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kitasendo
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2009/10/24

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  • 臨死体験者のジレンマ

    前回の記事「『私』が抱く幻想」で、「私がなくなる」といふ表現をしました。分かりにくいので少し補足すると、この「私」は「肉体に強く連結された私」です。指の棘が刺さると、痛いと感じる。食事の間があくと、お腹が空いたと感じる。その感覚はあまりに即座で生々しいので、「私」がそれを感じてゐるといふ疑ひがない。それで「私は体だ」といふ自覚(錯覚)が生じるわけです。 こゝで一つのジレンマも生じる。 「肉体を持つ...

  • 「私」の抱く幻想

    現代の最先端科学技術によれば、宇宙の半径は約450億光年の球となつてゐるやうです。ただ、これは宇宙全体の大きさではなく、観測で関はることのできる大きさで、実際の宇宙はこれより遥かに大きく広がつてゐると考へられてゐます。 一方、宇宙の年齢は、一般相対性理論による重力の方程式やさまざまな観測データから、およそ138億年と推計されてゐます。宇宙の大きさが最低450億光年だとしても、宇宙が一点から拡大したのだとす...

  • 期待に応へない(1)

    親は子どもに期待する。監督は選手に期待する。世界大会なら、全国民が選手に期待する。夫婦であれ恋人であれ、やはり相手に何かと期待する。 「人間関係があるところには期待あり」。さう言つてもよささうなほど、我々は意識的、無意識的に関はらず、相手に期待するもののやうです。なぜそれほどに、我々は期待するのか。期待は正当なものなのか。そして、期待は相手にプラスをもたらすのか。 あれこれ考へてみると、期待される...

  • 私、認知症気味なの

    かれこれ10年ほども前になるでせうか、私が一連の講座を開いて講義をしてゐたとき、その講座に毎回休まず参加して熱心に受講してくださつてゐた70代初頭の婦人がおられました。受講するだけでなく、そのあとも、毎回いろいろな質疑応答も繰り返した。その後、講座の終了とともに、会ふこともなくなつてゐたのですが、最近、ある集会でばつたり再会する機会があつたのです。 ところが、最初行き違つたとき、ちらりと視線が合つたも...

  • 「時代が変はつた」とは

    『忘れない宇宙』と題する、冊子と言つてもいゝほどの小さな本がある。副題に「重力と意識は同じ力だ」と謳つてゐます。著者はyoshiyuki2727といふ人で、一級建築士とあるから、もちろん専門の科学者ではない。 副題からも察しられる通り、科学書といふよりスピリチュアルに近いが、著者が積み重ねる思考の論理はなかなか面白いのです。その中でも、特に私の目に留まつた論考の一つにかういふものがあります。 ...

  • 私を見捨てたのは誰か

    そこでは、私を罰する人は誰もいませんでした。私が許さなかったのは他人ではなく、自分だったのだと、やっとわかりました。私を非難したのも、私が見捨てたのも、私が十分愛さなかったのも私自身だったのです。ほかの誰でもありませんでした。(『喜びから人生を生きる』アニータ・ムアジャーニ)   これは、アニータが臨死体験中に体感し、そこから生還したのち、我々にも分かるやうに言語化してくれた悟りの内容です...

  • 神はいつからゐるのか

    「徳ハ窮リナイモノ」であるから、窮りなく考えるを要する。出来上がった徳がもらえるものではない。考え直すから、思って新たに得るから徳は在るので、でなければ、徳というようなものは世の中にはない。(『新・考えるヒント』池田晶子) この言葉は池田氏の本からの引用ではあるが、池田氏本人の言葉ではない。実は池田氏が引用した小林秀雄の言葉です。さらにその元の「徳ハ窮リナイモノ」との一句は、江戸時代...

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まるくまーる(元教育部長の講義日記)
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