『人間の建設』といふ対談本の中で、数学者の岡潔が、数学4000年以上の歴史上、最近初めて分かつたことがあるとして、対談相手の評論家、小林秀雄に説明してゐます。(最近と言っても、60年前の対談ですが) そんな大発見とは、一体何か。数学は抽象的な数字を扱ふ。それゆゑ、知性の世界だけに存在し得ると考へられてきたのに、さうではなかつたといふのです。 専門的な難しいことは分からないが、結論だけ言へば、二つの仮定を...
その時、その場、その相手を見て道を説く彼らは、道そのものと化した人、歴史の「あや」そのものとなった人と言えるだろう。聖の原理は、聖人と呼ぶにふさわしい実在の「人間」に変わったのだが、語られている彼らの言葉を読みとるためには、今度は逆にこちらの側が、自身の歴史性、人生の一回性を、鋭く意識しているのでなければならない。『新・考えるヒント』池田晶子) 歴史上の聖人と言へば、まづイエス・キリ...
芸術的な感性において畏敬する我が息子がこれまでに観た映画のベスト第3位に挙げてゐた「ショーシャンクの空に」を、はじめて観た。映画自体は30年も前に初公開された古いものです。その年のアカデミー賞には作品賞を含む7部門でノミネートされながら無冠に終はつたものゝ、今なほ名作の評価は高い。 息子はこの映画のどこを高評価したのか、それは知らないが、私なりに印象深かつた点を書いてみます。 主人公は元銀行員のアンデ...
肉心の動向に注意してゐると、癖があることに気がつきます。一口に肉心と言つても、人それぞれで性格が違ふでせうから、その癖も一様ではないでせう。飽くまでも私の肉心の癖として考へてみます。 誰かのことを思ひ浮かべるとします。すると途端に、肉心はその人と私とを比較し始める。 「あの人は私より優れてゐるだらうか?」 「私のかういふところは、あの人にはないだらう」 そんなふうに、相手と自分との優位を見定めよう...
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我々はもつと自分の肉心と親身になつて対話する必要がある。肉心との親身な対話がないと、私は本当の自分を深く、よく知ることができない。最近、さういふ思ひを強くしてゐます。 本当の自分とは、一体どんな自分なのか。それは今の段階では私にもよく分からない。そしておそらく、大多数の人々も本当の自分を知らない。知らないまゝで死んでいく人が大半ではないかといふ気もします。 ハワイ発祥の問題解決手法、ホ・オポノポノ...
自分自身についての評価が一切なくなつたら、私はどうなるだらう。評価とは何らかの価値判断だと考へるなら、自分の価値感覚がゼロになつてしまふか。価値ゼロの私は存在することすらできなくなるだらうか。 生きる上で評価はあつて当然のものだと、疑ひもしないで生きてきました。 物心がついた途端、「あなたはいゝ子ね」と言はれたり、「かうしたらご褒美をあげる」と言はれたりする。学校にあがると、繰り返し試験が行はれ、...
私は今いかに行為するべきか。人は問う。絶対は沈黙している。しかし人はそこに絶対が存在していることを知っている。なぜか。「善悪」という語を、所有しているからである。その意味を、知ってしまっているからである。 (『新・考えるヒント』池田晶子) 私はこの思索する池田に惹かれるが、池田は思索する小林秀雄に惹かれてゐる。本書はそのタイトルにも現れてゐる通り、小林が書いた『考えるヒン...
今日は私たち夫婦の42回目の結婚記念日だつたのですが、見たところは二人で一緒に祝ふわけにはいかない。妻が先立つてから23年近くになります。 ところが2週間ほど前から、私はあることで妻の気持ちを確認したいことがあつたのです。さて、どうしたものか。特別にあの世に敏感でもない私ではあつても、何か確認できる方法はあるだらうかと、あれこれ模索してゐたところ、昨日になつて、ふと閃いたことがある。 結婚記念日に、昔...
