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美濃・阿寺城 興味深い遺構が尾根上に多数展開 東美濃の雄族遠山氏の支城
阿寺城は中津川市手賀野斧戸(ヨキド)の南方の北下がりの尾根上に所在します。築城、廃城の時期は詳らかではないようですが、長く遠山氏の支配した地で遠山一族の城主が在したとされます。織田・武田の境目の城として改修が重ねられたとされ天正二年(1574)には武田軍に攻められ落城し、城主が討ち死にしたと伝えられています。今回の参考資料は(1)「岐阜県中世城館趾総合調査報告書第3集」加茂地区・東濃地区2004(2)「信濃をめぐる境目の山城と館美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015です。阿寺城昭和8年発行地図と現況を比較し、旧道(歩く道)を確認する資料(1)によると阿寺城から山続きに南方約12km先の岩村へ続く道があったとされます。往時のメインルートは東側の谷底の道(中津川沿い)ではなくて西側の手賀野集落から阿寺へ抜ける...美濃・阿寺城興味深い遺構が尾根上に多数展開東美濃の雄族遠山氏の支城
美濃・上手向城 離れた二つの尾根に遺構が残り、解釈が分かれる興味深い城塞
上手向城は岐阜県恵那市山岡町上手向にあります。上手向は「かみとうげ」と読みます。大河・木曽川の支流小里川沿いの古くから開けた場所にあり、交通と軍事上の要衝として大きな市場も出来て栄えた土地とされます。戦国のはるか以前から当地を治めたのは勝氏と伝わり、戦国時代には岩村遠山氏の配下として強固な地盤を築いたとされます。今回の資料は(1)「信濃をめぐる境目の山城と館美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015と岐阜県中世城館趾総合調査報告書第3集加茂地区・東濃地区2004です。※近隣の下手向城の記事は→こちら上手向城西側の谷筋に居館があったか小里川に注ぐ沢筋の水に恵まれ豊かな土地だった上手向城の周囲には、いまも多くの城址があり良好な遺構が残されています。戦国期には織田・武田の境目の地として帰属が目まぐるしく変わった時期...美濃・上手向城離れた二つの尾根に遺構が残り、解釈が分かれる興味深い城塞
今回は【美濃国】にある 苗木城 を紹介します。 この城は僕の住む隣県である岐阜県中津川市にあるのですが、それは一見何も建築物など残存していない山城に分類されるものですが、とにかく石垣がすごく