昨年12月に始めた読書会も、今回で5回目を迎へました。取り上げたのは『おかげさまの法則』(入江富美子)。 入江さんはしばしば「あるがまゝでいゝ」と言ふ。参加者の中からは、「あるがまゝといふのは、今の自分のまゝでいゝ、といふことだらうか」といふ疑問が出る。今の自分のまゝなら、他人と比べて羨んだり妬んだりする自分、あるいは尊大になつたり、逆に自己卑下したりする自分を認めることになる。それでは心が納得しな...
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昨年12月に始めた読書会も、今回で5回目を迎へました。取り上げたのは『おかげさまの法則』(入江富美子)。 入江さんはしばしば「あるがまゝでいゝ」と言ふ。参加者の中からは、「あるがまゝといふのは、今の自分のまゝでいゝ、といふことだらうか」といふ疑問が出る。今の自分のまゝなら、他人と比べて羨んだり妬んだりする自分、あるいは尊大になつたり、逆に自己卑下したりする自分を認めることになる。それでは心が納得しな...
日常生活の中で、「見られてゐる自分」を意識することが、しばしばあります。 自分の容姿や態度、言動などが、他の人たちからどう見られてゐるか。それが気にかゝる。 できるならよく見られたい。好感を持たれたい。そのためには、あまり周囲と対立したり、刺激したりするやうなことは避けよう。さういふ思惑も働くものです。 ところがあるとき、「見られてゐる自分」を本当に見てゐるのは、いつたい誰なんだと、はたと考へ込ん...
今年の2月から、新しい職に就いて働き始めた。地元の県立高校の警備といふ仕事です。平日は日直、週末は宿直も入る。4人でこの警備を途切れなく回すローテーションを組んでゐます。 1回の担当あたり、校舎の内外を2回巡回し、鍵をかけたり閉めたりする。授業や教職員勤務の始まる前か終了後に回るから、巡回中に人と出会ふことは滅多にない。まだだれも来てゐない早朝の教室、みんなが帰つたあとの暗がりの廊下。さういふところを...
『ありがとう100万回の奇跡』の著者、工藤房美さんは、医者からも見放された末期ガンから生還した。回復の切つ掛けを作つたのは、病床で読んだ村上和雄さんの『生命の暗号』です。(詳しい経緯は記事「全細胞にありがたう」を参照) 完治した後、工藤さんは不思議と自閉症などの障害者に頻繁に出会ふやうになつた。しかもその出会ひかたが尋常ではない。 たとへば、工藤さんが経営してゐたビュッフェレストランに車椅子でやつ...
お釈迦様はご自分について、 「天上天下唯我独尊」 と言はれた。 イエス様はご自分について、 「私は神の子である」 と言はれた。 一見すると、互ひにニュアンスの異なる自己認識のやうにも見えながら、根底には共通する実感があると思ふ。 イエス様については、「神の独り子」あるいは「神の独り息子」という表現もあります。しかし、改めて確認してみると、イエス様ご自身がこのやうに言はれた箇所は聖書の中にない。特にヨハ...
みたまが深まったとき、お詫びとお礼は自ずと湧いてきます。これまでの自分が質問して自分が答える自問自答から、自分が質問し、みたまが答える自問自答に変わっていきます。そして、究極にはみたまが質問し、みたまが答える自問自答へと変化していくのです。こうなってくると、もはやお詫びとお礼という概念もなく、日常の中でクリーニングが自然と起こってきます。 (『おかげさまの法則』入江富美子) ...
やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声 やがて死ぬ けしきも見えず 蝉の声 (松尾芭蕉) 芭蕉晩年の句だと言はれます。「けしきは」と「けしきも」の二通りが伝はつてゐるやうです。一文字の違ひで、ニュアンスが変はつてきますね。 「けしき」には「景色」と「気色」の二通りが考へられます。どちらの「けしき」と解するかで、これまた意味合ひが随分と変はるでせう。 「景色」と解すれば、それが...
小林秀雄が提起した「質問と答へ」の問題が、繰り返し、しつこく私の頭をよぎります。よぎると、どうしても考へざるを得ない。 小林は、 「難しい人生に向かつて、うまく質問することができたら、もう答へは要らない」 と言ふ。 (参考「正しく訊く」) 「答へは要らない」とは、どういふ意味だらう。人生の問題、とりわけ重大な問題について、どうするのが最善であるかと質問したとして、「答へは要らない」のではなく、「答へは...
