夢はいつも、思ひがけない。しかし、少し意識の深層を探れば、何らかのつながりがありさうにも思へる。 今朝の夢はちよつとおかしくて、うら若い、か細い女性が、私を肩車してくれるのです。女性だし、か細いのだから、私を肩に乗せたとき、うまく重心が取れずに足元がふらついて、よろよろする。肩に乗つてゐる私も、倒れやしないかとひやひやする。 しかし間もなく重心を得て、彼女は安定してくる。か細いのに結構しつかりして...
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。 (ヨハネによる福音書4:23) こゝでいふ「父」とは、神のことですね。その神は、霊とまこととをもつて礼拝する者たちを求めておられるといふのです。 霊を「神霊」、まことを「真理」と言ひ換へてみます。この二つ...
自然の仕組みにとっては、どんな病気との闘いも問題ではない、なぜなら、自然の仕組み自体がその目的で存在しているからだ。(『アナスタシア』ウラジーミル・メグレ) この本については、過去の記事「『アナスタシア』シベリアの森の美女」を参考にしてください。 「自然」とは何でせうか。アナスタシアにとつて「自然」とは、神の手による創造物です。人間が作る「人工物」と対比されます。 「自...
本のタイトルは『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)なのですが、読んでいくと、問ひかけはむしろ逆転させて、「人間はアンドロイドになれるか(近づけるか)」としたほうが良ささうにも思へてきます。 ロボット工学技術は、どうしたらロボットをより人間に近づけることができるかを、日夜研究してゐる。ところが、開発途上で、まだまだ人間そつくりとは言へないロボットでも、人間のほうがそれに寄りそつて、人間のや...
『アンドロイドは人間になれるか』(石黒浩)の第5章は、 「名人芸を永久保存する --- 米朝アンドロイド」 といふタイトルです。 人間国宝ともなつた落語家桂米朝の名人芸をアンドロイドでどこまで再現できるかといふ話になるかと思ひきや、話題は「ロボットと宗教」に移り、「ロボットが人間の死生観を変える」といふやうなところにまで発展する。石黒氏の頭はかなり哲学的な志向性を有してゐます。 私の好みで言へば、米朝...
誰にでも、分かつてゐることと分かつてゐないことがある。これはもちろん、当然のことです。そして誰でも、新しく分かつたことには驚くが、分かつてゐないことには驚かない。これもまた、ごく自然のことでせう。 たとへば、物理学や天文学が進んで、この広大な宇宙にはブラックホールなるものが存在するらしいことが、新しく分かる。するとそれを聞いて、誰もが驚く。 長い間、人々は昼間には青い空を眺め、夜には星がきらめく黒...
町のスーパーの一つに入ると、入り口にスマホが30個くらゐ並んでゐます。それを一つ取つて、カートの所定のホルダーにセットする。買ひ物を始めると、商品のバーコードをそのスマホで読み取ります。 さうしてほしいものをすべて買ひ物カゴに入れ終へると、セルフレジコーナーに入つてモニターにタッチし、さつと自分のスマホを画面にかざせば、それで支払ひが済む。従来の店員レジも横に並んではゐるのですが、セルフレジなら、買...
3歳くらゐの子どもが別れ際に、こちらをぢつと見つめながら手を振る。 その様子を見ると、 「あゝ、あの子は別れたくないんだな」 とか 「別れるときには手を振るといふ仕草を学んで、真似てゐるんだな」 などと思ふでせうね。 つまり、3歳の子にも一人前の立派な「心」があると感じる。 それなら、見た目はかなり人間に近いロボット(あるいはアンドロイド)が 同じやうに別れ際に手を振る動作をしたらどうでせう。 「なんだ...
あるひとつの家族の姿を通して、家族の意味、家族一人一人の幸せとは何だらうといふことを考へてみようと思ひます。 夫婦に3人の息子がゐます。父は高潔で、責任感のある人でした。カリスマと呼んでもいゝほど統率力もあり、母を初め息子たちも尊敬、信頼しながら従つてきたやうです。 ところがその父も寄る年波、体力も弱り、少しづつ認知も入り始めてきたやうに見える。昔のやうな威厳も薄れ、息子たちにとつては頼りなくもあ...
