昨年12月に始めた読書会も、今回で5回目を迎へました。取り上げたのは『おかげさまの法則』(入江富美子)。 入江さんはしばしば「あるがまゝでいゝ」と言ふ。参加者の中からは、「あるがまゝといふのは、今の自分のまゝでいゝ、といふことだらうか」といふ疑問が出る。今の自分のまゝなら、他人と比べて羨んだり妬んだりする自分、あるいは尊大になつたり、逆に自己卑下したりする自分を認めることになる。それでは心が納得しな...
昨年12月に始めた読書会も、今回で5回目を迎へました。取り上げたのは『おかげさまの法則』(入江富美子)。 入江さんはしばしば「あるがまゝでいゝ」と言ふ。参加者の中からは、「あるがまゝといふのは、今の自分のまゝでいゝ、といふことだらうか」といふ疑問が出る。今の自分のまゝなら、他人と比べて羨んだり妬んだりする自分、あるいは尊大になつたり、逆に自己卑下したりする自分を認めることになる。それでは心が納得しな...
日常生活の中で、「見られてゐる自分」を意識することが、しばしばあります。 自分の容姿や態度、言動などが、他の人たちからどう見られてゐるか。それが気にかゝる。 できるならよく見られたい。好感を持たれたい。そのためには、あまり周囲と対立したり、刺激したりするやうなことは避けよう。さういふ思惑も働くものです。 ところがあるとき、「見られてゐる自分」を本当に見てゐるのは、いつたい誰なんだと、はたと考へ込ん...
今年の2月から、新しい職に就いて働き始めた。地元の県立高校の警備といふ仕事です。平日は日直、週末は宿直も入る。4人でこの警備を途切れなく回すローテーションを組んでゐます。 1回の担当あたり、校舎の内外を2回巡回し、鍵をかけたり閉めたりする。授業や教職員勤務の始まる前か終了後に回るから、巡回中に人と出会ふことは滅多にない。まだだれも来てゐない早朝の教室、みんなが帰つたあとの暗がりの廊下。さういふところを...
『ありがとう100万回の奇跡』の著者、工藤房美さんは、医者からも見放された末期ガンから生還した。回復の切つ掛けを作つたのは、病床で読んだ村上和雄さんの『生命の暗号』です。(詳しい経緯は記事「全細胞にありがたう」を参照) 完治した後、工藤さんは不思議と自閉症などの障害者に頻繁に出会ふやうになつた。しかもその出会ひかたが尋常ではない。 たとへば、工藤さんが経営してゐたビュッフェレストランに車椅子でやつ...
お釈迦様はご自分について、 「天上天下唯我独尊」 と言はれた。 イエス様はご自分について、 「私は神の子である」 と言はれた。 一見すると、互ひにニュアンスの異なる自己認識のやうにも見えながら、根底には共通する実感があると思ふ。 イエス様については、「神の独り子」あるいは「神の独り息子」という表現もあります。しかし、改めて確認してみると、イエス様ご自身がこのやうに言はれた箇所は聖書の中にない。特にヨハ...
みたまが深まったとき、お詫びとお礼は自ずと湧いてきます。これまでの自分が質問して自分が答える自問自答から、自分が質問し、みたまが答える自問自答に変わっていきます。そして、究極にはみたまが質問し、みたまが答える自問自答へと変化していくのです。こうなってくると、もはやお詫びとお礼という概念もなく、日常の中でクリーニングが自然と起こってきます。 (『おかげさまの法則』入江富美子) ...
やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声 やがて死ぬ けしきも見えず 蝉の声 (松尾芭蕉) 芭蕉晩年の句だと言はれます。「けしきは」と「けしきも」の二通りが伝はつてゐるやうです。一文字の違ひで、ニュアンスが変はつてきますね。 「けしき」には「景色」と「気色」の二通りが考へられます。どちらの「けしき」と解するかで、これまた意味合ひが随分と変はるでせう。 「景色」と解すれば、それが...
小林秀雄が提起した「質問と答へ」の問題が、繰り返し、しつこく私の頭をよぎります。よぎると、どうしても考へざるを得ない。 小林は、 「難しい人生に向かつて、うまく質問することができたら、もう答へは要らない」 と言ふ。 (参考「正しく訊く」) 「答へは要らない」とは、どういふ意味だらう。人生の問題、とりわけ重大な問題について、どうするのが最善であるかと質問したとして、「答へは要らない」のではなく、「答へは...
静岡県三島市にある耕月寺(曹洞宗)の住職、甲賀祐慈(こうがゆうじ)老師が、 「座禅をしてゐるときに湧いてくる雑念は、そのまゝ放つておけ」 と言つてゐます。 座禅は雑念を断つて瞑想に集中しようとするところにこそ、その肝要な点があるのではないですか。それなのに、雑念は放つておけとはどういふことでせうか。 よくよく聞いてみると、 「雑念は放つておけ。雑念を何とかなくさうといふ思ひをなくせ」 といふことのやう...
AmazonのAIは私のブログも熟読して、私の嗜好をよく知つてゐるのでせう。Kindleを開いたら、お勧め書籍の最初に『ありがとう 100万回の奇跡』(工藤房美)といふ書籍が表示されました。「ありがとう100万回でガンが消えました」とあります。 勧めに従つて、早速読んでみました。 48歳の女性が子宮頸ガンになつた。異常を感じて病院に行くと、「どうしてこんなになるまで放つておいたんだ」と、医者から大声で叱られた。そして...
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。(『学生との対話』小林秀雄) 私は折にふれて、小林のこの言葉をよく思ひ出す。とても含蓄の深い言葉だと思ふ。今朝も起きがけに、ふとこの言葉を思ひ出し、...
人生は苦痛に満ちてゐる。悩みも尽きない。できるなら、苦痛は回避したい。どうしたらそれができるか。仏教とキリスト教ではその処方箋は随分違ふが、それぞれのポイントを見てみます。 仏教では、悩みの原因は「渇愛」または「執着」にあるといふ。したがつて、悩みを取り除くには欲望を捨て、執着を離れゝばよいといふことになる。そして、願ひは転生の輪廻から解脱した「涅槃」です。 一方キリスト教では、悩みの根本原因は「...
先日「ダイモンの正体」といふ記事を書いたあと、日常の用事をしてゐるときに、ふいに、 「ダイモンの正体は、いかにも知つたかぶりで偉さうに書いたけれど、それなら一体あなた自身の正体は何なのか。それをはつきりと言へるか」 といふ思ひが、あたかも誰かからの問ひかけのやうに、脳裏に浮かんだ。 こんなことを誰が問い質すのか。容易な質問ではない。そもそもこのブログだつて、その答へを求めて書き続けてゐるやうなもので...
ギリシャの哲学者ソクラテスの思索と生涯を導いたと言はれる「ダイモン」。その正体は一体何かについては諸説紛々で、いまだにこれといつた定説はない。 ソクラテス自身は「ダイモン」について、「内なる声」「神的な兆候」などと呼び、「何かをするときに反対する声」だと証言してゐます。面白いと思ふのは、この声が「積極的に何らかの行動を促す」のではなく、「それをするなと警告する」声だと言つてゐる点です。 彼は裁判に...
前回の記事「見えないものは『私の内側』にある」で書いたことについて、何か今一つ書ききれてゐない気がするので、もう少し深堀りしてみます。 前回の記事の筋立ては、概ね次のやうなものです。 空間認識においては、リンゴの今見えてゐる面は「私の外面」にある一方、見えてゐない裏側は「私の内面」にあると考へる。なぜなら、裏側は見えてゐないのに「あるはずだ」と私の心の中で思つてゐる(想定してゐる)のですから、「私...
ヌーソロジー(noosology)といふ新しい思想。noosの語源となつたギリシャ語の「nous」は、「知性」「論理」「理性」などと訳される意味を持つてゐます。 その志向する目的をGrokさんに尋ねると、 「意識の反転を通じて、物質世界と精神世界を統合し、人間と宇宙の本質を新たな視点から理解すること」 と要約してくれます。 これだけでは、意味もよく分かりませんね。ヌーソロジーが提案する概念はかなり難解で、私もいまだ十分...
あなたはどうして姿を現さないのですか? 私は何度も現れている。今もこうして現れている。いや、そうじゃないんです。もっと疑いの余地のない現れ方、否定しようのない現れ方のことです。いま、そうしているではないか。どこに?あなたが見るものすべてに。私には、あなたがたが理解できるかたちも姿もない。私はどんなかたちや姿になることもできるが、そうすれば誰もが、自分の見たかたちや姿こそが神の唯一の姿だ...