彼(本居宣長)の言う「物知り人」とは、今日の言葉でいうとインテリです。僕もインテリというものが嫌いです。ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていないんです。あんなところに日本の文化があると思ってはいけませんよ。左翼だとか、右翼だとか、保守だとか、革新だとか、日本を愛するのなら、どうしてあんなに徒党を組むのですか。日本を愛する会なんて、すぐこさえたがる。無意味です。何故かというと、日本...
ある朝目覚めると、 「私はゐない」 と思つた。 これはどういふことだらうと考へて、「私はゐない」といふより「私はゐないほうがいゝ」といふのが、より適切ではないかと思つた。 この「私」は「私そのもの」ではなく、 「エゴの私」です。しかしもう少し考へると、「エゴの私」をゐなくすることはできない。むしろ、ゐなくては困る。だから、「エゴの私はできるだけ弱く、控へ目なほうがいゝ」といふべきか、あるいは「エゴの...
夫婦が一緒に帰宅します。途中で花屋に寄つたのでせう。かなりのボリュームの花を抱へてゐます。 夫人は2階に上がつて着替へをし、洗面所で指輪などを外し、手を洗ひます。ご主人は男だから着替へなども素早く済ませ、先に台所に入つて、買つてきた花束をほどき、花瓶に生け始めます。 降りてきた夫人が、夫の活けた花をリビングのテーブルに運びます。そして、いよいよ夕食作りの開始です。 かなりの豪邸です。夫婦でそれなり...
阿部一二三、阿部詩兄妹と言へば、今や日本柔道界のスーパースターです。2021年の東京五輪では、五輪史上初の兄妹同時優勝を果たした。ただ、今年のパリ五輪でも夢の再現に挑んだものゝ、兄が優勝した一方、妹は惜しくも2回戦で敗退した。 その兄妹がテレビのあるトーク番組に出演し、「メンタル安定のために、どんなことを心がけてゐますか?」と問はれ、兄妹揃つて似たやうな回答をした。 それが、「丁寧に生活する」といふこ...
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『人間の建設』といふ対談本の中で、数学者の岡潔が、数学4000年以上の歴史上、最近初めて分かつたことがあるとして、対談相手の評論家、小林秀雄に説明してゐます。(最近と言っても、60年前の対談ですが) そんな大発見とは、一体何か。数学は抽象的な数字を扱ふ。それゆゑ、知性の世界だけに存在し得ると考へられてきたのに、さうではなかつたといふのです。 専門的な難しいことは分からないが、結論だけ言へば、二つの仮定を...
私の暮らす田舎では、毎年春と秋の2回、住民総出の川の草刈り作業があります。地域には自治会があり、その下により小さな組(くみ)組織がある。今年は我が家が組長の当番で、かういふ作業の段取りを担当する役回りなのです。 ところが、この「段取り」といふものほど、私の苦手なものはない。草刈りといふ作業、一般の参加者にとつてはその当日だけのものですが、組長は事前の準備から作業後の後始末まで、お金の問題や差し入れ...
我々が日常的に受け取る情報を大きく分けると、ひとつは「外からの情報」、もうひとつは「内からの情報」といふことになるでせう。 どちらの情報が多いかと考へれば、それは圧倒的に外からの情報のやうに思へる。身近な情報は五官を通して、絶えず入つてくる。遠い情報も、インターネットにつながれば、瞬時に世界中から膨大な量が入つてくる。 しかもそれらの情報には色もあれば音声もあり、動きまである。とても刺激的で、魅力...
さて、信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。(へブル人への手紙11:1~2) これは、聖書による「信仰」の定義として有名な箇所ですね。 「望んでいる」も「まだ見ていない」も、文字通りまだ目の前に現れてゐない。どれだけ先のことかは分からないが、未来のことです。それを「確信」し、「確認」する。それが信仰であるとい...