原題『Seatbelt Psychic』(邦題『占いタクシー』)といふドラマシリーズがAmazonPrimeなどで配信されてゐます。 ドラマと書いたものゝ、作り話ではなささうです。霊媒師トーマスがタクシー運転手に扮してお客を乗せ、出し抜けに「霊を信じますか?」と問ひかける。すると「私、そんなの信じないわ。見たことないし」と懐疑的な人もゐれば、「あなた、見えるの? 私の傍に誰がゐる?」と興味を示す人もゐる。その反応を見ると、...
独り内神(うちつかみ)に儞(かな)いて、外神(かみがみ)に応じる。 (『宗徳経』) この『宗徳経』は先代旧事本紀大成経の第39巻「経教本紀」に収められてゐるものです。 「聖徳太子の著作と生前のふるまひと言葉を記録した巻物を後世に残すべし」 との第33代推古天皇の詔を受けて、秦河勝らが編纂したものと言はれます。 江戸時代以来、偽書説もあるやうですが、私にはもちろん...
真夜中に目が覚めたとき、 「私は死んでゐる」 と思つた。 いや、もう少し正確に言ふと、 「今、私が死んでゐるとしたら、どういふことになるだらう?」 と思つたのです。 もし死んでゐるなら、もうこの世(肉体が生きてゐた世界)にはゐない。夜が明けても、もう仕事に行く必要がない。これはかなり気が楽だ。 といふか、本当に死んでゐるなら、どうして今こんなふうに思考が働いてゐるのだらう? どうやら、死んでも思考は働...
我ながらよく書いてきたなと思ふが、今回の記事で3000個に達した。最初の記事が2009年10月1日だから、14年と10ヶ月続けてきて、1年あたり200個の記事を書いてきたことになります。 最近は体力、視力の衰えもあつて、明らかにペースが落ちてゐる。記事単体はさほど長いものではないが、一つ書くのにたいていは数時間を要する。ときには下書きしたものを一晩、二晩寝かせ、頭の中でアイデアが醸成するのを待つこともしばしばある。 ...
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夢はいつも、思ひがけない。しかし、少し意識の深層を探れば、何らかのつながりがありさうにも思へる。 今朝の夢はちよつとおかしくて、うら若い、か細い女性が、私を肩車してくれるのです。女性だし、か細いのだから、私を肩に乗せたとき、うまく重心が取れずに足元がふらついて、よろよろする。肩に乗つてゐる私も、倒れやしないかとひやひやする。 しかし間もなく重心を得て、彼女は安定してくる。か細いのに結構しつかりして...
人類はこれまで、助力を、力添えを必要としながら、他者を認識する記憶を夢中になって蓄積してきました。ホ・オポノポノは、そういう記憶を我々の潜在意識から解き放つことなのです。問題が ”内” ではなく、「ほら、そこにある」と口にする概念を繰り返す意識下の記憶を捨てることなのです。(『ハワイの秘宝』ジョー・ビターリ) この言葉は著者ビターリの言葉ではない。彼が風の噂にホ・オポノポノのこ...
たとへば、私が課長で、部下の仕事ぶりを見るとします。彼の営業成績が今ひとつ振るはない。その理由を、私は「仕事の段取りが悪い」からだと考へる。ところが課長代理は「上司への報告がいゝ加減」だからではないかと疑つてゐる。さらに社内カウンセラーは「過去のトラウマが精神を不安定にしてゐる」といふ見立てをする。 どの見立てが当たつてゐるのか。あるいは、どれもみな部分的には正しく、部分的には間違つてゐるのか。そ...
今朝方、うつらうつらしてゐるとき、「摂理はすること。み旨はある(なる)こと」 といふフレーズを得ました。 やゝ単純化されすぎかとも思ひますが、これを少し掘り下げてみたいと思ひます。 まづ想起するのは、『原理講論』の堕落論にある一節です。 では、完成するそのときを仰ぎ見ながら成長していた未完成のアダムの願いであった生命の木とは、いったい何であったろうか。それは、彼が堕落せず...
一人の女性を参院選の公認候補にしようとしたことで、それまで昇龍の勢ひにあつたその党は一気に奈落へ落ち込んだ。 その女性は有能で、8年前まで国会議員として将来を嘱望された人だつたが、不倫の噂が立ち、不倫相手の妻が自ら命を絶つた。彼女に釈明と謝罪を要求する世論が一気に盛り上がり、遂には政界から身を引かざるを得なくなつた。その彼女が雌伏8年、今度は別の党から国会に復帰するといふ動きを察知した世論は、再び彼...
