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kitasendoさんのプロフィール

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益田市
出身
島根県

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ブログタイトル
まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)
ブログURL
http://kitasendo.blog12.fc2.com/
ブログ紹介文
誰にもその人だけの良心が人生に随伴します。まるくまーるは私の良心です。
更新頻度(1年)

159回 / 365日(平均3.0回/週)

ブログ村参加:2009/10/24

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ハンドル名
kitasendoさん
ブログタイトル
まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)
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kitasendoさんの新着記事

1件〜30件

  • 流動的な「私」

      世界のすべての言語を知つて言ふのではないが、日本語ほど「私」を意味する言葉にバラエティのある言語はないやうに思ひます。しかも面白いことに、「私」が「相手」になつたり、「相手」が「私」になつたりもする。 例へば、「おのれ」。これは元々、「己れ」であつて、自分のこと、「私」を指してゐます。ところが、時代劇などで武士が相手に激高して、「おのれ! 許さん」などと叫ぶことがある。この場合の「おのれ」...

  • 息づまる正邪の世界

      正邪二極の世界といふのは落としどころがない、といふか、結論がない世界ですね。結論がないのに急いで結論を出さうとするので、とても息が詰まる。 例へば、中学生の子どもがときどき登校拒否を起こす。毎日といふわけではなく、月に1回ほど、決まつて朝になると「腹が痛い、頭が痛い」と言つて、布団から出ようとしない。 さういふとき、親は何としても布団から引張り出して学校に行かせようとする。「仮病に決まつて...

  • 怖れの社会

      『happy money』(本田健)は1年ほど前に買つて読み、一つだけ記事を書いたことがあります。(「才能がその姿を現すとき」) 一度通読して、「あまりぱっとしない。よく言はれることが書いてある」といふのが、正直な印象でした。ところが最近、ある切つ掛けで久しぶりに本棚から取り出して読んでみると、「なるほどなあ」と思ふことがいくつもあるのです。不思議ですね。 例へば、かういふ件があります。 ...

  • 笑ふお金、泣くお金

      『happy money』(本田健)は、著者のかういふ体験談から始まります。 あるパーティーの席で、知り合つたばかりの女性が、唐突に「あなたの財布を見せていただけませんか」と頼んできた。本田さんはベストセラー作家で有名人ですから、財布を見せてほしいと頼まれることはたまにあつたさうです。 持ち逃げされる気遣ひはなささうなので、財布を女性に渡す。すると女性は財布の開いて、高額紙幣を全部抜き出したのです。 ...

  • その問題に責任を持つ人

      「愛せない敵をどう愛するか」といふ先日の記事に対して、コメントをいただきました。これをお借りして、もう少し考えを進めてみます。 現在ウイグルでは、中国による弾圧(ジェノサイド)が行われています。その内容は想像を遥かに越え、吐き気がするくらいです。これなら北朝鮮の方がマシかも、と思うくらいです。私はそんな中国人が憎くてたまりません。街中で中国語を聞くと、殴りたい衝動...

  • 「困つた」問題をいかに解決するか

      昨日の記事「なぜ苦痛を受け容れるべきか」の続きです。 問題を解決するために「潜在意識に蓄積された過去の記憶の変容」を促すといふ方法は、私が主としてハワイ発祥の秘法ホ・オポノポノから学んだものです。 この秘法についてはこれまでに何度も取り上げてきましたが、再考してみませう。 この宇宙は情報で成り立つてゐると考へます。そしてその情報には2種類ある。「過去の記憶」と「インスピレーション」です。 ...

  • なぜ苦痛を受け容れるべきか

      夏目漱石の『草枕』は、 「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」 といふ名文句で始まります。 「住みにくい」といふ苦痛は人生につきものです。といふより、人生は苦痛に満ちてゐる。できれば苦痛のない人生を送りたいのが人情ですが、実際には苦痛を避けることはできない。 この苦痛を和らげるのに「詩人といふ天職ができて、画家といふ使命が降る」と、漱石は...

  • 愛せない敵をどう愛するか

      「汝の敵を愛せ」といふイエス・キリストの教へがあります。不用意には触れたくないほど深刻な言葉です。 イエス様の場合は、まさに自分を磔に処さうとする極限的な「敵」がをり、裏切る身内がゐたので、深刻でした。しかしここで私が考へたいのは、もう少し日常の中に現れる「敵」についてです。 日常の中の「敵」。例へば、私にストレスを与へる人、私と意見を異にする人、私をイライラさせる人…。いろいろあるでせう...

  • 自覚する生き方

      人間は、何人(なんびと)といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。(『原理講論』総序) 誰でも例外なく幸福になりたいと願つてゐるといふのは、間違ひないでせう。と同時に、この人は「今、幸福ではない」といふのも間違ひない。「今、幸福ではない」ので、幸福になりたいと願つてゐるのです。 それなら、この人はいつ幸福になる...

