My son always goes to kindergarten happy and full of energy. [幸せで元気いっぱいな私の息子はいつも幼稚園に通っている] 文末の「happy and full of energy.」は形容詞句で、主語について説明している。 決して動詞を修飾している副詞ではない。 まあいわば補語として機能しているとも言えます。 My son always goes to kindergarten. これだけなら単純な第1文型「SV」なのですが、ここの主語の説明、すなわち補語を加えているのが冒頭の文です。 いわば第1文型と第2文型の合わせ技みたいな感じで…
My son disarranged the papers on the desk. 「disarrange」という動詞は、接頭辞「dis」と動詞「arrange」が合わさったものです。 「arrange」は整える、配置するなどの意味で、接頭辞「dis」は否定の意味を持っているので、「dis + arrange」で整えるの逆の意味を表し、散らかす、みたいな意味になります。 取っ散らかってる、って感じですかね。 なので、上の英文「My son disarranged the papers on the desk.」は「私の息子が散らかした」という意味になります。 何を散らかしたのかというと、後ろ…
They had hardly taken their seats when the lights went out.[彼らが席に着いて間もなく、照明が消えた] この構文に初めて触れた人が、なんでこんな意味になるんだと疑問に思うのも無理はありません。 「ほとんど席に着いていない」っていうのが、「席に着いて時間がほとんど経っていない」ってことを表しているんです。 順を追って説明しましょう。 「hardly」という副詞は「ほとんどない」という否定の意味合いが強いので、準否定語と言われています。 しかしあくまでも、否定の意味合いが強いというだけで、完全に否定しているわけではないのです。 She ha…
I know who I want to take me home. 関係代名詞を学んだころ、私はこの文章に出会って一瞬戸惑ったことを覚えています。 「I know who ~」で「私は~な人を知っている」あるいは「私は誰が~なのか知っている」という意味の文章を作ります。 I know who did it.[誰がやったか知ってるよ] 「who」自体が後に続く動詞の主体になっているか、あるいは対象になっているので、後に続く文章には主語か目的語が欠けているはずです。 I know who I want. ここで文章が終わっているなら「私は自分が誰を求めているのかわかっている」という意味になります…
日本語と英語で言い回しが違うっていう表現はたくさんあります。 たとえば、自分がなんとなく口にした発言が、その後自分の意思とは関係なく良くも悪くも次々に世の中に影響を与えていったとしましょう。 そんな時日本語では「私の発言が独り歩きしている」なんて言い方をします。 でもこの「独り歩き」という表現は日本語において浸透した言い回しであって、それをそのまま英語に直訳して「walk alone」なんて言っても駄目です。 いや、意味はなんとなく分かってもらえるとは思いますが、もっと英語の世界で浸透した言い回しがあるんです。 それが「take on a life of its own」です。 「take o…
Why do you think he is lying? この文章は二つの解釈ができます。 それは冒頭の「why」と動詞「think」の関係性をどうとらえるかがカギとなります。 冒頭の「why」を副詞として捉えて動詞「think」にかかっていると捉えれば「なぜ考えるのか」という意味になります。 一方で「why」を動詞「think」の対象、つまり目的語として捉えるならば「その理由をどう考えるのか」という意味になります。 前者の捉え方は「彼が嘘をついていると、どうしてあなたはそう考えるのか」という意味。 後者の捉え方は「どうして彼は嘘をついているのか、その理由は何だと思いますか」という意味。 前…
You will find this book easy. 英語につたない人の中には、この文を「あなたはこの本を簡単に見つけるでしょう」っていう意味だと思ってしまう人がいます。 ここでの「find」は物体そのものを見つけ出すという意味よりも、とある事実を見つけ出すという意味に近い。 「This book」が「easy」であるという事実を見つけ出す、その事実を知る、という意味です。 一見難しそうな本に見えるけど、読んでみればそうでもないってわかるよ、ってな感じですね。 いわゆる第5文型SVOCで、「O=C」って参考書などには載っているやつですね。 じゃあ、見つけるという行為が簡単に行われるという…
