自分らしく生きたい。少し違う···自分、自分、、、「自分の人生を生きたい」しっくりきた。他人の顔色を伺うことなく、どう思われるかなんて気にせずに、この人生を、この一度きりの人生を、自分に誇れるような生き方をしたい。失敗しても、自分で選んだことを誇りに思い、苦しみも寂しさも、乗り越えていくことに生きている実感を感じて、クリアな視界で、研ぎ澄まされた耳で、開かれた心で、自分の意志で、生きていくことに僕は決めた。
断酒し、1年が経過しても自問自答する日々。メリット、デメリットと一言では片付けられない葛藤を記録しています。
信じていた人が去っていったり、信じていた人に裏切られたと感じた時、とても大きな絶望感を感じる。過去の様々なことを思い出し、これまでしてきた事、思ってきた事、それらに対する虚しさ、儚さ、悔しさがいっぺんに頭の中を駆け巡り、深い海底に沈み込んだような気持ちになる。 僕はそんな気持ち。 、、、 でも相手はどんな気持ちだったんだろう?僕は相手が信じられるような関わりを持てていただろうか?相手を信じられるということは、信じられる行動をずっとし続けてくれた相手あってのこと。それを覆さざるおえなくなった状況の過程で僕は何をしてきたのだろう。視点を変えると見方が変わる。見方が変わった目に写っている僕の姿はどの…
いつもより、2時間程早く布団から出る。 いつもは開けるシャッターを、今日は開けない。 いつものように猫が足元にすり寄ってくる。 いつものようにカリカリを容器からお皿に移す。 いつものように猫は、半分程食べ寝転んでいる。 いつもよりも丁寧に歯磨きをして、ヒゲを剃り、顔を洗い、髪を整える。 いつもは入れるコーヒーは入れず、コップ半分の水を飲む。 いつものように植物達に水をやるが、いつものような鮮やかな色彩は感じることが出来ない。 いつも2本のタバコをいつもより時間をかけて3本吸う。 いつもより1時間半程早く家を出る。 いつもより低い朝日を浴びて、いつもと同じ車に乗る。 いつもと同じ一日が始まるが、…
人生の苦しみは執着を手放すことで解決する。 僕が様々なことに苦しみ、もがいていた時に出会った考え方。人からの何気ない言葉に傷つき、起こってもいない事に囚われ、悩み、相手のことを考えすぎて身動きが取れなくなる。そんな苦しみの中にいた僕にとっては救いの言葉であり、その言葉を意識することで僕の人生は格段に生きやすくなった。 でも、ふと、思うことがある。 大切な人が去っていく時、確かに心を締め付けられるおもいを抱きながら、その人に対する執着を手放そうと考える事で、気持ちは落ち着き、前を向いて進んでいける自分がいる。人が苦しんでいる時、その苦しみを客観的に分析し、和らげるためのアドバイスをしている自分が…
人は、それぞれの道を、それぞれが信じる方向へと歩んでいく。人同士が信じあっていても、別の信じるものがあった時には、別々の道を歩んでいく。一緒にいられたらと願っても、いつかは別々の道を歩んでいく。 その先に、それぞれが信じたものが待っているかはわからないけれど、それでも別々の道を歩んでいく。 そのことに、僕は何を学ぶべきなのだろうか?期待しないことなのか、諦めなのか。 そのようにして人は、心の中の何かあたたかいものを冷ましてゆく。傷つくことから自分を守るため、あたたかだったものを、そっと手放していく。 それが生きるということならば、いっそ猫のように生きていきたい。 でも、残念ながら僕は猫ではない…