  • 「幸福な人」の価値

    Eテレの「ハートネットTV B面談義」といふ番組に出演した5人のハンディキャップたちのトークが率直で、面白かつた。障害はそれぞれ。耳の聞こえないyoutuber、全盲の弁護士、車椅子の詩人など、その人ならではの体験談が出てくる。 その中の誰だつたか忘れたが、番組の最後に少し辛い話が出てきた。 「生きることと価値といふものを同じ次元で論じたら、自分なんかに生きる価値があるのかなと悩んだ時期がある。食べて、寝る。...

  • ひとつ、吹つ切れる

      私の中で、悟りといふか、ひとつ吹つ切れたものがある。それは一昨日の真夜中に訪れた。 何度か記事に書いてきたが、おばあちゃんの頻尿がその夜中、ピークに達した。深夜を挟んで数時間、3分、5分おきに目が覚めてトイレに行きたがる。 本人は生理現象としてさうならざるを得ないのだと思ふが、私としては異常としか思へない。私の焦燥とイライラもピークに達した。 おばあちゃんは大声で休みなく助けを求める。私は隣...

  • 「鉄仮面」を脱ぐ

      アマゾンプライムで米国のテレビドラマ「メンタリスト」を観てゐたときのことです。 殺人事件の通報者である娼婦が召喚され、屈強な男性刑事から尋問を受け証言をしたあと、尋問室から出て行かうとする。そのとき刑事に一言話しかける。 「ねえ刑事さん、マジで背中ちやんと治したはうがいいよ。(彼は前の事件で背中を痛めてゐた)あなた、一生懸命『鉄仮面の男』を演じてるけど、赤ちやんみたいに泣いてみたくない?」...

  • 自分のものでない思考

      夢を見る人は受信機である。夢を見る複数の人たちのあいだに漂う微小な振動内に含まれる、自分のものでない思考、いわば集合的概念を受信しているのだ。 (「フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』リン・マクタガート) 家の屋根に太陽光パネルが設置されてゐる。亡くなる少し前に父が地元の会社に依頼して取り付けたもので、かれこれ16年になる。 ...

  • 意地悪な介護士

      でも、介護ロボットにすべてお任せみたいな発想は、僕なんかは御免だね。いくら優しくても、ロボットに介護してもらいたいとは思わないです。やっぱり意地悪な介護士でも人間のほうがいいよね。「あの野郎」とか、「こんちくしょう」とか思ってるのが、生きているっていうことだから。それが、コンピュータに変なことをされて、「あれはバグです」って言われて済まされたら、面白くもおかしく...

  • あの学びは、何かが足りない

    教会を退職する3年ほど前から、私の講義は「復活論」にかなりフォーカスしました。その「復活論」の中でも、特に主要なポイントは「悪霊の再臨復活」。 「悪霊の再臨復活」とは、大体かういふ仕組みです。 人間には2種類ある。この世に生きる地上人と、あの世に逝つた霊人です。神はそのどちらも救はうとなさるが、重要な方法の一つが、ある地上人に特定の悪霊人を送ることです。 悪霊人がやつて来る(再臨)と、地上人に苦痛が...

  • 私の内にある無限の叡智

      もう、私たちが誰かの言葉を聞く時は過ぎ去りました。どんな真理よりも、千万倍素晴らしい師の言葉よりも、私の心の声を聞き、聞いてもまた聞きたくて、その心を求めていくべきです。そうすれば、私も分からない無限大の何かが出てきます。それが創造の内容です。(文鮮明師) 「誰かの言葉」といふのは、私の外にあるのです。それに対して、「私の心の声」は私の...

  • ひとえに親鸞一人がためなりけり

      今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の『歎異鈔』を読んだ。「弥陀の五劫思惟の願を案ずるにひとえに親鸞一人がためなりけり」とは、何と透徹した態度だろう。もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを生きがいにしたであろう。遅かった。 ...

  • 「困つた事態」は誰が作つてゐるのか

      前回の記事「許容したものは私と一体となつてゐる」の続きです。 かういふ、私が許容できないものが多ければ多いほど、私は自分の基準に縛られる形で幸福を感じることができなくなります。「あの人の考へ方」「あの人のあの言葉」が私の外にあつて私と一体となつてゐないので、私はそれらの被害者であり続けるからです。 そのやうに書いたことの実際を、私の身近...

  • 許容したものは私と一体となつてゐる

      献血に協力して、400mℓの血を提供したとします。輸血を必要とする人のために貢献できたことを誇りに感じます。 一方、夏の季節に蚊が飛んできて、私の腕から2mℓの血を吸つたとします。このときは、「何だこの野郎、俺の血を勝手に吸い取りやがつて」と、怒りが生じて、即座に叩き潰す。 電車に乗つて座席に座つているとあつといふ間に眠くなつて、ウトウトと気持ちよく眠りこけることがよくあります。 一方、合宿で泊ま...

  • ミッションはいつも目の前にある

    以前「ミッションは向こう持ち」といふ記事を書いたことがある。入江富美子さんが『おかげさまの法則』に書いた体験談がとても面白く、それを紹介したものです。 入江さんは才能の豊かな方で、キャリアを積んでも起業をしても人並み以上の成功を収めるのですが、心の中はちつとも嬉しくない。なぜだらうと考へていくと、「自分が立てた目標(ビジョン)では、いくらそれを達成しても嬉しくない」といふことに気がつく。そこで「こ...