4月初旬に桜が満開になり、あつといふ間に散り去つたあと、次の主人公としてツツジが一斉に咲き始める。そして今、そのツツジもほゞ終はる季節を迎へつゝあります。 残り少なくなつたピンクのツツジの花を眺めながら、ふとひとつの疑問が生じた。 「桜もツツジも毎年春になれば同じ木から花が咲くから、種子を残す必要もなささうなのに、どうして毎年あんなにたくさんな花を咲かせるのだらう」 小学生のやうな疑問だとは思ひな...
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人たちが尋ねたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形で来るものではない。『見よ、こゝにある』『あそこにある』と言えるものではない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。(ルカ福音書 17:20-21) 古来有名な、イエス様の「神の国論」の一節です。あるとき、この答へには裏があるのではないかと思つたことがある。 つまり、「悪の帝国...
前の記事で文豪漱石を読んだので、この際、文豪つながりで、同時代のもう一人の文豪、鷗外についても少しふれてみようと思ひます。 山に登らうとする所に沼がある。汀(みぎわ)には去年見た時のやうに、枯葦が縦横に乱れてゐるが、道端の草には黄ばんだ葉の間に、もう青い芽の出たのがある。沼の畔(ほとり)から右に折れて登ると、そこに岩の隙間から清水の湧く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を...
「兄さんが達者でゐたら、別の人になつて居る訳ですか」 「別な人にはなりませんわ。貴方は?」 「僕も同じ事です」 三千代は其時、少し窘(たしな)める様な調子で、 「あら嘘」と云つた。代助は深い眼を三千代の上に据ゑて、 「僕は、あの時も今も、少しも違つてゐやしないのです」と答へた儘、猶しばらくは眼を相手から離さなかつた。 三千代は忽ち視線...
冬は寒く、夏は暑い。時間がたつと、お腹が減る。転んで膝にかすり傷を負うと、痛い。加齢とともに、特に冬季には、体が痒くなることが多い。特定の人に対して「生理的に合はない」などと言ふことがある。 このやうな、体が感じる感覚といふのは、ふつうには体自体が感じてゐるやうに思つてゐますが、実はさうではない。体ではない何者かが感じてゐるのです。 体に起こつてゐる反応は、化学変化と電気信号の伝達です。その反応は...
月に10日ほど、地元高校の警備の仕事してゐる。日直のときは午前と午後、宿直のときは夕方と早朝の2回、校内を巡回する。宿直が8割と、泊まり込むことが多い。 宿直のときには寝る前に起床のアラームをかける。5時50分にかけて起き、身支度を整へて、6時15分くらゐから巡回に出発する。 昨夜も宿直だつたが、アラームをかけ忘れた。窓のカーテンの隙間から薄日が差し始めて、目が覚める。「アッ、寝過ごしたか!」と焦つて、慌て...
月に10日ほど、地元高校の警備の仕事してゐる。日直のときは午前と午後、宿直のときは夕方と早朝の2回、校内を巡回する。宿直が8割と、泊まり込むことが多い。 宿直のときには寝る前に起床のアラームをかける。5時50分にかけて起き、身支度を整へて、6時15分くらゐから巡回に出発する。 昨夜も宿直だつたが、アラームをかけ忘れた。窓のカーテンの隙間から薄日が差し始めて、目が覚める。「アッ、寝過ごしたか!」と焦つて、慌て...
創造原理の中に「個性完成」といふ概念があります。これを「概念」といふわけは、これがまだ私の実感としては感じられてゐないからです。 私の知る限りでは、「あなたは個性完成してゐますか?」と訊かれて「してゐる」と答へた人が2人ゐます。しかし、何をもつてその人たちがさう答へたのか、その内実は分からない。目に見える何らかの形として外から見て判別できるものではないので、本人がさういふことをそのまゝ信じるか、あ...
