明治・大正・昭和初期の軍人・政治家の話が多め。特に海軍と広瀬武夫、桐野利秋。偶に江戸時代中後期、幕末の話もしています。
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久しぶりに面白い歴史小説を読んだので。『まいまいつぶろ』。9代将軍徳川家重とその側近であった大岡忠光の話となります。2,3日で読めるのでぜひどうぞ。読みやすい上にいい小説だなと思います。本当に久々に違和感を感じずに読めた時代小説でした。著者は司馬遼太郎の家事手伝いや司馬夫人の秘書をされていた方だそうです。続編もあるようだし、田沼意次や島津の連作も書いている小説家のようなので、ぼちぼち読んでいきたい...
先週からサイトの閲覧数が増えていて、本当に何があったの状態…流石にちょっと落ち着いてきた。 桐野利秋、人物評(6)①「中肉中背?」薩摩における中肉中背とはどの位なのか。②「従僕たち」桐野に付き従った従僕についてあれこれ。特に幸吉君(中村太郎)についてmurakumo1868.web.fc2.com 特に読まれているのはこのページで、薩摩人の身長ではなく桐野利秋の従僕幸吉君の話ですね。テレビか何かでそうした内容が放送された...
続きです。いつの続き?何の続き?という感じだと思う。令外の官数年積読になっていた『元老 ー 近代日本の真の指導者たち』を読み終わったのですが、すんごく面白かったです。読み始め方はいまいちだなと脱落しかけたのですが、維新三傑が死んでから断然面白くなった(言い方もしこれから手に取ろうという方がおられたら、最初に最終章「元老制度と近代日本」を読む事をお勧めします。それまでの話がこの章で簡潔に纏められている...
ゲットした(大声)去年発行されていたんですね。知らなかった。収録時期は大正10(1921)年~11年。大正3(1914)年、当時海軍次官であった財部はシーメンス事件の煽りを食って約1年の待命、その後大正4年2月に第3艦隊司令官として復帰しています。それ以降は鎮守府、要港部で長官や司令官を歴任し、中央官衙に帰ってきたのが大正12年のこと(海軍大臣として)。日記の時期は上写真の帯から分かる通り中枢からは離れていた時期で...
古い絵葉書から(2)古い絵葉書から昨日の「坂の上の雲」見ました。何度か見ていてもドキドキしますね!バルチック艦隊が対馬を通るのか、はたまた津軽か宗谷海峡かで連合艦隊の参謀連中が憔悴していた時期、大本営海軍部参謀であった財部彪が海相山本権兵衛宅に自転車で急行する場面がありました。前回書きましたが創作ではなく実際に自転車で駆け付けたようです。あの辺りの話はとても好き。東郷平八郎も山本権兵衛も凄いよなあ…...
古い絵葉書から昨日の「坂の上の雲」見ました。何度か見ていてもドキドキしますね!バルチック艦隊が対馬を通るのか、はたまた津軽か宗谷海峡かで連合艦隊の参謀連中が憔悴していた時期、大本営海軍部参謀であった財部彪が海相山本権兵衛宅に自転車で急行する場面がありました。前回書きましたが創作ではなく実際に自転車で駆け付けたようです。あの辺りの話はとても好き。東郷平八郎も山本権兵衛も凄いよなあ…肝の座り方と信の置...
昨日の「坂の上の雲」見ました。何度か見ていてもドキドキしますね!バルチック艦隊が対馬を通るのか、はたまた津軽か宗谷海峡かで連合艦隊の参謀連中が憔悴していた時期、大本営海軍部参謀であった財部彪が海相山本権兵衛宅に自転車で急行する場面がありました。前回書きましたが創作ではなく実際に自転車で駆け付けたようです。あの辺りの話ははとても好き。東郷平八郎も山本権兵衛も凄いよなあ…肝の座り方と信の置き方が尋常で...
成程来週からが本命…>坂の上の雲昨日は辛うじて見ました!勢いよく言ってはいるが机に向かって寝落ちしており気が付いたら黒溝台で、気が付いたら松川が怒られており、気が付いたら次回予告であった。えええ…録画しているからそれを見ればいいのですが。しかし来週は頑張れますね!なぜなら次の日が休みだから!笑金曜放送時の最終話が1月3日だとは思わず、日本海海戦を見逃したのよ。見る気満々だったのにアシガールが始まった時...
\ 土原頸椎ヘルニア&腰椎ヘルニアかもしれないってさ! /いやーそらしんどいわ!そらしんどいわ!!笑めちゃくちゃしんどいわ(白目)抑々反り腰で疲れが全て腰と背中に来る感じではあったのだけれど、今回はいつもと様子が違っていて、寝ても全く疲れが取れない。しかも変に痛い。特に腰。肩は肩甲骨から上が何か乗っているのではと感じるぐらいに重く、夕方になると顔の半分上が麻痺と言うか痺れている様な感じがするのよ。...
広瀬武夫が出なくなった途端に更新が途絶えるとか。いくら何でもあからさま過ぎる。そう思っているでしょう。私もそう思う。いや、広瀬回終了後すぐに依頼していたコピーが来たのですよ。未整理分もそろそろ手を付けなければと思って、そちらの作業に入るとブログまで中々手が回らない。読みながら得たデータのメモを取っているのでどうしても時間が掛かる(という言い訳)。週末はなんだかんだで用事がある(言い訳)。広瀬関連に...
『坂の上の雲』の再放送が始まってからぼちぼち更新してきたインデックスを見返したのですが、広瀬が出てから何だかおかしな雰囲気になっとるね!?笑私滅茶苦茶広瀬武夫が好きな人じゃん…(滅茶苦茶好きですwしかし広瀬は前回で脱落しちゃったからなあ(途端に弱火になる)とはいえ簡単に感想文でも書いていけたら。昔書いたレビューとあまり変わらないとは思うのですが。とはいえ今回は次回、次々回放送回に関係するであろうサ...
ちょっと休憩させて。笑広瀬武夫関連の記事、沢山の方に読んで頂いたようでありがとうございます。突貫工事だと粗が目立つ笑ただ今回の突貫エントリーだけでなく、サイト・ブログを通して一般的にあまり取り上げられない話や表に出ない話も結構書いていますので、興味がある方は遊びに来て下さると嬉しいです。広瀬に関しては紋切り型の取り上げ方が殆どなのでなあ。もう少し違う切り取り方だっているのではと思うのよ。私の元ネタ...
