シニア・ライフを意識し始めて「セルフ・フィットネス」というのが大切なんだと思っています。 「自分らしさのトレーニング」とでも言えるかもしれません。 大義名分や常識よりも自分の感性や直観を大切にするということです。少し自分勝手かもしれませんが、「自分に向かい合う」のを第一義的なテーマにしようと 思うのです。
ドーム・ハウス愛媛のブログ・サイトです。ロハス・ヒルズ夢の里とべからドーム・ハウスの ロハス・ライフ便りをお届けしています。ライフ・デザイン研究所はドーム・ハウス愛媛のアトリエとして活動しています。
このブログは2007年にyahooブログ「スローリビング日記」として始まりました。2010年にドームハウスライフをスタートし、ドームハウス日記に名前を変更。ドームハウスライフ10周年になるので、次なるステップの1つの区切りとして、「ドームハウス日記Ⅱ」への移行。これまでの軌跡を辿ると共に今の暮らしを綴っていきたいと思います。
黄金瞑想に取り組んでいます。 これはとても簡単な瞑想法です。「私の周りを黄金の光と熱が取り巻いている」 とイメージするのです。金の卵の中にいるひな鳥のイメージでもさしつかえありません。 まばゆい光の中にいる自分をイメージするということはとりもなおさず「明るく健やかな セルフ・イメージ」を形成するということです。
夢の里ではメガ・ソーラーが完成に向けて最終工事の様子です。 新年明けから試験運転の後稼働するらしい。 第七ドームハウスも二月ごろには完成モード。 やまねこチームはスモール・ドーム・プロジェクトを立ち上げようと考えています。 ドームのアトリエ&茶室作りの実験プランです。
わたしたちが夢見る時間を過ごした子供時代の「遊び場所」がすべての 良き思い出の発端となるようにこの日常世界を「最高の世界」と見るとあらゆるものが豊かで 美しいものを打ち明けてくれるということでしょうか。
「生かすも殺すもわしらの勝手」なグローバル企業とはマネー資本主義の主体であり、 匿名性の利益至上主義のロジックで流れてゆきます。 わたしたちにできることは「内なる自由を守ること」「仲間同士で助け合うこと」 「平等で公正な正義や人権を守ること」という身近な実践だけです。
コッシーさんと来年度に取り組むパーソナル・ドームハウスについて語らっていました。やまねこは未来型のパソコン・ルーム兼茶室をイメージしているのです。 『ジオデシック・カフェ』と勝手に呼んでいます。 漆喰壁やウッドシェイク風の屋根仕上げ、白木の床でナチュラルな内装を茶室風にしつらえ 躙り口から入るドーム・カフェ。
黄金瞑想を続けています。黄金の卵の中で鳥になっています。 「また云く、「もし能くこの勝義に依って修すれば、現世に無上覚を成ずることを得」と。 また云く、「当に知るべし、自身、即ち金剛界と為る。金剛と為りぬれば、堅実にして傾壊無し。我、金剛の身と為る」と。
黄金瞑想をしていました。やまねこは「イメージ観想」は、健康にとてもいいと思っています。 例えば洗濯機の反転音の「ザブーン!」という音で「海はいいなあ。潮の香りと降り注ぐ日光」 とイメージしてみるのです。居ながらにして海辺の日向ぼっこができます。
わたしたちは理性的思考の限界と矛盾に出会う時代に生きているような気がします。 脳髄の思考によって破壊された「バラバラの人体」をもう一度「心臓思考」によって 統一すべき時代にはいっているのかもしれません。
このところある種の「ひらめき」がビジネスの鍵かなと思っているのです。 ジョブズ的なイノベーションということです。 相互扶助的(コーポラティブ)で循環型環境対応(エコロジカル)で持続可能的(サステイナブル) であることがこれからのビジネスの基本要件ですね。 やまねこは、さらにもうひとつコンセプトを付け加えたいのです。
サバイバル十周年で再び心臓手術 をして危機一髪、間近な死を回避できたのです。 現代医学とお医者さんたちとスタッフ、そして私の周囲の多くの方々のお蔭です。 人はいかにして老いてゆくのか、そして死んでゆくのか、そして生きてゆくのかという 基本テーマについて考える一年でした。