評論家小林秀雄と数学者岡潔の対談本『人間の建設』の中で、小林が画家の地主悌助(じぬしていすけ)について、少しだけ触れてゐます。 地主は徹底した写実の絵描きで、石や紙ばかりを描いてゐる。あるとき小林が彼の個展に行つて、一枚の絵を買つて帰つた。例によつて、大根が3本だけ描いてある。 その絵を奥さんに見せたら、 「この大根は鬆(す=すかすか)がはいつてゐる、おでんには駄目だ」 と、即座に見抜いたと言ふ。 ...
評論家小林秀雄と数学者岡潔の対談本『人間の建設』の中で、小林が画家の地主悌助(じぬしていすけ)について、少しだけ触れてゐます。 地主は徹底した写実の絵描きで、石や紙ばかりを描いてゐる。あるとき小林が彼の個展に行つて、一枚の絵を買つて帰つた。例によつて、大根が3本だけ描いてある。 その絵を奥さんに見せたら、 「この大根は鬆(す=すかすか)がはいつてゐる、おでんには駄目だ」 と言ふ。 それほどによく描い...
facebookの友だちが教へてくれた話です。 1980年代、日本のポップス界で一世を風靡したチェッカーズといふグループがある。私の世代なら懐かしい。『涙のリクエスト』は忘れられない代表曲です。 そのチェッカーズのリードボーカルを務めたのが藤井フミヤ。彼が最近テレビのインタビューを受けて、自身の作曲活動の秘密について語つたといふのです。 彼はボーカルをしながら、自身でもかなりの曲を作つた。曲を作る人をアーティ...
我々の認識の内と外とをひつくり返したらいゝのではないか。最近さう考へることが多くなりました。 ひつくり返すとはどういふことか。簡単にいふと、かういふことです。 大型連休のさなか、桜は葉桜になつてすでに久しく、ツツジも満開の時期を終へようとしてゐます。低木も高木も、陽の光をできるだけ受けようと、枝を伸ばし、葉つぱを広げてゐます。空にはトンビが舞つてゐる姿が見える。かういふ日の散歩は最高に気持ちがいゝ...
昨年12月に始めた読書会も、今回で5回目を迎へました。取り上げたのは『おかげさまの法則』(入江富美子)。 入江さんはしばしば「あるがまゝでいゝ」と言ふ。参加者の中からは、「あるがまゝといふのは、今の自分のまゝでいゝ、といふことだらうか」といふ疑問が出る。今の自分のまゝなら、他人と比べて羨んだり妬んだりする自分、あるいは尊大になつたり、逆に自己卑下したりする自分を認めることになる。それでは心が納得しな...
日常生活の中で、「見られてゐる自分」を意識することが、しばしばあります。 自分の容姿や態度、言動などが、他の人たちからどう見られてゐるか。それが気にかゝる。 できるならよく見られたい。好感を持たれたい。そのためには、あまり周囲と対立したり、刺激したりするやうなことは避けよう。さういふ思惑も働くものです。 ところがあるとき、「見られてゐる自分」を本当に見てゐるのは、いつたい誰なんだと、はたと考へ込ん...
今年の2月から、新しい職に就いて働き始めた。地元の県立高校の警備といふ仕事です。平日は日直、週末は宿直も入る。4人でこの警備を途切れなく回すローテーションを組んでゐます。 1回の担当あたり、校舎の内外を2回巡回し、鍵をかけたり閉めたりする。授業や教職員勤務の始まる前か終了後に回るから、巡回中に人と出会ふことは滅多にない。まだだれも来てゐない早朝の教室、みんなが帰つたあとの暗がりの廊下。さういふところを...
『ありがとう100万回の奇跡』の著者、工藤房美さんは、医者からも見放された末期ガンから生還した。回復の切つ掛けを作つたのは、病床で読んだ村上和雄さんの『生命の暗号』です。(詳しい経緯は記事「全細胞にありがたう」を参照) 完治した後、工藤さんは不思議と自閉症などの障害者に頻繁に出会ふやうになつた。しかもその出会ひかたが尋常ではない。 たとへば、工藤さんが経営してゐたビュッフェレストランに車椅子でやつ...
