リンゴやミカンや果実を観察してみると、面白いことがわかる。果実とは葉が種を抱き込んだ形をしていて果皮や果床部分が肥大化して果肉を形成している。いちご、りんごなど。葉が変化して、花や果実になってゆくというメタモルフォーゼの自然観です。これは、ゲーテの自然学の観察方法でルドルフ・シュタイナーは、ゲーテ自然学と言う博物学とは少し異なる「芸術的自然学」を受けついているのです。
ドーム・ハウス愛媛のブログ・サイトです。ロハス・ヒルズ夢の里とべからドーム・ハウスの ロハス・ライフ便りをお届けしています。ライフ・デザイン研究所はドーム・ハウス愛媛のアトリエとして活動しています。
このブログは2007年にyahooブログ「スローリビング日記」として始まりました。2010年にドームハウスライフをスタートし、ドームハウス日記に名前を変更。ドームハウスライフ10周年になるので、次なるステップの1つの区切りとして、「ドームハウス日記Ⅱ」への移行。これまでの軌跡を辿ると共に今の暮らしを綴っていきたいと思います。
「いろんなことや道を歩いてきたから、死ぬに際して後悔することはないなあ。」 「それは一番大切なことだとおもうな。浄土教では陸沈というんだ。人の世に紛れて いるかいないかわからないほどに同化してゆく。ちょうどあの磨崖仏のように。 岩の中にほとけさまの笑顔だけが見える。岩に同化したほとけさま。」 山頭火の足跡をたどる九州の旅は、ほとけさまと自然と人の出会いの旅でした。
これから、年末に向かいます。 リアリティ・ワークと言うのは「頭の中」ではなく、日常のオブジェクティブな環境の中に 『自分の課題を見出す』ということです。 それもリア充のひとつなのかもしれません。
お米作りをしていますが長年のサラリーマン生活を卒業したのが10年前のことです。専業米農家に転身したのでした。 暦に従った暮らしが、大きなリズムを刻み、合間合間に野菜作りや趣味や家族のサポート。 土造り、田植え、除草、収穫、脱穀・乾燥、予約直販。 食と農を守りながら、自分の手で暮らしを紡ぎだすという、昔ながらの農家の知恵が彼の 暮らし方にも生かされているような気がしました。
秋の一日遍路の旅に行ってきました。今回は、愛媛の最南端と高知県宿毛の霊場めぐり です。三十九番 延光寺(宿毛市)四十番 観自在寺(愛南町) 四十一番 龍光寺(宇和島市) 四十二番 仏木寺(宇和島市)の四ケ寺です
四国遍路の発端となった松山市荏原町出身の衛門三郎さんの御命日の法要なのでした。 兄の読経、そして尺八の先生のYさんの演奏も奉納されました。 強欲で知られた衛門三郎が弘法大師に出会い、改心してそのあとを追って四国を巡り歩いたと 伝承が四国遍路開創の縁起だというのです。説話ではありますが、衛門三郎さんは実在の人物です。
わたしたちは、機械文明と言う破壊に頼りすぎたために存続が困難になっていることにもう一度 想いを致し、生命的な自然の技術・・・デザイン・サイエンスを再考すべきだと思います。 お遍路ライフの課題として、そんな思考方法=デザイン・サイエンスを学ぶのもいいかなと思って います。
やまねこは、最近年のせいもあって「人間にとって大切なもの」「私にとって大切なもの」は あまり売っていないことに気づきました。そして、「何が最後に残るかな」と思うのです。
やまねこも、彼らの影響なのか「死ぬ」よりも「日常生活」に向かい合っている感じ。 「お遍路の旅に出たら、どこに寄って何を食べるか?」といったオブシェクティブなテーマ に感心が向きます。「人生とは?」などいう答えの出ない問いよりも「海老天うどん」や 「たらいうどん」の方が、より具体的かつ実感できる「人生の味」なんですよ。
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リンゴやミカンや果実を観察してみると、面白いことがわかる。果実とは葉が種を抱き込んだ形をしていて果皮や果床部分が肥大化して果肉を形成している。いちご、りんごなど。葉が変化して、花や果実になってゆくというメタモルフォーゼの自然観です。これは、ゲーテの自然学の観察方法でルドルフ・シュタイナーは、ゲーテ自然学と言う博物学とは少し異なる「芸術的自然学」を受けついているのです。
心臓思考というと、感情的な思考に近いものです。ルドルフ・シュタイナーは『ミクロコスモスとマクロコスモス』(1910)の中で人類の発展が今日に至る以前は、まず初めに心の思考、心臓思考の時代があり、低次な心臓思考の時代があったと語っています。
愛媛県ひめぎんホールで建築家でゲーテアヌム理事の上松祐二先生は 『心臓思考」について語りました。 心臓思考とは脳髄思考に対置された「霊的な思考方法」ということです。