米作農家を営むやまねこのいとこのところに行ってきました。 やまねこはこのいとこに毎年お米をわけてもらっています。 彼は、お米作りをしていますが長年のサラリーマン生活を卒業したのが8年前のことです。 専業米農家に転身したのでした。先祖伝来の田んぼと高齢化で耕せない村内の田んぼを預かり米作 にはげんでいます。
やまねことぽらんさんは、長々と「生きにくい社会システム」について語らいました。 「あのねー、一昔前の生き方はもう通用しなくなってるんだよ。香山リカさんも 『しがみつかない生き方』のなかで普通のしあわせを手に入れにくい社会、って言ってるね。」
今の人生に満足していない、こんなはずじゃないと思って毎日を過ごしている人は多いはずです。 「夢をかなえるゾウ」は人生を劇的に変えるためのヒントを与えてくれる本です。
黄金瞑想とにとりくんでいます。 黄金の卵に包まれているというイメージで自分を取り囲んでいます。 これは、メンタルなバリアーを作ってくれるようです。周囲の変化やエネルギーに 惑わされることなく、集中できます。 「黄金瞑想」はやってみるととても簡単です。ハイヤーなんとかというスピリチュアルな メソッドとは異なります。
夏から「シンプルにいきる」をテーマにしてみました。断・捨・離を実践しようと 思ったのです。身軽な暮らし方こそ年相応かなというのがきっかけです。 『シンプルに生きる』のドミニック・ローホーさんはこんな風に提案します。
やまねこも齢五十数歳を過ぎ、人生の限界を意識する世代となり、「死に至る病」を 患い、林住期となりましたので時折、「折にふれて」シニア・ライフ・レポートを書く ことにしました。 やまねこシニアのシュールな遁世論(リトリート・アイデア)ということになるかなと思います。
心臓思考というと、感情的な思考に近いものです。ルドルフ・シュタイナーは『ミクロコスモスとマクロコスモス』(1910)の中で人類の発展が今日に至る以前は、まず初めに心の思考、心臓思考の時代があり、低次な心臓思考の時代があったと語っています。
人体という「わたしの居場所」を健全化してゆく努力を「養生法」というのでしょう。 ハート思考を強めてゆくことによって、健康な身体性を回復するだけではなく、 より霊的な思考力を身体的にも隅々まで行き渡らせることができるということ。 これは、オカルティストとならではの課題ですね。
脳内の麻薬物質はとにかくも「スッキリする」方法は、できるかぎり「シンプル、ライト」 を心がけることかなと思います。 複雑化、重量化しない精神生活とはミニマムとナチュラルな暮らし方かなと思っています。 誰とも競争しないこと(勿論じぶんとも)、自分の価値観やライフ・スタイルに信念を持つこと ゆっくりと充実した暮らしを楽しむこと・
この病気は統計上は10年50%生存の病気ですが皆様の協力もあって10年を経てもまだ生きています。 15年10%生存に向けて養生に勤めるべき時期ですね。 いのちを大切にするということは自分を大切にするということです。 そして自分を大切にするとは周りを大切にするということです。
スモール・ドーム・ハウスは、サイズが小さいため専門の大工さんでなくてもキット・ハウス 的に日曜大工でセルフ・ユーズに生かせそうです。 パソコン・ルーム、アトリエ、勉強室、音響室、パーソナル・シアター、瞑想室、 子ども部屋、小さなプラネタリウムなどなど自由な「隠れ家空間」やグリーン・ハウス や庭園のガゼボなどにもいいかも。
10年車検しといてよかった。危機一髪、梗塞を起こしかけている冠動脈発見。 二番と三番だったかな。以前は六番を手術したと思います。 すぐに手術の手配ということで、しばらく心臓キュアとケアに専念します。
ドームハウスで暮らし始めてすでに三年半。「ドームハウスという暮らし方」について 考えています。 実感として丸い家は、ゆったりとして楽であるということ。 もうひとつは、熱効率が良く、光と風を楽しめるということかな。
