社会のせいとか、自分のせいとか。本当は、社会のせいにしたがる自分のせいとか、自分のせいにさせたがる社会のせいとか。本当は、対置していない社会と自分を正対させようとする、社会のせいとか、自分のせいとか。 ―― グロテスク/平井堅、安室奈美恵 ―― 平井堅 作詞、Matthew Tishler、Daniel J.Plante 作曲、2014、Ariola Japan >アイツの幸せ喜べますか? >あのコのもの欲しがってませ...
>高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、男女の賃金格差は今よりも顕著で、女性の収入は不当に低く抑えられ、その分、男性に振り向けられていた。>この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。皆婚は、女性が男性に依存しなければ、生きて行くことが難しかった時代の現象で、今となってはそっちのほうが異常だったと思える。もっと早くに是正されるべきだったと思える。...
国ガチャ、なんて言い方をするのなら、高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、日本人であるだけで国ガチャ当たり。性別ガチャ、なんて言い方をするのなら、この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。日本人で男性ならシード権が得られた。たとえそれ以外に誇れるものが何もなくても。...
もしかしたら、生まれつき努力ができない人がいる、そう仮定するのなら、努力できるもできないもガチャ。努力が可能な努力族は、運命論的に成功を収めやすく、対して、非努力族は、失敗が運命づけられている。努力族は、努力するな、と禁じられても努力を止めないし、非努力族は、努力しろ、と命じられても努力ができない。自らコントロールができるものごとについては、自己責任論的に、自分で責任を負うことになるけれど、さて、...
小説でも、映画でも、日常は捨象されている。主人公は、小銭を数えたり、コンビニに行ったり、洗濯ものを干したり、ときにはうんちを漏らすとしても、日常=つまらないから、物語からは省かれる。日常=つまらないのは必然だから、おもしろい=物語から省かれるのは自然だ。どちらも、必ず然(しか)る、自ずから然ると言える。...
美味しかった、おもしろかった、楽しかった、なんて感想には、日常に戻される寂しさが混じっている。日常=つまらない、ってのとトレードオフにはなるけれど、でも、少し離れたら、日常もまた悪くないと思えてくるから不思議。結局、僕たちは、何をしても、いつかは楽しくなくなるんだ。...
身をもって知っている、そう言い合っている、日常=つまらない、このテーゼは事実らしい。つまらないから、僕たちは旅に出る、レストランを予約する、人に会いに行く。対価を支払って、期待通りにものごとを受け取って、それだけでも非日常ではあるけれど、さらには、もっと予期しない展開で、思いもかけない景色や味や思考と出会うときには、稀有な僥倖、軽々と僕たちの日常を超えてくる。 ...
所謂(いわゆる)、つまらない日常。つまらない、を日常の枕詞のようにして、おおよそ、日常はつまらない。所謂、同じことの繰り返し。繰り返されるから同じことになり、同じことでないのなら、即(すなわ)ち、非日常である。つまらなくないのなら、即ち、非日常である。...
>そう考えると、何を選んだとしても、おおよそは、>今の自分でしかあり得なかったような気がしてくる。そんなふうに、自分の選択の失敗を許容できた気になると、選択の及ばない、そもそもからの失敗に視点が移る。例えば、選ぶことさえできなかった親ガチャや、大きくは、他の選択肢の在りようも見つからない資本主義や、さらには、都合のいい異世界を仮想することで色褪せて映る日常や。...
>どんな選択も、ただの日常になり行く。>そう考えると、何を選ぶか、ってことは、>たいして重要ではないと思われる。何を選択したとしても、重要なのは、繰り返される日常の過ごし方にある。>まだ少しも報われない日常に耐え続けること。大きな決断は、ついつい先延ばしになり、長期的な計画は、なし崩しに短期的な快楽に負けて、そう考えると、何を選んだとしても、おおよそは、今の自分でしかあり得なかったような気がしてく...
例えば、資格試験を受験する、って選択の先には、例えば、半年で、例えば、300時間の勉強を要するのなら、毎日1時間半の勉強をする日常が始まろうとしている。選択は一時的なこと、日常は継続的なこと。まだ少しも報われない日常に耐え続けること。...
何を選んだとしても、例えば、どんな仕事に就いたとしても、選んだ後には、日常が待ち受ける。どんな選択も、やがては日常になり行く。そう考えると、何を選ぶか、ってことは、たいして重要ではないと思われる。選ばれなかった選択の先にも、繰り返される日常が待っているはずだ。どれが正しいのかが分かっていて、結果まで見通せるようなときには、選ぶ、ということはない。決める、ということはない。なぜ結果まで見通せないかと...
きっと、今日も、誰かの優しさが、優しさの価値を引き上げている。優しい人は、きっと、明日も優しい。優しい人にとっては、この世界は優しい。僕の今日が、少し荒(すさ)んだ一日だったとしても、その間にも、誰かの優しさが、僕に気づかれないうちに、僕に届けられているのなら、優しくなれない僕にとっても、やはり、掛け値なしに、この世界は優しい。...
考える人は、今日も考え続ける。優しい人は、きっと明日も優しい。読みかけの本のページをめくるように、人は、日常の経験によって、来たるべき日常を規定して行く。もしも、今夜、僕が、ていねいに、生まじめに書くのなら、それは、今夜の文章はもちろん、昨夜までの文章のていねいさと、生まじめさを説明してくれる。自分が正しいと決めてかかる人は、今日も執拗に他人を責め続け、自分を棚に上げる人は、明日になっても下ろさな...
自分が言われて傷つくことは、他人にも言わない。そんなのは多くの人が、日頃からできていると思う。自分が言われて傷つくことは、自分にも言わない。それは僕たちには、上手にできないことらしい。 ―― ダヴ:リアルビューティー スケッチ あなたは自分が思うよりもずっと美しい ―― 2013、ユニリーバ...
>誰かのために考えて、言葉にして、>さらには、伝えようとする工夫が、誰かの本来の美しさを言い当てる。 ―― ダヴ : リアルビューティー スケッチ あなたは自分が思うよりもずっと美しい ―― 2013、ユニリーバ...
自分のために考えることなら、夢見がちでも、曖昧なままでも、語尾を濁して言い切らなくても、さらには、言葉にしなくてもいい。誰かのために考えて、言葉にして、さらには、伝えようとする工夫が、表現を豊かにさせるのだろう。...
日常のちょっとした選択も、未来を変えるような選択も、同じ脳みそを使っているとするのなら、日常をナメちゃいけないな、なんて思ったりもするけれど、そんなことを考える脳みそ自体が、今夜も、僕を正気に戻してくれている。...
幸福な生活、なんてパッケージがあって、そのセットを揃えようとするのは、たぶん、得策ではない。セットを揃えて生活している人がいても、きっと、日々の生活は淡々と過ぎて行く。繰り返される日常は、当たりまえの日常で、幸不幸の埒外の、ただの日常である。...