「ありがたう」といふ言葉を口にすると、脳は「ありがたい」と思へる現象を探し始める。 ときどき耳にする言葉ですが、本当にそんなことがあるのか。これをGrok3さんに訊いてみると、 「『実証されてゐる』とは断言できないものゝ、脳科学や心理学の研究である程度裏づけられてゐます」 といふ回答が返つてきます。 脳科学では、神経回路に変化が生じるといふ。そして習慣化すれば、神経回路が太くなる。 車で街を走ると、実に...
「なぜ女性は歳を取ると夫を嫌ひになるのか」といふタイトルの動画があります。三大精神分析学者の一人、アルフレッド・アドラーによる分析と解説をうまくまとめてゐます。このタイトルは、男性なら内心ドキリとし、同時に、その理由を訊いてみたい気になるものでせう。 多分、逆のケースもあり得るとは思ふ。つまり、「なぜ男性は歳を取ると妻を嫌ひになるのか」といふことです。しかし、ケースとしては圧倒的に少ないやうな...
「他我思想」については、これまで何度か記事にしたことがある。改めて思ふところがあつたので、少し違ふ観点から書いてみます。 今までは「他為」思想について語りましたが、これからは「他為」ではありません。「他我」思想を語らなければなりません。「他」とは何かと言えば、「我」だというのです。相対が「私」だというのです。カイン世界のために生きなければならないというのですが、そうではあ...
X(エックス・旧Twitter)が搭載するAI「Grok」がいよいよ3に進化したやうなので、どこまで頼りになるものか、試してみた。似たやうなAIは昨今、雨後の筍のやうに次々に出現してゐる中で、いくつか試してみて、今のところ、私にとつて一番相性がいゝのが、このGrokです。 もちろん、まだ十分に使ひ切れてゐるとはとても言ひ難い。AIは日々進化してゐるやうなので、こちらも人間なりに進化する必要があるでせう。 今日訊いてみた...
先日、第3回ブックシェル読書会を開いた。参加者は私を含めて6人。心置きなく自由に話ができるには、ぎりぎりの人数かと思ふ。 取り上げた本は『神との対話①』(ニール・ドナルド・ウォルシュ)。読み合はせたのは、その最初の10分の1にも満たない。 のつけから 「言葉は真実の伝達手段として、一番当てにならない。神の言葉と経験とが食い違うときは、言葉を捨てて経験を取りなさい」 といふ刺激的な神の言葉が出てくる。 頭...
リアリティーという言葉の意味を、私は以前から問題にしてきた。辞書的にはこの言葉は「現実」「現実性」「実在」などと訳されている。しかし私はこれをむしろ「真善美」などと訳すべきではないかと書いたことがある。(『養老孟司の大言論3』32) このやうな言葉に出会ふと、養老先生は本当に現代の賢人だなと、改めて思ふ。単なる知性の人ではない。 「究極のリアリティ」英語で言へば「ultimate reality」とは、キリスト教で...
前回の記事「映画『八犬伝』の虚と実」で取り上げた「虚」と「実」について、もう少し考へを進めてみます。 「物」と「物質」の違ひについて、以下のやうに整理してくれたサイトがあるので、参考にしてみませう。 物とは皆さんの目の前に現れている主観的な物体のことです。 一方、物質は「直径は10cmで、重さは500グラムだ」などと言われて、客観的に捉えられている物体のことです。 いいですか。物...
映画『八犬伝』とは、言ふまでもなく、曲亭(滝沢)馬琴の読本『南総里見八犬伝』にネタを得たもの。江戸時代の中期、28年の歳月を要して完結した大作であり、のちの文芸にもさまざまな影響を与へたと言はれる。 映画は「虚(八犬伝の世界)」と「実(馬琴の日常)」といふ二元を軸に組み立てられてゐるやうに見えます。2時間30分の大作で、一気には観切れなかつた。 最初のシーンは、里見義実(さとみよしざね)が逆臣の妻玉梓...
久しぶりに新刊を出したので、今日はその宣伝を兼ねて記事を書かせていただきます。 新刊と言つても、電子書籍です。Amazonには無料で電子書籍を出せるありがたいサービスがあつて、4,5年前に何冊が出した。内容はすべて、このブログ記事の中から共通のテーマに沿つたものを選び出し、再編集したものです。 今回もそれで、立て続けに3冊上梓した。 『とんだ勘違い 12選』 『競わない生き方もある(なるほど小林正観2)』 ...
何らかの現象が起こると、それには必ず原因がある。さう考へるのがふつうです。「因果律」と言つたり、「因果の法則」と呼んだりします。 たとへば、さつきまで水だつたのが、今来てみると温かいお湯になつてゐる。この現象には、「熱を加へた」といふ原因が必ずある。 逆に、熱かつたお湯が勝手に冷めたら、何が原因かと頭をひねつて「エントロピー増大の法則」があると定義する。なるほど、これが原因でお湯は冷めると納得でき...
先日、第2回ブックシェル読書会を開いた。取り上げたのは『左脳さん、右脳さん』(ネドじゅん)です。私としては、改めて「自動思考」の厄介さについて考へるきつかけになつた。 「自動思考」とは、「自分が『考へよう』と意識しないのに、勝手に出てくる思考」のことです。この自動思考をいちいち声に出せば、「独り言」といふことになる。 昔、米国で暮らしてゐた頃、都会の町中を歩くと、この「独り言」をづつとつぶやきな...
主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のまゝに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう。(旧約聖書「創世記」2:16‐17) こゝで「人」とあるのは、ふつうには最初の人と言はれてゐる「アダム」とも考へられます。しかしこの記事ではそのやうに特定の一人に限定せず、万人に該当する話として考へてみます。 そ...
今や最先端の物理学では、「ビッグバン宇宙論」以外に、いくつもの宇宙論が提案されてゐます。曰く「ホログラフィック宇宙論」、曰く「多元宇宙論」、曰く「循環宇宙論」。そんな時代に、伝統的な宗教が教へてきた天国論も刷新されてしかるべきではないかと思ふのです。 私にそんなことを論じる能力も資格もあるとは思ひませんが、あるとき私の脳裏を掠めるやうに、おぼろげに浮かんだ天国の姿があるので、それを言葉にしてみよう...
最近は、大きな空港のコンコースなどにピアノが置いてあつて、腕に覚えのある人が通りがかりに弾くことができる。コンサート会場でもないのにピアノの音色が響き渡ると、往来する人たちが振り向き、聞き耳を立て、やがて立ち止まつて聞きほれる。スマホを掲げて動画撮影する人の姿も、あちこちに見える。 私もさういふ光景に何度か遭遇したことがあります。ちやんとした会場ではないだけに却つて、何か思ひがけない、新鮮な感動を...
我々が生活するにおいて、必ず心を使ふ。単純に「思ふ」と言つてもいゝが、思ひを持たずに生きることはできないでせう。ところがこの「思ふ」といふのは、その思ひを設計図とした一つの世界を創造することだと言つていゝと思ふ。つまり、一つの思ひは一つの世界を自分の中に造る。 たとへば、何らかの現状を変へなければ行き詰つてしまふやうなとき、「これを変へるのは難しいな」と思ふと、「現状を変へるのは難しい」といふ世界...
人類の歴史は、ある面から見れば、「神の心を探す旅」とも表現できます。 その探し方には、大きく2つの道があります。一つは、神を自分の外に見える宇宙といふ形で探求し、言葉(特に数式といふ言葉)にする道です。この道を行く人たちを科学者と呼びます。 そしてもう一つは、神を自分の内側に感じる宇宙といふ形で探求し、言葉あるいは行動に表すといふ道です。この道を行く人たちを宗教者と呼んだり求道者と呼んだりします。 ...
『釈迦が語る宇宙の始まり』(小宮光二)を読むと「困つたことになつたなぁ」と思ふ。いや、本当はちつとも困つたことではなく、むしろ喜ばしいことなのですが、困つたと思ふには理由があります。 現代の科学はいよいよ来るところまで来た。そこから先は宗教が引き受けて、本来の役割を果たさないといけないのに、現代の宗教にその準備ができてゐるか。さう考へると、甚だ心もとない。それが「困つたなぁ」なのです。 本書...