わたしたちもまた、ひとりひとりに"ムスビの大神"の幸魂奇魂のパワーをいただいて "しあわせ"(四合わせ)になることができるということでしょう。 ゆえに出雲大社では拍手を四つうち さきみたま くしみたま まもりたまひ さきわへたまへ とお祈りすることになっています。
大社へのお参りの後に続いたのはインド・ネパール聖地巡礼、住まいさがし、夢の里との 出会い、ドームハウス建設、結婚、ドームハウス事業の展開などなど著しい運命上の 展開の五年間でした。 ですから、今回のお参りは願い事をするものではなく、神々への報告と感謝をかねての 参拝でした。
朝まだき、出雲の旅にでかけてきます。 リトリートの時間を一月あまり過ごし、メンタル・フィットネスも良き状態なので 「神結びの旅」にふさわしいと言えるかな。 サイレントなパワー・フィールドが出雲神話街道の趣です。 五年ぶりの出雲はどんな旅路になるでしょうか。
「思考生活を健全化する」というのがこの五年のテーマでした。 正しく見つめ、正しく考えるとはどういうことなのか? お釈迦様の言う「正見・正思」ということです。この二つがあって初めて人は、正しく語り 正しく行動し、正しい生活が成り立ちます。間違った思考や見方はゆがんだ生活をもたらす ことは多くの人が認めるところでしょう。
人間は意外と「球体の意味」を理解していないかな というのが感想です。 そういう意味では、フラードーム・ハウスも様々なメタモルフォーゼは可能と考えています。 フラーは「地球を学ぶオブシェクト」としてジオデシック・ドームを考案したのだと最近に なってわかってきました。
取るに足らない小さなこだわりを捨てて、一歩離れて自分を見つめる。 「納得のいかない出発点から人生を歩み始めた人が努力すればするほど、その努力の結果をみのらせることができなくなります。」 一歩進むためには二歩さがる。自分に留まる。 自分勝手と言われないために窮屈な生き方をするよりも自分中心に生きたいと願っています。
起こせば、夢の里に来てすでにまるまる四年になります。 「社長、ここにドームハウスを建てようと思いますがいかがでしょう。」 「それは、面白いね。新しい時代は誰も取り組まないことから手を付けるべきだよ。」 これは、2009年10月23日のY社長との出会いの会話です。
森と泉を資本として、孤独を資本として、相互扶助を知恵として、 シナジェティックスを羅針盤として、ミニマム・ライフをライフ・スタイルとして大地に 根差した里山資本主義の実験を続けてゆきたいと願っています。
わたしたちの生活が「流れ」の中にあるのだとしたら、その流れを制御しているのは 私たちの意識ということになります。しかし、現代は生活装置・設備がシステム・アップされ 過ぎていて、多くが自動的に流れる傾向があります。 例えば住まいの問題ならその傾向は顕著です。
アボリジニは代々「ドリームタイム」という天地創造の神話を語り継いできました。 ここでのドリームは、いわゆる「夢」ではなく、「生活する、旅をする」の意味です。 人間が旅をすれば、そこに足跡が残るのと同じように、エネルギーやスピリットが残ると信じています。
日本は、自然災害がとても多い国なのに原発という危険な施設を50基余り作ってしまったこと を真剣に考え直す時代ですね。 脱原発に大きく舵を切り、国づくりをもう一度やり直すべきではないかな。未だ収束も解決もしていない福島をかかえるわたしたちは、新しい時代に向けてすべてを 一から考え直す時と思っています。
自分に向かい合うというのは、私たちの気晴らし志向から言うと困難な作業です。 ひとつは時間をかけること。二つ目には労をいとわないこと。もうひとつは考えることを いとわないこと、と思います。 さて、問題の自己とは?私たちの内面=魂を統括しているが自我・自己と考えられます。
哲学者フランシス・ベーコンは「四つのイドラ」を挙げています。 人間が陥りやすい心の偶像=イドラですが、偏見やゆがんだ思考を指しています。テレビで見た、新聞で読んだ、噂を聞いた、不安に駆られて推測したなどなど現代は市場のイドラ や劇場のイドラが氾濫していますね。