どのようなものであっても、関係など持ちたくない、って思うときには、ブロックは、逆説を連れ立たせる。ブロックなんてことをしていると、ブロックしている/されている、という関係を作ってしまう。本当は、それさえも作りたくない。 人間の形をして 生まれたからといって 人間らしく生きているなんて 限らないと今は思う ―― 君が教えてくれるもの/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲...
大人になって、もうずいぶん経つから、誰だって分かりやすい優しさを丸出しにして、おためごかしに提示してくることはない。僕たちは、詐欺師でもホストでもヤリモクでもない。それが拾い上げられるのを待っているようなものなら、足下の泥に埋もれたいくつもの優しさを、僕たちは、毎日、踏み潰しているのかもしれない。 「泥沼でもきれいに咲ける花が あるなら君はどうする」と 真っ白い蓮の花が...
Bさんのブログを読んでいると、Tさんを思い出すことが多い。記憶、ってのは、予期、に似ていて、どちらも、今、ここにはない事態を、現在の時制に引き寄せる。事態が過去か未来かの違いだけ。 You'd be best off alone. I'm really sick so sick so sick of you. And I hate you. ―― 喧嘩上等/東京事変 ―― 椎名林檎 作詞作曲、2006、東芝EMI...
少し離れたところで見守っていて、よくないことが起きそうになったら、気づかれないように近づいてきてくれる、そんな人たちの行動は、そんな人たちでないと分からない。同期され合う者たちを、洋風に言えば祝福したい、和風に言えば言祝(ことほ)いでみたい。 …… こよなく至福なものたちはおのずからにはなにも感ぜず、 こう言うことが許されるとしたら、 必ずや神々の名において ある他者が...
他人の気持ちが分からない人の気持ちを、どうやって分かれというのか。他人の感受性を感受する感受性を欠く人の感受性なんて、そんなのは感受性とは呼べないだろう。呼んだとしても、その感受性が何の役に立つというのか。 風が吹いて飛ばされそうな 軽いタマシイで 他人と同じような幸せを 信じていたのに ―― 楓/スピッツ ―― 草野正宗 作詞作曲、1998、Polydor...
恥知らずに思えるのは、自分が書いた文章から立ち上がってくる恥ずかしさが分からないから。見当違いの切り取りが可能になるのは、他人が書いた文章を覆い尽くしている感情が感受できないから。ユリイカ、ユリイカ。 こだわっていると思われない様に 右眼で滑り台を見送って 記憶が薄れるのを待っている ―― すべりだい/椎名林檎 ―― 椎名林檎 作詞作曲、1998、東芝EMI...
他人の気持ちが分からない人には、黙っている人は気持ちがないのと同じになるんだ。ユリイカ、やっと分かった。 心と云う毎日聞いているものの所在だって 私は全く知らない儘大人になってしまったんだ ―― 心/東京事変 ―― 椎名林檎 作詞作曲、2004、Virgin Records...
世界の涙の総量は不変だ。 誰か一人が泣き出すたびに、 どこかで、誰かが泣き止んでいる。 笑いについても同様だ。 ―― ゴドーを待ちながら/サミュエル・ベケット、 ―― 安堂信也、高橋康也 訳、1952、2009、白水社Tさんも、Bさんも、まるで公園のシーソーみたい。誰かをこき下ろすことで、自分は空高く浮揚する。誰かを泣かせることが、自分が泣き止むことになるみたい。総量を可変に...
Bさんは、なぜ主格を大きく広げるのだろう。統合失調症とか、障害者とか、弱者とか。僕を、健常者、ときには、衆愚の括りに入れて。線引きをして、対立させて、僕を向こう側に追いやって。分断を煽る必要が、Bさんにはあるのだろうか。統合失調症について分かろうともしない、ってBさんは、怒りを僕にぶつけるけれど、Bさんは主語を最小にして、自分に戻したほうがいい。移行させる問いは、自分以外の統合失調症の人たちと、自分は...
ブロックは韓国語で、블록。うん、それで?アラビア語で、حاجز。Google翻訳は便利だな。日本語では、妨害、阻止、遮断。ちょっと予想外の展開、それで?僕からは以上です。今日は書くことが思いつかなかったか?超能力っ! 読心術っ!普通の能力で推量できる。なので、今夜はこのへんで。 ...
Tさんも、Bさんも、よく似ているのは、自分につけられた首輪を自慢することだ。Tさんにつけられた首輪の、リードを握っていたのは母親だった。Bさんには、リードの先が見えているのか。 真っ白に全てさようなら 降りしきる雪よ 全てを包み込んでくれ 今日だけは 全てを隠してくれ ―― 白日/King Gnu ―― 常田大希 作詞作曲、2019、Ariola Japan...
他人の批判はいいから、自分の人生を生きてくれ。でなきゃ身近な人から離れて行く。まずは、同居の親族からの信頼を失う。家族から酷評を受けることになる。 それは人生 私の人生 誰の物でもない 奪われるものか 私は自由 この人生は夢だらけ ―― 人生は夢だらけ/椎名林檎 ―― 椎名林檎 作詞作曲、2017、EMI Records Japan...
>或いは、相手に理解させよう、とか、>相手の考え方を変えさせよう、とか、それが、自分の独自の定義の解釈や、独自の価値観、世界観の共有を求めている場合、理解できなくても馬鹿ぢゃない。超弩級の馬鹿と呼ばれても少しも馬鹿ぢゃない。変わらなくても愚かぢゃない。衆愚の代表と呼ばれても少しも愚かぢゃない。ただし、反論は徒労に終わるからやめておけ。 もしも 君が彼らの言葉に嘆いたとして それ...
或いは、相手に理解させよう、とか、相手の考え方を変えさせよう、とか、そんなこと、無理強いをしなくても、自分が相手にとって魅力的なら、相手は勝手に自分を取り入れてくれる。相手のもの分かりの悪さを責めるよりも、自分のふがいなさを嘆くほうがいい。 あなたのそばにいると 僕はこんなに 薄汚れて見えるけれど いつか あなたのように なりたいと思う ―― You are so beautiful/槇原...
僕は、例えば、ヤフコメの趨勢がどうであっても、それについて正しいとか間違いとかには関心がなくて、その無関心さをBさんが衆愚と呼ぶのは分かるけれど、日がな一日、世の中の批判に明け暮れて、自分のやりたいことにリソースを振り向けないのは、僕には、自分のしていることが間違いに思えてくる。批判の対象を求めて、ネットをさまよっているのは、少なくとも僕にとっては愚行にほかならない。だからといって、僕はBさんを間違...
他人を変えよう、なんてのは、自分が変わることを諦めた人の発想で、自分が変わったときには、すでに、変えたい他人は、変わって見えている。 その人はさっき僕が拾った 素敵なものを 今の僕以上に 必要としている人だという事が分かった ―― 僕が一番欲しかったもの/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2004、東芝EMI...
青梗菜を批判するルーティンをやめてほしい、なんてお願いなら、多くの場合には聞き入れられる。やめてほしい理由を説明することも要しない。青梗菜から自分の意に沿わないことをさせられる、青梗菜に自分の意思を捻じ曲げられる、さらには、屈服させられる、なんて解釈に寄せたときには、説明を要し、聞き入れられないこともあるのだろう。 抱えた苦しみは誰のせいと 人をひどく責める的はずれを ...
