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日本の隅っこの歴史 https://gomahn.hatenablog.com/

某所で郷土史をやっていた方が集めた膨大な資料(主に紙)をデジタル化する作業のため、紐解いた内容に少々個人的な感想を交えて書いていく、覚書的な性質の濃いブログです。

あざらしごまふ
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2024/08/12

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  • 熊襲

    熊襲、熊鷲、土蜘蛛。これらは、九州にあった大和朝廷とは別個の勢力のことです。熊襲と羽白熊鷲は、おのおの独立した特定の勢力を指すようですが、土蜘蛛は九州に色々いる土着勢力の総称の事のようです。昔は東国と呼ばれていた、関東以北の勢力を蝦夷と呼んでいたのと同じですね。 神功皇后はほぼ関係ないのですが、先ず、熊襲について書いて行こうと思います。 おそらくは大和朝廷がまだ完全に九州を掌握出来ていない頃、景行天皇は即位12年に熊襲征伐のため、九州巡行を行います。景行天皇は第12代天皇なので、神功皇后の御主人である仲哀天皇の2代前の天皇です。 8月に出立し、途中、周防の国や豊後の国で賊や土蜘蛛を倒しながら1…

  • 神功皇后伝承おさらい

    字だらけの記事が続きますが、先にこれをやっといた方が後が書きやすいので、福岡の古代史語りに欠かせない、神功皇后のおさらいをしておこうと思います。 神功皇后は、実在の人物ではないとか、何人かのエピソードを纏めて一人の人物として語られたものだとか言われていたりもます。まあ、そうかもしれませんし、そうでなかったとしても誇張や神格化はされているでしょう。 なので、どこまでを史実とするかは置いておいて、今回は神功皇后がどんなことをしたと言われているかをざっくりおさらいします。そしてこの先しばらく各エピソードを細かく見ていくことになると思います。 では、スタート。 神功皇后というのは諡号なので、本来のお名…

  • 斉明天皇の朝鮮出兵に至る歴史おさらい

    斉明天皇と中大兄皇子の朝鮮出兵に関する記事が続きましたので、ちょっとこの辺の歴史をおさらいしたいと思います。 高校の日本史の教科書を読んでみましたけど…………うん。わからん。 なので、私が納得できるようにあれこれ調べて書いていきます。 西暦300年代ごろからの朝鮮半島は、小勢力が乱立するいわば群雄割拠状態だったようです。その中で倭国こと日本も朝鮮半島で影響力を持つべく、半島の南端で日本列島からほど近い任那と言う勢力を応援します。勿論無償ではなかったようで、任那からはいろいろ貰っていたようです。いつ頃からかというと、日本書記などに神功皇后が出てくるころには、任那は既にあるものとして書かれているの…

  • 宮地嶽神社と宮野神社

    宮地嶽神社は全国にありますが、福岡県福津市にある神社が有名ですね。年2回見える海まで続く光の道は、所謂映え写真のスポットです。ここの神社が、全国各地にある宮地嶽神社の総本社なんだそうです。 ただ、今回はここの宮地嶽神社ではなく、朝倉市宮野の宮地嶽神社です。というか、宮地嶽神社がこんなにいっぱいあるの、初めて知ったんですけど!朝倉市だけで3か所くらいある!ざっくり地図もらってなかったら、どの宮地嶽神社かわからないところでした。 この宮地嶽神社は、先日から書いている橘広庭宮跡から直線距離で1kmちょっと北西ににあります。山の上なので、実際はもうちょっとあるでしょうね。 ちっちゃい神社で、鳥居と拝殿…

  • 綾鼓

    昨日は橘広庭宮からあれこれ書きました。今日もその辺のお話です。 斉明天皇が661年の旧暦で5月9日に崩御されたので、実子でもある中大兄皇子は殯(もがり)しないといけなくなりました。 殯っていうのは古代のお葬式で、故人の遺体を火葬したり埋葬したりせずに、棺に入れたまま葬礼用の屋敷に安置して、近親者がその中で遺体が腐敗して白骨化していくのを確認し、確かに亡くなったことを納得する儀式なんだそうです。 本当でしたら天皇家の方なので、殯宮っていう宮をひとつ建ててその中で一年間暮らすのだそうですが、中大兄皇子は、「戦の陣中だから」ってことで、ひと月を1日に替えて12日間の殯としたのだそうです。 で、この殯…

  • 朝倉橘広庭宮

    はじめまして。初回なのですが、経緯はプロフィールに書きましたのでご挨拶抜きでいきなり書き出します。 本当に手当たり次第なうえ、まだこのブログに慣れていませんので、色々とご容赦くださいませ。 さて、御存知の方も沢山いらっしゃるでしょうが、福岡県朝倉市に『橘広庭宮跡』というのがあるんだそうです。教科書にも載っている663年の白村江の戦いに向かう時に、いわば大本営として造られた、天皇の御座所ですね。 朝倉橘広庭宮跡 「あさくらのたちばなのひろにわのみや」と読みます。画像は手持ちがなかった(多分、どこかにはあると思われます)ので、福岡観光WEBさんから。 造営時の天皇は斉明天皇。あの方ですね。蘇我入鹿…

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