私たちは今まで、観念的に神様を呼び求めてきました。宗教的な主体としてのみ神様を呼び求めてきたのです。神様は生命の主体であると同時に生活の主体であり、生活の主体であると同時に理念の主体です。(『天聖経』1-1-2-3) この章句は、本日の礼拝説教で引用された聖句です。 立場上、この1年あまり、ほとんど休むことなく毎週の日曜礼拝に出てきました。ところが、この「立場上」が曲者ですね。「立場...
「腑に落ちる」といふ表現が気になつてゐます。 意味合ひとしては、「ある考へや説明が深く理解され、納得して受け入れられる」といふやうなことでせう。理解し、納得し、受け入れることがなぜ「頭」ではなく、「腑」なのか。なぜ日本人は「腑で分かる」といふやうな捉へ方をしたのか。 「腑」とは「臓腑」、今風にふつうに言へば、「内臓」でせう。場所を絞れば「お腹」、胃や腸のあたり。そこに一体何が落ちるのか。 理解や納...
神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、…」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1:26-27) 神はご自身の「かたち」に似せて人を造つたとありますが、神は本当に「かたち」がほしかつたのだと思ふ。「かたち」がなければ、何の刺激も、何の面白みもないのです。 たとへば、スイスの高原列車で高原を登つて行きま...
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。(『学生との対話』小林秀雄) 随分前にこの言葉に出会つて以来、どうしたら自分の人生に対してうまく質問できるかと、考へてきました。ところが、この「うまく質問...
一人で過ごす、平穏な正月。知人の勧めで、映画『グリーン・ブック』を観ました。2時間といふ、やゝ長めの尺も気にならないほど、見入りました。 舞台は1960年代初頭の米国。天才的な黒人ピアニスト、シャーリーと、そのお抱へ運転手として演奏旅行に同行するイタリヤ系移民のトニー。黒人差別が色濃く残る当時の米国社会、その中でも特にひどい南部諸州を演奏旅行で回るのです。 タイトルにある「グリーン・ブック」とは、当...
先日開いたブックシェルの第1回読書会で出た、もう一つの話題について書きます。 会の中で読んだ『喜びから人生を生きる』にではなく、その続編『もしここが天国だったら?』に出ていたエピソードが、対話の中で不意に思ひ浮かんだのです。以前、記事にもしてゐますが、簡単に繰り返します。 アニータの臨死体験が急速に世間に知られるやうになり、世界中から講演依頼が来るやうになつた。そして、あるセミナーで、若...
「ホログラム宇宙論」といふ仮説があります。 ホログラムとはどんなものか。私はこの目で実際にホログラムの映像を見たことはないが、言葉はときどき聞きます。どんなものか調べてみると、謂はば「3次元映像」ですね。 普通の写真や映像は平面的(2次元)な情報しか提供しない。それに対してホログラムは、3次元の情報を記録して提供するので、見る角度によつて異なる視点から物体を見ることができるのです。つまり、正面から見...
占星術では今年の11月20日、冥王星が水瓶座に移動し、これが風の時代への完全な移行を象徴すると言ひます。これまでは土の時代で、物質的な所有に価値があつたが、風の時代には共有や交流が重視される。 私のイメージとしては、土の時代はぢつと一ヵ所に留まつて、そこから養分を吸収しようとする。一方、風の時代は、風に吹かれて軽やかに飛んで移動する。そこで新しいものを発見したり、自分が新しい者になつたりする。 それで...
書籍やネットなどで、いろいろなかたの話を聴きながら、素人なりに思ふのは、量子とは物質ではない。量子とはこの世で最も小さな元素であるやうに思はれもしますが、その量子の挙動を物理的に表示しようとすると複素数になる。つまり、その数式には実数とともに虚数(iで表され、この世に存在しない数)が入るのです。虚数を入れないで計算しようとすると、煩雑になり過ぎて収拾がつかないやうです。 有名な「二重スリット実験」...
とめたいのは自動思考です。思考そのものを不要として否定するものではありません。適切な思考は、適宜必要です。 自動思考とは何であり、どのやうな問題があるのか。それを考へてみます。 自動思考とは、自分がはつきりと意図して出てくる思考ではない。意識する前にどこからともなく始まつてゐる思考であり、かつ、その進展を意識でコントロールするのは極めて難しい。 たとへば、自分が進めようとした企画がなかなか思ふやう...
数学が解けるのは真の無意識。だから解ける過程は本人にも分からない。解けた問題を証明するのは意識(脳の新皮質)。意識は自分が考へてゐることを知つてゐる。だから段階を踏んで証明を進めることができる。ところがなぜ問題が解けたかは、証明が終はつた後になつても意識でも分からない。 コンピューターは意識できる脳の部分だけを外に取り出して作つたもの。だからコンピューターに無意識があり得るかと考へるのはナンセンス...
私の愛読するブログで「本質を求める列車」といふ比喩が使はれてゐて、とても示唆的で面白いと思ひました。そのアイデアを拝借して、少し考へてみます。 哲学にせよ宗教にせよ、「真理」を熱心に求める人たちがゐます。「これが正しい」と思へるものを手に入れたい人たちです。その人たちが真理を求めて、「本質を求める列車」に乗る。そして「これが私の求めてゐた真理だ」と思へる駅に停まると、そこで降りる。 たとへば、「キ...
前の記事「自分の肚に問へ」で、 「分からないまゝ待つことは、数学者に限らず、誰にでも大切なことではないか」 と書きました。 「分かる」とか「分からない」といふことの意味を、私はしばらく前から意識し始め、考へるやうになつたのです。ふつうには、「分かる」ことが「分からない」ことよりは良いと考へる。「分からない」ことを一つづつ克服して「分かる」ようにならう。そのやうにして、人生は豊かになるだらうし、近代の...
数学者の岡潔博士がどこかのエッセイで、 「数学者の仕事は、農夫に最も近い」 と書いておられたのを覚えてゐます。 農夫は春に種を蒔く。あとは適時水をやり、追肥をする。雑草も抜く。さうしてせつせと世話をすると、秋にはたくさんの実がなつて、収穫できる。数学者もまつたくそれを同じだと言ふのです。 数学者にとつての種とは何か。数学上の未解決のテーマに対する質問です。「これはどのやうにしたら解くことができるか」...
6年ほど前、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子)が話題になつた。AIは私の関心事のひとつだつたので、読んでみると、不安になつた。どんどん進化するAIに比して、今の子どもたちの多くは、読解力がかなり劣るといふのです。そして「読解力のない人間は、AIに仕事を奪はれる」と警鐘を鳴らす。 気をもんだ新井さんは『AIに負けない子どもを育てる』といふ続編を出す。こちらは読んでゐないが、読解力を向上させる教...
児童精神科医 の佐々木正美博士が 「子育てには母性と父性が必要で、そのバランスが大切である」 と説いてゐます。 特段、佐々木博士の独創的な知見といふわけではなく、巷間よく耳にするものゝやうに思へます。たゞ博士は、このバランスについて、いくつかの分析を加へてゐます。 一つは、母性は母親(女性)に、父性は父親(男性)にだけあるといふものではないこと。母親にも両性があり、父親にも両性がある。たゞやはり、母...
「キリスト教的な愛の導き方は、偏つてないですか?」と私が聞くと、 「愛の導き方、といふ考へ方が偏つてゐますね。」と切り返されてしまひました。そのかたが言ふには、愛といふのは常にそこにあるモノで、そこに導くとか気づかせるとか、さういふことではないのだとか。 常にそこにある、愛は本来平等に降り注ぎ、陰る事は無い。 でも、それが陰つたと感じてゐる人が世の中に存在する。 「さういふ場合に、愛にむかつてその人を...
前回の記事「『私』が抱く幻想」で、「私がなくなる」といふ表現をしました。分かりにくいので少し補足すると、この「私」は「肉体に強く連結された私」です。指の棘が刺さると、痛いと感じる。食事の間があくと、お腹が空いたと感じる。その感覚はあまりに即座で生々しいので、「私」がそれを感じてゐるといふ疑ひがない。それで「私は体だ」といふ自覚(錯覚)が生じるわけです。 こゝで一つのジレンマも生じる。 「肉体を持つ...