英語には否定疑問文なるものがあります(まあ日本語にもあるんですが)。 Didn't you buy it even though it was half price?[半額なのに買わなかったんですか] ちなみに「even though ~」で「~であるにもかかわらず」という意味を表します。 なぜ普通に「Did you buy it?」と言わないのか。 なぜ普通の肯定形の疑問文で質問せずに、「Didn't you buy it?」と否定形の疑問文で質問するのか。 それには理由があります。 それは話者の中にある「そうであって当然、肯定であって当然(この場合、買って当然)」という感覚が、否定形で質問…
英語を学ぶ上で発音記号ってのは大事なもんです。 なんせ日本語よりも発音が細分化されているわけですから、その事実を知らないと、いつまでたっても、「r」と「l」をまとめて同じ音として認識しようとしてしまいます。 ただこれは、違う音であることを知り、その事実を意識して、文脈や状況とともにキャッチすれば、そういったことを何千回と繰り返せば、そうすることで長い年月をかけてその違いになじんでいくもんです。 一朝一夕で聞き分けられるようなもんでもない。 発音記号の重要性が叫ばれるようになった昨今の日本の英語教育ですが、それと同時私が大切だと思っているのは、英語のリズムです。 たとえば、「get it out…
Wealthy as he was, he worked hard without being lazy.[彼は裕福だったが、怠けることなく懸命に働いた] Poor as she was, she spared no money to help others.[彼女は貧乏だったが、人助けにお金を惜しむことはなかった] 「as」は「all so」の簡略したものとも言われており、「まったくもってそう」という意味を根本に持ちます。 基本的に「as」は、二つの事柄が「イコールである」ということを示しています。 「as」自体には譲歩の意味はありません。 にもかかわらず、なぜ譲歩の「as」なるものが存在す…
前置詞「of」は分離を意味しており、「A of B」でBから分離されたAという意味が生まれます。 この「A of B」が、「Bの中にあるAという資質」という意味で使われることがあります。 He wants to make a criminal of me. これは彼自身が犯罪者になろうとしているという意味ではなく、彼は私の中にある犯罪者という資質を作り上げようとしているという意味になります。 つまり、彼は私を犯罪者にしたてあげたがっている、という意味です。 My daughter is an angel of a girl. これは別に、天使には男の子の天使と女の子の天使がいて、うちの娘は女の…
「Just to let you know」 この「just」は「ただ~だけ」という気持ちから使われている副詞です。 「to」は不定詞の「to」で、「let you know」は「あなたに知ることをさせる」で「あなたに知らせる」という意味になります。 なので「just to let you know」で「ただあなたに知らせるためだけに」って意味になります。 ちょっと知らせておきたいんだけど、って感じの前置きですね。 Just to let you know, Fiona is not at the party tonight.[言っときますけど、今夜のパーティにフィオナは参加してませんよ] フ…
あやふやで不確かなものが、確かで揺るぎないものへと変化することを意味する動詞として「confirm」という動詞があります。 この動詞は、主語自らが確かで揺るぎない状態へと変化する、という意味ではありません。 そうではなく、主語があやふやで不確かな他者を揺るぎない確かなものへと変化させる、という意味です。 つまり自動詞ではなく他動詞です。 Your advice seems to have confirmed his resolution.[あなたの助言は彼の決意を確かなものにしたようです] この動詞は他動詞としてしての機能しかありません。 なので、下位存在である変化する側を主語にすることが出来…
前置詞「on」は「接触」という意味を持っています。 そこでこんな言い回しがあります。 I deeply apologized to her for having the affair on my knees.[私は浮気のことで彼女に膝をついて謝った] 「on one's knees」で跪いている状態を表すことがあります。 これは、膝と地面の接触を表しているわけですね。 西洋には膝をつくことで謝意の深さを示す文化に馴染みはないんでしょうが、日本人ならしっくりくる文章ですね。 跪くといいう意味では他にも「kneel」という動詞があります。 She was kneeling in prayer wh…