広瀬武夫と日露戦争、旅順口閉塞作戦9(ドラマ『坂の上の雲』)
徒然に、雑多に。広瀬の死は知人たちに大きなショックを与えたようです。こうした劇的な結末に関わらず、近しい関係の人間の死は誰にとってもショックでありますが。広瀬が閉塞作戦に参加する切欠を作った松村菊勇も大きなショックを受けたようですし、良き先輩であった八代六郎もまた然り。八代については広瀬の死について所感を認めた知人宛書簡が複数残っています。その中のひとりは尼野源二郎という大阪のイケメン。(左:広瀬...
広瀬武夫と日露戦争、旅順口閉塞作戦8(ドラマ『坂の上の雲』)
いきなり寒くなりましたね。めったに雪が降らない、めっきり雪が降らなくなってしまった地域に住んでおりますが、今日はちょっと雪でも降るのかというか、やや雪っぽい雨が…降っていたのか(曖昧そして今話題のインフルエンザが自分の周りで大流行!やだーこわいー(棒皆様もお気を付けください。***90分放送の「広瀬死す」回の後半を見ているのですが、これ本当に良く描けてると思う。時系列、また言葉も資料にかなり忠実。恐...
広瀬武夫と日露戦争、旅順口閉塞作戦7(ドラマ『坂の上の雲』)
色々と雑多に。 203高地から見下ろした旅順港。大連と旅順に行った時の写真になります。2006年です。もうそんなに経つのかと我ながら驚く。当時ガイド付きという条件の下、203高地への外国人立ち入りが許可されました。旅順は現代でも軍港であり、港を見渡せる203高地の外国人立ち入りは許されていなかったのですね。個人旅行が可能になったのを機に割とすぐに行ったのですが、今はどうなのかな。その後見学できる範囲が広がっ...
広瀬武夫と日露戦争、旅順口閉塞作戦6(ドラマ『坂の上の雲』)
本命(!?)回は来週ですねえ。同じ事を繰り返し書いているような気がするのだけれど、昨日の『坂の上の雲』再放送を受けての雑多な感想を書いていく。有馬良橘が…何だかえらい横柄な感じの人に…いや、そんな感じの人ではないのよ。海兵12期、関西のイントネーションで話していた有馬は和歌山の人です。加藤雅也さんとてもかっこいいですね。私が一番好きなのは広瀬武夫が在籍した15期ですが、その次に好きなのが12期。有馬良橘の他...
広瀬武夫と日露戦争、旅順口閉塞作戦5(ドラマ『坂の上の雲』)
あけましておめでとうございます。今年は平穏な、穏やかな良い年になりますように。皆様にとって素敵な年になりますように。ブログサイト共々、本年も何卒宜しくお願い致します。今年の目標は「もう少し更新したい」です。★★ハードルの低さーーーー★★2025年も気付けばもう5日も過ぎている事に愕然としております。何だかよく分からない内にお正月が去っていった。正月休みはどこに?休み…休みとは……?(白目しかし「広瀬、死す」回...
忙しすぎて笑える。ちょっと!本当に全然机に向かう時間がないのだがーーー!(突然の大声w紅白にB'zまじかー多分見る時間ないわ!朝ドラの主題歌に選ばれた時点でそうだろうなとは思ってましたが!(※ここまで27日に書いていた)い、いそがしすぎてわらえる……やっと時間が取れたと思ったら大晦日の17時半である。17時半である!17時半…(白目金曜日の坂の上の雲…うつらうつらしながら見る日曜日の坂の上の雲…22時前に寝てしまう...
広瀬武夫と日露戦争、旅順口閉塞作戦4(ドラマ『坂の上の雲』)
第1次旅順口閉塞作戦が2月24日、作戦後海を漂う事2時間、報国丸は水雷艇隼に収容されて連合艦隊に帰投します。2月26日、三笠にて東郷司令官長、各司令官、各艦長を前に広瀬が戦況の説明をしています。そこで閉塞隊は賞賛されるのだけれど、作戦の目的である旅順口の閉塞はできていないわけで、まあ結果的には失敗である。2回目をと言う話はすぐに出てきました。しかしながら人道的な見地から、こういった過酷な作戦に再度従事さ...
広瀬武夫と日露戦争、旅順口閉塞作戦3(ドラマ『坂の上の雲』)
第1次旅順口閉塞作戦、かなりあっさりナレーションで終わってしまったけれど(NHK的にメインは第2次の方なので仕方ない)、こちらも面白いエピソードは沢山あるんだよー。明治27(1894)年4月17日、明治天皇が横須賀に行幸されたのだけれど、広瀬はその際知港前桟橋御出迎員として天皇をお迎えする役目を命じられています。当日、明治天皇がメインロープを掴む時にですねー、その御右手が広瀬の左手に触れたんですね!ピシャーン...
広瀬武夫と日露戦争、旅順口閉塞作戦2(ドラマ『坂の上の雲』)
『坂の上の雲』では広瀬武夫は旅順口閉塞作戦に大賛成というスタンスで描かれていましたが、実際にはどちらかと言えば消極的、有馬良橘の伝記によると反対であった。しかし「普段強い事を言っている自分が、何もしなくていいのか」そうした思いを抱いていた時に、有馬から参加しないかと誘われ、その熱意に動かされたようです。閉塞作戦の実行が決まったのが2月18日、翌19日に旗艦三笠にて連合艦隊司令長官東郷平八郎主宰の宴…壮行...
金曜放送の『坂の上の雲』第9回「広瀬死す」再放送を受けて書いています。日曜放送回と行ったり来たりするかもしれませんがご容赦を。と言いますか日曜放送の「広瀬死す」回、年末になると思うのだけれど(来年か?)多分その頃にまた同じ話書きそうだなwご容赦を!笑時系列的には前回書いた佐世保での登山競争からすぐ後だろうと思われる写真がこちら! 日時は出征直前の明治37(1904)年2月5日で恐らく間違いない。(広瀬...
金曜日放送の『坂の上の雲』が「広瀬死す」という事で。色々と書きたいことがあるのだけれど、もう本当に時間がない!信じられないぐらい時間がない!!そして夜は眠い!!!(?)今から一番嫌いな言い訳をします。忙しい!笑ドラマに対しては何と言うか、思う所と言うかちょっと(ちょっとか?)不満もあるのですが、まあ淡々といきます。何回かに分けるかも。というか、本命は何週間か先の日曜日の夜である。笑ドラマに合わせて...
