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kitasendo
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2009/10/24

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  • 霊とまこと

    しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。 (ヨハネによる福音書4:23) こゝでいふ「父」とは、神のことですね。その神は、霊とまこととをもつて礼拝する者たちを求めておられるといふのです。 霊を「神霊」、まことを「真理」と言ひ換へてみます。この二つ...

  • 神の真実

    自然の仕組みにとっては、どんな病気との闘いも問題ではない、なぜなら、自然の仕組み自体がその目的で存在しているからだ。(『アナスタシア』ウラジーミル・メグレ) この本については、過去の記事「『アナスタシア』シベリアの森の美女」を参考にしてください。 「自然」とは何でせうか。アナスタシアにとつて「自然」とは、神の手による創造物です。人間が作る「人工物」と対比されます。 「自...

  • 体は「私」か

    本のタイトルは『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)なのですが、読んでいくと、問ひかけはむしろ逆転させて、「人間はアンドロイドになれるか(近づけるか)」としたほうが良ささうにも思へてきます。 ロボット工学技術は、どうしたらロボットをより人間に近づけることができるかを、日夜研究してゐる。ところが、開発途上で、まだまだ人間そつくりとは言へないロボットでも、人間のほうがそれに寄りそつて、人間のや...

  • 「人格」はどこにあるか

    『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)の第5章は、 「名人芸を永久保存する --- 米朝アンドロイド」 といふタイトルです。 人間国宝ともなつた落語家桂米朝の名人芸をアンドロイドでどこまで再現できるかといふ話になるかと思ひきや、話題は「ロボットと宗教」に移り、「ロボットが人間の死生観を変える」といふやうなところにまで発展する。石黒氏の頭はかなり哲学的な志向性を有してゐます。 私の好みで言へば、米朝...

  • 知らない私

    誰にでも、分かつてゐることと分かつてゐないことがある。これはもちろん、当然のことです。そして誰でも、新しく分かつたことには驚くが、分かつてゐないことには驚かない。これもまた、ごく自然のことでせう。 たとへば、物理学や天文学が進んで、この広大な宇宙にはブラックホールなるものが存在するらしいことが、新しく分かる。するとそれを聞いて、誰もが驚く。 長い間、人々は昼間には青い空を眺め、夜には星がきらめく黒...

  • アンドロイド・レジ

    町のスーパーの一つに入ると、入り口にスマホが30個くらゐ並んでゐます。それを一つ取つて、カートの所定のホルダーにセットする。買ひ物を始めると、商品のバーコードをそのスマホで読み取ります。 さうしてほしいものをすべて買ひ物カゴに入れ終へると、セルフレジコーナーに入つてモニターにタッチし、さつと自分のスマホを画面にかざせば、それで支払ひが済む。従来の店員レジも横に並んではゐるのですが、セルフレジなら、買...

  • 心は、見る者の想像の中にある

    3歳くらゐの子どもが別れ際に、こちらをぢつと見つめながら手を振る。 その様子を見ると、 「あゝ、あの子は別れたくないんだな」 とか 「別れるときには手を振るといふ仕草を学んで、真似てゐるんだな」 などと思ふでせうね。 つまり、3歳の子にも一人前の立派な「心」があると感じる。 それなら、見た目はかなり人間に近いロボット(あるいはアンドロイド)が 同じやうに別れ際に手を振る動作をしたらどうでせう。 「なんだ...

  • 「正しさの主張」の結末

    あるひとつの家族の姿を通して、家族の意味、家族一人一人の幸せとは何だらうといふことを考へてみようと思ひます。 夫婦に3人の息子がゐます。父は高潔で、責任感のある人でした。カリスマと呼んでもいゝほど統率力もあり、母を初め息子たちも尊敬、信頼しながら従つてきたやうです。 ところがその父も寄る年波、体力も弱り、少しづつ認知も入り始めてきたやうに見える。昔のやうな威厳も薄れ、息子たちにとつては頼りなくもあ...

  • 霊本人に似てゐないロボット

    原題『Seatbelt Psychic』(邦題『占いタクシー』)といふドラマシリーズがAmazonPrimeなどで配信されてゐます。 ドラマと書いたものゝ、作り話ではなささうです。霊媒師トーマスがタクシー運転手に扮してお客を乗せ、出し抜けに「霊を信じますか?」と問ひかける。すると「私、そんなの信じないわ。見たことないし」と懐疑的な人もゐれば、「あなた、見えるの? 私の傍に誰がゐる?」と興味を示す人もゐる。その反応を見ると、...

  • 「内神」とはどんな神か

    独り内神(うちつかみ)に儞(かな)いて、外神(かみがみ)に応じる。 (『宗徳経』) この『宗徳経』は先代旧事本紀大成経の第39巻「経教本紀」に収められてゐるものです。 「聖徳太子の著作と生前のふるまひと言葉を記録した巻物を後世に残すべし」 との第33代推古天皇の詔を受けて、秦河勝らが編纂したものと言はれます。 江戸時代以来、偽書説もあるやうですが、私にはもちろん...

  • 私は死んでゐる

    真夜中に目が覚めたとき、 「私は死んでゐる」 と思つた。 いや、もう少し正確に言ふと、 「今、私が死んでゐるとしたら、どういふことになるだらう?」 と思つたのです。 もし死んでゐるなら、もうこの世(肉体が生きてゐた世界)にはゐない。夜が明けても、もう仕事に行く必要がない。これはかなり気が楽だ。 といふか、本当に死んでゐるなら、どうして今こんなふうに思考が働いてゐるのだらう? どうやら、死んでも思考は働...

  • 人間、この限りなく柔軟な者

    我ながらよく書いてきたなと思ふが、今回の記事で3000個に達した。最初の記事が2009年10月1日だから、14年と10ヶ月続けてきて、1年あたり200個の記事を書いてきたことになります。 最近は体力、視力の衰えもあつて、明らかにペースが落ちてゐる。記事単体はさほど長いものではないが、一つ書くのにたいていは数時間を要する。ときには下書きしたものを一晩、二晩寝かせ、頭の中でアイデアが醸成するのを待つこともしばしばある。 ...

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まるくまーる(元教育部長の講義日記)
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