苦しい時や辛いことがあった時、僕は自分と向き合い、対話をしてきた。つもりになっていた。何か成果を上げた時、自分を認め、承認してきた。つもりになっていた。何もかもに条件を付け、何もかもを上から見ていた。自分という存在を。僕は僕であって僕ではない。僕は、僕のホントの声を聞いていなかった。これまでたくさんの僕が僕の頭に語りかけてきた。それらを僕はうっとおしがった。僕の本音を他に聞ける人なんていないのに。僕の他にはいないのに。そのことに気がつくことがようやくできた。
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自分らしく生きたい。少し違う···自分、自分、、、「自分の人生を生きたい」しっくりきた。他人の顔色を伺うことなく、どう思われるかなんて気にせずに、この人生を、この一度きりの人生を、自分に誇れるような生き方をしたい。失敗しても、自分で選んだことを誇りに思い、苦しみも寂しさも、乗り越えていくことに生きている実感を感じて、クリアな視界で、研ぎ澄まされた耳で、開かれた心で、自分の意志で、生きていくことに僕は決めた。
こんばんは。今日はもう来ないかと思いました。あなたは昔から気持ちが不安定な時、ここに来て色々な話をするけれど、安定してくると長いときでは1年以上来てくれないこともある。 だから顔を見ないときは『順調なとき』と思うようにはしているけれど、それはそれで少し寂しものです。 これまであなたとあなたの過去の話をしてきたけれど、それはあなたが遠い昔の何処かで、知らず知らずのうちにボタンを掛け違えてしまって、それが今のあなたの心を締め付けているのであれば、それを掛け直して自由に生きていけるようにするため。でも、あなたは私との対話を通じて過去に原因を求めることに意味はないと感じるようになった。過去にどんな事が…
こんばんは、そして今日もお疲れ様でした。今日も色々ありましたね。 色々。 生きているから、色々な事が起こる。人の優しさに触れて勇気を持てたり。人に喜んで貰えてほっこりした気持ちになったり。人の言葉にがっかりしたり。 腹を立てたり。 色々な出来事を通じて人は成長していくのだけれど、ずっとあなたは子供のまま。起こる出来事に対して一喜一憂し、それでいて考えすぎてしまい、疲れてしまう。 今日は一旦昔話の続きはやめにしましょう。昔を振り返るにはあなたは疲れすぎている。 だから今日は1つだけ。『今日も生きてくれてありがとう。』
昨日も余り眠れなかったようだけれど、大丈夫ですか? どんなに早く起きても猫たちがすり寄ってきてくれるのは嬉しいものですね。きっとあの子達は今頃窓際でお昼寝の最中だから、明日もあなたが早く起きたとしても、きっと付き合ってくれるはずです。 さて、昨日の話の続きだけれど、あなたが大学生の頃まで話しましたね。 あなたは毎日お酒を飲むことにしか興味を持つことができず、そのお酒を買うためにアルバイトを始めました。 ちなみに大学は受かった学校の中から1番、実家から遠いところをあなたは選んだ。バスと電車を乗り継いで、片道5時間位のまったく知らない場所。 そんな知り合いが誰もいない、見知らぬ場所であなたが選んだ…
今日は少しだけ昔話に付き合ってもらえますか? あなたは小さな頃から、人一倍人の目を気にする子でしたね。一度叱られたことに対しては二度と同じ過ちはせず、お兄さんが叱られた時もその事から学んだ。褒められることがあると、その事を徹底して継続した。何気ない些細なことを察知し、良い子で居ることができた。 例えると、毎日お母さんが起こしに来る前に、あなたは目を覚まし、「起きなさい」と声をかけられると同時に布団から抜け出すことができました。寝起きが早くなった理由は、過去に二度寝してしまい、怒られた記憶から『朝は早く起きなければならない』と言う事を学んだ結果でした。 ご飯を食べるときはいつもお茶碗を汚さずに食…