前回の記事「『在る』女性」を書くために、久しぶりにヒューレン博士の本を読み返した。分かつてゐたつもりでも、読み返すと、何かしら新しい発見があるものです。 ホ・オポノポノでは 「体験する出来事のすべては、記憶の再生である」 と言ふ。 それは、 「自分の外で起きてゐることは何もない。すべては自分の中で起きてゐる」 といふ認識が前提となつてゐるのです。 そこでまづ、この前提認識について確認してみます。 たと...
昨日(6月19日)の明け方、自分が死ぬといふ夢を見ました。自分が間もなく死ぬといふことが分かって、周りの人たちにそのことを知らせてゐる。そして、自分の心の中では、子どもたちが可哀さうだなと、つらい気持ちになつてゐるのです。 子どもたちにとつてはずいぶん昔に母親を亡くしたうえに、今度は父親までも失つてしまふ。子どもたちを残して父母がこんなに早くゐなくなるといふのが、あまりに不憫に感じてゐるのです。 た...
「思考の世界」と「体験の世界」といふ2つの世界があると想定してみます。世界があると言つても、あそことこゝに別々に存在するといふわけではありません。謂はば、私の意識の中にある世界です。 私の意識が「思考」に惹かれれば、私は「思考の世界」の住人となり、「体験」にゆだねれば「体験の世界」の住人となる。さういふふうに、この2つの世界は存在します。 目の前の出来事(現象)はひとつです。それなのに、2つの世界そ...
井筒俊彦といふ哲学者。最近まで名前も聞いたことがなかつた。その哲学はかじつてみたばかりで、中身はまだあまり分かつてはゐないが、あの西田幾多郎と比較研究する人もゐるほどのレベルのやうです。 数千年にわたつて東洋が蓄積してきた思想の豊穣を、いかに言語化するか。そのことに腐心し、イスラムの神秘主義も含めて、西洋哲学の手法を利用しながら、独自の哲学世界を作り上げた。 少年の頃、禅に造詣の深い父親から、禅を...
仏教には、 「苦しみの中に仏がゐる」 といふ考へ(あるいは悟り、体験)がある。 その意味を、私なりに考へてみようと思ひます。 最近、村上和雄さんの『SWITCH(スウィッチ)』を読んでゐます。村上さんと言へば、30年以上前から「サムシング・グレート(偉大なる何ものか)」といふ表現で、この世の神秘的な仕組みを遺伝子学の見地から発信し続けてゐるかたです。 本書でもその主張は一貫してゐるが、特に「遺伝子のスイッチ...
『人間の建設』といふ対談本の中で、数学者の岡潔が、数学4000年以上の歴史上、最近初めて分かつたことがあるとして、対談相手の評論家、小林秀雄に説明してゐます。(最近と言っても、60年前の対談ですが) そんな大発見とは、一体何か。数学は抽象的な数字を扱ふ。それゆゑ、知性の世界だけに存在し得ると考へられてきたのに、さうではなかつたといふのです。 専門的な難しいことは分からないが、結論だけ言へば、二つの仮定を...
私の暮らす田舎では、毎年春と秋の2回、住民総出の川の草刈り作業があります。地域には自治会があり、その下により小さな組(くみ)組織がある。今年は我が家が組長の当番で、かういふ作業の段取りを担当する役回りなのです。 ところが、この「段取り」といふものほど、私の苦手なものはない。草刈りといふ作業、一般の参加者にとつてはその当日だけのものですが、組長は事前の準備から作業後の後始末まで、お金の問題や差し入れ...
我々が日常的に受け取る情報を大きく分けると、ひとつは「外からの情報」、もうひとつは「内からの情報」といふことになるでせう。 どちらの情報が多いかと考へれば、それは圧倒的に外からの情報のやうに思へる。身近な情報は五官を通して、絶えず入つてくる。遠い情報も、インターネットにつながれば、瞬時に世界中から膨大な量が入つてくる。 しかもそれらの情報には色もあれば音声もあり、動きまである。とても刺激的で、魅力...
さて、信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。(へブル人への手紙11:1~2) これは、聖書による「信仰」の定義として有名な箇所ですね。 「望んでいる」も「まだ見ていない」も、文字通りまだ目の前に現れてゐない。どれだけ先のことかは分からないが、未来のことです。それを「確信」し、「確認」する。それが信仰であるとい...
