我々の内なる良心は、ガリレオの望遠鏡に似てゐると思ふ。良心は神を見る望遠鏡と言つてもいゝし、レンズと言つてもいゝ。 ガリレオは実験と観察を重んじる人で、望遠鏡による観察を通して地動説を確信するに至つたと言つていゝでせう。 たとへば彼は、望遠鏡によつて、木星には4つの衛星があることを見つけた。これは、地球を中心に廻つてゐない天体があることを意味してゐる。天動説への反証になる観察結果を得たわけです。 ...
我々の内なる良心は、ガリレオの望遠鏡に似てゐると思ふ。良心は神を見る望遠鏡と言つてもいゝし、レンズと言つてもいゝ。 ガリレオは実験と観察を重んじる人で、望遠鏡による観察を通して地動説を確信するに至つたと言つていゝでせう。 たとへば彼は、望遠鏡によつて、木星には4つの衛星があることを見つけた。これは、地球を中心に廻つてゐない天体があることを意味してゐる。天動説への反証になる観察結果を得たわけです。 ...
「未来の記憶を思ひ出す」 といふのは、言葉自体に矛盾を孕んでゐるやうな感じですね。 「未来」と「思ひ出す」は時制が合はない。「未来」なら「夢想する」であり、「思ひ出す」のは「過去の記憶」でせう。 これは言葉の問題もあるので、「記憶」の代はりに「思ひ」としませう。すると、「未来の思ひを思ひ出す」となります。「思ひ」は過去にもあるし、未来にもあるものです。 たとへば、旅行の計画を立てるとします。 地図...
私はあるとき、 「原理は学んではいけない」 と思つたことがあります。 「学ぶのではなく、探さなくてはいけない」 と思つたのです。 意識の観点から教育を分類してみると、大きく3つ思ひ浮かびます。 ① 知識教育 ② 体験教育 ③ 無意識教育 知識教育は意識教育と言つてもいゝものです。その特徴は「言葉」で伝へるところにあります。 「これは、かうである」 「これは、かうでなければならない」 といふふうに、言葉で知識...
Youtubeで、ずいぶん昔の小林秀雄の講演録を聞いてゐると、アルベルト・ジャコメッティといふ彫刻家の話が出てきます。スイスの芸術家で、彫刻だけでなく、絵画や版画の作品も多いやうです。1901年の生まれだから、1902年生まれの小林とほぼ同世代です。 ジャコメッティが森に入つて木を描かうとします。すると、自分が木を見てゐるのではない。木が自分を見てゐるのを感じる。その視線が強くて、木の視線の中に自分が埋もれてし...
タイトルの表現は、意味不明。といふか、当たり前のことしか言つてゐないやうに見えます。 「今の自分には、何がどこまで見えてゐると思つてゐますか?」 と尋ねてみませう。 すると、答へは、 「見えてゐるものしか見えてゐない」 といふことになるでせう。 見えてゐるものは何で、どれだけあるか。それは自分で分かる。しかし「見えてゐないもの」がどれだけあるかは、絶対に分からないのです。当たり前ですね。それで「見え...
気分は、日々に同じではありません。概して、ハイな気分に留まることは難しい。 物事がうまくいかないと、気分は落ち込む。反対に、思ひ通りに事が運び、貢献もできたと感じる日には、嬉しい。しかし、さういふ日はあまり多くないのです。 その日も、 「今日も何だか、浮かない気分だな。あんまり幸福ぢやないまゝ1日が終はりさうだ」 と、つらつら思つてゐた。 すると、 「幸福を求めてはいけない。求めると、得ることができな...
前回の記事「思考からの反論」でも書いた通り、「思考」は「私」自身ではない。それは「本当の私(魂)」が活用してゐる有能な「道具」であると考へました。 この「思考」において、今や我々人類に匹敵し、脅かしつゝある、あるいはすでに超えたのではないかとさヘ思へるほどの進化を見せるAI。このAIはどのやうに「思考」してゐるのか、あるいは、本当に「思考」してゐるのかについて、ちよつと考へてみます。 22年11月にオープ...
最近、「思考」に対して結構厳しく追及してきたところ、遂に「思考」から反論がやつて来ました。 「なぜ私だけを厄介者扱いするのか? 私をかういふ者にしたのは、あなたではないのか?」 といふのです。 反論してゐるのは「思考」です。それなら、「あなた」とは一体誰なのか。 そもそも、どうして自分の内でかういふ反論が出るのでせうか。 ふつう、私たちは 「自分は一人」 と思つてゐますね。 ところが少し考へてみると...
私たちは誰でも喜びを求めてゐますが、脳には左脳と右脳の二つに分かれてゐて、喜びの種類にも二通りがあるやうに思ひます。左脳の喜び、右脳の喜びと呼びませうか。 左脳は、言語や論理が得意な脳です。その特徴は何かと言へば、「これ」と「あれ」とを分けることです。言葉の本質は、まさにそこにあります。 たとへば、「私」といふとき、それは「私以外のすべてのもの」と「私」とを分けることです。「私」は他のあらゆるもの...
つまり、あなたが答えを出す必要はもう無いのです。 空白であること、しかし無関心ではないこと、我々がそれを既に持っており、あなたに直接渡したいのだということ、そういう時期が来ているのだと、信じていただきたい。 わからないという、純粋な白い光を心に抱いていてください。 そのことがサインとなり、化学変化が起きて細胞が変わります。 神経が繋がります。 分かるのは我々の役割であり、そこから毎瞬必要なことをあな...
いさゝかデジタルに疎い知り合ひが 「中古でもいゝから、そこそこの性能で、あまり値の張らないパソコンがほしい」 と言ふので、私がネットで探してみようと請け負つた。 アマゾンなどで探して、これなら要望に適ひさうだといふ一品を見つけ、本人の承諾を得て購入。数日で届いたので、基本的な初期設定をして、本人に手渡した。 これでそこそこネットも楽しめるだらう、よかつたよかったと思つてゐると、彼から電話が入つて、ど...
「どうして突然、すべて理解できたんだろうか?」 私はそれが知りたいと思いました。 「誰がこの情報を与えてくれたんだろう? 神様かしら? それともクリシュナだろうか? それともブッダ? イエス・キリスト?」 その時、 「神は存在ではなく、存在のあり方なのだ。そして、私は今、そのような存在のあり方をしている」 という悟りが得られ、その感覚に圧倒さ...
私たちの中に、全宇宙が存在します。私が求めている答えは、自分の中に存在し、あなたの求める答えも、あなたの中に存在します。外部で起こっているように見えるあらゆることは、私たちの中にあるスイッチを押して、自分を拡大し、真の自分を思い出させるために起こっているのです。 (『喜びから人生を生きる』アニータ・ムアジャーニ) アニータは、自ら通過した「臨死体験」によつて、文字通り「...
昨日の記事で取り上げた『喜びから人生を生きる』。インスピレーションに溢れてゐるので、もう少し書き足します。 何が自分を突き動かしているのかを見極めるには、コツがいるかもしれません。大切なのは、思考は”すること”を重視し、魂は”存在すること”を重視するという点です。私たちの本質は、無限の自己です。… 知性は、この(世の)人生を航海するための道具にすぎません。(第16章「私たちは神...
2006年2月2日、アニータ・ムアジャーニは、間違ひなく死ぬはずでした。過去4年間で彼女の癌は着実に進行し、今や、あらゆる臓器は停止しようとしてゐたのです。 すべての医師が見放してゐたにも拘らず、彼女は奇跡的に生き返つた。彼女は臨終を迎へるはずだつた病院のベッドに横たはつたまゝ、世に言ふ「臨死体験」をしてゐたのです。 彼女があの世に行きかけたとき、驚くべき感覚を体験した。それまで彼女を苦しめてゐた「痛み...
「これをすべきか否か」 といふ二者択一を迫られたとき、迷ふものです。 先日も、さういふ場面がありました。どちらも強い義務の強制はない。どちらでも自分の自由意志で選べる二者択一です。 かういふ場合、私は生来、非常に迷ふ質なのです。まづ、頭で考へがグルグル回り始める。 「こゝはやはり、責任ある大人としては、すべきではないか。しなければ、周りの評価が下がるのではないか」 といふふうに、思考が社会評価や常識...
