、パレスチナ分割決議として知られています。しかしながら、同決議において、経済同盟の結成が定められていることを知る人は、今ではほとんどいないのかもしれません。同決議は、アラブ人とユダヤ人の双方に独立した主権国家の建国を認める一方で、聖地イエルサレムを事実上の国連の信託統治下に置く三分割案でもありました。そして、仮に同決議が実現していれば、経済同盟によって、これら三者を一つの枠組みに組み込まれていたのです。それでは、パレスチナ分割決議が定めた経済同盟とは、一体、どのような構想であったのでしょうか。パレスチナ経済同盟は、(1)関税同盟、(2)単一の外国為替相場を有する共同通貨システム、(3)鉄道、高速道路、郵便、通信サービス、国際貿易港や国際空港を含...パレスチナ分割決議が定めた経済同盟とは
トマ・ピケティ氏が紹介している「ア・ランド・フォー・オール」のイスラエル・パレスチナ連邦構想では、「労働法」、「水資源の共有・分配」、「公共インフラ・教育インフラ・医療インフラの財源確保」の三つの分野を、両国を結びつける基本的な共通政策領域として考えているようです。しかしながら、これらの三つ何れの政策領域を見ましても、むしろ、両国間の亀裂が深まるばかりとなりそうです。何故ならば、両国間には、歴然とした経済格差があるからです。そもそも、「ア・ランド・フォー・オール」が「労働法」の分野を第一番目に挙げたのは、イスラエルにおけるパレスチナ人の労働条件が、劣悪であるとする認識によるものと推測されます。今日、両国間の国民所得の格差は凡そ数十倍ともされ、しかも、ガザ市民の多くは、イスラエルにて就業せざるを得ない状況に...イスラエル・パレスチナ連邦構想は破局する?
『21世紀の資本』の著者として知られるフランスの経済学者トマ・ピケティ氏は、出口の見えないイスラエル・ハマス戦争を政治的に解決する方法として、一つの構想を提唱されております。それは、イスラエル・パレスチナ連邦国家構想です。もっとも、同構想は、ピケティ氏のオリジナルというわけではなく、イスラエル、パレスチナ双方が参加する市民団体「ア・ランド・フォー・オール」などが主張してきたそうです。しかしながら、この構想、実現するには、幾つかの高いハードルを越えなければならないかもしれません。ピケティ氏によれば、連邦構想とは、イスラエルとパレスチナの双方を主権国家として相互に承認した上で、両国の合意によって連邦国家を成立させるというものです。同連邦のモデルとして、各国の主権を残しながら国家が並立的に連合するEUを挙げてい...イスラエル・パレスチナ連邦国家構想の行方
イスラエルによるガザ地区及び西岸地区に対する軍事作戦は、おそらく事前に策定されていたのでしょう。パレスチナ国側の内紛による両地区の分離も、後ろから糸を引いていたのはイスラエルであったともされており、ハマスはイスラエルあるいはアメリカが育てたと言われる所以でもあります。PLOの流れを汲む西岸地区のファタハ政権もイスラエル寄りとする批判もありますし、他にも多くのイスラム系武装政党や過激派組織が乱立している状況からしますと、‘分割して統治せよ’、あるいは、サラミ作戦が実行されているのかもしれません。何れにしましても、ハマスによる奇襲攻撃は、イスラエルにガザ地区を完全掌握する絶好の機会を与えることとなったのですが、その後のイスラエルの素早い対応が、テロ行為に対する同害報復、あるいは、正当防衛の範囲を超えた過剰防衛...イスラエルの誤算
アメリカのアントニー・ブリンケン国務長官は、東京での記者会見の席で、パレスチナのガザ地区に関する戦後構想についてアメリカ政府の方針を明らかにしました。同長官が語るには、イスラエルがガザ地区を占領したとしても、一定の移行期間を置いた後に、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ国の政府に統治権を移すとする案のようです。ネタニヤフ首相は、ガザ地区の再占領後は、同地域はイスラエルが安全保障の責任を負う、即ち、事実上の‘併合’を表明していましたので、ブリンケン国務長官の案は、ネタニヤフ首相の方針と真っ向方対立すると共に、より穏健で平和的な紛争可決案であるように見えます。しかしながら、細かい点に注しますと、そうとも言えないように思えてくるのです。第一に、ブリンケン国務長官は、停戦についてはきっぱりと反対しています。その理由と...ガザ地区はもとよりパレスチナ国の領土では?
‘歴史にもしもはない’、という言い方があります。この言葉は、E.H.カーがその著書『歴史と何か』において未練学派に対する批判として述べたとされています。‘未練たらたら’と過去の出来事について愚痴をこぼすような態度への批判なのですが、その一方で、過去の可能性について客観的な検証を加えることは、現実を理解する、また、未来をよりよい方向へ導く上で極めて重要な作業となりましょう。何故ならば、それは、一端であれ、今日直面している問題の原因を見つけ出し、かつ、それを未来に向けて取り除いてゆくステップともなるからです。この視点からしますと、今般のイスラエル・ハマス戦争を含むパレスチナ紛争についても、‘もしも’について考えてみることも、決して無駄ではないように思えます。パレスチナ紛争に関して、本記事で仮定してみるのは、“...‘パレスチナ国’の‘もしも’が語る未来
第二次世界大戦後の1947年11月29日に成立した国連総会決議では、パレスチナの地には、アラブ系とユダヤ系の二つの独立国家の並立を認めています。何れの国家も、軍隊を含む統治機構を備えた民主主義国家であるはずでした。ところが、蓋を開けてみますと、ユダヤ人国家であるイスラエルは翌49年5月14日に凡そ予定通りに建国されたものの、1994年のオスロ合意に至るまで、アラブ系の国家であるパレスチナ国家が同地に姿を現わすことはなかったのです。パレスチナ国の誕生が遅れ理由としては、イスラエルの建国と共に、アラブ諸国の反発により、即、第一次中東戦争が始まったことによる混乱を挙げることができるかもしれません。あるいは、アラブ諸国のみならず、冷戦構造にあってパレスチナ側をサポートしたソ連邦が、同決議に従ってパレスチナの地に自...パレスチナ分割決議をめぐる謎
仮に、今般のイスラエル・ハマス戦争にあって、力をもって解決するとなりますと、どのような結末を迎えるのでしょうか。おそらく、軍事力においてハマスに優るイスラエル側の圧勝であることは疑い言えないことです。イスラエルが核保有国であることは公然の秘密ですので、最後には、ハマス幹部が潜伏している地下トンネル施設の徹底破壊を根拠として、貫通性を有する戦術核を使用するかもしれません。地下貫通爆弾では、地下80メートルまでは破壊できないとして・・・。力を解決手段とする場合、そこには、倫理も道徳も、そして、法さえも意味を持たなくなるのですが、ホモ・サピエンスとしての人類の歩みとは、こうした世界を野蛮な弱肉強食の動物的世界として見なし、同世界から抜け出すための知的努力の積み重ねであったと言えましょう。力から合意へ、そして、法...パレスチナの’無政府地帯化’の問題