まだまだ社会の総体はマネー資本主義が主流ではありますが、里山資本主義のような 新しいビジネスの試みはも様々な業界やライフ・モードの中で種まくように芽吹いてゆく 時代と思います。
初心禅心・・・初めて出会うときのように初めて取り組む時のように学ぶ。 初心者の心を保つことのむずかしさは、わたしたちが経験や慣れの中で失うものが多いことを 指しているのかな、と思います。「自己をならふといふは、自己を忘るるなり 自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり」道元
メンタル・フィットネスについて熟考。 周りを明るくする人間は、精神的健康面で パワー・フィールドを形成することができます。 やまねこが、日頃から「心霊的自己防衛」=サイキック・ディフェンスと呼ぶものです。ダイアン・フォーチュンは、このテーマで同名の主著で詳しく説いています。
西予市遊子川地区のユスモクさんの木工教室で「みんなで作るドームハウス」 二回目のワークショップです。少しずつ組みあがってゆくジオデシック構造は 圧巻でした。小さな模型で「こんな形」とは思っているのですが、その躯体の大きさに驚きの溜息 が漏れる場面もあり。みんなで作り上げたという充実感と感動がありました。
村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』の羊男と僕 について考えていました。羊男はわたしたちの内なる声とも言える役割を果たし ているような気がします。 高度資本主義の過剰なシステムによって、森に追いやられ、 生死の境で語りかける存在・・・沈黙の声のようなものとしての羊男は、「何かと何か を繋げる」ことが自分の仕事だと語ります。
満々と奥池の湧き水は枯れることはありません。空を眺めながら生活し、畑で作物を作ったり 山間でしいたけを作り、三年が過ぎ去りました。 この地に来て満四年ですが、つい昨年のような感じもします。 山の中の竜宮城とtomokoさんはいいます。ゆっくり流れているはずの夢の里の時間は 暦の上では早く流れているのかもしれません。
里山資本主義のビジネス・モデル作りは「コーポラティブ」と「持続可能性」 ということになるでしょうか。やまねこも「ドームハウスの里山資本主義」の展開のアイデアを温めています。
里山資本主義は、リーマン・ブラザーズに代表されるような「マネー資本主義」のアンチテーゼ のビジネス・スタイルです。マクロな金融工学ではなく、実体経済と里山ライフ・スタイルといった 「生活本位の経済活動」でもあります。
ワークショップで参加者の方々と「みんなで作るドームハウス」 というテーマで取り組みます。 ジオデシック構造やドームハウスの魅力を皆さんに知っていただく良き機会になればなあ、 と思っています。 これも里山資本主義のパイロット・プランということでしょうか。
五木寛之さんが言う「林住期」をどうすごすかは、ひとりひとりの課題ではあります。 人生50歳から黄金期・・というポジティブな志向が本書のテーマです。五木さんは50歳からの25年間を「成熟とジャンプの時期」と見ているようです。「新たな生きることそのものを探求、創造できるまたとない黄金期だ」というのです。
何ものにももたれかからないと孤独の楽しみが見えてきます。 良き日々の中でやすらぎ、自己変革への意欲を持つことができます。 敗北者とは自分の価値を見失った人のこと 勝利者とは自分の価値観を信頼できる人のこと
要らないものは捨離してゆく、何物にも依存しない、もたれかからないでいると人はどうなるのか? 「退屈になる」「不安になる」「焦る」「いらいらする」「気分が沈む」etc それで? 退屈やら、不安やらは「断」における不安定な心ということでしょう。 そして「捨」において「決別」が起き、「離」において風が吹くように消え去る。