静岡県三島市にある耕月寺(曹洞宗)の住職、甲賀祐慈(こうがゆうじ)老師が、 「座禅をしてゐるときに湧いてくる雑念は、そのまゝ放つておけ」 と言つてゐます。 座禅は雑念を断つて瞑想に集中しようとするところにこそ、その肝要な点があるのではないですか。それなのに、雑念は放つておけとはどういふことでせうか。 よくよく聞いてみると、 「雑念は放つておけ。雑念を何とかなくさうといふ思ひをなくせ」 といふことのやう...
AmazonのAIは私のブログも熟読して、私の嗜好をよく知つてゐるのでせう。Kindleを開いたら、お勧め書籍の最初に『ありがとう 100万回の奇跡』(工藤房美)といふ書籍が表示されました。「ありがとう100万回でガンが消えました」とあります。 勧めに従つて、早速読んでみました。 48歳の女性が子宮頸ガンになつた。異常を感じて病院に行くと、「どうしてこんなになるまで放つておいたんだ」と、医者から大声で叱られた。そして...
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。(『学生との対話』小林秀雄) 私は折にふれて、小林のこの言葉をよく思ひ出す。とても含蓄の深い言葉だと思ふ。今朝も起きがけに、ふとこの言葉を思ひ出し、...
人生は苦痛に満ちてゐる。悩みも尽きない。できるなら、苦痛は回避したい。どうしたらそれができるか。仏教とキリスト教ではその処方箋は随分違ふが、それぞれのポイントを見てみます。 仏教では、悩みの原因は「渇愛」または「執着」にあるといふ。したがつて、悩みを取り除くには欲望を捨て、執着を離れゝばよいといふことになる。そして、願ひは転生の輪廻から解脱した「涅槃」です。 一方キリスト教では、悩みの根本原因は「...
先日「ダイモンの正体」といふ記事を書いたあと、日常の用事をしてゐるときに、ふいに、 「ダイモンの正体は、いかにも知つたかぶりで偉さうに書いたけれど、それなら一体あなた自身の正体は何なのか。それをはつきりと言へるか」 といふ思ひが、あたかも誰かからの問ひかけのやうに、脳裏に浮かんだ。 こんなことを誰が問い質すのか。容易な質問ではない。そもそもこのブログだつて、その答へを求めて書き続けてゐるやうなもので...
ギリシャの哲学者ソクラテスの思索と生涯を導いたと言はれる「ダイモン」。その正体は一体何かについては諸説紛々で、いまだにこれといつた定説はない。 ソクラテス自身は「ダイモン」について、「内なる声」「神的な兆候」などと呼び、「何かをするときに反対する声」だと証言してゐます。面白いと思ふのは、この声が「積極的に何らかの行動を促す」のではなく、「それをするなと警告する」声だと言つてゐる点です。 彼は裁判に...
前回の記事「見えないものは『私の内側』にある」で書いたことについて、何か今一つ書ききれてゐない気がするので、もう少し深堀りしてみます。 前回の記事の筋立ては、概ね次のやうなものです。 空間認識においては、リンゴの今見えてゐる面は「私の外面」にある一方、見えてゐない裏側は「私の内面」にあると考へる。なぜなら、裏側は見えてゐないのに「あるはずだ」と私の心の中で思つてゐる(想定してゐる)のですから、「私...
ヌーソロジー(noosology)といふ新しい思想。noosの語源となつたギリシャ語の「nous」は、「知性」「論理」「理性」などと訳される意味を持つてゐます。 その志向する目的をGrokさんに尋ねると、 「意識の反転を通じて、物質世界と精神世界を統合し、人間と宇宙の本質を新たな視点から理解すること」 と要約してくれます。 これだけでは、意味もよく分かりませんね。ヌーソロジーが提案する概念はかなり難解で、私もいまだ十分...
あなたはどうして姿を現さないのですか? 私は何度も現れている。今もこうして現れている。いや、そうじゃないんです。もっと疑いの余地のない現れ方、否定しようのない現れ方のことです。いま、そうしているではないか。どこに?あなたが見るものすべてに。私には、あなたがたが理解できるかたちも姿もない。私はどんなかたちや姿になることもできるが、そうすれば誰もが、自分の見たかたちや姿こそが神の唯一の姿だ...
「ありがたう」といふ言葉を口にすると、脳は「ありがたい」と思へる現象を探し始める。 ときどき耳にする言葉ですが、本当にそんなことがあるのか。これをGrok3さんに訊いてみると、 「『実証されてゐる』とは断言できないものゝ、脳科学や心理学の研究である程度裏づけられてゐます」 といふ回答が返つてきます。 脳科学では、神経回路に変化が生じるといふ。そして習慣化すれば、神経回路が太くなる。 車で街を走ると、実に...
