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日本の隅っこの歴史 https://gomahn.hatenablog.com/

某所で郷土史をやっていた方が集めた膨大な資料(主に紙)をデジタル化する作業のため、紐解いた内容に少々個人的な感想を交えて書いていく、覚書的な性質の濃いブログです。

あざらしごまふ
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2024/08/12

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  • 筑前秋月家 その2

    ええと、まだ平安時代終わっていませんでした。それから今後の進め方としては、前回分も含めて秋月氏の歴史をさっくり辿った後で、背景となる事件をひとつずつおさらいすることにします。それでは前回の続きから。 書籍によって家系図が微妙に違うのですが、秋月家譜を元にしますと、安徳天皇に仕えたという大蔵種成の長男が原田種直(はらだたねなお)となります。この頃の人々は、文献に寄って姓を「大蔵」としたり「原田」としたりされますが、このサイトでは種直から「原田」としましょう。特に理由はありませんけど。 というわけで、1158年(保元3年)平清盛が大宰大弐に就任した時、原田種直は大宰大監でした。この頃、大蔵氏一族は…

  • 筑前秋月家 その1

    今回からしばらく、田代将門著『舊志に據れる筑前秋月家の研究』という本を読んでいきます。書きながら、この本のタイトルがブログでちゃんと表示されるのか危ぶんでいるんですが、旧漢字なんですよ。書いたはいいけど私自身、ちゃんと読めなくて調べました。 舊志:旧志(キュウシ)。昔、記録されたもの 據る:因る・由る・拠る・依る・縁る(ヨる)。手段とする。根拠とする。のっとる。 それぞれほかの意味もありますが、特に『據る』は活用範囲が広いので割愛します。今回の用法では、こういう意味のようです。 旧字が使われていることで古い書物だということはお分かりだと思いますが、初版が昭和6年4月3日。戦前なんです。印刷者の…

  • 気づいたこと

    神功皇后についていろいろと書いてきましたが、当然、資料にあってもここに書けていないことも沢山あります。一番ブログの参考にすることが多かった河村哲夫先生の『西日本古代紀行』などは、神功皇后が香椎宮から松峡宮に移動された時の道行き、それから、羽白熊鷲を討ってからの行程などを事細かに解説してあるんですよ。 それを読んで思ったのが、 神社が多い! ということ。 事あるごとに神社造る。何か困ったら神社造る。上手くいったら神社造る。作らないまでも既にある神社に何か奉納するし、社に何か祀ったりする。なので、神功皇后にまつわる謂れのある神社がめちゃめちゃ多いんです。勿論、神社以外もあります。 朝倉郡筑前町にあ…

  • 大乙貴神社

    あ、暑いですね… パソコン部屋にエアコンがないので作業が厳しくなってきました あれこれ調べながらブログ書いていてると、私よりパソコンが先に音を上げるんですよね💧今はまだ、内蔵データ飛ばされたくないので、労らないと。もっと要領よくやれればいいんですけどね。 まだまだ暑い日が続きますが、皆様も熱中症等ご注意ください。 今日は、大乙貴(おおなむち)神社についてです。 朝倉郡筑前町弥永にある大乙貴神社の御祭神は、天照大御神、大国主命、春日大明神です。日本書記に、次のような一文があります。 『一書に曰く、大国主神は、またの名を大物主神、また国造りの大乙貴神と号し、また八千戈神といい、また大国玉神といい、…

  • 荷持田村と層増岐野

    前回の記事で、日本書記に「荷持田村(のとりたのふれ)に羽白熊鷲あり」とあると書きましたが、その荷持田村について書くのを忘れていました。 羽白熊鷲の勢力範囲が脊振山系から朝倉郡にかけてだということなので、荷持田村は羽白熊鷲個人の居住地でしょうか?日本書記の書き方はあっさりしすぎていてよくわかりませんが、そんな書き方ですよね?資料には、現在の朝倉市秋月野鳥、平成の大合併前は甘木市大字野鳥だったところ辺りではないかと書かれています。 朝倉市秋月の秋月城や武家屋敷なんかがある観光地の所から、小石原川の支流である野鳥川を遡るように秋月街道を古処山方面に上っていった所に、昔は野鳥村というのがあったそうです…

  • 羽白熊鷲と橿日宮と松峡宮

    7月になりましたね。全国のあちこちで大雨が降っていますが、皆様の所は大丈夫でしょうか?皆様が恙なくお過ごしになりますよう祈っております。 予告通り、羽白熊鷲(はしろくまわし)について書いて行こうと思います。 日本書記では、荷持田村(のとりたのふれ)に羽白熊鷲あり、と書かれています。手元の資料によれば、羽白熊鷲は儺県(福岡市)の南方、脊振山系から朝倉郡にかけて勢力を持っていた土酋の一人、だそうです。「土酋」とは、先住民の統率者のことだそうなので、羽白熊鷲という人が率いる集団がいたんですね。「羽白熊鷲」ってう集団がいたのかと思っていました。 日本書紀では羽白熊鷲について「その人となりは強健で、翼が…

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