やまねこは事務処理がまるで苦手で、ゴツゴツと石段を上るように 不器用にしか生きられない「社会的不適応者」のノミネート保持者だからです。 問題をスピーディにシステマティックにクールにこなす人・・とは事務処理上手なのかな といつも思っているのです。
朝起きると雪景色、数年ぶりの積雪。 もっこり、もっこり、歩くと雪の🐾足跡。 山道の運転は危険なので仕事は休んだ。下界は積雪ないようで、ここだけの雪景色。 温暖な四国では雪景色は珍しい。
多くのシニアは、現代生活の「インフォメーション」に疑いを持っています。 戦争の時代、戦後の時代のトリックを知っているからです。シニア的思考とは「全体主義は信じない」「多数決は信じない」ということです。 「ひとりひとりの思考努力によってしか私たちの社会は形成されない」ことを痛感している からです。
「実は、相談なんだけどね、お宅の金のなる木を一株わけてもらえませんか。」 と持ちかけるとさすが金持ちケンカせずおじさんはこころよく快諾してくれました。 やまねこは、バイクに「金のなる木」を積んで、近所の「さいさい市場」という 産直で野菜類を山ほど買って帰りました。といっても500円分です。
哲学仲間のYさんは、最近瀬戸内海の伯方島に寓居を得て、「島暮らし」を楽しんでいる ということで移住のお祝いに行ってきました。一日の過ごし方、島の人たちとの交流、釣り三昧 哲学と神秘学、それぞれのシニア・ライフの楽しみ・・・そぞろに来し方行く末の徒然草。 Yさんは団塊世代です。「里山資本主義」の典型かな、と思います。
何かをめざし、良きもの、楽しみ、成果を求めて努力することはいいことではあります。 しかし、「今を生きる」というテーマからそれてしまうと心は焦りと不安に陥りがちです。 とにかく、ゆっくり生きる。シンプルに生きる。要らないものは捨ててみるという工夫も いいかもしれません。
戦後「追いつけ追い越せ」で六十年を過ごしているうちに「何が豊かさ」なのか地図も羅針盤もなくしてしまったわたしたちは、時代のテーマとして「豊かさの基準線」を再び引き直すべき 時代にさしかかっています。もともとひいてあった基準線がどこにあったのかもわからなく なっているような気がします。
神々というのは一般に饒舌にしゃべることはありません。時折、ふと話すのです。 饒舌な連中は、たいてい「魑魅魍魎」です。これ、難しい漢字ですよね。 というわけで、やまねこはネクスト・ヴィジョンに向けて出雲大社詣でをめざして 頑張ろうかなと考えています。
朝から、ぶどうまつり三日目をtomokoさんと手伝っていました。 土曜日ということもあり、友人が三々五々夢の里とドームハウスを訪れ、ぶどうまつりにも 参加してくれ、珈琲を飲みながら仲間たちとドームハウスでゆっくり談笑する時間も楽しめました。
行基菩薩も円空も木喰も旅をしながら仏様を彫りました。 山頭火も旅をしながら俳句を詠みました。 とるにたらないもの、見捨てられたもの、忘れられたものに仏の姿を見つけるのもいいかも と思いました。
「成功するってことは、猿がバナナを棒で採る様なことなんだ。棒はバナナをとるためにあったわけじゃないけど バナナが採れたとき猿はあることに気づくんだ。 『こりゃいいね。よし今度からこれを使おう。』」
お金=ツール、夢=ヴィジョンです。 やまねこは「ヴィジョンはツールを生み出す。ゆえに夢があればお金は得られる。」と考えます。 丁度チンパンジーが棒を用いてバナナをとるようなものです。 ヴィジョンとは「現実を変えるもの」であって「はかなく消えるもの」ではないとすると 思考と現実の関係は変化します。新たな次元を押し開くのです。
毎年思うのですが、 夏のお盆はご先祖様をお迎えしてこの世を去った方々と共に過ごします。そして、お盆の 安らぎの中で家族のだんらんを楽しみます。 そんな時期に終戦記念日が重なっているということは何かしら不思議なことと思うのです。 やまねこは、幼い頃祖母の家で過ごしました。それは、村墓地の鎮守堂というもので 今でも松山市内に残っています。昭和三十年代の頃のことです。