人生に問題はつきもので、問題には苦痛が伴ふ。苦痛はつらいから、早く何とか解決したい。 病気の兆候。経済的な不安。人間関係の摩擦。さういふものはないほうがいゝので、何とか早く取り除きたい。 そんなふうに思ふのは、当然ですね。 しかし、苦痛を取り除かうとするのは、対症療法でせう。熱が出たら解熱剤を飲むやうなものです。一時的には楽になつても、熱が出た原因そのものは解決されてゐません。 そこで、苦痛が生じ...
何かを成し遂げようとして、上手くいかないことがある。むしろ、そのほうが多いかもしれません。 そのとき、私たちは 「失敗した」 と言ふに違ひない。 上手くいつた場合は、「成功した」と言ひ、上手くいかなければ「失敗した」と言ふ。成功は良いことであり、失敗は良くないことである。だから誰でも成功したいと思ひ、失敗は避けたいと思ふ。まあ、当たり前ですね。 いや、本当に当たり前でせうか。 「私は失敗を許可する」...
「不安でないと落ち着かない」 といふやうな気分になることが、しばしばあります。 これはいかにも変ですね。ふつうなら、「不安で落ち着かない」とか「不安がないから落ち着く」と言ふべきでせう。 たとへば、朝起きると、すぐに一抹の不安が生じる。子どもたちのことが頭に浮かんで、何だか不安になることがあるのです。 「あんなふうだけど、大丈夫かなあ?」 といつた不安。 かなり漠然としてゐるのですが、だからこそ何と...
先日の記事「日常を量子論的に考へる」の中で、 「もし生まれる前に人生を設計して生まれてくるとしても、その計画は確率として存在するのではないか。実人生で選択をすることで確率が現実になる」 と考へてみました。 見方によつては、人生は小さなことから大きなことまで、選択の連続だとも言へます。 今日の昼食は天丼にするか、ラーメンにするか。飲み会に誘はれたとき、行くか、断るか。 学校を受験するなら、どの学校にす...
息子の勧めで「すずめの戸締り」を観た。 私はあまりアニメは観ないし、公開されて2年近くたつてもゐます。ところがNetflixで観始めると、なかなか面白くて、最後まで一気に観終へた。アニメの名手、新海誠監督の作品です。 観終へたあとで、息子に感想を聞かれたので、 「すずめを助けるのは、ほとんど女性ばかりだつたね」 と答へると、息子は、 「そんな観点、思ひもしなかつたけど、さう言はれゝば、確かにさうだな。どうし...
これまでに解明されてゐる量子の特質を挙げるなら、次の2つでせうか。 ① 粒子でもあり、波動でもある ② 位置と運動量とを同時に確定することはできない これらはいづれも、日常生活の感覚から見ると、かなり理解し難い。しかしそれは、我々がこの世を物質的な側面から見ることに慣れ過ぎてゐるからであり、我々自身の意識から見れば、「量子=意識」と言つてもいゝほどに符号してゐるやうに思へます。 身近なところから考へ...
30年以上も前のものですが、1990年に公開されてヒットした米映画「Ghost - ニューヨークの幻」の中に、印象的なシーンが出てきます。 不本意に殺された男性(サム)がその真相を伝えたくて、元恋人に接触を試みる。ところが、サムにはもはや肉体がない。彼からは彼女が見えるが、彼女には彼が見えない。呼びかけても声が届かない。触らうとしても感じられない。 どうしたものかと思ひ悩んでゐるとき、地下鉄のホームで彼の前に一...
ここにおいて、カインとアベルの献祭に相通ずるいくつかの実例を挙げてみよう。 我々の個体の場合を考えてみると、善を指向する心はアベルの立場であり、罪の律法に仕える体はカインの立場である。したがって、体は心の命令に従順に屈伏しなければ、私たちの個体は善化されない。しかし、実際には体が心の命令に反逆して、ちょうどカインがアベルを殺したような立場を反復するので、我々の個体は悪化されるのである。 (『原理講論...