ミヒャエル・デーブスさんが、エーテル体の更新は五年サイクルだとも言っていました。 人と人の縁やエーテル的なつながりも五年ごとに大きなサイクルが巡るということかな、 と思いました。
ミヒャエル・デーブスさんの講演『意識魂の時代の幕開けに 於ける薔薇十字会の衝動』についてのレポートです。 竹下さんの通訳で、やまねこが理解できた部分についてのみ書いてみますが、なんとも深く広がり のあるデーブスさんの司祭さんとしての霊性については表現が及ばないかもしれません。
やまねこは意識のステータスをあげることが、ボジティブ・シンキングの本質だと考えています。 奇妙なことなのですが、ポジティブ・シンキングとはネガティブなものにポジティブな意味を 見出す「ものの見方」を伴っているのではないかと思うのです。
第二回目の『シュタイナーの農業講座を語る』というライフ・デザイン研究所自主講座 でした。今回は第二章を中心にお話しいただきましたが、バイオダイナミック農法の背景となる アントロポゾフィーの人間観についても人体の構造・・・特に骨格との関係や頭部・胸部・腹部 下肢のミクロモスモスについてじっくりと話されました。
ライフ・デザイン研究所『シュタイナーとバイオ・ダイナミック農法』~ 「農業講座」を読む~を無事終えることができました。四国アントロポゾフィー・クライス代表の竹下哲生さんを招いての自主講座です。 この「農業講座」はシュタイナーの最晩年・・・死の前年なのであらゆる意味で シュタイナーの思想の結実が凝縮されているらしい。
ルドルフ・シュタイナーの心理学テキスト『魂の隠れた深み』は謎の多いテキストです。「既成の心理学では、魂の問題は扱えない」とシュタイナーは言います。 また、「現代心理学は4分の1の真理である」という一定の留保も含ませつつフロイトを中心に 精神分析学のあり方を批判してゆきます。 その批判の精緻さ驚くばかりです。
三億年の昔、いったい誰が自然界の美的均整を見ていたのでしょうか。 神でしょうか、それともオウムガイなど古生代生物でしょうか。 美しさを感じる人間の顔もまた黄金比で構成されるといわれます。 自然界の形態に先だって存在する幾何学的な美や直観知をフラー博士は、宇宙エコロジー と呼びました。
南海地震が起き四国はまさに「死の灰と死の国」になるという ことです。 さてさて、やまねこは朝から高知県佐川町の佐川地質館に行ってきました。 四国アントロポゾフィー・クライスの「夏の石灰 学習会」に参加するためです。地質館のお世話人の教育委員さんから、四国の地層・化石について詳しく説明を いただきました。
講師のモローさんは、色彩画家、ゲーテ研究家として知られますが、アート・セラピスト としての活動もされています。いくつかのシュタイナー学校で美術教師を経て、2005年 から日本に住まわれて活動を続けています。画家さんから絵を描くことを教えていただくと いう体験もわたしには、はじめてでなかなか新鮮です。
冬の朝日を見て「なんて美しいんだろう」と感じた魂の熱は、わたしから立ち去ることなく、何かを残して魂を暖めてくれるようです。そして、その暖かさは「美の形象」となって、わたしたちをかなたの光へと誘います。天使? 暁から生まれた存在とは? わたしたちは、冬の朝の太陽を見つめることで、光の生命の残響を感じとることができます。
わたしたちの日々の苦悩や失敗は魂の成功・・・・精神生活の調和と安らぎへの処方箋と 考えれば、小さな失敗も克服すべき未来への贈り物と言うこともできるでしょう。 一年がまもなく去ってゆきます。希望の種を淡々と巻く作業を続けてゆきましょう。
午後から夕刻まで、四国アントロポゾフィー・クライスのメンバーの方々中心にモミの木を 囲んで「クリスマスの集い」という集まりを持ちました。讃美歌、ライヤー・ハープの演奏 代表のTさんのクリスマスに因んだお話など「祝祭としてのクリスマス」を共に過ごす ゆるやかな午後。
社会の崩壊と綻び、自殺や犯罪の多発、遺伝子操作などの 行過ぎた科学的手法や環境破壊などなど「悪魔的」と言ってもさしつかえないほどの 物質主義を見つめるとき、これらの苦悩の現実と荒廃の闇の中で、 この「パッションという映画への注目」というトレンドが「かすかな光」をもたらして いるようにように思われました。
『花火は現在のなかで、過去からきた光の中で死に 闇の中で未来へと連なっていくものを確信するがゆえに美しいのです。』 それは、あたかもシュタイナーがミカエルの気分について語っていることと奇妙に一致しています。 キリスト教文化圏では、彼岸過ぎの9月29日を『ミカエル祭』と呼び、大天使ミカエルの祝祭日 として祝います。