どんな人、どんな状況に対しても、 「このまゝでは良くないな」 と思つたとき、私たちはほぼ本能的にその相手を変へようとするものです。 たとへば、ある人に対して、私が 「このまゝでは良くないな」 と思つたとき、その人を変へる私の選択肢はいくつもあるでせうが、取り敢えず、3つほど挙げてみませう。 ① 教育 ② 力づく(強制) ③ 祈り 教育によつて人を変へる。親なら子どもを躾ける。学校なら先生が生徒に知識を授けて...
けれども、我々(意識を外側から抱きかかえておる無意識と呼ばれる我々)は、あなたに無垢なる赤ん坊のような在り方で居てほしいと願っておるのです。 分からない、という言葉も無い、純粋な空白で居ていただきたいのです。 そうすれば、あなたという意識の外壁が崩れ、点線のような、気体のような、スカスカした風通りの良い在り方に変わります。 (ネドじゅんさんの本体さんからのメッセージ) ...
詳しくは書けないが、先日こんなことがあつた。 担当のネット会議に参加した折、これまでの方針の転換が示された。転換期日も示され、かなり重要な点なのに、私はそのポイントを正確に把握できないまゝ、全体にも伝へないでゐた。 期日まであと3日といふとき、同僚の一人がある人と話してゐて、たまたまその方針の話題になり、話してゐるうちに、転換があるといふことが分つた。それでその同僚は慌てて私にその是非を確認しにき...
上の絵は、肉心と生心の場所をシンプルに描いたものです。たとへば、日曜礼拝で説教を聞くにしても、肉心で聞くのと生心で聞くのと、二通りあります。本来は生心で聞くのが良いのですが、私などは気がつくと、専ら肉心で聞いてゐる。それで、説教の内容をあれこれ批評し、評価しながら、説教そのものを聞いてゐないことが多いのです。 大雑把に言つて、肉心は首から上、脳を土台として機能すると言つていゝでせう。一方の生心は、...
「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。そうすることによって、思考を超越することができます。なぜなら、思考は常に結論を出そう、解釈しようとしたがるからです。「知らないこと」を恐れているのです。 (『Stillness Speaks』第2章「思考の夢から覚めるということ」エックハルト・トール) ■ 知つてゐるパリサイ派と知らないイエス様「知らないでゐること」とは、伝統的な仏教の言葉で言へば、 ...
本日の礼拝説教に、アナニアといふイエスの弟子が登場した。 ときはすでに、イエス様が十字架で亡くなつたあとのこと。その弟子たちへの迫害はなほ続いてゐた。その先鋒のひとりがサウロ(のちの使徒パウロ)であつたのです。 ところがそのサウロは弟子たちを捕縛するためダマスコに向かふ途中、突然天からの光がさして、地に倒れ、失明した。お付きの者が手を引いてダマスコまで到着したとき、同地に住むアナニアに主イエスが幻...
■ 私を限定してはいけない 旧約聖書に「モーセの十戒」といふものが出てきます。ユダヤ教とキリスト教、キリスト教の宗派、写本などによつて、微妙なズレはあるものゝ、ほぼ一致してゐると言つていゝでせう。 十戒の中でも、特に最初の三つ、これがとても重要に思へます。「神とは何者か」といふことがかなり哲学的に表現され、画期的と言つてもいゝほどです。 その三つとは、 ① 私の他に何ものをも神としてはならない。 ② ...
「真の自由」が欲しいですか? 「苦しみ」にピリオドを打ちたいですか? それなら、あらゆる瞬間に、自分が感じているもの、あるいは経験しているものすべてを、あたかも事前に選択したかのように生きることです。 (『Stillness Speaks』エックハルト・トール) 自分が今感じてゐる、あるいは経験してゐる何らかの「苦しみ」があるとすれば、それは「すでにさうであるもの」なのです。これを一般的...
■ 人には二種類の生死がある 『原理講論』の「復活論」を読むと、人の生と死には2種類あると言つてゐます。肉体的な生死と霊的な生死です。 肉体的な生死を判別するのは、さほど難しくない。一方、霊的な生死はどうだらう。これは見た目では判別し難いので、別の見方が必要です。 『講論』によれば、聖書が記録する「人間の堕落」とは、霊的に死んだことだと言ふ。そして、神の愛の懐を離れたことが霊的な死だと言ふのです。 ...
■ 当然のこととして甘受する 『原理講論』の「復活論」に出てくる「悪霊人の再臨復活現象」。こゝに「甘受」といふ重要な概念も出てきます。 『講論』の説明は理路整然としてゐて、その意味では説得力もある。その説明は、見える側面と見えない側面の整合性をうまく取つてゐます。 見える側面としては、地上人の生活に理由不明の苦痛がしばしば起こる。本人の思考だけではその理由がよく分からないが、実はその理由は目に見え...
今までは「他為」思想について語りましたが、これからは「他為」ではありません。他我主義(他人と私は一つであると考える主義)思想を語らなければなりません。「他」とは何かといえば、「我」だというのです。相対が「私」だというのです。 一つの体なので、一つにならなければならないのです。「他為」的思想の時代ではなく、「他我」的思想時代です。「私」が相対を創造し、「私」と一体化させ、より大きな「私」にできる道を行...
■ 日航機の奇跡新年が明けるや否や、元旦には能登半島で大地震が起こり、翌二日には羽田空港で飛行機事故が起こつた。こんな大きな天災と大事故が二日続けて起こるかといふ、波乱の幕開けのやうにも思へます。 天災と事故とでは意味合ひが違ふものゝ、この二つの出来事の中に、私は日本人の持つ魂の特別な姿を見るやうな気がして、深く考へさせられる。 大地震のほうは如何ともし難い天災で、被災された方々、亡くなられた方々...
人間の成長といふことを考へると、肉体的には20歳前後をピークとした山なりの線グラフを描くやうなイメージでせう。どう頑張つても、生涯成長し続けることはできない相談です。 一方、心あるいは精神的、霊的な成長はどうでせうか。肉体とは違つて、歳とともに衰えるとは限らない。むしろ、円熟といふやうなかたちでの成長は、いくつになつても期待できさうに思へます。 ところが、私自身の人生を顧みると、内面的な成長は低いと...
ここ数年、久しく触れてこなかつた話題ですが、こゝで書き記しておきたいと思ひます。 昨日の礼拝で流された動画の一部に、私は相当大きな衝撃を受け、そのあと、夜布団の中に入りながらも、づつとそのことを思ひ続けた。 動画とは、韓鶴子(ハン・ハクジャ)総裁の会見動画です。 そのかたは、話しながら涙を抑へられず、何度も言葉に詰まり、ハンカチで目頭を拭かれた。表情は心の中の苦痛を如実に現して、人目を憚らずに歪む...
20世紀の後半ごろから、 「情報化時代」 と言はれるやうになつた。 ラジオ、テレビが普及し、90年代からはインターネットが普及し始めた。携帯電話が生まれ、2000年代に入るとスマホが必需品となつた。 1日24時間、休む間もなく、世界中の厖大な量の情報がそれらのメディアを通じて流れ続ける。個人がアクセスして消化できる情報は、その中の極々一部に過ぎないでせう。 「情報の量は、昔に比べると桁違ひに増えてゐる」 さう...
単純作業に没頭してゐると、ひとつの場面が脳裏に浮かんだ。先日も記事に書いたことのある場面。イエス様がその生涯の最期、十字架にかゝる場面です。 両脇に強盗がひとりづつ、十字架にかけられてゐる。 左の強盗は悪態をついて、 「お前がほんとうに救ひ主なら、自分を救ひ、我々も救つてみよ」 とあざける。 それに対して、右の強盗は彼をたしなめ、 「お前は神を恐れないのか。俺たちの罪は明らかだが、このかたは何一つ罪...
■ 心の中に入れる 我が子や孫があまりにも可愛いことを 「目に入れても痛くない」 と言ひます。 小さな埃が入つただけでも痛いのに、子どもを入れても痛くないとは、ただ事ではない。それくらゐ可愛いと言ひたいわけです。 ところが、小さい頃は可愛かつた子どもたちも、いつまでも可愛いとは限らない。子育てにはさまざまな紆余曲折があります。 憎らしいときもある。腹を立てて大声を上げるときもある。思ひ通りにならなく...
■ 宗教の提示する「救済」 「救ひ」とか「救済」といふ言葉は、主として宗教的な文脈で使はれることが多いと思ひますが、宗教の専売特許といふわけではない。 たとへば、溺れかけた人を、勇気ある人が飛び込んで救ふ。致命的な大怪我をした人を、外科医が神業の手術で救ふ。生活に困窮した人を、国家が給付金で救ふ。 これらはいづれも、好ましくない状態(死ぬかもしれない、安楽な生活ができない)をより望ましい状態(生き...