昨日のスーパー広瀬武夫タイム!(『坂の上の雲』日英同盟(後編))
昨日のwせーのやりすぎ!!!笑わたしのーー鬼門回ーー(笑う所であるまあこの前も金曜日の放送時に書いたので、繰り返しにはなるのだけれど。(明治32(1899)年2月12日、林董の撮影)何度も何度も出てくるのだけれど、広瀬武夫はロシア駐在武官ではありまっせん。露国駐在員でっす(投げやり広瀬が留学生として着露した際、海軍のロシア駐在武官は広瀬の先輩であり良き理解者であった八代六郎でした。この八代がロシアを去る際、...
流石に今週ではないな。ロシアに駐在中の広瀬武夫とイギリスに駐在中の秋山真之がともに欧州視察旅行をするという話から始まりました。これは史実通りでして、1900年、明治33年前半の話になります。広瀬がロシアを出発したのは同年3月末日で、ポーランド、ドイツを経てロンドンに到着したのが4月6日になります。当時同期の財部彪、竹下勇が戦艦朝日の回航委員として在英中でして、この竹下の案内で広瀬は朝日を見学しています。...
金曜夜に『坂の上の雲』がBSP4Kで再放送されている事に気が付きました。かんっぜんに忘れとった。笑TVをザッピングしていて、え、やっとるやん……となったのは私です。迂闊。金曜の21時ぐらいなら余裕を持って見られるので助かる。金曜放送の方は1.5時間放送。話としては現段階では日曜日より1話先行しており、先日の放送は「第7回日英同盟」でした。私の鬼門というか、何と言うか物凄い釈然としない回です!!笑主に広瀬武夫につ...
題は大袈裟。書かなきゃと思って後回しにして、見事に忘れていた話を前回のエントリのコメントでMVさんが書いてくださいました。笑ドラマの中で広瀬、自分の身長を思いっきり六尺一寸と言うとったね。五尺六寸よー…(広瀬武夫の身長)長らく間違っていた私が偉そうに言う事ではないけどさ。笑気付けただけ、幾分かましだったと思う。私明治30年頃が大好きで、あのあたりの時代って本当に見ていてとても楽しいし面白い。勿論広瀬が...
リアタイで見るのは無理笑朝4時50分に起きてるのよ。金土ならともかく日曜は辛い。とても辛い。結局録画した。のだけれど。やーん録画して良かったー(黄色い声広瀬武夫がーー!大好きーーー!!(未成年の主張っぽく)。好きなエピソードが散りばめられていて、見ながら半笑いで変な声が出てしまう。笑ドラマでは褌で写真を撮っていましたが、実際にはブリーフですねー。原作でも褌と書いてあったので、この写真を見るまでは褌だ...
先週末ゴジラ見ました。あと久しぶりに坂の上の雲も見た。はー坂の上の雲話進みすぎ!笑いつの間にか第8週目!日清戦争の辺りは制作陣(か?)のイデオロギー観が凄くて、強い拒否反応が起きた記憶がある。あと脚気問題が他人事の森鴎外。えー……ちょっとちょっともりりんよ……脚気の話を出すと本題からは離れていくからなあ。仕方ないのは分かるけど。しかし今見ても正岡子規の「もりりん訳のクラウゼヴィッツの戦争論読んだ」のセ...
令外官の続きはまだ書けてないのでちょっと待って!急に寒くなってきましたね。雨が降ると一段と寒くなりそうで、やっと暦に気温が追い付いてくるのかと思いますが、秋は一体どこへ…今年は本当に暑くて、家の実のなる植物が全滅しました。ぶどう、ブルーベリー、ブラックベリー。極め付きは枇杷の木。はあ…メダカも元気がない感じでかわいそう。しかも1匹変な病気に罹っていて本当にかわいそう。ポップアイという病気ですが、常在...
数年積読になっていた『元老 ー 近代日本の真の指導者たち』を読み終わったのですが、すんごく面白かったです。読み始め方はいまいちだなと脱落しかけたのですが、維新三傑が死んでから断然面白くなった(言い方もしこれから手に取ろうという方がおられたら、最初に最終章「元老制度と近代日本」を読む事をお勧めします。それまでの話がこの章で簡潔に纏められているので全体の流れが分かりやすく、その時代の特徴が頭に入りやすく...
できました!(突然の大声)表題の通り米沢海軍家族図です。一部だけでも作り変えるの面倒くさい。中央、上から三段目岩井忠直と4段目岩井やよ(宮島やよ)の関係が参考文献によって違っていたのですが(米沢海軍の系図)、8月初旬に読者様より情報提供頂きまして長らく不明であった関係が姉弟と判明しました。サイトで上げている系図も差し替えています。この系図は思いの外ご覧頂いているようで忠直とやよの関係について時々指...
起きていられなくて寝てしまった>坂の上の雲……毎週思うけれど、本当に後1時間早ければ(涙四天王寺で開催中の秋の古本市に行ってきました。海外の人が意外と多くてびっくり。関西では規模大きめの古本市だと思う。久々に行ったのだけれど、歴史系が少ないという事を忘れていた。久々すぎて…笑ただ欲しい本はあったのでそれはそれで満足。目的は徳富蘇峰の『蘇翁夢物語』ですね!図書館にありそうなのに、意外なことに私が借りら...
2024年10月10日でサイト開設20年になります。ネ!(笑)since 2004/10/10!20年かあ……自分でも少し驚く年数ではある。10年の時でもよく続いたなと思っていたけれど、20年だと更にその感は強くなります。笑よくやってるよ(我ながらよくネタ切れせずに来たなと思う。それだけ知らない歴史やエピソードが多いという証左ですが、まあ奥深いですよね。途切れる事のない面白さがあり、新しい史実や事実・考え方が出てきたり、知りたい事...
リアルとデリュージョン 3 『児玉源太郎』リアルとデリュージョン 2 『児玉源太郎』リアルとデリュージョン読んでいますよと書きましたが、まだ引き続き読んでいる。I wanna get speed reading.今ちょうど日露戦争が始まった所である。まだ先は長い。本書の目的が冒頭に4項書かれているのですが、その中のひとつが児玉源太郎と統帥権改革のとの関りになります。今迄数度触れたことがあるけれど、どれだけ遠い昔だよと云う感じ...
リアルとデリュージョン 2 『児玉源太郎』リアルとデリュージョン読んでいますよと書きましたが、まだ引き続き読んでいる。I wanna get speed reading.今ちょうど日露戦争が始まった所である。まだ先は長い。本書の目的が冒頭に4項書かれているのですが、その中のひとつが児玉源太郎と統帥権改革のとの関りになります。今迄数度触れたことがあるけれど、どれだけ遠い昔だよと云う感じですが、学生時代私は大正から昭和にかけての...