4月初旬に桜が満開になり、あつといふ間に散り去つたあと、次の主人公としてツツジが一斉に咲き始める。そして今、そのツツジもほゞ終はる季節を迎へつゝあります。 残り少なくなつたピンクのツツジの花を眺めながら、ふとひとつの疑問が生じた。 「桜もツツジも毎年春になれば同じ木から花が咲くから、種子を残す必要もなささうなのに、どうして毎年あんなにたくさんな花を咲かせるのだらう」 小学生のやうな疑問だとは思ひな...
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人たちが尋ねたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形で来るものではない。『見よ、こゝにある』『あそこにある』と言えるものではない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。(ルカ福音書 17:20-21) 古来有名な、イエス様の「神の国論」の一節です。あるとき、この答へには裏があるのではないかと思つたことがある。 つまり、「悪の帝国...
前の記事で文豪漱石を読んだので、この際、文豪つながりで、同時代のもう一人の文豪、鷗外についても少しふれてみようと思ひます。 山に登らうとする所に沼がある。汀(みぎわ)には去年見た時のやうに、枯葦が縦横に乱れてゐるが、道端の草には黄ばんだ葉の間に、もう青い芽の出たのがある。沼の畔(ほとり)から右に折れて登ると、そこに岩の隙間から清水の湧く所がある。そこを通り過ぎて、岩壁を...
「兄さんが達者でゐたら、別の人になつて居る訳ですか」 「別な人にはなりませんわ。貴方は?」 「僕も同じ事です」 三千代は其時、少し窘(たしな)める様な調子で、 「あら嘘」と云つた。代助は深い眼を三千代の上に据ゑて、 「僕は、あの時も今も、少しも違つてゐやしないのです」と答へた儘、猶しばらくは眼を相手から離さなかつた。 三千代は忽ち視線...
冬は寒く、夏は暑い。時間がたつと、お腹が減る。転んで膝にかすり傷を負うと、痛い。加齢とともに、特に冬季には、体が痒くなることが多い。特定の人に対して「生理的に合はない」などと言ふことがある。 このやうな、体が感じる感覚といふのは、ふつうには体自体が感じてゐるやうに思つてゐますが、実はさうではない。体ではない何者かが感じてゐるのです。 体に起こつてゐる反応は、化学変化と電気信号の伝達です。その反応は...
月に10日ほど、地元高校の警備の仕事してゐる。日直のときは午前と午後、宿直のときは夕方と早朝の2回、校内を巡回する。宿直が8割と、泊まり込むことが多い。 宿直のときには寝る前に起床のアラームをかける。5時50分にかけて起き、身支度を整へて、6時15分くらゐから巡回に出発する。 昨夜も宿直だつたが、アラームをかけ忘れた。窓のカーテンの隙間から薄日が差し始めて、目が覚める。「アッ、寝過ごしたか!」と焦つて、慌て...
私たちが、何かが分かる、あるいは誰かの正体が分かるといふのは、一体どういふことでせうか。ふだん当たり前のやうに思つてゐるこのことを、改めて考へてみます。 たとへば、目の前に一輪の花があるとします。 その花を見て、 「あゝ、これは百合だな」 と即座に思ふ。 ところが、さう言つたとたん、私はその花の正体が分からなくなるのではないか。そんな気がするのです。 昔からその花の種類には「百合」といふ名前をつけて...
今からおよそ100年前、当代物理学のヒーロー、アインシュタインと、哲学の泰斗ベルグソンとの間で、「時間」を巡る大論争が巻き起こつたことがあります。 ご存じのやうに、アインシュタインはその一般相対性理論によつて、時間は空間とともに歪み、観測者の移動速度や重力場によつて伸びたり縮んだりすることを論証しました。 それに対してベルグソンは、アインシュタインが時間を実質的に空間の一部として捉へ、直感的な時間の...
「因果律」といふ概念は、宗教にも科学にもあります。そもそも、私たちの頭の認識形式そのものの基本に「因果律」があるのでせう。だから、日常の判断のほとんども、この「因果律」から無縁ではない。 簡単な例で考へてみませう。 「2倍の力で投げたら、2倍の距離飛んだ」 これは分かりやすいですね。「2倍の力で投げる」といふ原因が「2倍の距離飛ぶ」といふ結果を生み出す。科学的原則に則つてゐる感じがするので、何ら抵抗な...