「なぜ女性は歳を取ると夫を嫌ひになるのか」といふタイトルの動画があります。三大精神分析学者の一人、アルフレッド・アドラーによる分析と解説をうまくまとめてゐます。このタイトルは、男性なら内心ドキリとし、同時に、その理由を訊いてみたい気になるものでせう。 多分、逆のケースもあり得るとは思ふ。つまり、「なぜ男性は歳を取ると妻を嫌ひになるのか」といふことです。しかし、ケースとしては圧倒的に少ないやうな...
「他我思想」については、これまで何度か記事にしたことがある。改めて思ふところがあつたので、少し違ふ観点から書いてみます。 今までは「他為」思想について語りましたが、これからは「他為」ではありません。「他我」思想を語らなければなりません。「他」とは何かと言えば、「我」だというのです。相対が「私」だというのです。カイン世界のために生きなければならないというのですが、そうではあ...
誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...
「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...
こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...
夕方、スマホをズボンのポケットに入れてYoutubeを聞きながら草取りをしてゐると、女性の声で、 「自分を好きになるつていふのは、人生でイ~ッチバン難しいこと。それをまづ頭に入れておいてほしい」 といふ話をし始める。 これは私自身、日頃からよく考へるテーマなのですが、改めて、 「一番難しいといふほど、難しいかな?」 と自問することに。 そして、あまり思案する間もなく、 「さうに違ひなささうだなあ」 と思ふ。 ...
じっと見つめていると、全体におけるそのものの位置が「わかる」。そうすると、意義が分かるのであります。その後も心をそこから放さないでいますと、次第にそのものの内容がその人の感情に取り入れられてゆく。体得されて、感情となって本当にその人の中に入ったものは、だんだん素朴化されることによって、次第に深く入り、ついに情緒の中心に達する。(『紫の火花』岡潔 前回の記事で「目の前のも...
鶯の鳴き声を聞いて、昨年のちやうど今頃、鶯の話題を記事に書いたことを思ひ出しました。 鶯の鳴き声を聞くと、私にはどうしてもそれが、 「ホーホケキョ」 と聞こえる。■ 鶯はなぜ「ホーホケキョ」と鳴くのか 一説によると、浄土真宗中興の祖、蓮如上人が鶯の鳴き声を聞いて、 「あゝ、あれは『法、法華経』と鳴いてゐるなぁ」 と言はれたといふ。 その話を聞いた人たちは、鶯の声を聞くたびにだんだんとそれが 「ホーホケキ...
呼吸は無意識に行なつてゐて途切れないやうに、私たちの頭にも無意識の裡に途切れずに生じる思考があります。 たとへば、二つの選択肢があれば、 「どちらかが正しく、どちらかが間違つてゐる」 と考へたり、 「どちらかがもう一方より正しい」 と、無意識の裡に考へる。 あるいは、自分の考へと違ふ人がゐると、 「この人を変へないと」 と、相手を自分に合ふやうに変へようとする。 これも、ほぼ無意識の思考です。自律神経が...
ある切つ掛けがあつて、ふとこんなことを思つた。 「仕事とお金の関係を、一度切り離して考へてみてはどうか」 今の世の常識では、お金は基本的に仕事を通して手に入る。それが商売であらうと会社勤務であらうと、仕事なしにお金を手に入れることはできない。(こゝでは、詐欺とか不正株取引などは同列に述べないことにします) 特に時給換算の仕事なら、1時間働いていくら、1週間に5日働いていくらといふふうに、仕事(体を動...
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。(「新約聖書」ルカによる福音書23:34) イエス様を十字架で殺害することが、一体どういふことであるのか。それを当時の人々は誰も分からずにゐた。そして、イエス様の着物をくじ引きで分け合ふなどといふ、話にもならない愚かな行為に耽つ...
もう30年近くも昔のことです。携帯もスマホも、もちろんない。ポケベルもまだなかつたと思ふ。 教会長をしてゐた。東西に長い県で、東の端の教会から県の真ん中あたりまで、月に1回くらゐ、夕方出かけて家庭礼拝をする慣はしだつた。 距離にすれば、約80キロ。高速道路もないから、ふつうに走れば1時間半はかゝる。礼拝が終はれば、もう8時半か9時になる。それから家まで帰る。夜でもあり、ぶつ飛ばして、大抵は1時間少しで自宅...