最近よく、僕がまだ子供だった頃の事を思い出す。 いや、正確に言うと思い出そうとしている自分がいる。 毎日何かしらの事で思い悩み、人を必要としながら傷つく事を恐れて距離を取り、自らの選択によってどうしようもない孤独感に襲われる。そんな葛藤の原因を見つけたくて、自分の根っこの部分を過去の何かの理由にするため、僕は過去のことを思い出そうとする事が最近多い。より正確に記そうとするとそのような事となる。 当然ながら僕は、他の人達が日々どのような事に悩み、傷つき、向き合っているのかを正確に把握する事は出来ない。だからこんなにも悩み、苦しんでいる僕は周りの人達にはない何らかの欠陥がある、若しくは周りの人達が…
信じていた人が去っていったり、信じていた人に裏切られたと感じた時、とても大きな絶望感を感じる。過去の様々なことを思い出し、これまでしてきた事、思ってきた事、それらに対する虚しさ、儚さ、悔しさがいっぺんに頭の中を駆け巡り、深い海底に沈み込んだような気持ちになる。 僕はそんな気持ち。 、、、 でも相手はどんな気持ちだったんだろう?僕は相手が信じられるような関わりを持てていただろうか?相手を信じられるということは、信じられる行動をずっとし続けてくれた相手あってのこと。それを覆さざるおえなくなった状況の過程で僕は何をしてきたのだろう。視点を変えると見方が変わる。見方が変わった目に写っている僕の姿はどの…
いつもより、2時間程早く布団から出る。 いつもは開けるシャッターを、今日は開けない。 いつものように猫が足元にすり寄ってくる。 いつものようにカリカリを容器からお皿に移す。 いつものように猫は、半分程食べ寝転んでいる。 いつもよりも丁寧に歯磨きをして、ヒゲを剃り、顔を洗い、髪を整える。 いつもは入れるコーヒーは入れず、コップ半分の水を飲む。 いつものように植物達に水をやるが、いつものような鮮やかな色彩は感じることが出来ない。 いつも2本のタバコをいつもより時間をかけて3本吸う。 いつもより1時間半程早く家を出る。 いつもより低い朝日を浴びて、いつもと同じ車に乗る。 いつもと同じ一日が始まるが、…
人生の苦しみは執着を手放すことで解決する。 僕が様々なことに苦しみ、もがいていた時に出会った考え方。人からの何気ない言葉に傷つき、起こってもいない事に囚われ、悩み、相手のことを考えすぎて身動きが取れなくなる。そんな苦しみの中にいた僕にとっては救いの言葉であり、その言葉を意識することで僕の人生は格段に生きやすくなった。 でも、ふと、思うことがある。 大切な人が去っていく時、確かに心を締め付けられるおもいを抱きながら、その人に対する執着を手放そうと考える事で、気持ちは落ち着き、前を向いて進んでいける自分がいる。人が苦しんでいる時、その苦しみを客観的に分析し、和らげるためのアドバイスをしている自分が…
人は、それぞれの道を、それぞれが信じる方向へと歩んでいく。人同士が信じあっていても、別の信じるものがあった時には、別々の道を歩んでいく。一緒にいられたらと願っても、いつかは別々の道を歩んでいく。 その先に、それぞれが信じたものが待っているかはわからないけれど、それでも別々の道を歩んでいく。 そのことに、僕は何を学ぶべきなのだろうか?期待しないことなのか、諦めなのか。 そのようにして人は、心の中の何かあたたかいものを冷ましてゆく。傷つくことから自分を守るため、あたたかだったものを、そっと手放していく。 それが生きるということならば、いっそ猫のように生きていきたい。 でも、残念ながら僕は猫ではない…