朝からヤフーニュースを読みに行って、わざわざ怒りに火を着けて、その怒りモードからの、その後、ヤフコメに悪態をついて、その悪態モードからの、それから、青梗菜を衆愚の代表に見立て、私怨を絡ませながら批判する。僕には、実に無益な日課に思えてくるけれど、無益さから目を逸らすためには有益らしい。 誠実さのかけらもなく 笑っている奴がいるよ 隠しているその手を 見せてみろよ ――...
今どき、ブログの閲覧制限なんて、スマホでアクセスすれば何の役にも立たないけれど、Tさんはスマホ嫌いの引きこもりで、ネットカフェに行くこともできなかったから奏功した。Bさんからのアクセスは、勤務時間中に、勤務先の端末からに限られていたので、こちらも、思いのほか効果があった。効果がなければ、監督者や使用者を相手にするしかない。犬が吠えてウザいときには、その飼い主が責めを負う。 悪く...
何やら疑いようのない正しさみたいなものを措定して、その正しさのためなら自らの加害性にも無自覚になれる、どんなに正しくても、そんなのは正しくない。 スマホやPCで打てば 言葉は活字で現われる あてのない中傷の言葉も 正論に見えてくる ―― 信じようが信じまいが/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2016、Buppu...
10年以上ブログを続けてきて、読まれることを拒否したのは2人。仮にTさんと、仮にBさんとして、知っている人には、仮名にもなっていないけれど。Tさんは、もう思い出すこともなくなった。引きこもり歴25年で、自分にできることを失いかけた人。今はどうしているのかも分からない。元気でいてくれたら、僕はうれしい。Bさんは、事実上、財産の管理権も処分権もなく、定年後の職業を選ぶ自由も制限されて、自分の未来に対する決定権...
ぶっちゃけ、関心事は価格になる。誰かの趣味でも、好みでもなくて。趣味の良さなんか、良いとか悪いとかを、考えても分かるものではないけれど、価格なら、付与された価値の表象で、考えなくても分かること。 Orient、Bambino、(4/x) 2024年4月現在、定価47,300円税込み、 Orient Star、Power Reserve、(5/x) 2024年4月現在、定価90,200円税込み、 Orient、Bambino、(6/x) 2024...
マイナーなメーカーの革ベルトの、なんてのは、どうしたってダサい少数派なわけで、世の中的におしゃれな時計は、メジャーなメーカーの金属ベルトだと思う。まして、セイコーのムーブメントなんだから、わざわざ天賞堂を選ぶ必要なんかなくて、セイコーでもあり得たし、または、天賞堂でもあり得た、という偶有性から、セイコーを選ぶ、という単独性に、引き上げる理由は多数派にはいらない。理由が求められるのは、少数派の選択の...
銀座天賞堂、Grand Complication Classic、 Ref.GCC02LE、Cal.シチズン 6770A-00、 12時に月齢表示、3時に24時間計、6時に月計、 9時に日付計、曜日計、ストップウォッチ、ミニッツリピータ、 クオーツ、横径38.8mm、厚さ12mm、バンド幅20mm、 白い文字盤、銀色と黒のインデックス、 黒い針、銀色のケース、 サファイアガラスの風防、 ステンレ...
どういう訳か、時計は、少々高価でも、無理して買ってしまうものらしい。そもそもから、コスパなんて成り立たない。もともと、とりわけ要らないものである。まして、4本、5本なんてのは馬鹿なんだ。脳みそが激しくバグっている。要らないものだから、差し迫った現実感がなく、非現実的に、海外の一流品から選んだりして、現実的でない価格に悩まされる。...
Orient、Bambino、 Ref.SAC00009W0、Cal.F6724、 3時に日付表示、 機械式自動巻、横径40.5mm、厚さ11.6mm、バンド幅21mm、 アイボリーの文字盤、黒と銀色のインデックス、 紺色の針、銀色のケース、 無機ガラスの風防、 ステンレススチールのケース。...
Orient、Bambino、 Ref.SAC00009N0、Cal.F6724、 3時に日付表示、 機械式自動巻、横径40.5mm、厚さ11.6mm、バンド幅21mm、 白い文字盤、黒と銀色のインデックス、 紺色の針、銀色のケース、 無機ガラスの風防、 ステンレススチールのケース。この時計がいちばん好きかもしれない。なので、色違いをもう1本買って、両腕に着けようと思う。...
興味がないものについては、僕たちは、その価値についての興味もない。興味がないものと興味がないものとの間に、たとえ差異が認められたとしても、わざわざ価値の上下をつけることもしない。みんな違ってみんないい、って言える。というよりも、どれもみんな違わないし、どれもみんな良くも悪くもない。だから、時計へのこだわり、というのは、時計についての、とても悪い言い方をすれば、差別主義者の一歩手前であることの表明で...
アイボリーの文字盤に、金色のインデックス、金色の針。クラシカルで、控えめにエレガント。 銀座天賞堂、Power Reserve、 Ref.TEN-006、 10時にパワーリザーブ計、6時に日付計、3時に曜日計、 機械式自動巻、横径39mm、厚さ12.3mm、バンド幅19mm、 アイボリーの文字盤、金色と黒のインデックス、 金色の針、銀色のケース、 クリスタルガラスの風防、 ス...
3、という数字は、他人からどう思われるのかを、引き受けなければならないし、4、という数字は、もはや言い逃れができなくなる。脳みそがバグっている、間違いない。自転車を3台持っている人なら、自転車バカ、と呼ばれても仕方がないし、4台持っていたなら、自転車バカを自称するべきだ。きっと次はどれを買おうかと悩んでいる。時計を4本並べてみたら、もう言い訳ができない眺めではある。僕は、すでに、沼にはまっている。...
Orient、Bambino、 Ref.RN-AK0001S、Cal.F6B24、 10時に曜日計、5時に太陽と月、7時に日付表示、 機械式自動巻、横径42.5mm、厚14.0mm、バンド幅22mm、 アイボリーの文字盤、ギョーシェ型押し、黒いインデックス、 黒い針、金色のケース、裏スケ、 サファイアガラスの風防、 ステンレススチールのケース。高いとか安いとか、流行りとか廃れとか、時計に...
時計に興味がない人たちからは、いつも同じような時計、と思われていて、時計が好きな人たちからは、会うたびに違う時計、と言われている。どちらも正しいから、それでいい。差異がないように見えるから相似形であり、しかし、相似形は小さな差異を際立たせる。 Orient Star、Power Reserve、 Ref.RK-AU0002S、Cal.F6N43、 12時にパワーリザーブ計、3時に日付表示、 機械式自動巻、横...
安価といっても、僕にとっては、それなりに高価ではあるけれど。時刻を知るツールとしてなら、もっと安くて、正確な時計がいくらでもあるし、なんならスマホがあればこと足りるし。 Orient、Bambino、 Ref.RN-AK0702Y、Cal.F6B622、 10時に曜日計、5時に24時間計、3時に日付表示、 機械式自動巻、横径40.5mm、厚さ12.6mm、バンド幅21mm、 アイボリーの文字盤、黒と銀色のイン...