4年前に退職し、それと同時に母の自宅介護が始まつた。その介護は3年半続いたが、私は再就職もせず、それにほぼ専念した。 専念したと言つても、週に3日はデイサービスに行く。月に1週間はショートステイのお世話になる。デイサービスに行き、ショートステイで家を空ければ、家に残つた私には取り立ててすることがない。往々、時間を持て余すことも多かつた。 こんな生活は、私の人生でほぼ初めてのことだつた。家に独りでゐれば...
Amazon Primeで「沈黙の艦隊」シーズン1を観てゐます。8話まである。しかもそれをひと通りではない。多分もうすでに6回は繰り返し観てゐる。それほど面白い。 魅力の要素は、いろいろ思ひ当たります。 VFX(ビジュアルエフェクト)技術が相当高い。主役である最新鋭原潜「やまと」の戦闘ぶり、米国第3艦隊、第7艦隊の偉容など、何度観ても感嘆する。 突飛なストーリー。日本と米国が極秘裏に共同で開発した原潜を、日本人クルー...
アニータ・ムアジャーニは臨死体験とそこからの奇跡的な生還を機に、意識が大きく変容し、それに伴つて生活も一変した。彼女の発言は徐々に広がつて人々の注目するところとなり、有力な後援者の力で本の出版にまで発展した。その後は、世界各地を講演旅行するやうになつた。 ある講演会での出来事です。 講演の最中、一人の若い女性が立つて質問をした。ついこの前、最愛の一人息子を亡くしたといふのです。自分はシングルマザー...
それは、身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、むしろ目覚めたような感覚でした。おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかもしれません。私の魂は、その真のすばらしさをやっと悟ったのです。(『喜びから人生を生きる』第7章) 私はまだ、無条件の愛と、受け入れられた雰囲気に包まれていました。自分のことを新しい目で見ることができ、宇宙の美しい存在に思えたのです。私は存...
このごろの物知りといふのは、もう大変なもんですな。しかしものを知るといふのは、自分の知恵は何にも働かさないといふことです。学問は独学です。独学は質問することです。(小林秀雄の講演録より) 昔も今も「文士」と呼ばれる人は星の数ほどもゐるが、その人の作品を100回以上も読み直すほどのファンを持つ文士は、滅多にゐないでせう。しかし、小林はさういふ稀有な文士の一人です。私はさすがに...
さして特別な体験ではなくても、自分自身をよく見つめる機会を得たので、少し書いてみます。 5日ほど前のことです。玄関で呼ぶ女性の声がする。 誰かと思つて出てみると、見知らぬ人で、 「給湯器を使つておられますよね」 といふ話を始める。 給湯器を勧める電話はときどきあるが、直接訪ねて来る人は珍しい。少し説明を聞いたあとで、「詳しい上司」と紹介された男性が現れる。彼がパンフレットを示しながら、懇切に説明して...
我々の内なる良心は、ガリレオの望遠鏡に似てゐると思ふ。良心は神を見る望遠鏡と言つてもいゝし、レンズと言つてもいゝ。 ガリレオは実験と観察を重んじる人で、望遠鏡による観察を通して地動説を確信するに至つたと言つていゝでせう。 たとへば彼は、望遠鏡によつて、木星には4つの衛星があることを見つけた。これは、地球を中心に廻つてゐない天体があることを意味してゐる。天動説への反証になる観察結果を得たわけです。 ...
「未来の記憶を思ひ出す」 といふのは、言葉自体に矛盾を孕んでゐるやうな感じですね。 「未来」と「思ひ出す」は時制が合はない。「未来」なら「夢想する」であり、「思ひ出す」のは「過去の記憶」でせう。 これは言葉の問題もあるので、「記憶」の代はりに「思ひ」としませう。すると、「未来の思ひを思ひ出す」となります。「思ひ」は過去にもあるし、未来にもあるものです。 たとへば、旅行の計画を立てるとします。 地図...
私はあるとき、 「原理は学んではいけない」 と思つたことがあります。 「学ぶのではなく、探さなくてはいけない」 と思つたのです。 意識の観点から教育を分類してみると、大きく3つ思ひ浮かびます。 ① 知識教育 ② 体験教育 ③ 無意識教育 知識教育は意識教育と言つてもいゝものです。その特徴は「言葉」で伝へるところにあります。 「これは、かうである」 「これは、かうでなければならない」 といふふうに、言葉で知識...