題w歴史関係なしです。パソコンが壊れて入れなおしたアプリなど、思い出すのが大変なので今後の事を考えての純然たる個人メモ。データのこまめなバックアップ(大基本サイトのデータは公開ページ分に加えてたまたまアップロードしていた未公開ページ分があったので今回は助かったが、基本的に手元に残る圧縮前ファイル等が全滅。きつい。prettydiffを使えば復元はできるが手間が掛かるので、クラウドやUSB等外付けハードに別途上げ...
リアルとデリュージョン読んでいますよと書きましたが、まだ引き続き読んでいる。I wanna get speed reading.今ちょうど日露戦争が始まった所である。まだ先は長い。本書の目的が冒頭に4項書かれているのですが、その中のひとつが児玉源太郎と統帥権改革のとの関りになります。今迄数度触れたことがあるけれど、どれだけ遠い昔だよと云う感じですが、学生時代私は大正から昭和にかけての時期に陸軍が内部的に行っていた統帥権研究...
サイト更新しました!金曜日に!笑【問わず語り】:推察春山育次郎・オールドレッドライン・tough 問わず語り(71)推察春山育次郎・オールドレッドライン・toughmurakumo1868.web.fc2.com 別名ブログ3連パック。今回の更新は申し訳なさを感じる程随分前の記事で、書いてある通り桐野利秋関連です。桐野関連というか、大雑把に見て桐野関連というか……桐野連載をしていた時のスピンオフ系の話だと思って頂ければ。今回はPCが...
NHKで『坂の上の雲』の再放送が始まりましたねー! 1話を前後編で放送するとはいえ、早寝早起きの人間には日曜23時スタートは非常に辛い。1時間放送時間が早ければ。 せめて金曜か土曜に放送してくれたら。笑が、頑張れば見られん事はない……?いや五時前に起きているのでやっぱり辛い。ただ再来週かその次くらいには広瀬が出てくるのよね!寝る間際に暑苦しい!www(ほんまにファンかその昔書いたドラマレビューがあるの...
漫画では…漫画ではないのだ……PC様の帰還。★★ 真っ白になって帰ってきたーーーー ★★いや…いやあ…ははは……HDD、通電してませんって言われてしまったさ。通電しないとデータを取る事も出来ない(正確には超大手に頼んで数十万円の単位で取れるか取れないか)完全に死んだ。とは言うもののバックアップは取っていたので、データの9割ほどは手元にある。この1年ほど完全にバックアップ取るのをさぼっていたのよ。あああああ…と思いき...
読んでいますよと書きましたが、まだ引き続き読んでいる。I wanna get speed reading.今ちょうど日露戦争が始まった所である。まだ先は長い。本書の目的が冒頭に4項書かれているのですが、その中のひとつが児玉源太郎と統帥権改革のとの関りになります。今迄数度触れたことがあるけれど、どれだけ遠い昔だよと云う感じですが、学生時代私は大正から昭和にかけての時期に陸軍に内部的に行っていた統帥権研究の事を調べていました。...
いきなり何の話なのかW先週神戸で開催中の原画展に行ってきました!(9/1まで)惜しげもなく展示されている原画の数々。本当に行けてよかったです。ローカルのチケット番組で偶然開催を知ったのですが、見ていなかったら知らないまま終わっていた。危なかった…北斗の拳自体は話が長いので(といっても今や全27巻は長いとは言い難い?)、最後の方まで扱っているのかと思いきや、ラオ兄の一片の悔いなしまでなので、第2部以降が好...
『最後の江戸留守居役』読み終わり。幕府も命運が差し迫って来て、政局の中心が京都に移ると江戸にいる外交官は状況が全く分からず、時局にも着いて行けずという状況。留守居役連中もさることながら、情報収集に鈍い藩なんかはもう完全な小田原評定である。否、小田原評定にすらなっておらん。先日のジゴロウさんのコメントではないけれど、で、電話さえあれば……笑本書の後書きを読んでいて思わず笑ってしまったのだけれど、『江戸...
ジゴロウさんに薦められて『最後の江戸留守居役』を読んでいる。まだ前半戦だけれども、面白く読んでいます。主人公は依田学海という人物で、佐原藩の江戸留守居役に就任したのが慶応3(1867)年。慶応4年を明治元年とするならば江戸時代最後の年という何とも厳しい時期の就任である。江戸留守居役(の組合)は少なからず眉を顰める行いや慣習が多かったのは事実だけれど、そういったマイナスのイメージを強く印象付けたのがこの...
『江戸の刑罰』と『江戸のお白州』。読んでなかったかと思いながら手に取ったのだけれど、読んでいなかったみたい。特に前者、知っている事も多かったけれど、知らなかったことも多かった。軽めながらグロい話もあるので、無理そうな方は引き返して下さい。***山田浅右衛門(朝右衛門とも)っているじゃない。死刑執行人と紹介される事もあり、それは個人的には誤解を招く呼び方だと感じているのだけれど、本来の役目は罪人(近世...
IKITERU!生きてます久しぶり!みんな元気!?この本当に長のご無沙汰をしておりましたが、そろそろブログもサイトも再開したいなと思い始めた矢先にパソコンが壊れましたよ!わはは!わはは……はは…(白目)修理に出すのはもう少し先になりそう。データが取り出せるのかとてもドキドキしている。多分大丈夫だと思うのだけれど。あれやこれやの作業を主にパソコンで行っているので困惑頻り。笑うしかない。笑えないけど。スマホとタ...
サイト更新しました。近代:慶明雑録より『慶明雑録』より薩摩の戊辰戦争史料集『慶明雑録』より石神良策の話、土持佐平太、土持平左衛門の書簡murakumo1868.web.fc2.com桐野利秋の指のスピンオフです。お盆前に更新する積りだったのだけれど伸びてしまった。桐野の欠指について調べていた際に探し当てた『慶明雑録』という史料が面白くて、そこからの話になります。慶明雑録は薩摩藩が作った薩摩藩の戊辰戦争史料で、今分かってい...
どこにも行き場がない史料や資料を纏めているファイルがでてきましてね。私も存在をすっかり忘れていて、何かと思って中を確認したのですが、笑ってしまった。大分有名な起請文です。ええ……有名です……武田信玄という人の誓詞なんですけどね……神に誓って孫七郎とは寝ていません浮気なんかしてませんという、恋人春日源助(高坂弾正)に宛てた(?)もの。そんなこと誓われても神様も困惑頻りだろう。というかこの手の話は言い訳すれ...