現代の最先端科学技術によれば、宇宙の半径は約450億光年の球となつてゐるやうです。ただ、これは宇宙全体の大きさではなく、観測で関はることのできる大きさで、実際の宇宙はこれより遥かに大きく広がつてゐると考へられてゐます。 一方、宇宙の年齢は、一般相対性理論による重力の方程式やさまざまな観測データから、およそ138億年と推計されてゐます。宇宙の大きさが最低450億光年だとしても、宇宙が一点から拡大したのだとす...
親は子どもに期待する。監督は選手に期待する。世界大会なら、全国民が選手に期待する。夫婦であれ恋人であれ、やはり相手に何かと期待する。 「人間関係があるところには期待あり」。さう言つてもよささうなほど、我々は意識的、無意識的に関はらず、相手に期待するもののやうです。なぜそれほどに、我々は期待するのか。期待は正当なものなのか。そして、期待は相手にプラスをもたらすのか。 あれこれ考へてみると、期待される...
かれこれ10年ほども前になるでせうか、私が一連の講座を開いて講義をしてゐたとき、その講座に毎回休まず参加して熱心に受講してくださつてゐた70代初頭の婦人がおられました。受講するだけでなく、そのあとも、毎回いろいろな質疑応答も繰り返した。その後、講座の終了とともに、会ふこともなくなつてゐたのですが、最近、ある集会でばつたり再会する機会があつたのです。 ところが、最初行き違つたとき、ちらりと視線が合つたも...
『忘れない宇宙』と題する、冊子と言つてもいゝほどの小さな本がある。副題に「重力と意識は同じ力だ」と謳つてゐます。著者はyoshiyuki2727といふ人で、一級建築士とあるから、もちろん専門の科学者ではない。 副題からも察しられる通り、科学書といふよりスピリチュアルに近いが、著者が積み重ねる思考の論理はなかなか面白いのです。その中でも、特に私の目に留まつた論考の一つにかういふものがあります。 ...
そこでは、私を罰する人は誰もいませんでした。私が許さなかったのは他人ではなく、自分だったのだと、やっとわかりました。私を非難したのも、私が見捨てたのも、私が十分愛さなかったのも私自身だったのです。ほかの誰でもありませんでした。(『喜びから人生を生きる』アニータ・ムアジャーニ) これは、アニータが臨死体験中に体感し、そこから生還したのち、我々にも分かるやうに言語化してくれた悟りの内容です...
「徳ハ窮リナイモノ」であるから、窮りなく考えるを要する。出来上がった徳がもらえるものではない。考え直すから、思って新たに得るから徳は在るので、でなければ、徳というようなものは世の中にはない。(『新・考えるヒント』池田晶子) この言葉は池田氏の本からの引用ではあるが、池田氏本人の言葉ではない。実は池田氏が引用した小林秀雄の言葉です。さらにその元の「徳ハ窮リナイモノ」との一句は、江戸時代...
その時、その場、その相手を見て道を説く彼らは、道そのものと化した人、歴史の「あや」そのものとなった人と言えるだろう。聖の原理は、聖人と呼ぶにふさわしい実在の「人間」に変わったのだが、語られている彼らの言葉を読みとるためには、今度は逆にこちらの側が、自身の歴史性、人生の一回性を、鋭く意識しているのでなければならない。『新・考えるヒント』池田晶子) 歴史上の聖人と言へば、まづイエス・キリ...
芸術的な感性において畏敬する我が息子がこれまでに観た映画のベスト第3位に挙げてゐた「ショーシャンクの空に」を、はじめて観た。映画自体は30年も前に初公開された古いものです。その年のアカデミー賞には作品賞を含む7部門でノミネートされながら無冠に終はつたものゝ、今なほ名作の評価は高い。 息子はこの映画のどこを高評価したのか、それは知らないが、私なりに印象深かつた点を書いてみます。 主人公は元銀行員のアンデ...
肉心の動向に注意してゐると、癖があることに気がつきます。一口に肉心と言つても、人それぞれで性格が違ふでせうから、その癖も一様ではないでせう。飽くまでも私の肉心の癖として考へてみます。 誰かのことを思ひ浮かべるとします。すると途端に、肉心はその人と私とを比較し始める。 「あの人は私より優れてゐるだらうか?」 「私のかういふところは、あの人にはないだらう」 そんなふうに、相手と自分との優位を見定めよう...
http://kitasendo.blog12.fc2.com/blog-entry-3527.html
我々はもつと自分の肉心と親身になつて対話する必要がある。肉心との親身な対話がないと、私は本当の自分を深く、よく知ることができない。最近、さういふ思ひを強くしてゐます。 本当の自分とは、一体どんな自分なのか。それは今の段階では私にもよく分からない。そしておそらく、大多数の人々も本当の自分を知らない。知らないまゝで死んでいく人が大半ではないかといふ気もします。 ハワイ発祥の問題解決手法、ホ・オポノポノ...
自分自身についての評価が一切なくなつたら、私はどうなるだらう。評価とは何らかの価値判断だと考へるなら、自分の価値感覚がゼロになつてしまふか。価値ゼロの私は存在することすらできなくなるだらうか。 生きる上で評価はあつて当然のものだと、疑ひもしないで生きてきました。 物心がついた途端、「あなたはいゝ子ね」と言はれたり、「かうしたらご褒美をあげる」と言はれたりする。学校にあがると、繰り返し試験が行はれ、...
私は今いかに行為するべきか。人は問う。絶対は沈黙している。しかし人はそこに絶対が存在していることを知っている。なぜか。「善悪」という語を、所有しているからである。その意味を、知ってしまっているからである。 (『新・考えるヒント』池田晶子) 私はこの思索する池田に惹かれるが、池田は思索する小林秀雄に惹かれてゐる。本書はそのタイトルにも現れてゐる通り、小林が書いた『考えるヒン...
今日は私たち夫婦の42回目の結婚記念日だつたのですが、見たところは二人で一緒に祝ふわけにはいかない。妻が先立つてから23年近くになります。 ところが2週間ほど前から、私はあることで妻の気持ちを確認したいことがあつたのです。さて、どうしたものか。特別にあの世に敏感でもない私ではあつても、何か確認できる方法はあるだらうかと、あれこれ模索してゐたところ、昨日になつて、ふと閃いたことがある。 結婚記念日に、昔...
彼(本居宣長)の言う「物知り人」とは、今日の言葉でいうとインテリです。僕もインテリというものが嫌いです。ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていないんです。あんなところに日本の文化があると思ってはいけませんよ。左翼だとか、右翼だとか、保守だとか、革新だとか、日本を愛するのなら、どうしてあんなに徒党を組むのですか。日本を愛する会なんて、すぐこさえたがる。無意味です。何故かというと、日本...
ある朝目覚めると、 「私はゐない」 と思つた。 これはどういふことだらうと考へて、「私はゐない」といふより「私はゐないほうがいゝ」といふのが、より適切ではないかと思つた。 この「私」は「私そのもの」ではなく、 「エゴの私」です。しかしもう少し考へると、「エゴの私」をゐなくすることはできない。むしろ、ゐなくては困る。だから、「エゴの私はできるだけ弱く、控へ目なほうがいゝ」といふべきか、あるいは「エゴの...
夫婦が一緒に帰宅します。途中で花屋に寄つたのでせう。かなりのボリュームの花を抱へてゐます。 夫人は2階に上がつて着替へをし、洗面所で指輪などを外し、手を洗ひます。ご主人は男だから着替へなども素早く済ませ、先に台所に入つて、買つてきた花束をほどき、花瓶に生け始めます。 降りてきた夫人が、夫の活けた花をリビングのテーブルに運びます。そして、いよいよ夕食作りの開始です。 かなりの豪邸です。夫婦でそれなり...
阿部一二三、阿部詩兄妹と言へば、今や日本柔道界のスーパースターです。2021年の東京五輪では、五輪史上初の兄妹同時優勝を果たした。ただ、今年のパリ五輪でも夢の再現に挑んだものゝ、兄が優勝した一方、妹は惜しくも2回戦で敗退した。 その兄妹がテレビのあるトーク番組に出演し、「メンタル安定のために、どんなことを心がけてゐますか?」と問はれ、兄妹揃つて似たやうな回答をした。 それが、「丁寧に生活する」といふこ...
「人事を尽くして、天命を待つ」といふ古言があります。「人事を尽くす」とは、自分のできる限りの力を尽くすといふことだとして、「天命」とは何でせうか。人事は自分がすることなので自分でコントロールできるでせうが、天命のほうは得体が知れない。その得体の知れないものゝ命(意思、意図)を待つといふのは、何だか心もとない気もします。 3年ほど前の記事「台風が直撃しませんやうに」の中で、小学生の男の子とツアー・コ...