苦しい時や辛いことがあった時、僕は自分と向き合い、対話をしてきた。つもりになっていた。何か成果を上げた時、自分を認め、承認してきた。つもりになっていた。何もかもに条件を付け、何もかもを上から見ていた。自分という存在を。僕は僕であって僕ではない。僕は、僕のホントの声を聞いていなかった。これまでたくさんの僕が僕の頭に語りかけてきた。それらを僕はうっとおしがった。僕の本音を他に聞ける人なんていないのに。僕の他にはいないのに。そのことに気がつくことがようやくできた。
優しくなりたいと思った。特に身近な人達に対して、優しくありたいと思っていた。でも、なぜか身近であればある程、それらの人達の些細な言動にイライラし、時には怒りをおぼえ、そっぽを向いた。それらに対するなぜだろう?の問いかけは、無意識の中でいつしか、なぜわかってくれないのだろうというという相手への不満となり、自己正当化になっていった。そんなおもいを抱きながら、外を眺めていたとき、一匹の黒い野良猫がテクテクと窓の外を横切っていった。その時不意に思った。僕は期待をしている。こんなに身近な存在なんだからもっと僕を分かって欲しいと。気にかけて欲しいと。気にかけるとそっぽを向くくせに。かってな期待にかってに裏…
楽しく生きていきたいと思った。限りある時間、せっかくだから楽しく生きたいと思った。そしたらふと思った。 僕はいつから大切な人たちに楽しく感じてもらえるような振る舞いをやめてしまったのだろうと。 だから楽しく生きるために、こんな僕だけれど、こんな僕なりに楽しく生きてもらえるようにしてみようと思う。
僕は小さな頃から最悪のシナリオを見据えて生きてきた。マラソン大会では、一番最後になりさえしなければ良いと思いながら三十人中5着になり、テストでは70点を下回らなければ良いと思い95点を取った。 人には裏切られても仕方がないと思い、親友と呼べるような友は出来なかった。ノストラダムスの予言が当たっても、20歳までは生きられるからと諦め、本気で挑戦して失敗することを恐れて、そこそこの挑戦しかしてこなかった。そんな繰り返しの中、僕は何を待っているのだろう?この霧がかかったような人生で、相変わらず傷つくことから目を背け、最悪のシナリオを思い浮かべながら、期待することを恐れているうちに、いつしか期待したく…
「課題の分離」 「執着を手放す」 「刺激と反応の間のスペース」 「期待しない事」これらの言葉はどれも目にしたときに、僕にある一定の影響を与え、自分の人生の道しるべとなる想いを気づかせてくれた。しかし少し遅れてそれらに対する逆説や矛盾点が頭を過ぎり、そしていつしか事情の中に埋もれてしまった言葉たちだった。 でもさっき、それらの言葉たちの僕なりの答えの尻尾みたいなものが頭の片隅によぎった気がして思うままに書きとめている。その尻尾はとても素早くて目を離した隙に見失ってしまいそうだから。自己成長をしたいと願うことは、それまで感じることのできなかったことが感じられるようになる事に繋がる。自己成長を願う自…
自分を見つめ直し、自分と対話し、正しく有ろうと思えば思うほど、周りの言動に過敏に反応し、苛立ち、べっとりとした思いに蝕まれていく。これを正しく有ろうとする事、自分が変わろうとすることで起こる好転反応だと言い聞かせながら、もがき、相手を見下していた。 僕は気が付かないうちに裸の王様に成っていた。僕が素晴らしいと思って身につけたものは、ホントは何も無かった。僕はただの裸だった。 正しさは相手に求めるものではない。 自分がどうありたいか、どうなりたいかの道筋に、相手の言動は関係ない。自分が身につけたいものに相手のお世辞が関係ないように。この気付きを大切にしたい。
生きていくことが億劫で、どうなってしまっても構わないと思いながら、一方で人の言動に過敏に反応し、回りから何かを与えてくれるのを待っていた。そんないびつな心のとげとげがいつの間にか消えていた。いつもの躁鬱の躁とも違った感覚。なぜだろう?