年末になつて、夢でも見てゐるやうな、おかしな話です。茶飲み話か閑話としてお読みください。 聖書の冒頭「創世記」の天地創造を記述した部分を読むと、今なら最先端のCG技術を駆使して、感動的な映像が作れさうです。 神自身はかたちのない霊でありながら、そこから次々に、かたちのあるもの、さまざまな次元の物質的存在物が創り出されていく。その結果、はるか昔から広大な宇宙は確かに存在してきたやうに思はれるし、地球も...
■ 神はどのやうに現れるか 『神との対話1』の冒頭あたりで、ニールが神に執拗に要求することがあります。 「私たちみんなが理解できる方法で現れてください」 それに対して神は、 「私は何度も、何度も現れてゐる。今もかうして現れてゐる」 と答へる。 神はニールの真意を理解してゐないやうにも見える。そこでニールは重ねて懇願する。 「いや、さうぢやないんです。私が言ひたいのは、疑ひの余地のない現れ方、否定しや...
■ 裁きの起源 今のこの世界の大半は、「裁く」といふ概念が根底にあつて成り立つてゐるやうに思ひます。 「あなたと私は、どちらが正しいか。それに決着をつけよう」 と、多くの人々は、つねに物事を「ひとつの正しいこと」に収斂しなければ落ち着かない。 それで、とても息苦しい。対立と闘争が絶え間なく続きます。 こんな息苦しい概念は、一体どこから生まれてきたのか。考へやうによつては、古い神話にその由来があるとも...
元々は誰が言つたのか知らないが、こんな言葉を聞きました。 蝶々を捕まへようと追ひかけると、蝶々は逃げ、1匹も捕まへられないかもしれない。しかし、きれいな庭を作れば、何もしなくても、蝶々たちがいくらでも寄つてくる。 ■ きれいな庭の作り方 まつたくその通りの、単純な話ですね。しかしこれを聞けば、誰でも、何かしらの教訓めいたものを感じ取ることができるでせう。 し...
■ 私は誰か私たちは6歳から学校に入つて学び始め、大学まで進めば、ずいぶん長い期間学び続けることになる。日本なら日本語を学び、文字を学び、数字の計算を学び、科学を学び、さまざまな専門分野の知識を学ぶ。 それを習得して、ある人は弁護士になり、ある人は学者になり、ある人は起業家になる。ところが、意外な(驚くべき)ことに、一つだけ、ほとんど誰も学ばないことがある。 「私は誰か」 といふことです。 私なども6...
毎年この季節になると、教会の礼拝説教ではイエス・キリストの話題が取り上げられる。クリスマスはキリストの誕生を祝ふ日ではあるものの、クリスチャンの関心はキリストの最期の場面にも向くでせう。なぜなら、十字架とその後の復活こそが、人類の救済に道を開いた歴史的な瞬間だと見なされてゐるからです。 今年も私はそのやうな説教を聞きながら、右側の強盗とのやり取りが、なぜか強く印象に残つた。その場面を描写する聖書の...
神のなさる95パーセントの責任分担に、その中心人物が担当すべき5パーセントの責任分担が加担されて、初めて、(み旨が)完成されるように予定されるのである。 (『原理講論』予定論第二節) こゝで言はれる「神と人との責任分担論」は、『原理講論』の説く神観の核心のひとつと言つていゝでせう。『講論』全体を通じて、小さい人間の5%は結構詳細に説明言及されてゐます。しかし、それに対して、厖...
■ 何が「誤つて」ゐるのか 現政権の支持率が続落する中で、さらに裏金問題が勃発し、首相は特定の派閥の閣僚だけを更迭。空いたポストへ急遽、新しい大臣を選抜して立てました。 その中でも特に注目を集めたのが、官房長官でせうね。数ヶ月前に外務大臣を降りたばかりの有力議員が返り咲いた。かなりの親中派、緊縮財政派として知られた人物です。 それを受けて、(名前は聞き漏らしたが)ある政治評論家が、 「首相は、誤つた...
『原理講論』に「堕落性を脱ぐための蕩減条件」といふ用語が出てきます。この蕩減条件によつて、果たして私は本当に堕落性を脱げるのか。今回はそのことを考へてみます。 ■ 堕落性とは何か こゝに、私とその同僚がゐるとします。2人は同じ指示に基づいて、同じやうに努力した。ところが、結果的には、同僚の成果だけが認められ、私のものは不採用になつた。 さういふとき、私の心には「愛の減少感」が生じる可能性がある。 「...
「心」といふ言葉があり、我々はそれを日常の中で何気なく使ふ。目には見えないが、あると思つてゐる。しかも、重要だと思つてゐる。しかしその実態が一体どんなものなのか、それについては分かつてゐるやうで、実はよく分かつてゐないと思ふ。 数学者の故岡潔博士もこのことにずいぶん悩み、「情緒」といふ言葉を思ひついた。「心」と言つてもいゝのだが、それでは何だか色彩が感じられない。そこで「情緒」といふ言葉を選んだと...
私の誕生日は1カ月以上前に過ぎたのですが、今年は娘夫婦が観光旅行に誘ひ、少し贅沢なホテルを予約してくれました。 ホテルの最上階には、露天ぶろ付きの温泉がある。夜の9時半以降には、夜食にラーメンなどが提供される。朝ご飯は、海鮮丼をはじめとしたがつつり系の食べ放題メニューがずらり。 部屋は特に広いといふほどではないが、バス・トイレ・洗面台がゆつたりとした設計になつてゐる。ベッドも枕も少し固めの誂へで、却...
先日の記事「本性はプログラムである」の中で、 「創造本性も堕落性本性も、ともにプログラムである」 といふ趣旨の内容を書きました。 今回は、それをもう少し掘り下げてみます。 例えば、文鮮明先生の自叙伝の中に、少年期の、かういふ体験談があります。 十歳の時でした。大みそかの日になって、村じゅう餅を作るのに大忙しだったのに、暮らし向きが困難で食べる物にも事欠く村民がいました。私は...
1年以上前の記事「人生100年時代の希望」で、ひとつの人生相談を取り上げ、考へてみたことがあります。 その相談とは、 「人生100年時代に絶望してゐます」 といふものです。 相談者は40代の女性かと思はれます。 彼女は学生のころから 「死ぬときに思ひ残すことがないやうに」 といふ気持ちで、必死に生きてきたと言ひます。 大学を卒業したあと、仕事にも就き、結婚もし、子どもも何人か生んで、家も建てた。人生における大...
先日、ホ・オポノポノについてのyoutube動画を作つて、一つ、改めて気づいたことがある。 ホ・オポノポノは400年ほど前からハワイに伝はる、問題解決の手法です。基本的には中心に立つ人がゐて、その人を中心にグループで問題を解決していく。それを、モナ・ナラマク・シメオナといふ女性がインスピレーションを得て、自分の内部だけで完結できる手法として大きく改革した。 それで、新しい手法を正式には、 「セルフ・アイデン...
量子力学に「観測者問題」と呼ばれるものがあります。 量子力学において、波動関数(量子状態)はシュレディンガー方程式に従って決定論的に時間発展し、異なる状態の重ね合わせとして表現される。しかし測定を行うと、そのうちの1つの状態にあることが分かる。測定は、量子系に対してシュレディンガー方程式で表されない「何か」をしていることを示唆する。観測問題とは、その「何か」が何であるかを...
『原理講論』には、二つの本性が出てきます。一つは「創造本性」、そしてもう一つが「堕落性本性」です。 「創造本性」は、神が元々与へた性質ですね。それに対して「堕落性本性」とはどういふことか。元々の「創造本性」が歪んだものだとすれば、「本性」と呼ぶのはおかしいのではないか。 長い間さういふ気もしてゐたのですが、よく考へてみると、うまく「本性」と付けてくれたものだと思ひます。どちらも「本性」でいゝのです...
イエス様の語られた 「あなた自身を愛するやうに、あなたの隣人を愛せ」(マルコによる福音書12:31) といふ箴言。 何気なく読めば、「自分を愛すること」はごく自然にできてゐる、誰にでもたやすくできる。だから、それと同じやうに、もつと難しい隣人を愛することが目標だ。さういふ教へのやうに思へます。 しかし真実は、むしろその真逆ではないか。 こゝには二つの愛が出てくるのですが、ウェイトで考へると、「自分を愛す...