西洋文化・文明の文物を取り入れたがゆえに失いつつあるものとしての「陰翳の美学」を惜しみつつ もし、西洋に逢着しなかったら500年前と変わらぬ生活をしていたかもしれない、とも語る谷崎潤一郎の ダブル・バインドは今もわたしたちの根底に残っているような気がします。
考えるとはどういうことなのか、 キーワードから一定のパターン化された「決まり文句」を導き出すことでないことは確かです。 記憶・推論パターン・ロジック・アルゴリズムの中で流れるコンピュータと人間の対話は あまりにもわたしたちに似ている。それ以上にわたしたちはなお「考えること」をテーマ とすべきかもしれませんね。
四国では、空海を親しみをこめて「お大師さん」と呼びます。 私もお遍路さんでお大師さん信仰です。 2016年~2017年、約1年かけて八十八ケ寺を回りました。 お礼参りで高野山に詣でた際、高野山阿闍梨の宮島基行先生を紹介頂き、先生より法話を聴き、10/1金剛界結縁潅頂を受け、お大師さんとご縁を結ばせて頂きました。
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シニア・ライフを意識し始めて「セルフ・フィットネス」というのが大切なんだと思っています。 「自分らしさのトレーニング」とでも言えるかもしれません。 大義名分や常識よりも自分の感性や直観を大切にするということです。少し自分勝手かもしれませんが、「自分に向かい合う」のを第一義的なテーマにしようと 思うのです。
このところ暮らしを「自分で作る」ことにウェイトをかける実験をしています。 野菜を作り、電気を作り、暮らしそのもののコンセプトを作る。 循環型生活といい、有機的生活と言い、ライフ・スタイルと言うものは「自分で描き、自分で作る」 ことが基本です。
『ほしい未来は自分で作ろう』 これは、環境サイト『Greenz』さんのソーシャル・デザイン宣言のキャッチ・コピーです。 こんなふうに呼びかけています。 「まずは「ほしい!」と意思を持って望むこと、そして「変える」のではなくいっそ「つくる」こと。 あなたの”ほしい未来”はどんなものですか?
蛇口をひねれば出る水道水を水甕から組んだ桶の水に対置し スイッチを入れるだけで使い放題の電気をオフグリッド太陽光発電にひきくらべる。 スーパーのバックづめの野菜を畑から取り入れる野菜で確かめる。 部分的であっても『大切にすること』を学べたら、それもエコ・ライフかもしれませんね。
私たちが原子炉からのエネルギーにもっぱら頼り、自分たちの宇宙船の本体や装備を燃やしてしまう愚さえ犯さなければ、『宇宙船地球号』に乗った全人間の乗客が、お互い干渉し合うこともなく、他人を犠牲にしてだれかが利益を得たりすることもなく、この船全体を満喫することは十分実現可能なことだとわかっている。『宇宙船地球号操縦マニュアル』
ドームハウスの考案者バックミンスター・フラー博士は、常々「豊かさの概念」について 語りました。私たちのテクノロジーは全人類の生命、そして自然界の富を守るのに十分な 科学力と技術力と知恵をすでに手にしていると1970年に宣言しました。 それは、全地球的なデザイン・サイエンス革命によって実現されると考えたのです。
お金がお金になる前の姿は、豊かさを与える力のようなものなんだと思います。 豊かな実りをもたらす力、喜びを与える力、分け合う心、苦労を乗り越える力そんなものが やがてお金になるのでしょう。ですから、ゆとりのある心は豊かさをすでに持っている ことになるのかもしれませんね。
夏安居なので「セルフ・チューニング」にそろそろとりかかろうかなと思っています。 昨年はシンプル化と言うことがテーマでしたが、今年は「ナチュラル」にしようと思います。 自然体、自然のままという質朴なありかたがシニアにはふさわしいと思うからです。
ミニマム・ライフを始めてすでに四年が過ぎます。ミニマム・ライフとは拡大的生活ではなく、必要にして十分な満足生活のことです。 自然と触れ合ったり、スローフードを楽しんだり、畑を耕したりというイメージで 多くの人が「スローライフ」をイメージしますが、それは見掛け上の部分であって 本質はもっと「内面的」問題かもしれませんね。