サイト用の写真を撮り直す為に切手帳を探していたら大和和紀の『あさきゆめみし』が出てきました。お、おまえ…ここにおったんか…滅多に触らない本をベッドの下に放り込んでいるのですが、漫画は入れた事をすら忘れていた(沢山出てきた)。来年の大河が紫式部?源氏物語?という事で、またリバイバル的に出版されるんでしょうねえ。面白い…面白いけどな……光源氏は普通にクズだぞ…?(※現代の価値観)紫の上が好きなので余計に光源...
先日呪術がテーマだった「ダークサイドミステリー」を見たのですが、もしかしたら聞けるかなと思っていた話は出てこず、ちょっとだけ肩透かしを食らった気分。恐らくかなりニッチな話だったのだと思う。うん……番組でも紹介されていましたが、大東亜戦争中にルーズベルト大統領を呪殺しようとしたという話は、オカルトや都市伝説としては割とよく知られている話だと思います。大元帥法という密教(真言宗)の修法(ずほう)ですが、...
サイト更新しました。近代:あとみよそわか3 サイト振り返り3秋山真之のこと(日露戦争以後の話、宗教に傾倒した晩年、大本教)、海軍兵学校15期の人々murakumo1868.web.fc2.com サイト振り返りの続きです。今回の目次はこんな感じ。【13】秋山真之のこと【14】秋山真之のこと 続【15】秋山真之のこと 続々【16】海兵15期の人々 再び【17】海兵15期の人々 再々今回は見ての通り大体秋山の話です。この辺りは全然サイトの振...
「シーボルト事件について 続」の続きです。続きと言うか、ちょっと違う話になるのだけれど。前回紹介した4つの新史料発見の記事の中で驚いたのは3番目の記事。 梶輝行教授、シーボルト事件の真相に迫る新たな歴史的事実を確認し公表(横浜薬科大学2021/11/18)名前のある梶氏はサイトの「シーボルト事件の通説について」で引用した資料を書かれた先生です。この話をずっと追っておられる先生のようで、所属元の横浜薬科大がその研...
メンテナンスはこれで本当にお終いです。終わる終わる詐欺を幾度となく続けてきましたがこれで本当に終わり。多分……主にスマホ閲覧関係でのメンテです。①画面の表示幅変更スマホ閲覧の際の表示幅を若干広げました。このひと月ほどで徐々に広げながら様子を見ていたので、体感的にはほぼ変わりないと思います。史料/資料を引用する際にインデント(頭下げ)をしていたのですが、表示幅が狭いと本当に読み辛いので、その解消もあり。...
続?いつから?と言う話ですが笑2017年、ブログでは2016年ですが、その話の続きです(以下リンクカード)。シーボルト事件の通説についてシーボルト事件の通説の見直し。ハウトマン号遭難により積み荷が臨検され、禁輸品が発見された事が事件の発端とされるが、実際にはそうした事実はないmurakumo1868.web.fc2.com検索でヒットするのか、閲覧数がそこまでなかった記事が読まれているようで、ちょっと首を傾げている。あと海外から...
サイト更新しました。近代:あとみよそわか2サイト振り返りの続きです。今回の目次はこんな感じ。【7】加藤高明と原敬、伊東巳代治【8】海軍の人々、あれこれ【9】日露戦争の頃の艦長たち【10】提督の話【11】海軍のリストラ【12】大王と努力する天才本当に申し訳程度の政治家の名前。笑ほぼほぼ海軍の話になります。人物の話と、停限年齢(定年の事です)や大佐から将官への進級は難しいという話、広瀬ら海兵15期あたりは大正期の...
さっきあった事(?)をちょっと聞いて欲しい。 五尺六寸=169.68cm≒170cmいやー!これは島田さん鵜呑みにしてちゃんと確認の計算しなかった私が悪い!!ずっと175cmだと思いこんでいた!!えー私サイトかブログかどちらかで(どちらもで?)広瀬の身長175cmって書いている筈なんだけど、訂正して回らないといけない。探すの大変なんだけど!!笑夏彦さん大ファンのパッパの本棚の本をちょっと拝借して読んでいて目を剥いてしま...
サイト更新です。①広瀬武夫コーナー:年表 追加、修正②その他①広瀬コーナー明治30年の財部彪の結婚騒動の辺りからロシア留学出発前の行動を大幅に追加しました。出典は『財部彪日記』です。この時期の日記を見たかったのは広瀬と向井弥一がどの程度財部の結婚話に関与していたのかを知りたかったからですが、留学前にどういった行動をしているのかというのも知りたかったからで。海外留学決定後、留学予定者は横須賀周辺の軍事施...
やってきましたー。こちらはちょ古っ都印刷工房様。早くて安いで文字書きにはかなり有名な印刷所様。本当に無茶苦茶安いんよ……送料込みで720円(余部つき)。大丈夫なんかなと少し心配になる。以前お願いした時も安さに驚いた(コピーするより安くついた)。A5、68ページ、2段組。文字の大きさはもう少し大きめがいいかも。ノドはもう1行分ほど広い方が良いかも。上下余白、小口は問題なし。表紙フルカラー、エスプリコートVエンボ...
やってきました!!san24様のワンコインBOOKでお願いしました。残念ながら同人誌事業からは来月で撤退されるという事で、今月の締め切りが最後でした。B4の64ページ、2段組。文字の大きさ、行数、ノド、上下余白は問題なし。でも字はもう少し小さくて、行間はもう少し広い方がいいかも。小口はもう5mmほど狭くてもいいかも。表紙も本文お任せという事で、表紙がブンペル(ナチュラル)、本文は淡クリームキンマリ90㎏。お任せだと...
サイトの広瀬武夫年表の手入れをしているのですが、明治33(1900)年の以下の一文を見てこの浜口代議士って誰かしらと。代議士ならすぐに分かるだろうに、調べた事無かったなと思ってさ。代議士で浜口と言えばすぐに浜口雄幸が思い浮かぶのですが、二八会なので流石に違うなと。雄幸だったらと思うのは私の希望すぎる。笑二八会は何度か触れた事があるのだけれど、こちら(下の方)、またはこちら(下の方)をどうぞ。蕎麦でも打っ...
サイト更新です。近代:あとみよそわか1 サイト振り返り1海軍軍縮と財部彪、参謀本部を廃止したい高橋是清と統帥権、ミリ飯と文豪、広瀬武夫と海兵15期の人々murakumo1868.web.fc2.com 果たしてこれは更新と言って良いのかとも思うけれども。題名からして想像がつきそうですが、先日来書いていたサイト振り返りです。結構な記事数になってきているので、うちのサイトにどんな話があるのかを知る切欠になればいいなと思って...