先日紹介した「3粒レーズン瞑想」を自分なりに続けてみて、気づいたことがあります。 私は現在独り暮らしなので、大抵の食事は自宅で一人で食べる。テレビは手放して1年ほどになるが、無音はさすがに寂しいのでYoutubeで動画を流しながら食べるのが常だつた。ところが、瞑想を始めるとともに、この動画もやめてしまつたのです。 食事を目の前に置いて手を合はせる。すると、「これから聖なる祈りの時間が始まる」といふ、背筋が...
『「今この瞬間」への旅』の著者、レナード・ジェイコブソンには特異な能力があるやうです。自分のエゴばかりでなく、他人のエゴとも1対1の対話ができるといふ能力がそれです。 しかしそのエゴとは、そもそも一体何者なのか。そして、そんな得体の知れないものとどのやうに対話するのか。なんだか眉唾にも思へるのですが、ジェイコブソンはその対話の一つを詳細に再現してくれてゐます。その一部を抜粋して紹介してみませう。 ...
前回の記事「足はなぜ動かなかつたか」の中で、 「体に届くメッセージには、言葉はない。現れるのはただ、足が動かなくなるといふ現象だけです」 と書きました。 確かに、体には我々がふつうに日本語とか英語などと呼ぶやうな言葉は通じないでせう。しかし、体には体なりに理解できる言葉があるのではないか。その言葉の命令(指示)によつて、崑崙丸に乗らうとした文青年の足はピタリと地について動かなくなつた。体が理解できる...
1943年の秋、文鮮明青年は早稲田大学附属の高等工学校を卒業したのち、韓半島の故郷の家に「崑崙(こんろん)丸に乗つて帰国する」と電報を打つた。ところが、その帰国船に乗らうとした日、足が地について離れないといふ、思ひがけない不思議な現象が起きたのです。 出航時間はどんどん迫つてくる。しかしどうしても足を離すことができず、結局、崑崙丸に乗り損ねてしまつた。 「崑崙丸に乗るなといふ天のみこゝろのやうだ」 と...
「3粒レーズン瞑想法」といふものを紹介します。やり方はとても簡単です。 3粒のレーズン(必ずレーズンである必要はない。3粒のピーナッツでも、3個のキャンディでもよい)を用意します。そしてその1粒1粒をよ~く観察しながら食べる。それだけの瞑想法です。 もう少しだけ詳しく言ふなら、 ① レーズンをつまみ、表面の色や質感などを感じる。 ② 匂ひを嗅ぎ、充分に感じる。 ③ 口に運び、舌の上に乗せる。 ④ ゆつくりと噛...
僕は信ずるということと、知るということについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知ることです。(『学生との対話』小林秀雄) 我々人間の意識、特に「私」といふ意識とは一体何者なのか。どこから、どうやつて生まれてくるのか。ノーベル賞学者も量子論を駆使して解明しようとしてゐますが、まだまだ解明には至ってゐない。 意識を追求する科...
最近、知人と話してゐて、介護の話になつた。 私は3年半介護した母を1年前に看取つた。知人は父親が介護施設に入居した。口から食べようとすると、しばしば誤嚥を起こす。危険なので、鼻に管を通して、そこから栄養物を入れる処置をした。 意識が薄れてゐるなら、そんな処置など家族はしたくなかつたが、本人にはまだ生きる意志が見てとれる。意思があるのに栄養を絶つといふのはあまりに忍びないので、管で延命してもらふやう医...
ロボットが普及する次の10年、20年は、ひとびとが哲学者になる時代ではないか。僕はそれに先んじて、すべての人間を哲学者にしたいのだ。 (『アンドロイドは人間になれるか』石黒浩) これが本書の締めくゝりのフレーズです。石黒氏が考へてゐること、本書で読者に伝へたいことは、この一言に尽きると言つていゝと思ふ。 石黒氏は大学の教授ですが、かなり風変はりに見える。表情はつねに不機嫌さう...
こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。(マタイによる福音書5:3) イエス様が語つたと言はれる、有名な「山上の垂訓」の一節ですね。「こころの貧しい人」とは、どのやうな人でせうか。 ネットで調べてみると、 ・ 霊において貧しい人:自分の霊的な無力さを自覚してゐる人 ・ 自分の限界を自覚してゐる人:神の前に謙虚である人 ・ 霊に砕かれた人:神の前に無力...
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。 (ヨハネによる福音書4:23) こゝでいふ「父」とは、神のことですね。その神は、霊とまこととをもつて礼拝する者たちを求めておられるといふのです。 霊を「神霊」、まことを「真理」と言ひ換へてみます。この二つ...
自然の仕組みにとっては、どんな病気との闘いも問題ではない、なぜなら、自然の仕組み自体がその目的で存在しているからだ。(『アナスタシア』ウラジーミル・メグレ) この本については、過去の記事「『アナスタシア』シベリアの森の美女」を参考にしてください。 「自然」とは何でせうか。アナスタシアにとつて「自然」とは、神の手による創造物です。人間が作る「人工物」と対比されます。 「自...
本のタイトルは『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)なのですが、読んでいくと、問ひかけはむしろ逆転させて、「人間はアンドロイドになれるか(近づけるか)」としたほうが良ささうにも思へてきます。 ロボット工学技術は、どうしたらロボットをより人間に近づけることができるかを、日夜研究してゐる。ところが、開発途上で、まだまだ人間そつくりとは言へないロボットでも、人間のほうがそれに寄りそつて、人間のや...
『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)の第5章は、 「名人芸を永久保存する --- 米朝アンドロイド」 といふタイトルです。 人間国宝ともなつた落語家桂米朝の名人芸をアンドロイドでどこまで再現できるかといふ話になるかと思ひきや、話題は「ロボットと宗教」に移り、「ロボットが人間の死生観を変える」といふやうなところにまで発展する。石黒氏の頭はかなり哲学的な志向性を有してゐます。 私の好みで言へば、米朝...
誰にでも、分かつてゐることと分かつてゐないことがある。これはもちろん、当然のことです。そして誰でも、新しく分かつたことには驚くが、分かつてゐないことには驚かない。これもまた、ごく自然のことでせう。 たとへば、物理学や天文学が進んで、この広大な宇宙にはブラックホールなるものが存在するらしいことが、新しく分かる。するとそれを聞いて、誰もが驚く。 長い間、人々は昼間には青い空を眺め、夜には星がきらめく黒...
町のスーパーの一つに入ると、入り口にスマホが30個くらゐ並んでゐます。それを一つ取つて、カートの所定のホルダーにセットする。買ひ物を始めると、商品のバーコードをそのスマホで読み取ります。 さうしてほしいものをすべて買ひ物カゴに入れ終へると、セルフレジコーナーに入つてモニターにタッチし、さつと自分のスマホを画面にかざせば、それで支払ひが済む。従来の店員レジも横に並んではゐるのですが、セルフレジなら、買...
3歳くらゐの子どもが別れ際に、こちらをぢつと見つめながら手を振る。 その様子を見ると、 「あゝ、あの子は別れたくないんだな」 とか 「別れるときには手を振るといふ仕草を学んで、真似てゐるんだな」 などと思ふでせうね。 つまり、3歳の子にも一人前の立派な「心」があると感じる。 それなら、見た目はかなり人間に近いロボット(あるいはアンドロイド)が 同じやうに別れ際に手を振る動作をしたらどうでせう。 「なんだ...
あるひとつの家族の姿を通して、家族の意味、家族一人一人の幸せとは何だらうといふことを考へてみようと思ひます。 夫婦に3人の息子がゐます。父は高潔で、責任感のある人でした。カリスマと呼んでもいゝほど統率力もあり、母を初め息子たちも尊敬、信頼しながら従つてきたやうです。 ところがその父も寄る年波、体力も弱り、少しづつ認知も入り始めてきたやうに見える。昔のやうな威厳も薄れ、息子たちにとつては頼りなくもあ...
原題『Seatbelt Psychic』(邦題『占いタクシー』)といふドラマシリーズがAmazonPrimeなどで配信されてゐます。 ドラマと書いたものゝ、作り話ではなささうです。霊媒師トーマスがタクシー運転手に扮してお客を乗せ、出し抜けに「霊を信じますか?」と問ひかける。すると「私、そんなの信じないわ。見たことないし」と懐疑的な人もゐれば、「あなた、見えるの? 私の傍に誰がゐる?」と興味を示す人もゐる。その反応を見ると、...