共産主義思想の生みの親はカール・マルクス(1818~1883)です。彼についても彼の思想についても、私は聞きかじり程の知識しかないので、AIに尋ねてみたところ、その回答が以下です。 「マルクスが共産主義思想を生み出した動機は何ですか?」1.社会的不平等への批判2.資本主義の矛盾の指摘3.労働者の団結と解放4.共産主義社会の理想 至極まつとうな回答ですね。...
礼拝に対するアンケートを行なつてみた。その動機と所感について、書いてみようと思います。取り留めのない散文になることをお断はりしておきます。 まづ、動機。 日曜礼拝は長いキリスト教から続く伝統の中心と言つていゝでせう。だから教会に所属する者にとつて、礼拝に参加(あるいは礼拝を捧げる)ことは、言はゞ有無を言はさない当然のこと(信仰的な義務のやうなもの)と受け止められてゐる。 にも拘らず、これが意外に有...
教会で熱心に信仰する男性が神様の家を訪ねて行つたときの話があります。 家を訪ねて玄関のベルを鳴らすと、しばらくしてドアの小窓があき、その窓越しに神様が顔を出して尋ねられた。 「久しぶりによく来たね。ところで、君には息子がゐたと思ふが、今日は一緒ではないのかね?」 男性は少し躊躇して答へた。 「息子はゐるのですが、最近彼は教会にあまり行きたがりません。今日も誘つてはみたのですが、やつぱり首を縦に振り...
五感の中でも触覚といふものがあります。何のためにこの感覚があるのでせうか。 ふつうには、ものに触つて、その形や大きさを確かめ、ザラザラやスベスベなどの質感を感知するのが触覚の働きと考へる。確かにそれはあるでせう。 たとへば、赤ん坊が手元のボールに触つてみる。そのときの感触が「丸い」といふ概念のもとになります。それ以外にも、針の先は痛い。沸騰したお湯は熱い。鉄は冷たくて重い。さういふことはすべて触覚...
『ラストマン 全盲の捜査官』(AmazonPrime)は福山雅治、大泉洋のダブルフィーチャーによる刑事ものドラマ。福山演じる皆実広見(みなみひろみ)は日本人でありながら、米国FBIの捜査官となつて、トップクラスの検挙実績を出し、日米捜査官の交流の一環として来日する。ただ、皆実は全盲です。彼の目になつて常に同行するバディ(buddy=パートナー)として、大泉演ずる護道(ごどう)が選ばれるのです。 ドラマの筋書きや見どこ...
私の妻は2人の子どもを生んだのですが、下の子が5歳になる前に他界した。それで子どもの養育には母の手を随分借りた。 もし妻が生きてゐたら、どんなふうに子育てをしただらうかと、ときどき考へます。母親がゐないせいで、平均的な父親よりはいくらか、子どもたちと関はる時間が多かつたかなとも思ふ。しかし、どんなに頑張つても、母親のやうには子どもを愛せないとも思ふ。 母親は子どもに対してどんな愛を持つのでせうか。 ...
母親「娘は幸せでした」 牧師「(葬儀で)さう話します」 父親「では、どうも」(と、牧師と握手) 牧師(母親に手を差し出しながら)「娘さんは今でも幸せですよ。神と共におられますから」 母親(帰りかけて振り向き)「それの何がいゝの?」 父親「行かう」 母親「なぜそれがいゝのか、教へて!」 牧師「人生には苦難もある。子どもを失ふ、なんと残酷なことでしょう。だが、信仰が希望を与へます。そして、人生に輝きを見出し…...
気の置けない者同士が数人集まつて思ひのまゝに話してゐるときでも、急に正論を述べ始める人が、ときどきゐるものです。 「さういふ考へはもう古いよ。こんなふうに変へたほうがいゝと思ふ」 たとへば、こんな正論が出てくると、話してゐる人はとたんに話の腰が折られたやうで、二の句が継げなくなる。それ以上、自分の素直な気持ちを話したいといふ思ひが萎えてしまふ。 正論を述べる人には、たいてい悪気はないのです。相手の...