時計なら、オリエントとか、天賞堂とかが好き。真面目で、安価で、作りがいい。ブランド力なんかは、ほとんどなくて、ステータスなんてのも、まるで埒外で、しかし、あまり知られていない、ってマイナーさに好感を持つ人はいるし、時計ごときで測られるような社会的位置づけなんて、むしろないほうがいい、って人もいる。見せびらかすことも、自慢することもなく、ホメラレモセズ、クニモサレズ、サウイフモノニワタシハナリタイ。...
他人の公約数的な好みよりも、自分の好みを優先すること。自分が使うものであるのなら。再販価値を見積もるよりも、体験に変えて使い果たすこと。ものは費消されることで、ようやく価値になるから。...
300万円の時計と、3万円の時計は、ほぼ同じ機能で、ほぼ同じ時刻を指し、原価は100倍も違うわけがない。パーツを組み立てる労働量もたいして違うわけがないのに、なぜか剰余価値は桁を越えて違ってくる。おそらく、300万でも欲しい、という他人たちの欲望に、なぜか自分も倣って、なぜか自分の欲望になって、つまり、自分が同じ信仰を持つ他人たちの一員になったことで、価値を共有し、自分も300万を出捐することになる。300万は、...
卑劣と罵られても、軽率に貶められても、悪く言い返さないようにしよう。僕だって、誰だって、悪く言われるのは平気ぢゃない。他人は変わらないし、自分も変えられないのなら、誰の所為にもしないで、自分が卑劣だったのか、軽率だったのかの答を、待ち続けるしかないだろう。 私はかつて正しかったし、今もなお正しい。 いつも、私は正しいのだ。 私はこのように生きたが、また別の風にも生きられるだろう。...
同居20年以上の熟年離婚の割合が増えている、らしい。https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000266175.html夫を、資本、と考えたときには、定年退職までに稼ぐ給与収入の割引現在価値、つまり、将来得られる価値について、もしも現在の時点で受け取れるのなら、どの程度の価値を持つかの合計で定義される。なので、定年以降は資本としての価値は激減する。economic animal とは、1960年代後半、経済上の利潤追求を第...
>できない理由は、十でも百でも、>いくらでも容易に思いつくから。いくらでも挙げることができるのは、行動に移さなくてもいいから。言うだけで終わりにできるから。というか、行動しないために考えるから。>でも、たった一つでいい、>できる方法を見つけたときには、行動しなきゃならなくなる。行動しないことができない理由になってしまうのなら、できる方法なんて、見つけたくないだろう。...
教育から始まって、就職でも、結婚でも、生涯に複数回の機会が予定されている。転職も、再婚も、当たりまえになってきたら、生涯に亘(わた)って就活と就労、婚活と婚姻のサイクルが織り込まれる。個々人の流動性が高くなってくると、社内での価値や、家庭内での価値と、市場価値が等しくなってくる。共同体の中でも外でも価値が測定されて、ゲームはハードなモードになってきたと思う。←今ここゲームのルールは、自分の選択にお...
できない理由は、十でも百でも、いくらでも容易に思いつくから。でも、たった一つでいい、できる方法を見つけたときには、百のできない理由が反故になる。...
すべての牌を裏返しにして、ぐるぐるかき混ぜる。公平やら、平等やらを期するために。しかし、牌山から配られて、ゲームが始まる時点では、まったく公平でも平等でもなくなっているだろう。不揃いな配牌からゲームをスタートするプレイヤーは、なんとかかたちを作ろうとするけれど、しかし、手配は何かになれそうな気配もない。対戦相手は、すでにあれこれ揃えていると思われる。人が生きる、ってことが麻雀の喩えに収まらないのは...
例えば、日々、小さな努力を積み重ねている人は、誰かと出会ったときに、その人の、小さな努力の積み重ねが分かる、ってこと。では、自分に備わっていないものごとは、他人に見つけるのは難しい、ってこと。他人には、自分に理解できるものしか見つからない、ってこと。なので、同じ人に出会っても、その人に何を見出すか、何に同期するのかは、それぞれに違ってくる。同じ位相で増幅されるものごとは異なってくる。他人が馬鹿に思...
人生の不都合を回避すること、不具合を正して行くこと、そんなことも、どうにかなることの中で、できたり、どうにもならないことの中で、できなかったりする。だから、どうにかなることの中で、少しずつ、できることを増やして行くしかないけれど、どうにもならないことができる方法は、徐々に増えてきたできることの中に潜んでいて、ほくそ笑みながら、見つけられるのを待っている。...
2021年3月6日、「マツコ会議」の名言。日を追うごとに、意味が深まる。幸運の意味を知る。 ...
自分という現象が、社会現象の寄せ集めであり、自分は、世の中の現象をあれこれ抱え込んでいる。時として、自分と世の中が同期するモメントがある。同じ位相で強められるようなモードがある。極端に増幅された出来事が、例えば、京アニの事件だとすれば、僕は、―― 幸運なことに、減衰された青葉被告ともいえる。僕は、弱められた青葉被告、大人しい青葉被告、薄められた青葉被告ともいえる ―― 幸運なことに。誰の心の中にも、小さ...
>考えるのがしんどくなるから、言葉を濁して通り過ぎる。それは、他人事で、僕が直面していることではないから。自分だって、自分の不運に遭遇していて、いつも手一杯だから。はた目には小さな不運に見えても、直面している者には大きいから。自分のことなら、しんどくても、考えるほかはない。不運の所為にして、通り過ぎることができない。選択し、行動する自由と引き替えに、不運の所為にしない。自分の所為にして、自分が責任...
遺伝、によってどこまで決まるのか、については、あまり深入りしたくない話になってくる。例えば、親ガチャはずれ、なんてのは、親が変てこなソフトを自分にインストールしたから、生きづらい、って話ならまだ救いがある。そもそものOSから壊れている、とか、ハードのスペックが劣っている、って話なら、まともなソフトに入れ替えても、自分には重くて使えない。そんなしんどい現実は、確かにあるけれど、考えるのがしんどくなるか...
>運が悪いということは、好転が望めない、>つまり、自分では変えられないことの多さである。(19/xx)>そのとき、人は不自由で、余りにも無力であり、すなわち、>無力感は、数ある不幸の中でもグレードが高い不幸である。(26/xx)自分で変えられないのなら、受動的になるしかなく、他人の選択に任せて、他人から動かされるほかはない。うまく行かなかったときも、うまく行ったときも、他人の所為であり、他人のおかげであり、...
この時代の、この国に生まれてきただけで、日々不満はあっても、ずいぶん幸運なことではあるけれど、なんだかそれだけでは幸福が実感できないのは、もしかすると、それが自分の意志によることではないから、って確かめようもない仮説を立ててみる。では、自らの意志で選び、自ら努力を重ねたことなら、それは実感を伴った、自分で獲得した幸福と言ってもいい。しかし、自分で選び、自分で努力できる性格に生まれたのも、運不運と言...