独り内神(うちつかみ)に儞(かな)いて、外神(かみがみ)に応じる。 (『宗徳経』) この『宗徳経』は先代旧事本紀大成経の第39巻「経教本紀」に収められてゐるものです。 「聖徳太子の著作と生前のふるまひと言葉を記録した巻物を後世に残すべし」 との第33代推古天皇の詔を受けて、秦河勝らが編纂したものと言はれます。 江戸時代以来、偽書説もあるやうですが、私にはもちろん...
真夜中に目が覚めたとき、 「私は死んでゐる」 と思つた。 いや、もう少し正確に言ふと、 「今、私が死んでゐるとしたら、どういふことになるだらう?」 と思つたのです。 もし死んでゐるなら、もうこの世(肉体が生きてゐた世界)にはゐない。夜が明けても、もう仕事に行く必要がない。これはかなり気が楽だ。 といふか、本当に死んでゐるなら、どうして今こんなふうに思考が働いてゐるのだらう? どうやら、死んでも思考は働...
我ながらよく書いてきたなと思ふが、今回の記事で3000個に達した。最初の記事が2009年10月1日だから、14年と10ヶ月続けてきて、1年あたり200個の記事を書いてきたことになります。 最近は体力、視力の衰えもあつて、明らかにペースが落ちてゐる。記事単体はさほど長いものではないが、一つ書くのにたいていは数時間を要する。ときには下書きしたものを一晩、二晩寝かせ、頭の中でアイデアが醸成するのを待つこともしばしばある。 ...
Youtubeで得た逸話で、出典は詳らかにしないが、お釈迦様についてこんなお話があります。 当時、お釈迦様はすでに多くの弟子を持ち、サンガといふ出家僧の組織が作られてゐた。ヴィクラムといふ商人の息子たちもこの組織に入り、お釈迦様の指導を受けて瞑想に没頭してゐた。 ヴィクラムからすれば、息子たちが父親を見習つて商売に専念するなら、いくらでも金儲けができる。仕事もしないで瞑想ばかりして何の役に立つのか。そう...
前回の記事「敵対するものがつねに身近に存在する」は結論がないまゝ、尻切れトンボに終はつてしまつた感があります。書きにくゝて書き切れなかつたことを、比喩的に書いてみます。そのつもりでお読みください。 人のタイプを「兵士」と「非兵士」の2つに分けます。 「兵士」は言ふまでもなく、戦ふ人です。頭の中に「正義」があり、「善と悪」があります。特に、悪を前提として善を考へます。 それでたとへば、自分の期待に反...
米国共和党の次期大統領候補と目されてゐたトランプ氏の暗殺未遂事件が起こつた直後、共和党の党大会で候補者として正式に指名された。そして彼が副大統領候補として指名したのが、J.D.バンス上院議員(39歳)といふ非常に若い政治家だつた。 彼は元々『ヒルビリー・エレジー』といふ自伝的小説がベストセラーになつた作家であり、その後、オハイオ州から立つて上院議員となつた。私は彼の小説を読んだことはないが、その解説など...
虫歯が悪化したりするとお世話になる、行きつけの歯科医院があります。治療室には治療用の椅子が横に5つ並んでゐる。 先日久しぶりに行つたら、1回目に座らされた椅子の肘置きはもうかなり擦り切れてゐて、「随分年季が入つてるな」と思つた。ところが2回目のときは別の椅子に案内され、座つてみるととても真新しい。 院長先生が得意満面で、 「どうです。きれいでせう?」 と話しかける。 「最近、新しいものに入れ替へたんで...
南米アマゾンの奥地に「ピダハン」といふ先住部族が暮らしてゐるさうです。現在の規模はおよそ400人ほど。小さな村程度の規模です。 彼らを詳しく紹介したのは、言語学者にしてキリスト教宣教師のダニエル・エヴェレット。彼は実に30年間にわたつて彼らと生活を共にしながら、その生活、言葉、思考を調査した。そして、驚くべきことを発見したのです。 まづ、彼らの言葉には未来形も過去形もない。つまり、「昔こんなことがあつ...
ビューと風を切る音が聞こえ、銃弾が皮膚を裂くのを感じたことで、すぐに何かがおかしいと気づいた。 衝撃的なニュースが世界を駆け巡りました。米国ペンシルバニア州バトラーで演説中に、共和党のトランプ大統領候補が銃撃を受けた。弾丸のひとつがトランプ氏の右耳を掠めて(一説には貫通したとも)流血はあつたものゝ、奇跡的に軽症ですみ、暗殺未遂に終はつた。 1981年のレーガン大統領暗殺未遂以来で、43年ぶ...
東京都知事選が終はつてみると、現職の候補者にこそ敵はなかつたものゝ、トップ挑戦者と見なされてゐた蓮舫候補者をかなり引き離して、驚きの2位当選した石丸伸二といふ男。選挙期間中からその認知度は急速に上がつたが、選挙が終はつてからも「石丸構文」などといふフレーズがネットを賑はすなど、引き続き注目度の高さを見せてゐます。 これを 「石丸現象」 と呼んでみませう。 この現象についてはすでに、多くの人が分析をし...
私たちが、何かが分かる、あるいは誰かの正体が分かるといふのは、一体どういふことでせうか。ふだん当たり前のやうに思つてゐるこのことを、改めて考へてみます。 たとへば、目の前に一輪の花があるとします。 その花を見て、 「あゝ、これは百合だな」 と即座に思ふ。 ところが、さう言つたとたん、私はその花の正体が分からなくなるのではないか。そんな気がするのです。 昔からその花の種類には「百合」といふ名前をつけて...
今からおよそ100年前、当代物理学のヒーロー、アインシュタインと、哲学の泰斗ベルグソンとの間で、「時間」を巡る大論争が巻き起こつたことがあります。 ご存じのやうに、アインシュタインはその一般相対性理論によつて、時間は空間とともに歪み、観測者の移動速度や重力場によつて伸びたり縮んだりすることを論証しました。 それに対してベルグソンは、アインシュタインが時間を実質的に空間の一部として捉へ、直感的な時間の...
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昨年12月に始めた読書会も、今回で5回目を迎へました。取り上げたのは『おかげさまの法則』(入江富美子)。 入江さんはしばしば「あるがまゝでいゝ」と言ふ。参加者の中からは、「あるがまゝといふのは、今の自分のまゝでいゝ、といふことだらうか」といふ疑問が出る。今の自分のまゝなら、他人と比べて羨んだり妬んだりする自分、あるいは尊大になつたり、逆に自己卑下したりする自分を認めることになる。それでは心が納得しな...
日常生活の中で、「見られてゐる自分」を意識することが、しばしばあります。 自分の容姿や態度、言動などが、他の人たちからどう見られてゐるか。それが気にかゝる。 できるならよく見られたい。好感を持たれたい。そのためには、あまり周囲と対立したり、刺激したりするやうなことは避けよう。さういふ思惑も働くものです。 ところがあるとき、「見られてゐる自分」を本当に見てゐるのは、いつたい誰なんだと、はたと考へ込ん...
今年の2月から、新しい職に就いて働き始めた。地元の県立高校の警備といふ仕事です。平日は日直、週末は宿直も入る。4人でこの警備を途切れなく回すローテーションを組んでゐます。 1回の担当あたり、校舎の内外を2回巡回し、鍵をかけたり閉めたりする。授業や教職員勤務の始まる前か終了後に回るから、巡回中に人と出会ふことは滅多にない。まだだれも来てゐない早朝の教室、みんなが帰つたあとの暗がりの廊下。さういふところを...
『ありがとう100万回の奇跡』の著者、工藤房美さんは、医者からも見放された末期ガンから生還した。回復の切つ掛けを作つたのは、病床で読んだ村上和雄さんの『生命の暗号』です。(詳しい経緯は記事「全細胞にありがたう」を参照) 完治した後、工藤さんは不思議と自閉症などの障害者に頻繁に出会ふやうになつた。しかもその出会ひかたが尋常ではない。 たとへば、工藤さんが経営してゐたビュッフェレストランに車椅子でやつ...