人間の本心は、… 悪に向かおうとする欲望を退け、善を指向する欲望に従って、本心の喜ぶ幸福を得ようと必死の努力を傾けているのである。 (『原理講論』総序) 「そこに行き着く」道は「そこにいる」ことだ。行きたい場所にいなさい。幸福になりたいか? では、幸福でいなさい。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ) この二つの神の言葉は、一見...
万物は原理自体の主管性、または自律性により、成長期間(間接主管圏)を経過することによって完成する。けれども、人間は原理自体の主管性や自律性だけでなく、それ自身の責任分担を全うしながら、この期間を経過して完成するように創造された。(『原理講論』創造原理第5節) 神はなぜ、被造物に成長期間といふ名の間接主管圏を置かうと発想したのか。その神の事情について考へてみようと思ひます。 ...
あらゆるものを「評価」なしに見つめることができたら、どうなるでせうか。 人は1日に4万から6万くらゐの思考が頭の中を去来してゐると言はれます。本当にそんなにあるだらうかと思ひますが、ときどき自分を観察してみると、まんざら誇張でもないやうな気がします。 例へば、車を運転してゐます。瞬間瞬間に新しい光景が目に入つてきますね。道路の路面の状況。前後左右の車や人の動き。随所に設置されてゐる道路標識や信号。 ...
愛の中でも見えない愛が、最高の愛です。愛は見えないので、最高に高くあり得るし、最高に広くあり得るし、深くもあり得ます。 見えない愛がこのように貴いように、見えないところにいらっしゃる神様も貴い方です。その貴い神様を探すためには、無我の境地に、すなわち自分というものがない境地に入らなければならないという言葉が正しいのです。神様は私たちが見ることができるものよりもっと深い、見えない静かな世...
1ヶ月ほど前、「誰が迫害するのか」と題する記事を書きました。 具体的な内容はその記事をお読みいたゞきたいのですが、ポイントは、 「現在、家庭連合に吹きつけてゐる暴風の主は神ではないか」 といふことです。 その記事に対しては、 「もしさうなら、家庭連合は何が間違つてゐたと考へるのか」 といふ質問のコメントもいたゞきました。 即座に答へることを控えておりましたが、最近ひとつの答へが固まりつゝあるので、現段...
「寝る前に聞きたい宇宙の謎17選」 などといふYoutube動画を、夜寝る前ではなく、朝、起きがけに聞いてゐたら、 「我々はもしかしたら、ブラックホールの中に住んでゐるのかもしれませんね」 といふナレーションが耳にとまつた。 そして、 「なるほどな。その可能性は否定できない」 と思つたのです。 実際、我々が今ブラックホールの中に住んでゐると考へて、何か不都合があるでせうか。 最新の天文学や物理学で学んだ知識によ...
金融機関に勤める知り合ひから、職場の悩みで相談を受けました。 そこに就職して5年ほどたち、仕事にはだいぶ慣れてきたものゝ、要領が悪くて、抜けることも多い。そこへきて、最近、モンスタークレイマーが立て続けに2人も来て、その対応にものすごく神経をすり減らした。休みの日も、気にかかつて、心底くつろげない。 「辞めたい。いつ言ひ出さうかな」 といふ思ひが、しばしばよぎるやうになつたと言ふのです。 相談を受け...
朝、目が覚めるか覚めないかの、まどろみの意識状態は、閃きの宝庫です。寝てゐる間に「思考」が低下して、それがまだ十分に回復して働き始める前の比較的短い間に、「思考ではないもの」がどこからともなく来るやうな気がします。 今朝も、目が覚めかけて、手でスマホを触ると、勝手にアナウンスを始めた。 「現在6時44分です。降水確率は20%。最低気温は14度の予想です」 アナウンスの言葉は耳に入つてくるのに、一瞬、 「は...
神様の目には、人種の色の違ひは見えない。 さういふ意味の文鮮明先生のみ言葉を、どこかで読んだ記憶があります。この言葉は、どう理解したらいゝのでせうか。 色彩豊かなこの世界の創造主ご自身に色の違ひが識別できないとは思へません。これは我々にとつてもかなり重要なことなので、注意深く考へてみませう。 この世界には色彩があると、我々はふつうに考へてゐます。木々の葉つぱは緑。晴れた空は青。夕日...
誰にでも、強みと弱みがある。本人が「これは自分の長所だ」と思ふ点と、「これは自分の短所だ」と思ふ点とがある。 つまり、誰もが 「私は完璧ではない」 と思つてゐる。 さうは思つてゐても、ついつい自分の弱み、自分の短所は他人に見せたくない。どうしても隠したくなる。 そして、できるだけ自分を 「完璧に近い自分」 に見せたいと考へるものでせう。 例へてみれば、誰でも自分を「完璧な丸」のやうに演出したい。しかし...
養老孟司さんの「大言論シリーズ3部作」の1冊目のタイトルが、 『希望とは自分が変わること』 と付いてゐます。 これは、本当にその通りだと思ふ。 希望は、自分が変わること以外にはない。希望は、自分の内側にしかない。 そのことについて、先日こんな体験がありました。 知人と話してゐるとき、その人が、 「社長の話がいつも重たいのよ。経営状況が芳しくないとか、まだまだ希望が見えないとか…」 と話すので、私が思はず...
母の介護は、およそ3年半に及んだ。 ほとんど病気らしい病気もせずに、90歳近くまで、母親代はりになつて孫を本当にこまめに、よく育ててくれた。その母が、90歳を前に弱り出し、昼間から布団に入つて、横になる時間がふえてきたのです。 その時期が、ちやうど私の退職のタイミングと重なつた。それで、私は退職するや否や、母の介護に没頭することとなつたのです。 その母が亡くなつて、2カ月余りが過ぎた今、ときどきその3年...
前の記事「心が体の中にあるか、体が心の中にあるか」で、 「体が心の中にあると思はれる」 と書きました。 今回は、こゝからさらにビジョンを広げて、 「見えないものは、見えるものより大きい」 といふことを考へてみたいと思ひます。 体が心の中にあるのだとすれば、当然、心は体より大きい。だから、私の心の喜びも憎しみも、私の体を通して現れる。 ところが、私の心よりもさらに大きいものがある。それが、集団の心、もつ...
一体、心が体の中にあるのか、それとも、体が心の中にあるのか。 心も体も、考へ詰めていくと、思ふほど単純なものではないのですが、こゝではあまり厳密なことは言はず、常識的な範囲で考へてみることにします。 多分、大半の人は、心が体の中にあると考へてゐると思ふ。 だつて、私の心は私にしか分からない。人の心は私には分からない。推測することはできても、実感することはできない。だから、一人一人の体の中に、その人...
AI研究者、黒川伊保子さんによると、誰かとコミュニケーションするとき、男性は「事実の通信線」一本だけを使ふのに対して、女性はそれに加へてもう一本「心の通信線」を使ふのだと言ふ。女性のコミュニケーションは男性に比べて、相当複雑で高度なレベルにあるといふことです。 すると、男性が女性とコミュニケートする際、女性が今何を考へてゐるのか、どう感じてゐるのかを充分に理解できない。山登りに譬へれば、女性が八合目...
エックハルト・トールが概念化してくれた「ペインボディ」。ほとんどの人が自分の中に抱へ込んでゐる、感情的な苦痛の集積。これをトールは「ペインボディ」と呼んだのです。 これに支配されると、これが自己意識の一部となり、それに条件づけられた人格が自分の牢獄となる。その牢獄から、人はなかなか抜け出ることができず、むしろペインボディに新しい糧を与へて、肥え太らせようとする。 その糧とは、どんなものか。感情的に...
『左脳さん、右脳さん。』(ネドじゅん) は、なかなか面白い本です。 著者のネドじゅんさんは、自分のことを「オカン」と自称してゐますが、どつこい、並みの「オカン」ではない。分析力も筆力も、相当大した「オカン」です。 かと言つて、脳について、脳科学から分析した本ではありません。自分の実体験から、ある日突然、「思考が消えた」、その体験と、それがいかにして起こったのかを考察した本です。今の私のニーズにぴつ...
もうずいぶん昔、何十年も前のことですが、文鮮明先生の、概略かういふ預言を聞いた記憶があります。 これまで宗教は様々な迫害を受け、それを克服することで信仰を鍛へられ、成長してきたが、いづれ迫害のない時代が訪れる。そのときは、神があなたがたを迫害するやうになるだらう。 これを聞いたときは、 「迫害の主体が入れ替はるのか。入れ替はれば、どんなふうに変は...