運が悪かった、とは、(幸)運(或いは不運)が(不運の側で)悪かった。運がよかった、とは、(幸)運(或いは不運)が(幸運の側で)よかった。不運が悪かった、とは、くどくなるけど、そのまんまで、幸運がよかった、とは、同じく、言い方がくどいだけ。不運がよかった、とは、一見、不運に思えたのに、結果的には、幸運な結末を迎えたことになり、幸運が悪かった、とは、同じく、どんでん返しをくらっている。...
努力なら、実感が伴うのだろう。自分の努力なんだから、自分の手が憶えている、足が憶えている、つらかった心が憶えている。では、実感のない部分が運に振り向けられるのだろう。もちろん、失言ではあるけれど、36人が焼け死んだことについて、青葉被告は、運がなかった、と言ってしまった。https://mainichi.jp/articles/20231206/k00/00m/040/333000c実感、がなかった事件だと思う。ガソリンを撒くとき、火をつけるときの手ざわ...
>幸運は、つまり、運と努力の積集合。運と努力が重なる部分。その配分は自分で変えることができる。誰にも確かめようがないことなので、運が50%、努力も50%と均等に重ねても、運が10%、努力を90%に割り振ってもいい。自分は運がいい、と思いたいのなら、運に90%を割り当てればいいし、努力が報われた、と思いたいのなら、思いたいだけ、努力に寄せればいい。...
>例えば、青葉被告なら、>誰かを悪者にしなければ不都合を理解できない性格だから、>京アニが悪いのは死んでも揺るがないだろう。でも、それをやっていると、世の中は悪いことで埋め尽くされて、嫌いな他人の、醜い行為ばかりが増えて行きそうだ。自分以外は、みんな愚かにも思えてくるのだろう。そんなのは、幸運な考え方でも、幸福な生き方でもないみたいだ。...
哲学-思想-政治-戦略-戦術、の並びで、思想より上の概念によれば、不起訴や無罪が選ばれたのかもしれないが、京アニの事件は、政治より下の概念によって、起訴と責任能力と死刑が選択された。控訴は、思想的には妥当の可能性もあり、しかし、政治的には不当になりそうだ。...
運不運は、誰の所為にもできないこと。努力ではどうしようもない事象。加えて、不運は、誰かの所為にできること。悪口を言い募っても、そんな努力は無駄になる。加えて、運は、自分の所為にできること。努力が報われる事象はこの領域にあって、幸運は、つまり、運と努力の積集合。...
運が悪いということは、好転が望めない、つまり、自分では変えられないことの多さである。自分は変えられる、他人は変えられない、とするのなら、運が悪いということは、誰かの所為にしていることと同義になる。対して、運がいいということは、好転が期待できる、つまり、自分の所為にできることの多さである。...
例えば、なりたくてなった病気ではない、例えば、なりたくてなった性格ではない。ひいては、生きたくて生きているのではない。選んで生まれて来た社会でもないし、そもそも、生まれたくて生まれて来たのではない、たいして時間もかけずにそんな思考に行き着く。しかし、それだけでは今日一日は長いから、誰の所為にもできないことの次は、誰かの所為にできることを挙げてみる。同時に、自分の所為にできることを挙げてみる。誰かの...
もしかして、自分が、将来、青葉被告のような事件を起こしたときには、自分に死刑を言い渡すのがフェア。もしかして、自分が、不運にも、精神疾患になったときでもトレードオフ。そのあたりについては、今のところ、かろうじて、僕は運がよかっただけ。...
1月25日、京アニの事件の判決公判で、青葉被告に死刑が言い渡された。被害が大きすぎて、取り返しがつかなくて、極刑でも、まるで釣り合いが取れた気がしない。どんな判決でも、きっと虚しさしか残らない。見当違いの誰かの所為にして、何も解決するわけがないのに加害する。ときに、そんな愚かな心性は、僕たち一人ひとりの正体でもあると思う。歪んだ認知を、行動にリンクさせないと決めて、自らの、この虚しさを埋めて行こう。...
勝った者が、運がよかっただけ、って言うのは聞き流せても、誰かが、あいつは運がよかっただけ、って言うのはウザい。負けた者が、おれは運が悪かっただけ、って言うのはダサい。どうやら、真に受けてはいけないフレーズではあるらしい。...
運がよかっただけ、というのは、おおよそは、勝った、得をした、成功した者のフレーズに違いない。成功したけれど、自らの努力という成分を、敢えて無化するように誘っている。裏を返せば、成功したのは、努力を重ねて、能力を身につけた結果であり、それは報いられるべき、って価値観が、あまねく伏在していることにほかならない。その裏を返せば、不運にも成功できなかった人たちを、努力をしない、それゆえに無能である、って、...
自分を変えた、変わった、変えられた、変わった自分を見つけた、そんな経験がある人は、自分とはまったく違う感性や、価値判断で生きている人たちがいることを、当たりまえのこととして知っている。...
答なんかない、それは正しい。問われているのは、試験の問題ぢゃないから。どこかに答がある、それも正しい。そう思わなきゃ問い続けられないから。大事なのは答ではなくて、正解がない問いを、いくつも立てることなのかもしれない。問い続けることへの耐性は、正解がない問いの多さに比例するだろう。願わくば、答のない問いに耐える力を。...
やってみて、できなかったことなら、できなかったという結果は出ている。後悔するのではなく、あきらめをつけられる。やらなかったことの結果は誰も知らない。やる前からあきらめをつけるから、行き場を失くした後悔がいつまでも終わらない。やらなかったことは、できるわけがないのに。...
吉野弘の詩に、 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいいってのがある。 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいいとも書いてある。ウザいな、って思う。正しくて、立派すぎて、説教くさい、って思う。吉野弘は正しいことを言っているから、時として、僕は、彼の詩に傷つけられる。...
もしも、あの時、籤(くじ)を引いていたら、大吉が出ていたかもしれない。そこから思い描く可能性の振幅は広い。その日以降の人生を変えていた気がする。でも、あの時、籤を引かなかったことを悔やむ者は、昨日も今日も明日も、籤を引かない。...
運がよかった、だけでは幸せにはなれない、そう思っているけれど、運が悪かった、だけではもっと幸せにはなれない、そうも思っている。自分ではどうしようもできないこと、それを運不運と呼ぶのなら、どうしようもできないことに任せて生きるだけでは、幸不幸が成り立たなくなる、そんなふうにも思っている。...
自分が知ることができた出来事や、自分が経験したことは、世の中のごく一部に過ぎない、と考えるだけで、他人を無知とも、愚鈍とも思えなくなる。自分は博識で、繊細であるとも。自分はとても正しくて、正しいことを他人に教えてやろうとも。他人の正しさを否定して、他人を自分のように正しく変えてやろうとも。...
運がいい、悪い、それを回避するためには、行動を起こさなければいい。籤(くじ)を引かなければ、凶は出ない。必ず、確実に、一生に一度も出ない。...