お釈迦様はご自分について、 「天上天下唯我独尊」 と言はれた。 イエス様はご自分について、 「私は神の子である」 と言はれた。 一見すると、互ひにニュアンスの異なる自己認識のやうにも見えながら、根底には共通する実感があると思ふ。 イエス様については、「神の独り子」あるいは「神の独り息子」という表現もあります。しかし、改めて確認してみると、イエス様ご自身がこのやうに言はれた箇所は聖書の中にない。特にヨハ...
みたまが深まったとき、お詫びとお礼は自ずと湧いてきます。これまでの自分が質問して自分が答える自問自答から、自分が質問し、みたまが答える自問自答に変わっていきます。そして、究極にはみたまが質問し、みたまが答える自問自答へと変化していくのです。こうなってくると、もはやお詫びとお礼という概念もなく、日常の中でクリーニングが自然と起こってきます。 (『おかげさまの法則』入江富美子) ...
やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声 やがて死ぬ けしきも見えず 蝉の声 (松尾芭蕉) 芭蕉晩年の句だと言はれます。「けしきは」と「けしきも」の二通りが伝はつてゐるやうです。一文字の違ひで、ニュアンスが変はつてきますね。 「けしき」には「景色」と「気色」の二通りが考へられます。どちらの「けしき」と解するかで、これまた意味合ひが随分と変はるでせう。 「景色」と解すれば、それが...
小林秀雄が提起した「質問と答へ」の問題が、繰り返し、しつこく私の頭をよぎります。よぎると、どうしても考へざるを得ない。 小林は、 「難しい人生に向かつて、うまく質問することができたら、もう答へは要らない」 と言ふ。 (参考「正しく訊く」) 「答へは要らない」とは、どういふ意味だらう。人生の問題、とりわけ重大な問題について、どうするのが最善であるかと質問したとして、「答へは要らない」のではなく、「答へは...
静岡県三島市にある耕月寺(曹洞宗)の住職、甲賀祐慈(こうがゆうじ)老師が、 「座禅をしてゐるときに湧いてくる雑念は、そのまゝ放つておけ」 と言つてゐます。 座禅は雑念を断つて瞑想に集中しようとするところにこそ、その肝要な点があるのではないですか。それなのに、雑念は放つておけとはどういふことでせうか。 よくよく聞いてみると、 「雑念は放つておけ。雑念を何とかなくさうといふ思ひをなくせ」 といふことのやう...
AmazonのAIは私のブログも熟読して、私の嗜好をよく知つてゐるのでせう。Kindleを開いたら、お勧め書籍の最初に『ありがとう 100万回の奇跡』(工藤房美)といふ書籍が表示されました。「ありがとう100万回でガンが消えました」とあります。 勧めに従つて、早速読んでみました。 48歳の女性が子宮頸ガンになつた。異常を感じて病院に行くと、「どうしてこんなになるまで放つておいたんだ」と、医者から大声で叱られた。そして...
本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。僕は本当にそうだと思う。ベルグソンもそう言っていますね。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる。(『学生との対話』小林秀雄) 私は折にふれて、小林のこの言葉をよく思ひ出す。とても含蓄の深い言葉だと思ふ。今朝も起きがけに、ふとこの言葉を思ひ出し、...
人生は苦痛に満ちてゐる。悩みも尽きない。できるなら、苦痛は回避したい。どうしたらそれができるか。仏教とキリスト教ではその処方箋は随分違ふが、それぞれのポイントを見てみます。 仏教では、悩みの原因は「渇愛」または「執着」にあるといふ。したがつて、悩みを取り除くには欲望を捨て、執着を離れゝばよいといふことになる。そして、願ひは転生の輪廻から解脱した「涅槃」です。 一方キリスト教では、悩みの根本原因は「...
先日「ダイモンの正体」といふ記事を書いたあと、日常の用事をしてゐるときに、ふいに、 「ダイモンの正体は、いかにも知つたかぶりで偉さうに書いたけれど、それなら一体あなた自身の正体は何なのか。それをはつきりと言へるか」 といふ思ひが、あたかも誰かからの問ひかけのやうに、脳裏に浮かんだ。 こんなことを誰が問い質すのか。容易な質問ではない。そもそもこのブログだつて、その答へを求めて書き続けてゐるやうなもので...
ギリシャの哲学者ソクラテスの思索と生涯を導いたと言はれる「ダイモン」。その正体は一体何かについては諸説紛々で、いまだにこれといつた定説はない。 ソクラテス自身は「ダイモン」について、「内なる声」「神的な兆候」などと呼び、「何かをするときに反対する声」だと証言してゐます。面白いと思ふのは、この声が「積極的に何らかの行動を促す」のではなく、「それをするなと警告する」声だと言つてゐる点です。 彼は裁判に...
前回の記事「見えないものは『私の内側』にある」で書いたことについて、何か今一つ書ききれてゐない気がするので、もう少し深堀りしてみます。 前回の記事の筋立ては、概ね次のやうなものです。 空間認識においては、リンゴの今見えてゐる面は「私の外面」にある一方、見えてゐない裏側は「私の内面」にあると考へる。なぜなら、裏側は見えてゐないのに「あるはずだ」と私の心の中で思つてゐる(想定してゐる)のですから、「私...
ヌーソロジー(noosology)といふ新しい思想。noosの語源となつたギリシャ語の「nous」は、「知性」「論理」「理性」などと訳される意味を持つてゐます。 その志向する目的をGrokさんに尋ねると、 「意識の反転を通じて、物質世界と精神世界を統合し、人間と宇宙の本質を新たな視点から理解すること」 と要約してくれます。 これだけでは、意味もよく分かりませんね。ヌーソロジーが提案する概念はかなり難解で、私もいまだ十分...
あなたはどうして姿を現さないのですか? 私は何度も現れている。今もこうして現れている。いや、そうじゃないんです。もっと疑いの余地のない現れ方、否定しようのない現れ方のことです。いま、そうしているではないか。どこに?あなたが見るものすべてに。私には、あなたがたが理解できるかたちも姿もない。私はどんなかたちや姿になることもできるが、そうすれば誰もが、自分の見たかたちや姿こそが神の唯一の姿だ...
「ありがたう」といふ言葉を口にすると、脳は「ありがたい」と思へる現象を探し始める。 ときどき耳にする言葉ですが、本当にそんなことがあるのか。これをGrok3さんに訊いてみると、 「『実証されてゐる』とは断言できないものゝ、脳科学や心理学の研究である程度裏づけられてゐます」 といふ回答が返つてきます。 脳科学では、神経回路に変化が生じるといふ。そして習慣化すれば、神経回路が太くなる。 車で街を走ると、実に...
「なぜ女性は歳を取ると夫を嫌ひになるのか」といふタイトルの動画があります。三大精神分析学者の一人、アルフレッド・アドラーによる分析と解説をうまくまとめてゐます。このタイトルは、男性なら内心ドキリとし、同時に、その理由を訊いてみたい気になるものでせう。 多分、逆のケースもあり得るとは思ふ。つまり、「なぜ男性は歳を取ると妻を嫌ひになるのか」といふことです。しかし、ケースとしては圧倒的に少ないやうな...
「他我思想」については、これまで何度か記事にしたことがある。改めて思ふところがあつたので、少し違ふ観点から書いてみます。 今までは「他為」思想について語りましたが、これからは「他為」ではありません。「他我」思想を語らなければなりません。「他」とは何かと言えば、「我」だというのです。相対が「私」だというのです。カイン世界のために生きなければならないというのですが、そうではあ...
誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛を持ってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を蓄える。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断を控えること、このような態度がどれほど大きな力を与えてくれるか。(『いかにして超感覚敵世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー) ...
「宇宙とは太陽系のことである」 といふ、とても風変りな思想があります。 ヌーソロジー(Noosology)といふ、非常に新しい思考の試みです この思想によれば、太陽系の外に宇宙はない。 いやいや、太陽系の外には銀河系があるのではないか。アンドロメダ星雲もあるし、無数の恒星が宇宙全体に散らばつて存在してゐるのではないか。我々はさう、現代科学によつて教へられてきたでせう。 それでもヌーソロジーは、 「それらはす...
こゝ数年、毎年春になると、花屋から花の苗を買つてきて鉢に植ゑ、玄関先に並べてみる。しかし我ながらセンスがないなと思ふ。なかなかうまく見栄えのする景観を作ることができないでゐます。 それでも、植ゑたときにはまだ固い蕾だつたものが、しばらくするとだんだん開いてきて、小さな花を広げ始める。それを見ると、赤ん坊が一所懸命に立ち上がらうとしてゐるやうで、「健気だなあ」と思ふ。 植物も動物も、人間のやうに言葉...