You do such a thing once too often and get punished.[そんなことばっかりしてると罰が当たるぞ] 「once too often」とはどういう意味か。 「once」は一度、「too」は度が過ぎる、「often」は頻度がそれなりに多い、という意味を表します。 「too often」は、頻度が多すぎるという意味になります。 しかしそれだと、「once」という意味とは相いれない感じがします。 でも言葉って割とそういうことが起こるもんなんです。 たとえば日本語でも、「絶対」という確信と「思う」という推測が合わさって「絶対にそうだと思う」って言ったりしま…
If it were not for you, I wouln't be now.[あなたがいなければ、今の私はないでしょう] 「if it were not for A」で、なぜ「もしAがいなければ」という意味になるのか。 それを言うなら「if there were not A」や「If there were no A」じゃないのか。 そんな疑問を持つ人もいるでしょう。 まず「it」という単数形の主語に対して「were」が使われているのは、これは単純に仮定法だからです。 実際とは違う世界の話をしようとしている表明です。 そもそも「It is for A」といえば、これはどういう意味になるでし…
「help」といえば助けるという意味でおなじみですが、けしてそれだけで済むような言葉ではありません。 誰かを助けるということは、その人をどうこうすることによって、その人が抱えている困難を取り除く、ということです。 なので「cannot help」で、助けられないという意味の他に、どうすることもできないとか、取り除くことができないなどの意味に使われることがあります。 特に何らかの行為に対して、どうすることもできない、取り除くことができない、避けることができない、という意味合いで使われます。 I cannot help laughing. 笑うという行為に対して、どうすることもできない、手立てがな…
英語では、友人をパーティに誘ったときに、こんな言葉が返ってくることがあります。 I would just as soon stay at home as go to the party. ここでの「would」は、直接的ではなく婉曲的に自分の意思を表現する助動詞です。 実際にするかどうかはさておき、もし許されるなら、もし構わないのなら、私にはこういったことをする意思があります、という遠慮気味な主張を表しています。 「just as soon」は、ちょうど同じくらい速やかに、という意味の副詞句で、動詞すなわち行為を修飾しています。 その修飾している動詞というのが「stay at home」、家に…
Daniel met Elena.[ダニエルはエレナに出会った] これはダニエルが一方的にエレナに出会った、という文章です。 エレナがダニエルに出会ったのかは定かではありません。 エレナの方はそうは認識していないかもしれません。 とにかくダニエル視点で一方的に表現した文章です。 これを一方的ではなく表現する方法として、両者を共に主語に置く、というのがあります。 Daniel and Elena met.[ダニエルとエレナは出会った] これで一方向性は消えました。 他にも前置詞「with」を使う方法もあります。 Daniel met with Elena. これも一方向性が消えた表現です。 しか…
英語っていうのは言葉の裏を読ませたがるもんです。 たとえば、一緒に何かをするときに相手との間に存在している繋がりとか。 I have to work with Leonardo.[私はレオナルドと一緒に働かなければならない] 「私」一人ではだめで、レオナルドがいなきゃいけないわけです。 「私」はレオナルドという存在を必要としているわけです。 つまり、「私」にとってレオナルドは決してどうでもいい無関係な存在ではないということです。 「私」にとってレオナルドは無くてはならない存在です。 一緒に何かをしなきゃいけない相手ってことは、それだけ相手との間に繋がりが存在しているということになります。 I …
「何故?」と聞きたいとき、英語では「Why」を使います。 それとは別に、「How come」を使うこともよくあります。 How come you broke up with Selena?[どうしてセレーナと別れたの] 初めて「How come」という表現に出会ったとき、文法的な疑問を抱くのは避けて通れないでしょう。 実はこれ、「How come」のあとに続く文章は「that節」かつ従属節なんです。 「come」には「来る」という意味の他に、とある状況や状態に「なる」という意味もあります。 My bow tie came undone.[蝶ネクタイがほどけた] これは「主語が○○な状態になる」…