Do nothing!ということを考えているうちに「基本に帰る」というテーマに行きつき ました。今回のフェイズは昨秋の出雲大社参拝から始まっています。 その時にこんな風に直観したのでした。「リソース、リサイクル、シナジェティクスなコンバージョン。 つまり、もう一度、ゼロからはじめればいいのではないかな。」
私たちは「何かを成し遂げないといけない」 「何かをキャッチしたり、ゲットしたい。」と情報の海を探ります。そんな社会だからこそ「何もしない」ことは、最高の過激な手法になりえます。 「何もしないでいる」ことが困難なのです。 Do Nothing! あるいは Do more with Less!とつぶやいてみること。
ドームハウス暮らしも五年目に入ります。 生活空間が「丸い」ということ。 球体であるということは、「たまご型」であるということです。 やまねこは五年前に「黄金瞑想」というテーマで考えていました。 すべてが光の球体で包まれているという「イメージ瞑想法」なのですが、ドームハウス を建てようと思い立ったのは、このイメージ・トレーニングが発端です。
面倒くさいから便利さにたよる。頼るから体が弱る。生活習慣と電力は 関係がある・・・ということかな。 畑で野菜を作ったり、スモール・ソーラーで電気を作ったり、ウォーキングをしたり、野山の 食材を採集したりで「暮らしと自然をつなぐ工夫」を生活実験してゆくのが今の時代向きなの かもしれないと思っています。
「等身大の自分から社会を変える」とは、とりもなおさず「私の暮らしをデザインする」ことが 出発点になるということです。これまでとは違ったとらえ方をする、違った暮らし方をすることに躊躇は不要と思います。 身近なところからソーシャル・デザインを立ち上げてゆくことは誰にも可能かなと思って いるのです。
例年の「夏安居」(げあんご)に入りました。 仏典を読んだり、瞑想したり、お参り(お遍路)をしたりして過ごす季節です。 弘法大師の『秘密曼荼羅十住心論』と『業と運命』(佐々木現順著)を読んでいます。 佐々木現順・・この人は大谷大学の仏教学者でありながら、仏教心理学と言う新分野を切り開いた 草分け的なかたのようです。
「いかにして自分をチェンジするか」というテーマなのですが、あるところまで考えて いるうちにはっと気づきました。「自分をチェンジする必要はない」むしろ「自分のことは置いておいて先へ行こう」 ということ。 自分を変える必要はなく、シチュエーションを変えればよいということです。
黄金瞑想に取り組んでいます。 これはとても簡単な瞑想法です。「私の周りを黄金の光と熱が取り巻いている」 とイメージするのです。金の卵の中にいるひな鳥のイメージでもさしつかえありません。 まばゆい光の中にいる自分をイメージするということはとりもなおさず「明るく健やかな セルフ・イメージ」を形成するということです。
夢の里ではメガ・ソーラーが完成に向けて最終工事の様子です。 新年明けから試験運転の後稼働するらしい。 第七ドームハウスも二月ごろには完成モード。 やまねこチームはスモール・ドーム・プロジェクトを立ち上げようと考えています。 ドームのアトリエ&茶室作りの実験プランです。
わたしたちが夢見る時間を過ごした子供時代の「遊び場所」がすべての 良き思い出の発端となるようにこの日常世界を「最高の世界」と見るとあらゆるものが豊かで 美しいものを打ち明けてくれるということでしょうか。
「生かすも殺すもわしらの勝手」なグローバル企業とはマネー資本主義の主体であり、 匿名性の利益至上主義のロジックで流れてゆきます。 わたしたちにできることは「内なる自由を守ること」「仲間同士で助け合うこと」 「平等で公正な正義や人権を守ること」という身近な実践だけです。
コッシーさんと来年度に取り組むパーソナル・ドームハウスについて語らっていました。やまねこは未来型のパソコン・ルーム兼茶室をイメージしているのです。 『ジオデシック・カフェ』と勝手に呼んでいます。 漆喰壁やウッドシェイク風の屋根仕上げ、白木の床でナチュラルな内装を茶室風にしつらえ 躙り口から入るドーム・カフェ。