一体誰が世界を見てゐるか、といふことについて考へてみようと思ひます。 世界と言ふと、ふつうは時空間の広がりだと捉へるでせう。部屋の中にゐれば、部屋の広さの空間がある。そして、部屋の外は見えないとしても、外にはさらに広い空間が広がつてゐる(はずだ)と考へてゐる。 自分に見えてゐるごく小さな一部分の空間と、見えてゐない残りの広大な空間。これらを合はせて「世界」と考へてゐるでせう。さて、この世界を見てゐ...
夕方、スマホをズボンのポケットに入れてYoutubeを聞きながら草取りをしてゐると、女性の声で、 「自分を好きになるつていふのは、人生でイ~ッチバン難しいこと。それをまづ頭に入れておいてほしい」 といふ話をし始める。 これは私自身、日頃からよく考へるテーマなのですが、改めて、 「一番難しいといふほど、難しいかな?」 と自問することに。 そして、あまり思案する間もなく、 「さうに違ひなささうだなあ」 と思ふ。 ...
じっと見つめていると、全体におけるそのものの位置が「わかる」。そうすると、意義が分かるのであります。その後も心をそこから放さないでいますと、次第にそのものの内容がその人の感情に取り入れられてゆく。体得されて、感情となって本当にその人の中に入ったものは、だんだん素朴化されることによって、次第に深く入り、ついに情緒の中心に達する。(『紫の火花』岡潔 前回の記事で「目の前のも...
鶯の鳴き声を聞いて、昨年のちやうど今頃、鶯の話題を記事に書いたことを思ひ出しました。 鶯の鳴き声を聞くと、私にはどうしてもそれが、 「ホーホケキョ」 と聞こえる。■ 鶯はなぜ「ホーホケキョ」と鳴くのか 一説によると、浄土真宗中興の祖、蓮如上人が鶯の鳴き声を聞いて、 「あゝ、あれは『法、法華経』と鳴いてゐるなぁ」 と言はれたといふ。 その話を聞いた人たちは、鶯の声を聞くたびにだんだんとそれが 「ホーホケキ...
呼吸は無意識に行なつてゐて途切れないやうに、私たちの頭にも無意識の裡に途切れずに生じる思考があります。 たとへば、二つの選択肢があれば、 「どちらかが正しく、どちらかが間違つてゐる」 と考へたり、 「どちらかがもう一方より正しい」 と、無意識の裡に考へる。 あるいは、自分の考へと違ふ人がゐると、 「この人を変へないと」 と、相手を自分に合ふやうに変へようとする。 これも、ほぼ無意識の思考です。自律神経が...
ある切つ掛けがあつて、ふとこんなことを思つた。 「仕事とお金の関係を、一度切り離して考へてみてはどうか」 今の世の常識では、お金は基本的に仕事を通して手に入る。それが商売であらうと会社勤務であらうと、仕事なしにお金を手に入れることはできない。(こゝでは、詐欺とか不正株取引などは同列に述べないことにします) 特に時給換算の仕事なら、1時間働いていくら、1週間に5日働いていくらといふふうに、仕事(体を動...
そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」人々はイエスの着物をくじ引きで分け合った。(「新約聖書」ルカによる福音書23:34) イエス様を十字架で殺害することが、一体どういふことであるのか。それを当時の人々は誰も分からずにゐた。そして、イエス様の着物をくじ引きで分け合ふなどといふ、話にもならない愚かな行為に耽つ...
もう30年近くも昔のことです。携帯もスマホも、もちろんない。ポケベルもまだなかつたと思ふ。 教会長をしてゐた。東西に長い県で、東の端の教会から県の真ん中あたりまで、月に1回くらゐ、夕方出かけて家庭礼拝をする慣はしだつた。 距離にすれば、約80キロ。高速道路もないから、ふつうに走れば1時間半はかゝる。礼拝が終はれば、もう8時半か9時になる。それから家まで帰る。夜でもあり、ぶつ飛ばして、大抵は1時間少しで自宅...
4年前に退職し、それと同時に母の自宅介護が始まつた。その介護は3年半続いたが、私は再就職もせず、それにほぼ専念した。 専念したと言つても、週に3日はデイサービスに行く。月に1週間はショートステイのお世話になる。デイサービスに行き、ショートステイで家を空ければ、家に残つた私には取り立ててすることがない。往々、時間を持て余すことも多かつた。 こんな生活は、私の人生でほぼ初めてのことだつた。家に独りでゐれば...
Amazon Primeで「沈黙の艦隊」シーズン1を観てゐます。8話まである。しかもそれをひと通りではない。多分もうすでに6回は繰り返し観てゐる。それほど面白い。 魅力の要素は、いろいろ思ひ当たります。 VFX(ビジュアルエフェクト)技術が相当高い。主役である最新鋭原潜「やまと」の戦闘ぶり、米国第3艦隊、第7艦隊の偉容など、何度観ても感嘆する。 突飛なストーリー。日本と米国が極秘裏に共同で開発した原潜を、日本人クルー...
アニータ・ムアジャーニは臨死体験とそこからの奇跡的な生還を機に、意識が大きく変容し、それに伴つて生活も一変した。彼女の発言は徐々に広がつて人々の注目するところとなり、有力な後援者の力で本の出版にまで発展した。その後は、世界各地を講演旅行するやうになつた。 ある講演会での出来事です。 講演の最中、一人の若い女性が立つて質問をした。ついこの前、最愛の一人息子を亡くしたといふのです。自分はシングルマザー...
それは、身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、むしろ目覚めたような感覚でした。おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかもしれません。私の魂は、その真のすばらしさをやっと悟ったのです。(『喜びから人生を生きる』第7章) 私はまだ、無条件の愛と、受け入れられた雰囲気に包まれていました。自分のことを新しい目で見ることができ、宇宙の美しい存在に思えたのです。私は存...
このごろの物知りといふのは、もう大変なもんですな。しかしものを知るといふのは、自分の知恵は何にも働かさないといふことです。学問は独学です。独学は質問することです。(小林秀雄の講演録より) 昔も今も「文士」と呼ばれる人は星の数ほどもゐるが、その人の作品を100回以上も読み直すほどのファンを持つ文士は、滅多にゐないでせう。しかし、小林はさういふ稀有な文士の一人です。私はさすがに...
さして特別な体験ではなくても、自分自身をよく見つめる機会を得たので、少し書いてみます。 5日ほど前のことです。玄関で呼ぶ女性の声がする。 誰かと思つて出てみると、見知らぬ人で、 「給湯器を使つておられますよね」 といふ話を始める。 給湯器を勧める電話はときどきあるが、直接訪ねて来る人は珍しい。少し説明を聞いたあとで、「詳しい上司」と紹介された男性が現れる。彼がパンフレットを示しながら、懇切に説明して...
我々の内なる良心は、ガリレオの望遠鏡に似てゐると思ふ。良心は神を見る望遠鏡と言つてもいゝし、レンズと言つてもいゝ。 ガリレオは実験と観察を重んじる人で、望遠鏡による観察を通して地動説を確信するに至つたと言つていゝでせう。 たとへば彼は、望遠鏡によつて、木星には4つの衛星があることを見つけた。これは、地球を中心に廻つてゐない天体があることを意味してゐる。天動説への反証になる観察結果を得たわけです。 ...
「未来の記憶を思ひ出す」 といふのは、言葉自体に矛盾を孕んでゐるやうな感じですね。 「未来」と「思ひ出す」は時制が合はない。「未来」なら「夢想する」であり、「思ひ出す」のは「過去の記憶」でせう。 これは言葉の問題もあるので、「記憶」の代はりに「思ひ」としませう。すると、「未来の思ひを思ひ出す」となります。「思ひ」は過去にもあるし、未来にもあるものです。 たとへば、旅行の計画を立てるとします。 地図...
私はあるとき、 「原理は学んではいけない」 と思つたことがあります。 「学ぶのではなく、探さなくてはいけない」 と思つたのです。 意識の観点から教育を分類してみると、大きく3つ思ひ浮かびます。 ① 知識教育 ② 体験教育 ③ 無意識教育 知識教育は意識教育と言つてもいゝものです。その特徴は「言葉」で伝へるところにあります。 「これは、かうである」 「これは、かうでなければならない」 といふふうに、言葉で知識...