「How about ~?」と同じような表現として「What about ~?」というのがあります。 これらは同じような使われ方をすることもありますが、場合によっては、話者の気持ちがこの2つを使い分けさせることがあります。 How about next Tuesday? この文は、相手に対して「来週の火曜日はどうですか」っていう、日取り決めをするにあっての相手の意向を確認する感じです。 一方で、来週の火曜日に既に予定の入っている人が、その日に別の予定を入れたりしたら、来週の火曜日はどうするつもりなんだ、という具体的なことを聞きたくなります。 そういったときに、 What about next …
How about next Tuesday? 予定や日取りについて話し合っているときに、こんなことを言ったりします。 日本語でいうと「来週の火曜日はどうでしょう」。 「How about」構文は中学生で習う初歩的なものですが、この構文に疑問を感じたことはないでしょうか。 だって、動詞がないんですよ。 まあでも疑問を感じたことが無い人がいてもおかしくはない。 なぜなら日本語の場合も同様に、動詞がないんですもの。 英文も日本文も要素が一致しているんですよね。 How(どう)、about(について)、next Tuesday(来週の火曜)? なので意味が分かるといえば分かるんです。 ただ、文法好き…
「meet」は、対象との距離を縮めて接触するという意味を持ちます。 非常に幅広い意味なので、いろんな使われ方をします。 一般的によく知られている「出会う」という意味は、「meet」のほんの一面にしか過ぎません。 「meet」という英単語は、人と人との接触を対人関係における接触と捉えます。 そのため「meet」は「対面」という意味を持ちます。 しかし、対面と言っても色んな場合が考えられます。 初対面、すでに面識のある人との対面、偶然の対面、約束した上での対面、などなど。 本来「meet」はこれらどの場合にも対応しています。 しかし一つの動詞だけですべての意味を担当していると、少々ややこしい。 そ…
「meet」は「対象との距離が縮まって接触する」という幅広い意味を持っています。 「meet」における人と人との接触は、対人関係上の接触を意味しています。 そのため一般的に「出会う」という使われ方をします。 しかし、人以外の接触を「meet」で言い表す場合、必ずしも出会うという意味にはなりません。 たとえば、抽象的な概念、それも目に見えないラインを意味する概念との接触に「meet」が使わることがあります。 その場合、何を意味するのか。 目に見えないラインとは何か。 We meet your wishes. 私たちはあなたの願いに対し距離を縮めて接触します。 願いというのはいわば相手が望んでいる…
「meet」はただ単に出会うという限定された意味だけを持つ言葉ではなく、「対象との距離が縮まって接触する」という幅広い意味を持っています。 それ故に、いろんな使われ方をします。 His jacket didn't meet in front. ジャケットってのは前でボタンを絞めますが、それが絞まってなかった、つまり接触してなかったという意味です。 この場合「button」や「fasten」という動詞で表現する方が普通かとは思います。 ただ「meet」に接触の意味がある以上、こういった使い方もできてしまえるわけです。 His jacket was not buttoned up.[彼のジャケット…
「meet」はただ単に「出会う」という限定された意味だけを持つ言葉ではありません。 「meet」には「対象との距離が縮まって接触する」という幅広い意味があります。 そのため、「meet」はいろんな使われ方をします。 My hand met his under the table. 「meet」を日本語の出会うという意味だけだと思い込んでいる人は「私の手が机の下で彼の手に出会った」と訳してしまうかもしれません。 そんな言い方するかな、と日本人ならそう思うでしょう。 確かに日本語の出会うだと、普通そういう使い方はしません。 しかし英語の「meet」は日本語の出会うのような限定された意味ではなく「対…