人生に問題はつきもので、問題には苦痛が伴ふ。苦痛はつらいから、早く何とか解決したい。 病気の兆候。経済的な不安。人間関係の摩擦。さういふものはないほうがいゝので、何とか早く取り除きたい。 そんなふうに思ふのは、当然ですね。 しかし、苦痛を取り除かうとするのは、対症療法でせう。熱が出たら解熱剤を飲むやうなものです。一時的には楽になつても、熱が出た原因そのものは解決されてゐません。 そこで、苦痛が生じ...
何かを成し遂げようとして、上手くいかないことがある。むしろ、そのほうが多いかもしれません。 そのとき、私たちは 「失敗した」 と言ふに違ひない。 上手くいつた場合は、「成功した」と言ひ、上手くいかなければ「失敗した」と言ふ。成功は良いことであり、失敗は良くないことである。だから誰でも成功したいと思ひ、失敗は避けたいと思ふ。まあ、当たり前ですね。 いや、本当に当たり前でせうか。 「私は失敗を許可する」...
「不安でないと落ち着かない」 といふやうな気分になることが、しばしばあります。 これはいかにも変ですね。ふつうなら、「不安で落ち着かない」とか「不安がないから落ち着く」と言ふべきでせう。 たとへば、朝起きると、すぐに一抹の不安が生じる。子どもたちのことが頭に浮かんで、何だか不安になることがあるのです。 「あんなふうだけど、大丈夫かなあ?」 といつた不安。 かなり漠然としてゐるのですが、だからこそ何と...
先日の記事「日常を量子論的に考へる」の中で、 「もし生まれる前に人生を設計して生まれてくるとしても、その計画は確率として存在するのではないか。実人生で選択をすることで確率が現実になる」 と考へてみました。 見方によつては、人生は小さなことから大きなことまで、選択の連続だとも言へます。 今日の昼食は天丼にするか、ラーメンにするか。飲み会に誘はれたとき、行くか、断るか。 学校を受験するなら、どの学校にす...
息子の勧めで「すずめの戸締り」を観た。 私はあまりアニメは観ないし、公開されて2年近くたつてもゐます。ところがNetflixで観始めると、なかなか面白くて、最後まで一気に観終へた。アニメの名手、新海誠監督の作品です。 観終へたあとで、息子に感想を聞かれたので、 「すずめを助けるのは、ほとんど女性ばかりだつたね」 と答へると、息子は、 「そんな観点、思ひもしなかつたけど、さう言はれゝば、確かにさうだな。どうし...
これまでに解明されてゐる量子の特質を挙げるなら、次の2つでせうか。 ① 粒子でもあり、波動でもある ② 位置と運動量とを同時に確定することはできない これらはいづれも、日常生活の感覚から見ると、かなり理解し難い。しかしそれは、我々がこの世を物質的な側面から見ることに慣れ過ぎてゐるからであり、我々自身の意識から見れば、「量子=意識」と言つてもいゝほどに符号してゐるやうに思へます。 身近なところから考へ...
30年以上も前のものですが、1990年に公開されてヒットした米映画「Ghost - ニューヨークの幻」の中に、印象的なシーンが出てきます。 不本意に殺された男性(サム)がその真相を伝えたくて、元恋人に接触を試みる。ところが、サムにはもはや肉体がない。彼からは彼女が見えるが、彼女には彼が見えない。呼びかけても声が届かない。触らうとしても感じられない。 どうしたものかと思ひ悩んでゐるとき、地下鉄のホームで彼の前に一...
ここにおいて、カインとアベルの献祭に相通ずるいくつかの実例を挙げてみよう。 我々の個体の場合を考えてみると、善を指向する心はアベルの立場であり、罪の律法に仕える体はカインの立場である。したがって、体は心の命令に従順に屈伏しなければ、私たちの個体は善化されない。しかし、実際には体が心の命令に反逆して、ちょうどカインがアベルを殺したような立場を反復するので、我々の個体は悪化されるのである。 (『原理講論...
少なくとも目が覚めてゐる間、「思考」といふものから離れられないのが私たちです。その「思考」を2つに分けてみます。 ひとつは、「自動思考」。 もうひとつが、「自主思考」です。 「自動思考」とは、ふと気がついたら、 「自分はこんなことを考へてゐたのか。いつから、どうして、こんなことを考へてゐたんだらう」 と思ふやうな思考です。 だから「自動思考」は、無自覚的な「思考」と言つてもいゝでせう。 それに対して「...