小林正観さんの長女は、知的障害を持つて生まれたさうです。子どもがなかなか授かれなくて、夫婦で待ちに待つて、やつと生まれたと歓喜したのも束の間、小林さんはショックで、半年間、世界から色が消えたと言つてゐます。 娘さんは体も弱かつたため、学校で毎年行はれる運動会でも、必ずビリです。 ところがある年、同じクラスの子が怪我をした。それでその朝、お母さんは思はぬ期待が生まれて、なんとなく嬉しさうだつた。 「...
10月7日の早朝、ガザのハマスが突如イスラエルを攻撃し、両者が戦争状態に入つてゐます。死者は、12日現在、双方ですでに2300人を超えたやうです。 ハマスに比べれば圧倒的な戦闘力を持つイスラエル側のガラント国防相は、地上作戦をふくむ総攻撃に移行すると言ひ、 「ガザが以前に戻ることはない。1日ですべてを撲滅する。1日でできなければ1週間で、1週間が無理なら1ヶ月で、すべての場所に到達する」 と、軍隊に向けて檄を飛ば...
『原理講論』に出てくる「三対象目的」といふ概念は、長い間、今ひとつピンとこないものでした。 正分合作用により、正を中心として二性の実体対象に分立された主体と対象と、そしてその合性体が、各自主体の立場をとるときには、各々残りのものを対象として立たせて、三対象基準を造成する。そうして、それらがお互いに授受作用をするようになれば、ここで、その主体を中心として、各々三対象目的を完...
先日の記事「まづ最初に『引き寄せる』べきもの」で書いたのですが、そのあと、考へれば考へるほど重要なことに思はれてきたので、改めて書くことにします。 その記事の趣旨は、 「引き寄せの法則が作用するには、二段階ある」 といふことでした。 第一段階が、 「『外なる私』が『内なる私』に引き寄せられる」 こと。 そして、第二段階が、 「第一段階で「私」が修復された度合ひに応じて、外部のものが引き寄せられる」 こと...
少し古い話になりますが、昨年7月、第167回芥川賞の発表があり、高瀬隼子(たかせじゅんこ)さんが『おいしいごはんが食べられますように』で受賞した。そのとき、候補に挙がつた5作品が、1935年の同賞創設以来初めて、すべて女性作家であつたこと、しかも同時開催の直木賞の受賞者も女性であつたことが話題になつたやうです。 私自身、最近ほとんど小説に興味がないので、そんな話題も知らなかつた。偶々、Youtubeの動画でその話...
『実践、引き寄せの法則』(エスター&ジェリー・ヒックス)を読み進むにつれ、「引き寄せの法則」に対する従来の自分の見方に修正がかかつてきたのを感じます。 これまで「引き寄せの法則」といふと、 「強く、心の底から願へ。ビジュアルにイメージして願へ。あることを願ひながら、心の底では『無理だらうな』と思つてゐたら、その本音のほうが事態を引き寄せてしまふ。だから本心から願はなくてはならないのだ」 といふくらゐ...
私の敵はどこで生まれるかと言ふと、まづ、私の中で生まれる。これは私の味方も同様で、やはり私の中から生まれる。敵も味方も、私の中から生まれるわけです。これは、ほゞ間違ひないと思ふ。 しかし現実には、我々はたいてい、敵は自分の外にゐると考へてゐます。 身近に敵がゐると思ふと、どういふ態度になるか。まづ、身を守らうとします。その方法に、ふたつあります。 ひとつは、敵を避ける。敵よりも自分が弱いと思へば、...
日々の生活の中で、誰にでも「感情」が起こる。腹が立つたり、不安になつたり、怖れが起こつたり、嬉しさがこみ上げてきたり。物事にふれるたびに、何らかの感情が沸き起こつてくるから、我々は自分の感情を取り立てて分析したりはしないのがふつうでせう。 そこで、改めて、取り立ててみる。 「感情とは一体何だらう? どうして、ものごとに触れて、いろいろな感情が湧き上がつてくるのだらう?」 この疑問に対して、エイブラ...
Youtube「夫婦のトリセツ」 超人気、黒川伊保子さんの「トリセツ・シリーズ」。AI研究者にして、良き家庭人の黒川さんが、智恵と体験を駆使して、夫婦お互いの取り扱ひ説明をしてくれます。今回は、特に、夫にとつての妻の取り扱ひ方を中心に。 にほんブログ村...
Youtube「小林正観さん、3つの悟り」稀代の宇宙研究家、唯物論的神秘主義者、小林正観さん。待ちに待った長女が生まれてきたとき、半年間地獄に落ちたように悩み、そこから何を悟ったか。3つの悟りのプロセスを辿ってみます。 『宇宙方程式の研究』山平松生(Amazon) 『淡々と生きる』 小林正観(Amazon)...
「私は欲望ではない」 もう少し正確に言ふなら、 「私の本質は欲望ではない」 しかし我々の多くは、自分は欲望だと思つてゐるのではないだらうか。自分とは欲望であり、自分を欲望とほとんど同一化してゐるやうにさへ思へる。 どういふことか。 欲望なしに、我々は生きていけない。食べることも、勉強をすることも、仕事をすることも、誰かを好きになることも、すべては欲望によつてなせる。欲望の強い人がより成功し、より出世...
解剖学者・養老孟司さんがトーク番組で、 「八重洲ブックセンターの店先には、二宮尊徳の像が立つてゐる」 と話すのを聞いて、確認してみました。 GoogleMapで探すと、確かに立つてゐますね。昔の学校の校庭にも立つてゐたので、懐かしい気がします。 ところで、なぜ本屋の店先に尊徳さんの像を建てるのか。それは言ふまでもなく、本を読んでゐるからでせう。歩きながらでも本を読んでゐる。我々もそれに見習つて、一所...
DISTANCE.mediaの関連で、もうひとつ。〈わかりあえなさ〉について取り上げてみます。 DISTANCE.mediaが開いたセミナーの中でプレゼンターとして壇上に立つたスタッフのひとり(女性)が、かういふ自分の体験を告白してゐます。 結婚して2,3年目のころ、ある議論サークルで、 「夫と話せば分かると思つてゐたのに、分かり合へないんです」 と発言したら、他の参加者から、 「あなた、新婚ですね」 と言はれた。 結婚生活10年以...
DISTANCE.mediaといふところが 「Rapoptosis」 といふ独自の概念を提唱して、「人」と「もの」と「テクノロジー」の関係を見直してみようといふ試みをしてゐます。 DISTANCEといふ名前のとおり、「人」をふくめたさまざまなものとの「距離感」に注目してゐるやうです。 「Rapoptosis」といふのは「apoptosis」を基にした造語です。 多細胞生物には、個体全体の健康を維持するため積極的に細胞が自死する、アポトーシス(apoptos...
先月の22日に母を看取つてから3週間。体調が崩れたまゝ、いまだ旧に復さず、気も抜けたまゝで、ぼんやりとした日を送つてゐます。 私は今生で二人の女性を自宅で看取つた。22年前に妻を、そしてこの度は母を。これが私の今生での務めなのかなとも思つたりします。 そんなときに、ネットでたまたま 『どうせ死ぬんだから』 といふタイトルの本が目についた。 そして本の帯には、「後悔せずに逝くための5つの新提言」とあつて、そ...
我々が堕落性を脱いで創造本性で生きるには、肉心主導から生心主導に生き方を転換する必要がある。しかしそれは、肉心を押さへつけたり軽視すべきだといふことではない。むしろ、生心の管理下において、肉心の機能をフル稼働させるのがよい。 さういふ趣旨で考へてみます。 我々には、肉身と霊人体の2つの体があつて、それぞれを管理する心(肉心と生心)がある。しかし人によつては、肉身の生活は不便で鬱陶しいと考へる場合も...
前回の記事「『アニコミ』と『アノコミ』」で、 「どちらのコミも私にはできない」 とか 「ぽかんと心を空けることができない」 とか書いたのは、いかにも「概念の人」である私らしいことに、あとになつて気がつきました。 気づかせてくれたのは、アニコミの初心者指導動画です。 習ひ始めの生徒さんが、 「どうしても相手から思ひが伝はつてくるといふ感じがしないんです」 と言ふ。 するとプロの先生が、 「伝はつてくるのを...
聖和家庭会が季節ごとに発行する『聖和』の10号に載つてゐた体験談「夫からの意外な言葉」。 このご主人は30年近くも前に亡くなつてゐます。残された奥様がそのご主人との交流ノートをつけ始めて、約3年。こちら側からご主人に問ひかけるノートを書くと、ご主人から返事が返つてくる。その内容は意外なことが多いといふのです。 この体験談を読みながら、私はこのコミュニケーションを 「アノコミ」 と名づけてみました。 アニ...
