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kitasendo
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2009/10/24

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  • 風の時代の第1回ブックシェル

    占星術では今年の11月20日、冥王星が水瓶座に移動し、これが風の時代への完全な移行を象徴すると言ひます。これまでは土の時代で、物質的な所有に価値があつたが、風の時代には共有や交流が重視される。 私のイメージとしては、土の時代はぢつと一ヵ所に留まつて、そこから養分を吸収しようとする。一方、風の時代は、風に吹かれて軽やかに飛んで移動する。そこで新しいものを発見したり、自分が新しい者になつたりする。 それで...

  • 私の中に愛があるはずがない

    書籍やネットなどで、いろいろなかたの話を聴きながら、素人なりに思ふのは、量子とは物質ではない。量子とはこの世で最も小さな元素であるやうに思はれもしますが、その量子の挙動を物理的に表示しようとすると複素数になる。つまり、その数式には実数とともに虚数(iで表され、この世に存在しない数)が入るのです。虚数を入れないで計算しようとすると、煩雑になり過ぎて収拾がつかないやうです。 有名な「二重スリット実験」...

  • 自動思考をとめたい

    とめたいのは自動思考です。思考そのものを不要として否定するものではありません。適切な思考は、適宜必要です。 自動思考とは何であり、どのやうな問題があるのか。それを考へてみます。 自動思考とは、自分がはつきりと意図して出てくる思考ではない。意識する前にどこからともなく始まつてゐる思考であり、かつ、その進展を意識でコントロールするのは極めて難しい。 たとへば、自分が進めようとした企画がなかなか思ふやう...

  • ハイテク時代にこそ、人間にできること

    数学が解けるのは真の無意識。だから解ける過程は本人にも分からない。解けた問題を証明するのは意識(脳の新皮質)。意識は自分が考へてゐることを知つてゐる。だから段階を踏んで証明を進めることができる。ところがなぜ問題が解けたかは、証明が終はつた後になつても意識でも分からない。 コンピューターは意識できる脳の部分だけを外に取り出して作つたもの。だからコンピューターに無意識があり得るかと考へるのはナンセンス...

  • 降りる駅のない列車

    私の愛読するブログで「本質を求める列車」といふ比喩が使はれてゐて、とても示唆的で面白いと思ひました。そのアイデアを拝借して、少し考へてみます。 哲学にせよ宗教にせよ、「真理」を熱心に求める人たちがゐます。「これが正しい」と思へるものを手に入れたい人たちです。その人たちが真理を求めて、「本質を求める列車」に乗る。そして「これが私の求めてゐた真理だ」と思へる駅に停まると、そこで降りる。 たとへば、「キ...

  • 「分かる」と「分からない」

    前の記事「自分の肚に問へ」で、 「分からないまゝ待つことは、数学者に限らず、誰にでも大切なことではないか」 と書きました。 「分かる」とか「分からない」といふことの意味を、私はしばらく前から意識し始め、考へるやうになつたのです。ふつうには、「分かる」ことが「分からない」ことよりは良いと考へる。「分からない」ことを一つづつ克服して「分かる」ようにならう。そのやうにして、人生は豊かになるだらうし、近代の...

  • 自分の肚に問へ

    数学者の岡潔博士がどこかのエッセイで、 「数学者の仕事は、農夫に最も近い」 と書いておられたのを覚えてゐます。 農夫は春に種を蒔く。あとは適時水をやり、追肥をする。雑草も抜く。さうしてせつせと世話をすると、秋にはたくさんの実がなつて、収穫できる。数学者もまつたくそれを同じだと言ふのです。 数学者にとつての種とは何か。数学上の未解決のテーマに対する質問です。「これはどのやうにしたら解くことができるか」...

  • 東ロボくんの願望

    6年ほど前、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子)が話題になつた。AIは私の関心事のひとつだつたので、読んでみると、不安になつた。どんどん進化するAIに比して、今の子どもたちの多くは、読解力がかなり劣るといふのです。そして「読解力のない人間は、AIに仕事を奪はれる」と警鐘を鳴らす。 気をもんだ新井さんは『AIに負けない子どもを育てる』といふ続編を出す。こちらは読んでゐないが、読解力を向上させる教...

  • 母性は父性に先立つ

    児童精神科医 の佐々木正美博士が 「子育てには母性と父性が必要で、そのバランスが大切である」 と説いてゐます。 特段、佐々木博士の独創的な知見といふわけではなく、巷間よく耳にするものゝやうに思へます。たゞ博士は、このバランスについて、いくつかの分析を加へてゐます。 一つは、母性は母親(女性)に、父性は父親(男性)にだけあるといふものではないこと。母親にも両性があり、父親にも両性がある。たゞやはり、母...

  • つねにそこにある愛

    「キリスト教的な愛の導き方は、偏つてないですか?」と私が聞くと、 「愛の導き方、といふ考へ方が偏つてゐますね。」と切り返されてしまひました。そのかたが言ふには、愛といふのは常にそこにあるモノで、そこに導くとか気づかせるとか、さういふことではないのだとか。 常にそこにある、愛は本来平等に降り注ぎ、陰る事は無い。 でも、それが陰つたと感じてゐる人が世の中に存在する。 「さういふ場合に、愛にむかつてその人を...

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まるくまーる(元教育部長の講義日記)
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