終わった筈のメンテナンスが続いている。笑終わったって書いてたやん……終わった筈なんやけど…お、おわ、終わらん……なんでぇ……ド素人はつらいよ。寅さんか。サイトの入り口を触っています。この数年ずっと気になっていた所を直しました。うちのサイトは出発点が古の同人サイトであったので、入り口(index)にはサイトの説明とエンター用のリンクを貼っていました。その同人要素であった創作を随分前に外してしまったので、もうそう...
広瀬武夫さんお誕生日おめでとうございました!(過去形)土曜日、大分の広瀬神社で例大祭が行われていましたが、残念ながら今年も欠席になりました。コロナ禍になってからは参加謝絶だった大祭に今年は久しぶりにお誘い頂いていたのですが、法事が重なってしまった。祖父母の33回忌を抜けるのは流石にちょっと。37回忌はしないかもしれないし。この銅像が広瀬神社の鳥居の前にある事から、相当前の写真だという事が分かります。笑...
先週、とある方からご連絡をいただきまして『遥かなり帝国海軍の提督達肖像写真集:提督以外の104人も並ぶ』(自己出版/2013)の著者夏川英二さんのご逝去を知りました。2021年末のNHKの「倫敦ノ山本五十六」(レビュー)の海軍考証でお名前をお見掛けしていたので、お元気なのだなと思っていたのですが……私はサイトに掲載している連載「Here I am」で大変お世話になった。 向井弥一の曾孫様から頂いた集合写真の人物特定です...
死人に口なし昨日の続き。以下写真は『財部彪日記 海軍大臣時代』の解題「一九二〇年代、財部彪の海軍大臣時代の動向」(太田久元)より。この1ページに2ヶ所……3ヶ所? お、と思うところがありまして。その1。右側の赤丸。「海軍の本」で「加藤友三郎は井出を後任の海相にしたかったと思う」と書いたのですが、やっぱりそうだったか。結局それは実現せず井出海相は誕生しなかったのですが、解題中その理由のひとつとして上げられ...
サイト更新です。2件 更新:桐野利秋の小頭見習と監軍就任について 更新:上野戦争前後の話 表題の通り「桐野利秋の欠指」を書いていた時に色々と頭の整理の為に書いた話になります。 スピンオフは大袈裟かなとは思うけれど、まあスピンオフです。笑 下のリンクカードからどうぞ。あまり興味ない人が多いかも、という感じですが。 両方とも戊辰戦争時の話になります。 ひとつめは桐野利秋(当時は中村半次郎)が...
昨日の続き。以下写真は『財部彪日記 海軍大臣時代』の解題「一九二〇年代、財部彪の海軍大臣時代の動向」(太田久元)より。この1ページに2ヶ所……3ヶ所? お、と思うところがありまして。その1。右側の赤丸。「海軍の本」で「加藤友三郎は井出を後任の海相にしたかったと思う」と書いたのですが、やっぱりそうだったか。結局それは実現せず井出海相は誕生しなかったのですが、解題中その理由のひとつとして上げられているのがそ...
先日書いた書誌情報不明の本、MVさんのお陰で分かりましたー!『ベルツの日記』です!お騒がせしました。そしてMVさんありがとうございました!すごくない!?もうね、久々に家に人がいるGW辛過ぎで、初日から歯は浮いてるし口内炎が出来た。笑朝PC立ち上げて、ずっと触らず寝る前に消すだけになっている。サイトもブログも基本的にPCでしか作業しないので、PCから離れると何もできんのだ。(そしてPCが壊れたらサイト関係が一巻の...
気付いてしまった。 写真は広瀬武夫の書簡です。広瀬は明治30年8月初旬にロシアに向けて出発するのですが、その時に多くの友人知人が見送ってくれた。その中の人々として名前が挙がっている「同号生三名(鈴木、梅野、木村)」。サイト整理の勢いで手許データの広瀬武夫資料も少し整理しようと思ってさ、久々に見たわけですよ。ちらっと見ていて、あれっと思う。名簿を作ったり人物誌を作ったり、日露戦争出征直前の15期集合写真...
「帝国陸海軍の情報と情勢判断-北清事変から日露戦争へ-」( 五十嵐憲一郎/防衛研究所紀要(5)2/2003.3)より、先日の続き。 海軍は明治36年12月に至ると、ロシア艦艇の所在を要約して毎週配布しており、このことからのみ見れば、海軍の情勢判断は11月頃から切迫度を加えていったものと見積もられる。 このようにしてみると、海軍においては兵力整備が不十分なまま戦争に突入する危惧はあったものの、明治36年5月頃の時...
サイト更新です 更新:留学直前の財部彪(今日の『財部彪日記』2)下のブログカードからどうぞ。 今日の財部彪日記2明治30年、財部彪が海軍の公費留学生としてイギリスに留学しますが、その留学直前のエピソードを『財部彪日記』未公刊部分から幾つか紹介しますmurakumo1868.web.fc2.com******************サイト更新もお久しぶり過ぎてもう。財部彪日記(2)なんですよ。2……ちょっと放っておき過ぎた財部君の日記未公開...
スティル アライブww(B'zでも北斗でも)おりゃー!生きとるで!!!ヒジハラです久しぶり!更新してなくてゴメン!いい加減生きてます報告は止めろと……WBC凄かったですね。どの試合も滅茶苦茶面白かったです。村上選手良かったーー!昨日のメキシコ戦ちょっと涙出そうになった(年だ……一流って素晴らしい。カッコいいね。マスク生活もそろそろ終わりが見えてきた感じですが、みなさんコロナとか大丈夫でしたか。私は幸いにもコロ...
『天城越え』が北条政子の歌だと知って無茶苦茶笑ってる(マクラ)段々暖かくなってきました。ここ何年も平気だったのですが、今年は花粉でちょっと目が痒かったり鼻が詰まったりしています。コロナの症状とよく似ているらしいですし、ヤな感じですね……今日の午前に3回目のワクチン接種を受けてきました。今のところ気だるさと軽い頭痛だけで熱はないけど、どうかなあ。熱は嫌だ……幸いにもコロナにも何の病気にも罹らず元気に過ご...
あけましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いします。お久しぶりです~生きてます~!!(すまん…)旧年中はほっとんど動いていないにも関わらずサイト/ブログとも沢山の方に覗きに来て頂きましてありがとうございました。頂いたご感想などもありがたく読んでおります。今年はもう少し出てきたい…**軽く歴史離れを起こしていたのですが、先日30日放送のNHK総合「倫敦ノ山本五十六」で久々に近代のハードコアな部...
副反応がインフルエンザと同じ症状とか聞いてない。ワクチン接種はインフルエンザだった…?9/3 10:40 接種 体調に変化なし 夕方頃~ 腕が痛くなってくる9/4 04:00頃 頭痛で起床 37.0 昼までに37.6迄上がる。1日7.6で一定。頭痛と倦怠感が酷い 腕が腫れてると思ったらモデルナアームになってるw お風呂には入るけどセミロングを洗って乾かす元気はない程度にしんどい 一日しんどい9/5 頭痛も倦怠感大分マシ 37.2の辺...
先々週に行ってきました。先日書いていたスペシャルトークの抽選には当たっていたのですが、大阪で緊急事態宣言が出たのを見てこちらは辞退しました。兵庫はマンボウですが、こればかりは県境で区切る事にあまり意味を感じないと言うか、実質阪神間の話だと思うので流石に…ううう…涙を飲んだ…行きたかった…ただ遠方からのゲスト(どこかの先生)が2名とも欠席というアナウンスが来たので、これはトーク自体が無くなったと思おうと...
自衛隊の集団接種に滑り込めたので週末にワクチン打ってきます。でもツイッタランドとか周囲から伝え聞くモデルナの副反応見て怯えてる(笑両親はもう2回接種済みで、君も早よ行けと言われていたのですが、いや、早よ言われても。周辺の診療所は現状60歳以上しか受け付けてないし、地元の集団接種は一瞬で消えるし(実際頑張って探しても空きがないので、メディアで若い世代が打たないからと言ってるのを聞くと腹が立つw)どうし...
生きてます!生きてます!ごめん!最後に書いたブログがななみんっちゅうのは歴史ブログとしてはちょっとどうかと思うの…冗談はさておきちょっと体調が悪かった(※コロナではない)気候が半月ほど早くなって、特に春が短くなっているのが思う以上に堪えているようで片頭痛が酷かった。流石に今は大分ましになってきました。体調の切り替えがうまくいかないままずるずる夏を迎えてしまった。4月に入ると急に日差しがきつくなるので...
海兵15期はクラスヘッド(主席卒業者)が財部彪です。次席が小杉辰三。小杉は調べていて本当に驚いた人物で、この方実父が細田十太夫、養父が小杉政之進です。あの鴉組の細田十太夫です。驚きすぎて、え?見間違いかな?と思って、正直何度見かしました…かなり変わった経歴の持ち主で、明治36年という早い段階で海軍を辞めています。日露戦争前に辞めてしまった。製鋼事業に先を見出しそちらの方向に行ったのですが、国家の基幹に...
前の続き。秋山真之の他に明確に大本教信者であると分かっている海軍将校がいるという話。秋山の大本教入信に大きな影響があった浅野和三郎には兄がいました。浅野正恭といって海軍軍人です。和三郎は大本入信の際、当時横須賀田浦にあった海軍機関学校の英語教師をしていましたが、これは兄正恭の斡旋であったようです。弟が大本教に入った際は反対したけれど後正恭も入信、大正10年に和三郎と共に脱会しています。入信した時期は...
週末にサイトのAboutとかLinkの触っても誰も気付かないだろうという所を触りました。この際なので不要な記述や代替可能なリストマーク、罫線などの画像は切ってしまってシンプルにしようと思いまして。そしてこういう時にいつも悩むメール送信の際の注意事項(問い合わせの際の注意事項)も、最近は困る事も少なくなってきたので失くしてしまおうかと思っていたのですが、今日来たメールを見て置いておくことにしました。このブロ...
恐らくかなりの短スパンで宗教ジプシーを繰り返していた秋山真之が最後に行きついたのは大本教でした。正式には「大本」ですが「大本教」と言われる事の方が多い気がする。大本教は現在では恐らく秋山真之絡みでしかほぼ名前を知られていないと思います。大正期から昭和初期にかけて大規模な信徒を抱え、余りに大きくなりすぎて大正10年、昭和10年と2度の弾圧を受け、国家に潰された当時の新興宗教です。昭和10年の日本の人口7000...
ちょっと聞いて下さる?一昨日10月10日ですが、サイトの16回目の誕生日でした…2004年から初めて今年で16年。正直な所、ここ迄続くとは思っていませんでした。続けられたのは自分の努力の賜物だと思いますが(はっきり言う。笑)、読んで下さる方、コメントや感想、拍手を下さる方がいるからこそだと思います。お付き合い頂きまして本当にありがとうございます。最近は更新が少しさぼり気味になっていて申し訳ないなとは思っている...
秋山真之の話続きです。 秋山真之のことみんな大好き秋山真之。秋山については先日紹介した「追憶」の他にもサイトに幾つか話があります。ただ何と言うか…ファンの心をくすぐる話は少ないでしょう…どちらかというと日露戦争後の話の方が多いかな。日露戦争辺りの話は他にサイトさんが多くあるので、まあ別に私が書く事もないだろうと思う所がある。『坂の上の雲』に出てくる人物の印象は強いもので、「明治は良かった」的な司馬...
みんな大好き秋山真之。秋山については先日紹介した「追憶」の他にもサイトに幾つか話があります。ただ何と言うか…ファンの心をくすぐる話は少ないでしょう…どちらかというと日露戦争後の話の方が多いかな。日露戦争辺りの話は他にサイトさんが多くあるので、まあ別に私が書く事もないだろうと思う所がある。『坂の上の雲』に出てくる人物の印象は強いもので、「明治は良かった」的な司馬遼太郎の姿勢もあってか、日露戦争で名前を...
割と有名な話ですが、海軍は「こういった人間が欲しい」と現場が出した要望、また士官本人の要望に沿って配置するのがかなり上手かったようです。マッチングの名手。これは『海軍反省会2』でも言及があり、若手~中堅士官の間でも不満を感じる者はほぼいなかったらしい。海軍の考課表は年に1度作成されていましたが、それがこの人事の基本資料になっている。この考課表が中々面白い…というか、凄いもので、滅茶苦茶細かいのですよ...