「概念は肉体に宿り、感覚は霊人体に属する」 ふつうの考へとは逆のやうでもあるが、案外こちらが正解ではないかといふ気がしてゐるのです。それについて、少し説明してみませう。 肉体も霊人体も、それぞれ「心」を持つてゐると考へられます。肉体の心を「肉心」と呼び、霊人体の心を「生心」と呼びます。 「肉心」は動物における本能性に当たるとも説明されるので、あまり高等な心ではないと勘違ひすることがある。しかし実際...
夜中にてつこさんが息を引き取つていく様子については、前回の記事「風の如く、てつこさん逝く」をご覧ください。今回はその続きです。葬儀が終はつた直後の事件についても書いてみます。 てつこさんが実際に息を引き取つたのは、多分、21日の深夜前後。しかしそれからしばらく2人だけの時間を過ごし、かかりつけのお医者さんに来てもらつたのは、22日の朝6時前です。 お医者さんは、瞳孔を確認し、脈を診、胸に聴診器を当てゝ、...
8月の中旬以降、記事の更新頻度がガタ落ちですが、特に20日以降の音無しにはかなり大きな理由がある。22日の未明に、母(てつこさん)が思ひもかけない速さで他界したのです。 この記事では、そのご報告と、葬儀を経て今に至るまでの私の心境を少し書いてみようと思ひます。 いつか遠からず来るものとは、だいぶ前から思つてゐたものゝ、その日はあまりにも急に来ました。 子どもたちには数日前から 「呼んだらいつでもすぐに帰...
前々回の記事「詩人金子みすゞと彼女の時代」から随分日があいてしまひましたが、みすゞ記念館を訪ねた翌日の体験についても書いてみようと思ふ。 記念館を訪ねたあと、そのまゝ足を延ばして下関まで行き、駅近くのホテルに一泊した。翌朝、近くの水族館「海響館」に行つてみようといふ計画だつたのです。 私は釣りの趣味などはまつたくないが、水の生き物を見るのが好きです。自宅でも水槽に熱帯魚を飼つて、毎日眺めてゐる。県...
「現実の自分」とは、今現在、ありのまゝの自分。それに対して「本来の自分」といふのがあるのでせうか。 「現実の自分」はありのまゝですから、今よく知つてゐる。さう思つてゐるが、意外と知らない。そして「本来の自分」といふものはあるが、それは創り上げていくものといふより、「出会ふ」ものではないか。 そんな気がするので、この二つの「自分」について考へてみます。 「現実の自分」を意外と知らないかもしれ...
金子みすゞといふ詩人。明治の終はりから昭和の初めにかけて、わづか26年の短い人生を生きた女性です。二十歳頃からの数年間に500編あまりの詩を残してゐます。 大好きと言ふほどでもないが、幾つかの詩のフレーズが耳に残つて心地良い。みすゞは、私にとつて、さういふ距離感の詩人でした。 その生家は、私が住んでゐるところから、意外に近い。そこで先日、てつこさん(我が老母)のショートステイ期間に、記念館を訪ねてみま...
「マインドコントロール」といふ言葉は、今の日本では甚だイメージが悪い。この場合は、「マインド『を』(他者に)コントロールされてゐる」といふ理解でせう。さう考へれば、確かにほめられたことではない。 しかし私はこゝで、この言葉を通常とは違ふ角度で考へてみます。つまり、「マインド『に』コントロールされてゐる」といふ理解で話を続けます。 「マインド」とは「思考」のことです。それゆゑ、タイトルの意味は、「思...
聖書のマタイ福音書25章に「十人のおとめ」の例へ話があります。 彼女たちは灯火を手に、花婿の到着を待つてゐた。ところが、その内の思慮深い五人は油を準備し、残りの思慮の浅い五人は油を準備してゐなかつた。花婿の到着が遅れたために、十人はみな居眠りをした。 夜が更けて急に「さあ、花婿だ。迎えに出なさい」といふ声が聞こえたが、気がつくと、そのときすでに灯火の油は残り少なくなつてゐた...
「スピリチュアルな人」 と言へば、あまり良いイメージはないかもしれない。 目に見えないものばかり追ひかけて、現実に疎い人。 水晶やら何やらを勧めて金儲けをする界隈の人。 悪いことがあるとすぐ、霊の働きや先祖の因縁に結びつける人。 どことなく怪しげで、いかゞわしい。あるいは、悪人とは言へないまでも、敬して遠ざけたい。そんな感じがあります。 しかし考へてみると、人間が肉身と霊人体の...
前回の記事「神を見つける」で、 「海が語りかける」 とか 「風の音が神秘的な音楽に聞こえる」 などといふ表現が出てきました。 これは本当だらうか? 「本当に、海は語りかけてくるの?」 「風は本当に音楽を奏でるの?」 さういふ疑問もありますね。 ふつうに考へると、海や風みたいな無生物にそんな高度なことができるとは思へない。それなら、私の側の勝手な思ひ込みでせうか。 さらに考へると、海や風では無理でも、...
一つのものに全神経を集中させれば、自然が、海が語りかけていることを知るでしょう。肉身が心と戦っているとき、もっと心のほうに、あなたが耳を傾ければ、良心の声がどちらから聞こえてくるでしょうか。そのように、神をみつけるのです。 そのようなことに集中して、黙想するとき、風が吹けば、神秘的な音楽を聞き、太陽がのぼり、小鳥がさえずるとき、何かすばらしいことがありそうな気がします。それが、神の創造の心情でした...
前回の記事「四次元はこの世か、あの世か」の続きで、徒然考へてみます。 アインシュタインが発表した超ド級の四次元理論(相対性理論)。それは「三次元空間」+「時間」といふものでした。 この理論は我々の宇宙観に絶大な転換をもたらした反面、「第四次元空間=三次元世界+霊的世界」といふ従来の視点を閉ざしてしまつた。我々の関心を「四次元時空=三次元世界+時間」に閉じ込めてしまふといふ唯物論回帰を促す結果になつた...
「四次元」といふ概念に、私自身ちよつと混乱があつたのが、この動画を観て整理され、混乱が氷解した。 動画のタイトルに 「アインシュタインを乗り越えることは可能か?」 とある通り、四次元問題には、かの20世紀物理学のトップヒーロー、アインシュタインが大きく関はつてゐるやうです。 どんなふうに氷解したのか、簡単にまとめてみます。 「四次元」といふ概念が初めて登場したのが、今から400年近く前。発起人は英国の神...
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我々の内なる良心は、ガリレオの望遠鏡に似てゐると思ふ。良心は神を見る望遠鏡と言つてもいゝし、レンズと言つてもいゝ。 ガリレオは実験と観察を重んじる人で、望遠鏡による観察を通して地動説を確信するに至つたと言つていゝでせう。 たとへば彼は、望遠鏡によつて、木星には4つの衛星があることを見つけた。これは、地球を中心に廻つてゐない天体があることを意味してゐる。天動説への反証になる観察結果を得たわけです。 ...
「未来の記憶を思ひ出す」 といふのは、言葉自体に矛盾を孕んでゐるやうな感じですね。 「未来」と「思ひ出す」は時制が合はない。「未来」なら「夢想する」であり、「思ひ出す」のは「過去の記憶」でせう。 これは言葉の問題もあるので、「記憶」の代はりに「思ひ」としませう。すると、「未来の思ひを思ひ出す」となります。「思ひ」は過去にもあるし、未来にもあるものです。 たとへば、旅行の計画を立てるとします。 地図...
私はあるとき、 「原理は学んではいけない」 と思つたことがあります。 「学ぶのではなく、探さなくてはいけない」 と思つたのです。 意識の観点から教育を分類してみると、大きく3つ思ひ浮かびます。 ① 知識教育 ② 体験教育 ③ 無意識教育 知識教育は意識教育と言つてもいゝものです。その特徴は「言葉」で伝へるところにあります。 「これは、かうである」 「これは、かうでなければならない」 といふふうに、言葉で知識...
Youtubeで、ずいぶん昔の小林秀雄の講演録を聞いてゐると、アルベルト・ジャコメッティといふ彫刻家の話が出てきます。スイスの芸術家で、彫刻だけでなく、絵画や版画の作品も多いやうです。1901年の生まれだから、1902年生まれの小林とほぼ同世代です。 ジャコメッティが森に入つて木を描かうとします。すると、自分が木を見てゐるのではない。木が自分を見てゐるのを感じる。その視線が強くて、木の視線の中に自分が埋もれてし...