僕がこのブログに何かを記したくなるとき、そこにはいつも共通点が存在する。それは、自分と向き合う上で目の前にその時々の壁が存在しているということ。今回も例外ではなく、消化しきれない壁が存在し、無意識的にブログというツールを使って気持ちの整理をしようとしていた。自分と向き合おうと、自分の内側に進んでいこうとするとき、僕は時折まわりの言動にとても過敏に反応し、気持ちを抑えることが出来なくなる。今回の壁がそれにあたる。なぜ、どうして、自分と向き合おうとしていたのに、いつの間にかまわりのことが目につき、そして闇に沈んでゆく。その闇の中で、まわりが見えないほど、真っ暗闇になったとき、不思議と光が差し込んで…
成長点を起点として、植物は新たな芽を出し大きくなる。先に出ていた、今はもう芽とは呼べない葉の遺伝子を受け継ぎながら、より大きく、より高く成長する為に新たな芽を出していく。迷いなく、日差しを求めて成長していく。種類は変われど、何十億年も前からその成長を繰り返し、その時代時代に適応してきた。そう思うと、今の僕が抱えている問題はとてもちっぽけで他愛のない事に思えてくる。体の成長は止まったけれど僕はまだ心の中に確かに成長点を持っている。植物も、人も猫も成長し、次の世代にバトンを渡していく。そこに意味があるのかどうかは植物も、人も猫もわからないけれど、わからない意味を考えすぎて悩んでいるのは多分人だけ。…
僕がまだ子供だった頃、大人の人達は強くて完璧な存在だった。大人になった今、僕は弱くて不完全な存在である事に気がついた。 なぜだか僕は、大人は楽しいとか嬉しいとか、そういった感情を持ち合わせない存在だと思っていた。うまく言えないけれど、感情を超越した別の次元の絶対的な存在が、僕が思う大人の姿だった。そんな大人という存在になる為に、誰かに認められる為に、毎日たくさんのアルコールを飲んで、身の回りのとっても狭い世界観を斜に構え、多くの様々な物事を浪費し生きてきた。とても長い時間。そのことで、自分を追い込み、深い自己嫌悪に陥り、アルコールを手放してから三年が経ち、気がついた事がある。 大人もか弱く、不…
僕がまだ子供だった頃、大人の人達は強くて完璧な存在だった。大人になった今、僕は弱くて不完全な存在である事に気がついた。 なぜだか僕は、大人は楽しいとか嬉しいとか、そういった感情を持ち合わせない存在だと思っていた。うまく言えないけれど、感情を超越した別の次元の絶対的な存在が、僕が思う大人の姿だった。そんな大人という存在になる為に、誰かに認められる為に、毎日たくさんのアルコールを飲んで、身の回りのとっても狭い世界観を斜に構え、多くの様々な物事を浪費し生きてきた。とても長い時間。そのことで、自分を追い込み、深い自己嫌悪に陥り、アルコールを手放してから三年が経ち、気がついた事がある。 大人もか弱く、不…
心のドアをノックする音が聞こえる。僕の心の内側から、小さくノックを続ける音が聞こえる。その音は、そこに意識を集中していなければ様々な雑音にかき消されてしまう程、とっても小さな音だけれど。ふとした拍子に確かに感じる。大切な何かを思い出せそう。 心のドアを開けても、怖いことなんて起こらないのはわかっているけど、昔の僕は外側からとっても頑丈な鍵をかけた。なんのためかは思い出せないけれど、今僕はこのドアを開けたいと思っている。
子供の頃はあまり季節の移り変わりに関心がなかった。春も夏も秋も、冬も。本能的に季節ごとの遊びに没頭し、時には季節はずれの遊びも気にすることなく没頭した。そんな季節を何周かするうち、いつの間にか大人になっていた。この年になって時折思うことがある。僕はあと何周、季節の移り変わりを体験するのだろう?そして気分が落ち着いている時には、語尾は体験できるのだろうに変わる。希望を先延ばしにすることは良くないことであるのは知っている。でも、まだ今を捕まえきれない。今を、一瞬一瞬を大切にした積み重ねの先を生きていきたい。