ふっと調べ忘れていた事に気が付いて『海軍王国の誕生』を借りました。理由は「Naval Tribe」で出した米沢出身の海軍軍人の家族図なのですが、よく分からない人がいるのですよ。随分前にコメントを頂いたのをすっかり忘れていました…下の系図の4段目、宮島誠一郎の妻やよが忠直と兄妹(姉弟)なのか、親子なのか、本によって表記が違っていてよく分からない。コメント頂いた方からは忠直とやよは兄妹と『海軍王国』にもあると指摘...
奈良に行ってきました。と言ってもこの写真は先月のお盆の東大寺です。今日行ってきたのは興福寺。阿修羅像が見たくてさー。今日は流石にやや混みの状態でしたが、お盆に行った時はガラガラでした…本当に驚きまして、あんなに人のいない奈良は初めてでした。分かります?上の写真、全然人が写っていないんですよ…早朝に撮った観光用写真みたいじゃない?奈良には時々博物館、美術館に行くのですが、東大寺行こうかな~…混んでるわ…...
これはサイトの振り返りなのかという感じになってきました。第11回。大佐から少将に進級するのは大変という話。進級にはいくらかの条件、資格を満たす必要がありその中のひとつが大艦の艦長経験がある事。ただそれを満たさずに将官になった人物もいて、それが山本信次郎になります。山本信次郎については「ダイバーシティ(山本信次郎)」をどうぞ。笑こちらの目次を見れば瞭然ですが、山本は海軍士官としてはかなり経歴が特異で、...
サイト振り返りの第10回。今日は提督繋がりで「火焔燃ゆ ~上村彦之丞と山本権兵衛」。上村も山本もメジャー過ぎてこれも本当にしんどい話でした。連載は大体しんどい。日露戦争の頃に活躍した提督では、上村彦之丞が好きです。いやあ…しかしまあ何と言うか、実際に自分の傍にいたら大変だろうなとは、思います。大変だろうとは、思うのよ。笑(山本権兵衛にも同じ感想を抱く)あの財部彪の縁談関係とか、若い頃の数々のエピソード...
サイト読み返し、その9!山梨勝之進の回顧には、古い時代の提督の名前も沢山あります。一般的には無名に近いであろう人々で、中でも私が好きなのは坂本一。海兵7期で加藤友三郎、島村速雄、藤井較一、吉松茂太郎、伊地知季珍、伊地知彦次郎、松本和らが同期。本当にこれはねえ…山梨さんの『歴史と名将』を読んでみて欲しい。 この本を読んでいると本当に何と言うか、明治の提督達に強い郷愁を感じます。山梨さんの語り口もあると...
間が空きました。ごめんなさい。サイト読み返しその8です。 その7で書いたように、大正期を代表する政治家のひとり原敬は非常に上手く伊東巳代治をあしらっていました。伊東にはそれなりの地位と肩書があり完全に排除するとややこしいので、差し障りのない部分を触らせて、重要な所には関わらせなかった。これはOdd Priorityの第3章でも書いています。ヘソを曲げさせないようにする。笑 Odd Priority~内閣の鬼門伊東巳代治台...
サイト読み返し、その⑦写真を見る度イケメンだなと思うのは伊東巳代治です。そしてこれまたかっこいいわと思うのは加藤高明。そして前田正名。(前列中心)しかし前田正名の事はあまりよく知らない。笑加藤高明については割と頻出でしょうか。広瀬武夫の兄広瀬勝比古の妻春江の従兄になります。幼少期から非常に優秀で、地元愛知の教育では全然間に合わず、上京したいと言うのを両親が大反対。それを言葉を尽くして説得したのが春...
え、進撃の巨人兵続いてるの…?はい、土持家叔父と甥の話が非常にツボにはまりまして。甥っ子いくつ位かなあ…甥の平左衛門はまだ大分若いのではないかと思います。十代後半か二十代前半じゃないか。勝手に辺見十郎太(当時19歳)位かなと思っている。病院掛であるという事は書きましたが、あまり納得してでの役職ではなかったのか、やや不満はあった模様。前線に行きたい!ワナ ゴーバック フロントライン。土持佐平太宛て土持平左...
サイトの読み返し⑥15期広瀬武夫の親友向井弥一。向井ちゃんについては既にサイトにコーナーを作っている。笑works>近代MTS>向井弥一今まで大体紹介しているけれど、まだなのは「消息」かしら…同期同士が仲良くて嬉しくなる。笑この人について調べ始めて驚いたことのひとつは、父の従兄が江藤新平という事でした…江藤大好きな私歓喜。笑ただ向井は江藤に会った記憶はないみたい。両親から話は聞いていたようですが。江藤と近い親...
サイトの読み返し、その⑤前に出したこちらの写真(日露戦争直前2/5の15期同窓写真)は前列右から4番目に座っている向井弥一のひ孫様から頂いた写真です。こちら、非常に貴重な写真で、印刷物ではどこにも出ていません。その後一度だけヤフオクに出ているのを見ましたが、恐らく荒西(前から2列目左端)のアルバムの流出です。私このひ孫様には本当にお世話になっていて、お返しできないほどの恩恵を受けている。頂いた写真:「栴...
題wラピュタと混じりました。笑(※ラピュタは巨神兵)当時の日本人男性の平均身長152~3cm位→薩摩人=高身長が多い→禁門の変とか黒門口で猿叫しながら突っ込んでくるのどー見ても進撃の巨人という話です。引き続き『慶明雑録』ネタです。ネタて。戊辰戦争で新政府軍の核になったのは薩摩兵と長州兵です。薩摩と長州は自分達の首が掛かっているので、しょーことなしに参加しとる他の藩と比べても目の色が違う。薩摩はお国柄もあり...
ひっさびっさの読み返し。その④広瀬武夫関係は大分あるなあ…いやだって、広瀬武夫の為に作ったサイトなのでそりゃそうなのですが。あのサイトは大体において広瀬武夫を軸にして回っている。この人を見ていて思うのは、戦前も戦後(今)も相当美化されているな、という点。戦前は軍神として、戦後はその軍神が全否定され、次は国際人という肩書を以てやってきた。国際人は国際人でいいのだけれど、旅順口閉塞作戦以外で軍人として何...
久しぶりに読んだサイトの記事。その3。近代で安定的に読まれているのは「腹が減っては(2)」。軍艦の食事(メニューの話)、戦艦大和や長門でどういった食事が出ていたかという…まあ興味はあるわな。大和ホテルですからねえ。士官はとにかく兵食までこの献立なのかという思いを拭いきれない内容ではある。私が一番驚きであったのは昭和の巨大軍艦で使われていた調理器具で、4千人分を1時間15分で洗う洗米機とか(大和の最後の乗...
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