親の年収と子どもの進学には有意な相関がある。当然、例外はあるが、例外という時点で相関を認めている。ひいては、親の学歴と子どもの学歴にも、つまりは、親の年収と子どもの年収にも。格差は連鎖され、固定化される傾向がある。それが抗い難いほどの傾向なら社会問題といえる。いわゆる、親ガチャ、ってやつだ。しかし、おれは親ガチャ外れだから、と言うだけなら、何も解決しない傾向は、必ず、確実にある。...
企業が、かわいい女子だけを採用していたなら、容姿を差別している、って叩かれるだろう。対して、偏差値が高い大学卒の女子だけを採用していても、学歴の差別、学校の格差は問題にはならない。だから、誰にとっても、進学の機会は、特権化された一部の人たちのものであってはならない。...
人は、自分の意思で、主体的な人生を作ることができる。そうでなきゃ自分でなくても、代わりに他人が生きればいい。人の本質、正しい生き方、そんなことは知らない。そんなものがあったとしても、人はそれに沿わなくてもいい。各自の、今日の、ひいては、今の、毎瞬の生き方、考え方が、折り重なって、各自の本質を作り上げて行けばいい。そのために、多様性を尊重し、差別や格差をなくして行こう。誰にとっても、自分の生き方を自...
個々人の多様性を尊重し、差別や格差をなくして、みんなで横並びで生きて行こう、って傾向には、僕たちは、総論としては同意できる。でも、各論としての個人の問題に落とされたときに、社会全体の利益に基づく総論は、時として、個人の利益とは相反し、或いは、個人の埒外にある。例えば、社会の利益を考えて恋愛する者はいない。...
僕が選択できる、ってことは、同時に、僕が選択されない、ってことと引き換えで、僕には選ぶ自由がある、ゆえに、僕は、相手から選ばれない自由、を引き受ける。よって、僕と社会には、競争がつきまとう。...
今年も余すところ 5/5 ―― 愚昧な僕にも相応の幸福がある
「パンがなければケーキを食べればいいぢゃない」、意訳のバリエーションとして、「7割が課長にもなれないのなら社長になればいいぢゃない」。無関心で、現実を知らない愚昧な者のフレーズも、実効性を伴えば、あながち間違いとはいえない。ジャン=ジャック・ルソーはその言葉どおりにケーキ屋に行った。ルソーは、もちろん、そのフレーズの愚かさを知っている。今年の投稿は、今夜で最後です。今年も、おつき合い、ありがとうご...
今年も余すところ 4/x ―― 愚昧な僕にも相応の幸福がある
>観葉植物と写真に凝ってみよう、なんて思っている。植物は自分が世話をしなければ枯れてしまう。カメラは自分が撮影しなければ写真にならない。それなりに、能動的な関りが求められるもの。例えば、テレビなら、電源を入れたら映って、それ以上の受動を越えて関わりを求められることはない。観たい番組を選ぶことで自己決定しているつもりでも、自己はそもそもから自分の物語を作れない。テレビは、ひたすらに、他人の物語を紡ぐ...
今年も余すところ 3/x ―― 愚昧な僕にも相応の幸福がある
来年の抱負、なんてことを考えて、観葉植物と写真に凝ってみよう、なんて思っている。相変わらず、考えることが小さい。他人の生き方、考え方には寛容なのに、鹿沼土の配合にはやたらと厳しい。ふだんは穏やかなのに、水を与え過ぎると怒り出す。たいていの間違いは許せるのに、この被写体で絞りを開放にした自分が許せない。そんな可笑しいキャラになれそうな気がする。来年もまた、小さい男にも、小さな幸福を。...
今年も余すところ 2/x ―― 愚昧な僕にも相応の幸福がある
例えば、自分が利口と信じて疑わない戸塚宏83歳(仮名)の論理は、僕みたいな馬鹿が反論できるようなものであってはならない。僕ごときに理解できるようなことがらであるのなら、戸塚宏83歳(仮名)の高邁さが損なわれるゆえに。戸塚宏83歳(仮名)の利口さと、大衆の愚かさを分かつ指標はただ一つ、相互理解の不可能さ、になる。>馬鹿の側から、逆説めいた反論ができるとすれば、>利口な人は、世の中の多くを占める一般の、>普...
今年も余すところ 1/x ―― 愚昧な僕にも相応の幸福がある
愚昧とか、大阪のヤンキーあがりとか、コミュ力だけで生きてきた器用な人、とか。僕みたいな知的能力に劣る者は、利口な人たちからは心の底から軽蔑されるらしい。僕だって馬鹿は自認しているから、ことさらに言い返すこともないとして。馬鹿を相手にするのは利口な人にはつらいこと、とは想像してみるけれど、そういったつらさに耐えることは、知的水準が高い人の責務であり、分かり合えなさを受け容れなきゃならないと思う。怒っ...
京アニ事件、死刑回避を主張 青葉被告の弁護側、1月に判決https://news.yahoo.co.jp/articles/bd27214bc160127e57c9fc02c4c37d2687a246ca >弁護側は、最終弁論で死刑の残虐性を訴え >「青葉さんに死刑を選択すべきではない」と主張し結審した。 当為論、規範論的には、死刑を選択すべきではない。 「当為」の対義語は「存在」であるが、 では、36人の存在に均衡する1人の当為とは何だろう。...
被告人質問の最後で青葉被告が口にした謝罪と後悔7日に結審予定https://news.yahoo.co.jp/articles/f9391d10eed5aa7b5f177ade3f0ba1411ffdf79f 反省とか、謝罪とかをして来なかった人なので、 自責ということ、それ自体がよく分からないんだと思う。 そのスキルがないし、言葉づかいも、作法も知らない。「極悪」の正体 京アニ事件の青葉真司被告「人と関わるメリット見いだせない」https://news.yahoo.co.j...
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社会のせいとか、自分のせいとか。本当は、社会のせいにしたがる自分のせいとか、自分のせいにさせたがる社会のせいとか。本当は、対置していない社会と自分を正対させようとする、社会のせいとか、自分のせいとか。 ―― グロテスク/平井堅、安室奈美恵 ―― 平井堅 作詞、Matthew Tishler、Daniel J.Plante 作曲、2014、Ariola Japan >アイツの幸せ喜べますか? >あのコのもの欲しがってませ...
デカルトから始まって、ヒューム、カントまでは、まず自己が在って、そこから他者との関係が生じるけれど、ヘーゲルは、私が私であるためには、まず私は、私たちの一部でなければならない、と考える。自己は常に他者と共に在って、その関係の中で生きている。「客」のない世界に生まれて、「主」は有り得るか。つながりのない世界で生きて、「個」に成り得るか。 ―― 優しい歌が歌えない/槇原敬之 ―― 槇原敬...
ふわふわと、社会、なんて言うから、自分の外側に社会があると思って対立してしまうけれど、自分という現象が、社会現象の寄せ集めであり、自分は、世の中の現象をあれこれ抱え込んでいる。愛や、自由や、希望や、夢は、社会に見つけても、或いは、自分の足下に転がっていても、どちらに在っても同じこと、在ればいいんだ。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY ...