少なくとも目が覚めてゐる間、「思考」といふものから離れられないのが私たちです。その「思考」を2つに分けてみます。 ひとつは、「自動思考」。 もうひとつが、「自主思考」です。 「自動思考」とは、ふと気がついたら、 「自分はこんなことを考へてゐたのか。いつから、どうして、こんなことを考へてゐたんだらう」 と思ふやうな思考です。 だから「自動思考」は、無自覚的な「思考」と言つてもいゝでせう。 それに対して「...
地動説が科学的な真理だと学んで育つた現代の私たちは、球体の地球が球体の太陽の周りを超高速で周回し続けてゐることを疑はないでせう。しかし、向かうの森を眺めて、かすかに風に揺れてゐる木々の枝を見るとき。あるいは、川岸に立つて、小さく波立ちながら流れていく川面を見るとき。私たちは、これらの土台である地球が猛烈な勢ひで回転してゐるといふことなど、すつかり忘れてゐるに違ひない。 自分の人生を振り返つて、後悔...
今日の科学は、物質の最低単位を素粒子と見なしているが、素粒子はエネルギーからなっている。… 物質世界を構成している各段階の個性真理体の存在目的を、次元的に観察してみると、エネルギーは素粒子の形成のために、素粒子は原子の構成のために、… (『原理講論』創造原理 第二節) 素粒子は物質の最小単位であり、一方、量子はエネルギーの最小単位ですね。素粒子はきわめて極小とは言へ、粒子のやうなものとし...
悪霊人たちの業が、みな再臨復活の恵沢を受けられるような結果をもたらすのではない。その業が、結果的に神の罰として、地上人の罪を清算させるような蕩減条件として立てられたときに、初めてその悪霊人たちは、再臨復活の恵沢を受けるようになるのである。(『原理講論』復活論第二節) こゝに「神の罰」「地上人の罪」といふ表現が出てきます。これらは、我々が神に対する概念を作るうえで、...
昔から、会議といふものが苦手です。苦手だから、当然好きでもない。 会議と言へば、最低3人以上、多ければ10人を越すものもあるでせう。その参加者それぞれが、一つのテーマに対して自分なりの意見を持つてゐる。強く主張する人もゐれば、控へ目な人もゐる。 さうすると、あちらも見て、こちらも見る。バリエーションのある意見の中で、自分はどの辺にゐて、どのやうに言へば、自分の意見が言ふだけの意義を持つか。さういふ見...
ときどき、大きな不安に覆はれるやうな感じに襲はれることがあります。これは多分、私だけではない。多くのかたが経験されることではないでせうか。 なぜ不安が生じるのか。 未来において、自分に危害が及ぶやうな気がする。その危害の原因と確実性がある程度明確なときには、恐怖が生まれる。一方、不安といふのはそれらが漠然としてゐる。原因も確実性もはつきりとは見えない。それこそが不安の正体でせう。 そして考へてみる...
誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...
「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...
こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...
夕方、スマホをズボンのポケットに入れてYoutubeを聞きながら草取りをしてゐると、女性の声で、 「自分を好きになるつていふのは、人生でイ~ッチバン難しいこと。それをまづ頭に入れておいてほしい」 といふ話をし始める。 これは私自身、日頃からよく考へるテーマなのですが、改めて、 「一番難しいといふほど、難しいかな?」 と自問することに。 そして、あまり思案する間もなく、 「さうに違ひなささうだなあ」 と思ふ。 ...
じっと見つめていると、全体におけるそのものの位置が「わかる」。そうすると、意義が分かるのであります。その後も心をそこから放さないでいますと、次第にそのものの内容がその人の感情に取り入れられてゆく。体得されて、感情となって本当にその人の中に入ったものは、だんだん素朴化されることによって、次第に深く入り、ついに情緒の中心に達する。(『紫の火花』岡潔 前回の記事で「目の前のも...