  • 内側からの声に耳を傾ける

    「自分の考へは正しい」といふ前提で私を諭さうとしたり批判したりする人に、二通りあります。外側から言つてくる人と、内側から言つてくる人です。 外側から言つてくる人といふのは、私の親であつたり、友人であつたり、私と意見の違ふ人であつたりします。 「あなたの考へ方はおかしいから、こんなふうに変へるべきだ」 「今怠けないでしつかり勉強しておかないと、後になつて困るよ、きつと」 などと言つてくる。 その人は良...

  • 人生は「思ふ通り」になつてゐる

    人間は、何人(なんびと)といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。(『原理講論』総序) 『原理講論』はこのやうな書き出しで始まる。「幸福を得ようともがいている」人間は、「今自分は幸福ではない」と思つてゐるのに違ひない。さう思つてゐるので、必死になつて幸福を得ようと努力するのです。 幸福になる条件は「欲望」が満たされることである。ところが欲望には...

  • 私が半分入つてゐます

      私が半分入っています。二人で一つの体で、神様のもとに行くという原理です。(「聖和7号」) 家庭連合で祝福を受けて結婚した後、夫人が先に逝かれた。その夫人から、残された夫に伝へられたメッセージの一節です。 「私が半分入っています」とは、霊体となつた夫人が夫の体の中に入つてゐるといふことです。それで例へば、2人の間でかういふやり取りがあつた。...

  • 「有り難う」で逝く人

      マツコロイドといふ「介護されるのが専門のロボット」があります。マツコ・デラックスさんにどこか似てゐるところから、そんな名前がついてゐます。(「反転する介護体験」参照) そもそも、介護されるロボットにどんな需要があるのか。その上、相手に決して媚を売らず、自分の言ひたいことはきつちり言ひさうなイメージのあるマツコロイド(失礼)を誰がわざわざ介護したいか。 そんな疑問は当然起きてきますが、介護現...

  • いくら何でも、そこまで言ふか

      大学で思想史を教へる専任講師がfacebookでつぶやいたことが、一部の人たちから批判されてゐます。 安倍首相の辞任会見を見てゐて「泣いちやつた。切なくて」と自分の思ひを吐露した有名なミュージシャンの発言に対して、 「醜態をさらすより、夭折すべきだつたね。ご本人の名誉のために」 と発信した。 「辞任会見を見て泣いちやつた」と正直な気持ちを述べただけで「夭折すべきだつた」と言ふのは、いくらなんでも極端...

  • 「咎める」ことの正当性

      「咎める」といふ心理について、またその功罪について考へてみます。 誰かから咎められることがあります。 「どうして君は、こんなミスをしたんだ。もつと責任感をもつてやつてくれ」 そんなふうに咎められたとき、私の中でどんなことが起こるでせうか。まづ、ストレスを感じますね。そしてストレスが起こると、間違ひなく、私も相手を咎め返してゐます。 「私は精一杯やつてゐる。ミスは誰にでもある。どうしてミスだ...

  • 「心から」愛する

      「心から」とか「心の底から」といふ言ひ方をすることがあります。「心から君を愛する」とか「心の底から信じる」などと言ふ。さういふ表現には「深く」とか「真実に」などといふ響きがありますね。 そのときの「心」とは一体何を指してゐるのでせうか。 これはまだ私の閃きに過ぎないのですが、この「心」とは潜在意識のことではないかといふ気がするのです。つまり「心から」といふのは、「潜在意識から君を愛する」と...

  • 私が現実を作ってゐる

      宇宙があり、その中に銀河系、太陽系があり、地球といふ惑星の上に国や社会があり、その環境の中に「私」が生まれ出て、生きてゐる。それが我々のふつうの世界観でせう。 私の周りにはすでに100億年以上の長い歴史があり、70億人以上の人類を擁する巨大な環境がある。そこには自然界を動かしてきた不動の法則があり、歴史的に人類が作り上げた無数の決まりや観念がある。 つまり、環境といふものが最初にあつて、その後...

  • 独り息子の唯我独尊

     「私は何者か」の足掛かりを、もう少し探してみます。「私は父の名によつて来た。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない」(イエス様)これはイエス様本人の言葉として聖書に記述されてゐますが、福音書の記者ヨハネは、「神はそのひとり子を賜つたほどに、この世を愛して下さつた」と書いてゐます。これらを合はせてみると、神は父であり、イエス様は父の願ひを受けてこの世に生まれた独...

  • 神である私は何者か

    もう、私たちが誰かの言葉を聞く時は過ぎ去りました。どんな真理よりも、千万倍素晴らしい師の言葉よりも、私の心の声を聞き、聞いてもまた聞きたくて、その心を求めていくべきです。さうすれば、私も分からない無限大の何かが出てきます。 (文鮮明総裁) イエス様はキリスト教の開祖であるとしても、クリスチャンとは言へない。クリスチャンはイエス様の教へに沿つて信じるといふ点で...

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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

誰にもその人だけの良心が人生に随伴します。まるくまーるは私の良心です。

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