自らの内に道徳法則を。自らの内に価値判断の基準を。自らの内に考える自らを。 ―― SIMPLIFY/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >He's gonna be responsible >to simplify his own life. >ややこしく生きてるように見えても >彼は単純に自分を信じてるのさ >誰かのせいにしながら >生きるつもりはないだけなんだ >She's g...
誰のせいにしたっていいけれど、自らの意思によって道徳法則、―― それは、自分の外にあるモラルではなく、内にあるエティカ ―― を立てよう。知恵の実を食べたから、意思決定ができるようになったんぢゃない。楽園を追放されたから、考えて歩けるようになったんだ。自分で立って、どこにだって行こう。 ―― やさしい哲学/椎名林檎 ―― 椎名林檎 作詞、冨田恵一 作曲、2013、TOSHIBA-EMI >ついに自由を...
Xで誰かの悪口を書き連ねても、インスタで映え画像を並べても、ブログで陰謀論を拡散しても、それだって、自分らしい、というのなら、他人を黙らせる役には立つ。 ―― Ordinary Days/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >当たり前さ それが普通さ >嬉しいことがないと >幸せと感じれないような >君のままじゃ疲れるだけさ >嬉しいこと 大事...
自分らしく、ってのは、もしかすると、底意地が悪いやつは意地悪のままに、意気地なしは意気地なしらしく、嘘つきは嘘つきらしく、ってことなのか。ことさらに、何も言ってないくせに、いいことを言ってる感だけで言ってないか。空疎なのに、中身がないのに、或いは、空疎であるゆえに、心地よく行き交うフレーズにしていないか。 ―― 太陽/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan ...
自分の心に正直に生きよう、とか、自分らしく生きよう、なんて、ポジティブなメッセージが飛び交っているけれど、そんなのは、何かを言ったつもりで、何も言っていないようなものか。 ―― I ask./槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >I ask myself 僕は問いかける >I ask myself 僕の中に >I ask myself 僕の知らない僕がいて >慣れたはずの悲しみを...
或いは、荘子が言う「樸(あらき)」は、人為が加わる前の切り出してきたばかりの木。サルトルがよく例に挙げるペーパーナイフ以前の木。あるがままの素朴さを備えているものが持つ生来の力、何にでもなれる可能性を奪われる以前の木。しかし、一度は可能性を失ってみないと、可能性があったことにも気づけないのが僕たちではある。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY...
>あるがままの心で生きられぬ弱さ>知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中まるでサルトルが言いそうなフレーズだ。本質の檻に囲い込まれた実存が逃走を企てる。実存が先立つのなら、あるがままの心は檻の外にいる。例えば、西田幾多郎なら、「主客未分」の中にいて、自分の人為が加わる前の、自分らしさの外に在る。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY >ある...
変わろうとしても変われない、変わろうとしなくても変わる。そう考えるのなら、人は、変化を事後に追認するほかはないもの。それは、誰のせいであっても、或いは、誰のせいでもなくても、人もまた、自(おの)ずから然(しか)るもの。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY >あるがままの心で生きられぬ弱さを >誰かのせいにして過ごしてる >知...
動的な平衡系においては、留まって動かないのは罪、時が止まってしまう罰。 ―― Mr.Children/Sign ―― 桜井和寿 作詞作曲、2004、TOY'S FACTORY >緑道の木漏れ日が君にあたって揺れる >時の美しさと残酷さを知る...
>何年もやせさせないのは、>自分が悪い、って気がしてくる。太ったことによる不都合、苦労、弊害と、やせるための不都合、苦労、努力と、どちらを選ぶのかは自分の責めに任される。 ―― センス・オブ・ワンダー/sumika ―― 片岡健太 作詞作曲、2020、Sony Music Records...
いくつもの例外があり、それぞれの事情があり、自分でもすぐに反論が思いつくけれど、唐突に、雑で強引に書き投げよう。肥満は社会のせい、といえる。つまり、自分を太らせる社会が悪い。しかし、太ってしまった自分を、何年もやせさせないのは、自分が悪い、って気がしてくる。 ―― アドレナリン/山崎まさよし ―― 山崎将義 作詞作曲、1997、Polydor Records >早めに治しましょう >こじらせ...
>生死は移りゆくひと時の位相。言うなれば、時間と生死は同語反復で、季節が巡るようなもの。 ―― 彗星/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >あの桟橋から首を突き出して >訳もなく2人でながめていた >汚れていて 止まって見える >あの川は確かに流れていた >そんな風に僕らが >いくら抗っても >仕方がない程 時は流れ ...
身体は動的な平衡系。言うなれば、身体は仮のもの。常に入れ替わるパーツ。喩えれば、身体は借りもの。ひいては、生命は仮のもの。つまりは、生命は借りもので、生死は、移りゆくひと時の位相。 ―― 獣ゆく細道/椎名林檎、宮本浩次 ―― 椎名林檎 作詞作曲、2018、TOSHIBA-EMI >無けなしの命がひとつ >だうせなら使ひ果たさうぜ >かなしみが覆ひ被さらうと >抱きかゝ...
そのままのあなたでいてほしい、そんな願いも、また、動的な平衡系。変わることを願うのではないけれど、変わらないことを望むのでもない。変わることも、変わらずにいることも、そのままに、あなたの平衡状態を維持させる、そんなふうに、そのままのあなたでいてほしい。 ―― 卒業写真/荒井由実 ―― 荒井由実 作詞作曲、1975、TOSHIBA-EMI >人ごみに流されて変わってゆく私を >あなたはとき...
>時はいつの日にも 親切な友達都合よく何かを抽象して伏線を作り、いいとこ取りに他を捨象して回収する。而(しか)して、春は優しい、夜は優しい。 ―― 12月の雨/荒井由実 ―― 荒井由実 作詞作曲、1974、TOSHIBA-EMI >時はいつの日にも 親切な友達 >過ぎてゆくきのうを 物語にかえる...
歩くことも、また、動的な平衡系。平衡を崩しながら、平衡を保つこと。矛盾する二つのベクトルを同時に存在させて、動的な平衡状態を維持させる。川のせせらぎも、僕たちの足音も。 ―― 足音 ~Be Strong/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、2014、TOY'S FACTORY >夢見てた未来はそれほど離れちゃいない >また一歩 次の一歩 足音を踏み鳴らせ! >時には灯りのない 寂しい夜が来たっ...
淀みに浮かぶうたかたの、今、今、今に推移する過去と未来。現在がなければ、どこにも結びつけられない過去と、ばらばらに解(ほど)けてしまう未来を繋ぐ、今、今、今だけが、明日に続いている。 ―― 本能/椎名林檎 ―― 椎名林檎 作詞作曲、1999、TOSHIBA-EMI >約束は 要らないわ >果たされないことなど 大嫌いなの >ずっと繋がれて 居たいわ >朝が来ない窓辺を 求めている...
>高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、男女の賃金格差は今よりも顕著で、女性の収入は不当に低く抑えられ、その分、男性に振り向けられていた。>この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。皆婚は、女性が男性に依存しなければ、生きて行くことが難しかった時代の現象で、今となってはそっちのほうが異常だったと思える。もっと早くに是正されるべきだったと思える。...