タイトルの表現は、意味不明。といふか、当たり前のことしか言つてゐないやうに見えます。 「今の自分には、何がどこまで見えてゐると思つてゐますか?」 と尋ねてみませう。 すると、答へは、 「見えてゐるものしか見えてゐない」 といふことになるでせう。 見えてゐるものは何で、どれだけあるか。それは自分で分かる。しかし「見えてゐないもの」がどれだけあるかは、絶対に分からないのです。当たり前ですね。それで「見え...
気分は、日々に同じではありません。概して、ハイな気分に留まることは難しい。 物事がうまくいかないと、気分は落ち込む。反対に、思ひ通りに事が運び、貢献もできたと感じる日には、嬉しい。しかし、さういふ日はあまり多くないのです。 その日も、 「今日も何だか、浮かない気分だな。あんまり幸福ぢやないまゝ1日が終はりさうだ」 と、つらつら思つてゐた。 すると、 「幸福を求めてはいけない。求めると、得ることができな...
前回の記事「思考からの反論」でも書いた通り、「思考」は「私」自身ではない。それは「本当の私(魂)」が活用してゐる有能な「道具」であると考へました。 この「思考」において、今や我々人類に匹敵し、脅かしつゝある、あるいはすでに超えたのではないかとさヘ思へるほどの進化を見せるAI。このAIはどのやうに「思考」してゐるのか、あるいは、本当に「思考」してゐるのかについて、ちよつと考へてみます。 22年11月にオープ...
最近、「思考」に対して結構厳しく追及してきたところ、遂に「思考」から反論がやつて来ました。 「なぜ私だけを厄介者扱いするのか? 私をかういふ者にしたのは、あなたではないのか?」 といふのです。 反論してゐるのは「思考」です。それなら、「あなた」とは一体誰なのか。 そもそも、どうして自分の内でかういふ反論が出るのでせうか。 ふつう、私たちは 「自分は一人」 と思つてゐますね。 ところが少し考へてみると...
私たちは誰でも喜びを求めてゐますが、脳には左脳と右脳の二つに分かれてゐて、喜びの種類にも二通りがあるやうに思ひます。左脳の喜び、右脳の喜びと呼びませうか。 左脳は、言語や論理が得意な脳です。その特徴は何かと言へば、「これ」と「あれ」とを分けることです。言葉の本質は、まさにそこにあります。 たとへば、「私」といふとき、それは「私以外のすべてのもの」と「私」とを分けることです。「私」は他のあらゆるもの...
つまり、あなたが答えを出す必要はもう無いのです。 空白であること、しかし無関心ではないこと、我々がそれを既に持っており、あなたに直接渡したいのだということ、そういう時期が来ているのだと、信じていただきたい。 わからないという、純粋な白い光を心に抱いていてください。 そのことがサインとなり、化学変化が起きて細胞が変わります。 神経が繋がります。 分かるのは我々の役割であり、そこから毎瞬必要なことをあな...
いさゝかデジタルに疎い知り合ひが 「中古でもいゝから、そこそこの性能で、あまり値の張らないパソコンがほしい」 と言ふので、私がネットで探してみようと請け負つた。 アマゾンなどで探して、これなら要望に適ひさうだといふ一品を見つけ、本人の承諾を得て購入。数日で届いたので、基本的な初期設定をして、本人に手渡した。 これでそこそこネットも楽しめるだらう、よかつたよかったと思つてゐると、彼から電話が入つて、ど...
「どうして突然、すべて理解できたんだろうか?」 私はそれが知りたいと思いました。 「誰がこの情報を与えてくれたんだろう? 神様かしら? それともクリシュナだろうか? それともブッダ? イエス・キリスト?」 その時、 「神は存在ではなく、存在のあり方なのだ。そして、私は今、そのような存在のあり方をしている」 という悟りが得られ、その感覚に圧倒さ...
私たちの中に、全宇宙が存在します。私が求めている答えは、自分の中に存在し、あなたの求める答えも、あなたの中に存在します。外部で起こっているように見えるあらゆることは、私たちの中にあるスイッチを押して、自分を拡大し、真の自分を思い出させるために起こっているのです。 (『喜びから人生を生きる』アニータ・ムアジャーニ) アニータは、自ら通過した「臨死体験」によつて、文字通り「...
昨日の記事で取り上げた『喜びから人生を生きる』。インスピレーションに溢れてゐるので、もう少し書き足します。 何が自分を突き動かしているのかを見極めるには、コツがいるかもしれません。大切なのは、思考は”すること”を重視し、魂は”存在すること”を重視するという点です。私たちの本質は、無限の自己です。… 知性は、この(世の)人生を航海するための道具にすぎません。(第16章「私たちは神...
2006年2月2日、アニータ・ムアジャーニは、間違ひなく死ぬはずでした。過去4年間で彼女の癌は着実に進行し、今や、あらゆる臓器は停止しようとしてゐたのです。 すべての医師が見放してゐたにも拘らず、彼女は奇跡的に生き返つた。彼女は臨終を迎へるはずだつた病院のベッドに横たはつたまゝ、世に言ふ「臨死体験」をしてゐたのです。 彼女があの世に行きかけたとき、驚くべき感覚を体験した。それまで彼女を苦しめてゐた「痛み...
「これをすべきか否か」 といふ二者択一を迫られたとき、迷ふものです。 先日も、さういふ場面がありました。どちらも強い義務の強制はない。どちらでも自分の自由意志で選べる二者択一です。 かういふ場合、私は生来、非常に迷ふ質なのです。まづ、頭で考へがグルグル回り始める。 「こゝはやはり、責任ある大人としては、すべきではないか。しなければ、周りの評価が下がるのではないか」 といふふうに、思考が社会評価や常識...
どんな人、どんな状況に対しても、 「このまゝでは良くないな」 と思つたとき、私たちはほぼ本能的にその相手を変へようとするものです。 たとへば、ある人に対して、私が 「このまゝでは良くないな」 と思つたとき、その人を変へる私の選択肢はいくつもあるでせうが、取り敢えず、3つほど挙げてみませう。 ① 教育 ② 力づく(強制) ③ 祈り 教育によつて人を変へる。親なら子どもを躾ける。学校なら先生が生徒に知識を授けて...
けれども、我々(意識を外側から抱きかかえておる無意識と呼ばれる我々)は、あなたに無垢なる赤ん坊のような在り方で居てほしいと願っておるのです。 分からない、という言葉も無い、純粋な空白で居ていただきたいのです。 そうすれば、あなたという意識の外壁が崩れ、点線のような、気体のような、スカスカした風通りの良い在り方に変わります。 (ネドじゅんさんの本体さんからのメッセージ) ...
詳しくは書けないが、先日こんなことがあつた。 担当のネット会議に参加した折、これまでの方針の転換が示された。転換期日も示され、かなり重要な点なのに、私はそのポイントを正確に把握できないまゝ、全体にも伝へないでゐた。 期日まであと3日といふとき、同僚の一人がある人と話してゐて、たまたまその方針の話題になり、話してゐるうちに、転換があるといふことが分つた。それでその同僚は慌てて私にその是非を確認しにき...
上の絵は、肉心と生心の場所をシンプルに描いたものです。たとへば、日曜礼拝で説教を聞くにしても、肉心で聞くのと生心で聞くのと、二通りあります。本来は生心で聞くのが良いのですが、私などは気がつくと、専ら肉心で聞いてゐる。それで、説教の内容をあれこれ批評し、評価しながら、説教そのものを聞いてゐないことが多いのです。 大雑把に言つて、肉心は首から上、脳を土台として機能すると言つていゝでせう。一方の生心は、...
万物は原理自体の主管性、または自律性により、成長期間を経過することによって完成する。けれども、人間は原理自体の主管性や自律性だけでなく、それ自身の責任分担を全うしながら、この(成長)期間を経過して完成するように創造された。 (『原理講論』創造原理第5節) こゝで出てくる「責任」といふ概念。これの意味を辞書的に押さへると、「立場上、当然負はなければならない任務や義務」となります。 「立...
何らかの問題が起こつたとき、視点が2つあると思ふ。 一つは、その問題を「どうやつて解決するか」といふ「やること」に軸をおく視点。 そしてもう一つは、その問題を「どのやうに見、どのやうに扱ふ自分であるか」といふ「あること」に軸をおく視点です。 そして、我々は往々にして、第一の視点に主軸をおくことに慣れてゐる。 一例を挙げてみませう。 親として、我々は始終子どものことが気になるものです。学校に通ふ時期...