黄金瞑想を続けています。黄金の卵の中で鳥になっています。 「また云く、「もし能くこの勝義に依って修すれば、現世に無上覚を成ずることを得」と。 また云く、「当に知るべし、自身、即ち金剛界と為る。金剛と為りぬれば、堅実にして傾壊無し。我、金剛の身と為る」と。
黄金瞑想をしていました。やまねこは「イメージ観想」は、健康にとてもいいと思っています。 例えば洗濯機の反転音の「ザブーン!」という音で「海はいいなあ。潮の香りと降り注ぐ日光」 とイメージしてみるのです。居ながらにして海辺の日向ぼっこができます。
わたしたちは理性的思考の限界と矛盾に出会う時代に生きているような気がします。 脳髄の思考によって破壊された「バラバラの人体」をもう一度「心臓思考」によって 統一すべき時代にはいっているのかもしれません。
このところある種の「ひらめき」がビジネスの鍵かなと思っているのです。 ジョブズ的なイノベーションということです。 相互扶助的(コーポラティブ)で循環型環境対応(エコロジカル)で持続可能的(サステイナブル) であることがこれからのビジネスの基本要件ですね。 やまねこは、さらにもうひとつコンセプトを付け加えたいのです。
サバイバル十周年で再び心臓手術 をして危機一髪、間近な死を回避できたのです。 現代医学とお医者さんたちとスタッフ、そして私の周囲の多くの方々のお蔭です。 人はいかにして老いてゆくのか、そして死んでゆくのか、そして生きてゆくのかという 基本テーマについて考える一年でした。
米作農家を営むやまねこのいとこのところに行ってきました。 やまねこはこのいとこに毎年お米をわけてもらっています。 彼は、お米作りをしていますが長年のサラリーマン生活を卒業したのが8年前のことです。 専業米農家に転身したのでした。先祖伝来の田んぼと高齢化で耕せない村内の田んぼを預かり米作 にはげんでいます。
やまねことぽらんさんは、長々と「生きにくい社会システム」について語らいました。 「あのねー、一昔前の生き方はもう通用しなくなってるんだよ。香山リカさんも 『しがみつかない生き方』のなかで普通のしあわせを手に入れにくい社会、って言ってるね。」
今の人生に満足していない、こんなはずじゃないと思って毎日を過ごしている人は多いはずです。 「夢をかなえるゾウ」は人生を劇的に変えるためのヒントを与えてくれる本です。
黄金瞑想とにとりくんでいます。 黄金の卵に包まれているというイメージで自分を取り囲んでいます。 これは、メンタルなバリアーを作ってくれるようです。周囲の変化やエネルギーに 惑わされることなく、集中できます。 「黄金瞑想」はやってみるととても簡単です。ハイヤーなんとかというスピリチュアルな メソッドとは異なります。
夏から「シンプルにいきる」をテーマにしてみました。断・捨・離を実践しようと 思ったのです。身軽な暮らし方こそ年相応かなというのがきっかけです。 『シンプルに生きる』のドミニック・ローホーさんはこんな風に提案します。
やまねこも齢五十数歳を過ぎ、人生の限界を意識する世代となり、「死に至る病」を 患い、林住期となりましたので時折、「折にふれて」シニア・ライフ・レポートを書く ことにしました。 やまねこシニアのシュールな遁世論(リトリート・アイデア)ということになるかなと思います。
心臓思考というと、感情的な思考に近いものです。ルドルフ・シュタイナーは『ミクロコスモスとマクロコスモス』(1910)の中で人類の発展が今日に至る以前は、まず初めに心の思考、心臓思考の時代があり、低次な心臓思考の時代があったと語っています。
人体という「わたしの居場所」を健全化してゆく努力を「養生法」というのでしょう。 ハート思考を強めてゆくことによって、健康な身体性を回復するだけではなく、 より霊的な思考力を身体的にも隅々まで行き渡らせることができるということ。 これは、オカルティストとならではの課題ですね。