国ガチャ、なんて言い方をするのなら、高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、日本人であるだけで国ガチャ当たり。性別ガチャ、なんて言い方をするのなら、この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。日本人で男性ならシード権が得られた。たとえそれ以外に誇れるものが何もなくても。...
もしかしたら、生まれつき努力ができない人がいる、そう仮定するのなら、努力できるもできないもガチャ。努力が可能な努力族は、運命論的に成功を収めやすく、対して、非努力族は、失敗が運命づけられている。努力族は、努力するな、と禁じられても努力を止めないし、非努力族は、努力しろ、と命じられても努力ができない。自らコントロールができるものごとについては、自己責任論的に、自分で責任を負うことになるけれど、さて、...
小説でも、映画でも、日常は捨象されている。主人公は、小銭を数えたり、コンビニに行ったり、洗濯ものを干したり、ときにはうんちを漏らすとしても、日常=つまらないから、物語からは省かれる。日常=つまらないのは必然だから、おもしろい=物語から省かれるのは自然だ。どちらも、必ず然(しか)る、自ずから然ると言える。...
美味しかった、おもしろかった、楽しかった、なんて感想には、日常に戻される寂しさが混じっている。日常=つまらない、ってのとトレードオフにはなるけれど、でも、少し離れたら、日常もまた悪くないと思えてくるから不思議。結局、僕たちは、何をしても、いつかは楽しくなくなるんだ。...
身をもって知っている、そう言い合っている、日常=つまらない、このテーゼは事実らしい。つまらないから、僕たちは旅に出る、レストランを予約する、人に会いに行く。対価を支払って、期待通りにものごとを受け取って、それだけでも非日常ではあるけれど、さらには、もっと予期しない展開で、思いもかけない景色や味や思考と出会うときには、稀有な僥倖、軽々と僕たちの日常を超えてくる。 ...
所謂(いわゆる)、つまらない日常。つまらない、を日常の枕詞のようにして、おおよそ、日常はつまらない。所謂、同じことの繰り返し。繰り返されるから同じことになり、同じことでないのなら、即(すなわ)ち、非日常である。つまらなくないのなら、即ち、非日常である。...
>そう考えると、何を選んだとしても、おおよそは、>今の自分でしかあり得なかったような気がしてくる。そんなふうに、自分の選択の失敗を許容できた気になると、選択の及ばない、そもそもからの失敗に視点が移る。例えば、選ぶことさえできなかった親ガチャや、大きくは、他の選択肢の在りようも見つからない資本主義や、さらには、都合のいい異世界を仮想することで色褪せて映る日常や。...
>どんな選択も、ただの日常になり行く。>そう考えると、何を選ぶか、ってことは、>たいして重要ではないと思われる。何を選択したとしても、重要なのは、繰り返される日常の過ごし方にある。>まだ少しも報われない日常に耐え続けること。大きな決断は、ついつい先延ばしになり、長期的な計画は、なし崩しに短期的な快楽に負けて、そう考えると、何を選んだとしても、おおよそは、今の自分でしかあり得なかったような気がしてく...
例えば、資格試験を受験する、って選択の先には、例えば、半年で、例えば、300時間の勉強を要するのなら、毎日1時間半の勉強をする日常が始まろうとしている。選択は一時的なこと、日常は継続的なこと。まだ少しも報われない日常に耐え続けること。...
何を選んだとしても、例えば、どんな仕事に就いたとしても、選んだ後には、日常が待ち受ける。どんな選択も、やがては日常になり行く。そう考えると、何を選ぶか、ってことは、たいして重要ではないと思われる。選ばれなかった選択の先にも、繰り返される日常が待っているはずだ。どれが正しいのかが分かっていて、結果まで見通せるようなときには、選ぶ、ということはない。決める、ということはない。なぜ結果まで見通せないかと...
きっと、今日も、誰かの優しさが、優しさの価値を引き上げている。優しい人は、きっと、明日も優しい。優しい人にとっては、この世界は優しい。僕の今日が、少し荒(すさ)んだ一日だったとしても、その間にも、誰かの優しさが、僕に気づかれないうちに、僕に届けられているのなら、優しくなれない僕にとっても、やはり、掛け値なしに、この世界は優しい。...
考える人は、今日も考え続ける。優しい人は、きっと明日も優しい。読みかけの本のページをめくるように、人は、日常の経験によって、来たるべき日常を規定して行く。もしも、今夜、僕が、ていねいに、生まじめに書くのなら、それは、今夜の文章はもちろん、昨夜までの文章のていねいさと、生まじめさを説明してくれる。自分が正しいと決めてかかる人は、今日も執拗に他人を責め続け、自分を棚に上げる人は、明日になっても下ろさな...
自分が言われて傷つくことは、他人にも言わない。そんなのは多くの人が、日頃からできていると思う。自分が言われて傷つくことは、自分にも言わない。それは僕たちには、上手にできないことらしい。 ―― ダヴ:リアルビューティー スケッチ あなたは自分が思うよりもずっと美しい ―― 2013、ユニリーバ...
>誰かのために考えて、言葉にして、>さらには、伝えようとする工夫が、誰かの本来の美しさを言い当てる。 ―― ダヴ : リアルビューティー スケッチ あなたは自分が思うよりもずっと美しい ―― 2013、ユニリーバ...
自分のために考えることなら、夢見がちでも、曖昧なままでも、語尾を濁して言い切らなくても、さらには、言葉にしなくてもいい。誰かのために考えて、言葉にして、さらには、伝えようとする工夫が、表現を豊かにさせるのだろう。...
日常のちょっとした選択も、未来を変えるような選択も、同じ脳みそを使っているとするのなら、日常をナメちゃいけないな、なんて思ったりもするけれど、そんなことを考える脳みそ自体が、今夜も、僕を正気に戻してくれている。...
幸福な生活、なんてパッケージがあって、そのセットを揃えようとするのは、たぶん、得策ではない。セットを揃えて生活している人がいても、きっと、日々の生活は淡々と過ぎて行く。繰り返される日常は、当たりまえの日常で、幸不幸の埒外の、ただの日常である。...
どのようなものであっても、関係など持ちたくない、って思うときには、ブロックは、逆説を連れ立たせる。ブロックなんてことをしていると、ブロックしている/されている、という関係を作ってしまう。本当は、それさえも作りたくない。 人間の形をして 生まれたからといって 人間らしく生きているなんて 限らないと今は思う ―― 君が教えてくれるもの/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲...
大人になって、もうずいぶん経つから、誰だって分かりやすい優しさを丸出しにして、おためごかしに提示してくることはない。僕たちは、詐欺師でもホストでもヤリモクでもない。それが拾い上げられるのを待っているようなものなら、足下の泥に埋もれたいくつもの優しさを、僕たちは、毎日、踏み潰しているのかもしれない。 「泥沼でもきれいに咲ける花が あるなら君はどうする」と 真っ白い蓮の花が...