人間は、何人(なんびと)といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。 (『原理講論』総序) 大著の書き出しとして、いかにも力のこもつた、なかなかの名文だと思ふ。特に「もがいている」の一句は、印象が強烈です。 我々は誰でもみな、幸福になりたくて「もがいている」。水に落ちて、溺れさうになり、藁にもすがる思ひで「もがく」。「もがく」には、さういふ必死な響...
学校で出される試験問題には、必ず答へがある。それが当たり前だと思って、教育を受けてきた。ところが、現実の生活では、容易に一つの答へが出ることばかりではない。むしろ、答へが出ないことのほうが多いといふのが実感でせう。それが悩みの種になる。 評論家の小林秀雄は、「質問と答へ」について、こんなふうに言つてゐますね。 実際、質問するというのは難しいことです。本当にうまく質問する...
「私の現実は、どこにあるか?」 と問へば、ふつうには、 「私の目の前にある」 と考へるでせうね。 今、私の目の前で刻々と展開されてゐる現象。それが現実である。この考へに不都合はないやうに見えますが、実はこゝに、かなり深刻な誤解があると思ふ。 それなら、現実は一体どこにあるといふのか。 「私の現実は、私の目の前ではなく、私の頭の中にある」 これがより真実に近い答へだといふ気がします。 一例を挙げて、考へ...
17世紀の哲学者デカルトは、 「われ思ふ、ゆゑにわれ在り」 といふ有名な言葉を残した。 「自分が絶対的な確実性をもつて知り得ることがあるか?」 と考へ詰めた挙句に、彼が出した答へです。 この答へはつまり、「わたし」のアイデンティティを「思考」と同一化したものです。デカルト自身は、これによつて究極の真実を発見したと考へたけれども、この答へにはある重要なことが見過ごされてゐる。それに気づいたのが、同じフラ...
我々は、一体いつになつたら身心一如になり、個性完成できるのでせうか。10年後なのか、30年後なのか。それとも、自分の人生ではそれは無理で、自分の子孫に託すしかないのか。 仏教ではすでに2500年あまりに亘つて、この境地を模索してきたものゝ、誰がそれを達成したのか、定かではない。仏教でいふところの悟りには52も段階もあり、その最高位にまで達したのは、お釈迦様ただ一人。龍樹菩薩と無著菩薩が41段階でそれに続き、か...
オペラ「フィガロの結婚」の中で、「恋とはどんなものかしら」と題して、こんなふうに歌はれます。 あなた方は知ってますよね、 愛とは何か。 女性の方たち、確かめて下さい 僕の心を。 愛情を感じつつ、 欲望に満ちているのです。 今は、喜びであり、 同時に苦しみでもあります。 「知ってますよね」とは歌ふものゝ、女性たちは本当のところ、「愛とは何か」を知らないでせう。知つ...
我々の人生には、大小さまざまな苦痛が起こる。その苦痛をどう受け止め、どう対処するかといふことが、我々の人生そのものだと言つても過言ではないやうにも思へるほどです。 苦痛の対処法について『原理講論』が具体的に触れてゐる箇所があります。 苦痛の由来を 「悪霊の再臨現象」 と見ます。 私に対する神の恩恵を拡大するために、神は一つの摂理を計画する。悪霊を私に送つて、苦痛を与へるのです。そしてそのとき、私がそ...
私自身、日々の生活の中で、「何か失敗したな」と感じるとき、あるいは誰かとの関係がこじれたりするやうなときがある。さういふときは、「概念」の力が「良心」の力よりも強く、「概念」優先で動いたときだなと思ふのです。 この厄介な「概念」といふもの。これについて、少し考へてみます。 大きめの概念から考へてみますと、例へば、 「国があり、民族がある」 といふ、かなり強い概念があります。 国境線とか、特定の民族グ...
サタンについて考へるのは、誰にとつてもあまり気が進むことではないでせう。そこで、考へなくてもいゝ、あるいはむしろ考へないほうがいゝ、といふことについて考へてみようと思ひます。サタンは実在するのか、と言へば、実在するとは思ふ。長い間、私はづつとさう信じてきました。聖書の冒頭、エデンの園の物語で登場して以降、ヨブの物語にも姿を現すし、イエスが40日間の断食を終へた直後にも、試みるために現れる。『原理講論...
イタリアの理論物理学者、カルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』は、ありがたいことに、数式がほぼ出てこない。お蔭で私にも何とか歯が立つが、それでもややこしいところは随時出てきて、さういふところは適当に流し読む。 内容は、非常にそゝられる。ミリオンセラーだけのことはある。中でも特に面白いのは、かういふ部分です。 事物は「存在しない」。それは「起きる」。世界とは「変...
神に祈らなくていゝ、むしろ祈らないほうがいゝ、といふことを考へてみます。 時代はすでに、祈る時代から報告する時代に移行してゐます。「祈る」と「報告する」とは、どう違ふのでせうか。 祈り方の一般的ガイドラインは、 ① より広く、次元の高いこと(世界のこと、国家のことなど)から祈り始め、 ② 次第に範囲を狭めて(氏族や家庭)、最後に自分のことを祈る といふものです。 ①はとても良いことのやうに思へますが、往...
これから自分が書きたいと思ひつくことを、いくつか箇条書きにしてみます。 神に祈らない サタンと戦はない 人を愛さず、自分だけを愛する 正邪を決めない 幸福を求めると幸福になれない 責任分担とは自分が変はり成長することである 過去のことは考へず、今にだけ生きる(後悔しない) どんな人をも裁かない(自分も含めて) 今起こるすべてのことに感謝する 良いことがあつても喜ばな...
後悔といふものがあります。聖書を見ると、あの偉大な創造主にさヘ、後悔があるらしいことが分かる。 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、 「私が創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。私は、これらを造ったことを悔いる」 と言われた。(創世記6:6-7) 神でさへ悔いることがあるのなら、まして不完全な我々に悔いがあつても一向...
「無我」「悟り」といふことを「透明になる」といふイメージで考へてみたいと思ひます。 「我を無くす」「悟りを得る」などは仏教的修業の文脈の中で語られることが多いわけですが、大半の我々日常生活者にとつて特別な修行などは無縁の話です。そこで、日常生活をしながら心霊的な成長をする道はないかと考へると、「透明になる」といふイメージが私には浮かんでくるのです。 「透明」になればなるほど、光をそのまゝ透過させる...
社会学者で東大名誉教授の上野千鶴子さんが、ある男性と密かに入籍してゐたと『週刊文春』が報じて、少し話題になつてゐるやうです。 『文春』は「密かに入籍」と書くけれども、入籍するに当たつていちいち「私入籍しました!」といふステートメントを世間一般に発表する必要はないでせう。役所に行つて粛々と(密かに)手続きすればそれでいゝことです。 入籍が特に話題になるのは有名人に限つたことに違ひない。上野さんも有名...
今まで自分の知らなかつた良いものがあると誰かが紹介してくれ、 「それがあれば、生活がもつと快適になりさうだ」 と思ひ、手に入れてみて使つてみると、あまり良くはなく、却つて思はぬ副作用が出たとします。 さういふ事態になつたとすれば、私の心は穏やかではおれませんね。どんな思ひが湧いてくるでせうか。 「これを使つて、私の生活は却つて不便になつた」 「これが本当に良いと思つて紹介してくれたんだらうか」 「生産...
私が自分自身を見るにおいても、誰か他の人を見るにおいても、見えてゐるのは実際にあるもののごく一部であると思ふ。ほとんどのものは隠されてゐて見えない。 しかし、今まで見えてゐなかつたものが見えてくることがある。それはそれを見るにふさわしいときが来たといふことであり、見ることによつてそれに関はる課題を解くチャンスが訪れたといふことではないかと思はれます。 最近ある人(Aさん)と話してゐるとき、話題は母...
18世紀の哲学者イマヌエル・カントに 「我が上なる星空と、我が内なる道徳律」 といふ有名な言葉があります。 頭上に展開する星空と、自分の内心に働く道徳律。この2つのものは、新しい感嘆と畏敬の念をもつて私の心を満たし続けると『純粋理性批判』の最終章で書いてゐるのです。 聖書的な世界観から見れば、この2つともに創造主・神に由来してゐると考へられるでせう。しかし由来は同じだとしても、両者には大いに違ひがある...