「フラーは独特の富の概念を公言していた。それは、一般的に私たちの大部分に認められている貨幣ではなく人間の生命を維持・保護・成長させるものとした。それらを達成するための衣・食・住・エネルギーを、そして究極的にはより効率的に成し遂げるための形而上的なものであるノウハウの体系であるテクノロジー、それ自体が更に発展し続ける、それこそが「富」の本質であるとした。
ドームハウスとはリビングリー=「生活の器」でもあり、人と人が集うコミュニティ 「居場所」でもあり、光と風を受け入れるナチュラル・ハウス、クリエイティブなアトリエであり 循環型ライフスタイルをもたらす「地球型エコ・ハウス」でもあります。
「「夢をかなえるゾウ」はいいですよ。」と勧めてみました。 内的充足と自分が求めるライフ・デザインというテーマに基づく小説(テレビドラマ)だからです。
やまねこが少年時代は、万博前後で夏と言えば、扇風機と蚊取り線香の薫りに満たされていました。 「日本の夏、金鳥の夏」というものです。 3.11以降は一段とエコ・ナビ、エコ・ライフの時節ですが、今にして思えば昭和の暮らし方は 「もったいない」のエコ・ライフでした。あの頃から一応太陽光ってあったんですよ。
「ドーム・ハウス愛媛の基本コンセプトは「暮らしをデザインする」ということです。 「 住まいをデザインする、環境をデザインする、心身のデザインとしての健康、衣食住をデザインするということです。」 とドームハウス事業創生時に書きました。
シニア・ライフを意識し始めて「セルフ・フィットネス」というのが大切なんだと思っています。 「自分らしさのトレーニング」とでも言えるかもしれません。 大義名分や常識よりも自分の感性や直観を大切にするということです。少し自分勝手かもしれませんが、「自分に向かい合う」のを第一義的なテーマにしようと 思うのです。
このところ暮らしを「自分で作る」ことにウェイトをかける実験をしています。 野菜を作り、電気を作り、暮らしそのもののコンセプトを作る。 循環型生活といい、有機的生活と言い、ライフ・スタイルと言うものは「自分で描き、自分で作る」 ことが基本です。
『ほしい未来は自分で作ろう』 これは、環境サイト『Greenz』さんのソーシャル・デザイン宣言のキャッチ・コピーです。 こんなふうに呼びかけています。 「まずは「ほしい!」と意思を持って望むこと、そして「変える」のではなくいっそ「つくる」こと。 あなたの”ほしい未来”はどんなものですか?
蛇口をひねれば出る水道水を水甕から組んだ桶の水に対置し スイッチを入れるだけで使い放題の電気をオフグリッド太陽光発電にひきくらべる。 スーパーのバックづめの野菜を畑から取り入れる野菜で確かめる。 部分的であっても『大切にすること』を学べたら、それもエコ・ライフかもしれませんね。
私たちが原子炉からのエネルギーにもっぱら頼り、自分たちの宇宙船の本体や装備を燃やしてしまう愚さえ犯さなければ、『宇宙船地球号』に乗った全人間の乗客が、お互い干渉し合うこともなく、他人を犠牲にしてだれかが利益を得たりすることもなく、この船全体を満喫することは十分実現可能なことだとわかっている。『宇宙船地球号操縦マニュアル』
ドームハウスの考案者バックミンスター・フラー博士は、常々「豊かさの概念」について 語りました。私たちのテクノロジーは全人類の生命、そして自然界の富を守るのに十分な 科学力と技術力と知恵をすでに手にしていると1970年に宣言しました。 それは、全地球的なデザイン・サイエンス革命によって実現されると考えたのです。
お金がお金になる前の姿は、豊かさを与える力のようなものなんだと思います。 豊かな実りをもたらす力、喜びを与える力、分け合う心、苦労を乗り越える力そんなものが やがてお金になるのでしょう。ですから、ゆとりのある心は豊かさをすでに持っている ことになるのかもしれませんね。
夏安居なので「セルフ・チューニング」にそろそろとりかかろうかなと思っています。 昨年はシンプル化と言うことがテーマでしたが、今年は「ナチュラル」にしようと思います。 自然体、自然のままという質朴なありかたがシニアにはふさわしいと思うからです。
ミニマム・ライフを始めてすでに四年が過ぎます。ミニマム・ライフとは拡大的生活ではなく、必要にして十分な満足生活のことです。 自然と触れ合ったり、スローフードを楽しんだり、畑を耕したりというイメージで 多くの人が「スローライフ」をイメージしますが、それは見掛け上の部分であって 本質はもっと「内面的」問題かもしれませんね。
Do nothing!ということを考えているうちに「基本に帰る」というテーマに行きつき ました。今回のフェイズは昨秋の出雲大社参拝から始まっています。 その時にこんな風に直観したのでした。「リソース、リサイクル、シナジェティクスなコンバージョン。 つまり、もう一度、ゼロからはじめればいいのではないかな。」