英語の相互動詞には、行為を共に成立させている相手に対して前置詞「with」を付けるのか付けないのか問題というのが存在しています。 「fight」は付きます。 Antonio fought with Muhammad Ali.[アントニオはモハメドアリと戦った] 「meet」は付きません。 Helen keller met Ann sulliivan when she was seven years old.[ヘレンケラーは7歳の時、アンサリヴァンに出会いました] 「talk」は付きます。 He says he talks with aliens every day.[彼は毎日宇宙人と会話してい…
A car breaks. 車が壊れる。 これは主語の状態のことを説明している自動詞表現です。 主語自身が壊れている状態に「なる」という意味です。 しかし「break」には「壊れる」という主語自身の状態を説明する自動詞表現の他に、「壊す」という他者の状態を変える他動詞表現もあります。 A bad driver breaks a car. 運転の下手な人が車を壊す。 主語の「運転の下手な人」が自分以外の存在(ここでは車)を壊れている状態に「する」という意味です。 「壊れる」はその状態になる当の本人を主語にした下位の立場からのミクロ的表現。 「壊す」はその状態を作り出す原因を主語にした上位の存在の…
もしも英語が使えたら。 英語を勉強している人なら誰だってそんなことを考えるでしょう。 というよりも、そんなことを考えるからこそ英語の勉強をしている、みたいなところがある。 そう普通の人は。 私はそんな普通の人間ではない、なんて言うつもりはありませんが、私の場合、英語を使えるようになりたいって気持ちが希薄なんですよね。 もしも英語を使えたら、海外旅行をたくさんしたいとか、海外に住みたいとか、そんな気持ちが全くない。 引きこもり人間の私は、誰かとコミュニケーションをとりたいって気持ちがそもそも希薄です。 日本人相手に日本語で喋ることでさえ、そんなに好きってわけでもないのに、いわんや英語をや、です。…
動詞には色んな種類がありますが、その一つに相互動詞と呼ばれるものがあります。 相互動詞の説明として「相手が必要な行為」と言われることがありますが、これは間違いです。 たとえば、殴るという行為は相手が必要な行為ですが、殴るは相互動詞ではありません。 何故なら、殴る側と殴られる側という別々の立場が明確に存在するからです。 そうではなく、行為に対して同じような立場が複数存在する場合、その行為は相互動詞といえます。 なので殴るではなく、殴り合うなら相互動詞と言えます。 この「合う」という言葉が両者を同じ立場にしているわけです。 殴るという行為は「合う」という言葉を足さないと相互性を持たないので、それ自…
行為の主体が複数存在することを前提とし、その複数の主体が互いに作用し合って成立する行為のことを、一般的に相互動詞と言います。 この相互動詞の中には、文法上自動詞として扱われるものもあれば、他動詞として扱われるものもあります。 それらの違いは何か。 例えば「figth」という動詞は戦う相手を行為の対象に取らないことが普通です。 I fight with you. [私はあなたと戦う] あなたと一緒になって戦うという行為を成立させている、という形に文法上はなっています。 これは「talk」も同じです I talk with you. [私はあなたと会話する] あなたと一緒になって会話という行為を成…
移動という行為は、他者に作用せずに自分で自分を移動している状態に変えるという自動性の強い行為です。 なのに「leave」が他動詞なのは何故か。 それは「leave」という動詞が、その行為が行われた後の世界に重きを置いている動詞だからです。 行為の主体がその場から去った後のことまでをも意味に含んでいる、それが「leave」です。 つまり、ただの移動という域を超えた表現です。 leaveの本質は「対象をその場に置いて去る」です。 なので「leave」は他動詞。 「reach」が他動詞なのは何故か。 「reach」の本来の意味は、手を伸ばして触る。 つまり、到着した後にその場所に触るという、しっかり…
移動系の動詞はたいてい自動詞が多い。 それもそのはずで、移動っていうのは他者に作用するんじゃなく自分で移動している状態になるという自動性の強い行為だからです。 だから「walk」も「run」も自動詞です。 「go」や「come」が自動詞になるのも同じ理由です。 「go」や「come」も本質は移動を意味している。 行為の主体が「移動している状態になる」という状態変化を意味する自動詞です。 ただ、この移動系の動詞も言い方を変えると重きを置くポイントが変わってくる。 たとえば「いなくなる」という言い方をすると、それはただの移動ではなくなります。 ある場所を起点としてそこからいなくなるという意味です。…
動詞というのは、何に重きを置いているかで、自動詞か他動詞かが変わってくる。 行為の主体者の状態変化に重きを置けば自動詞となります。 一方で、その状態変化を成立させている存在に重きを置けば他動詞となります。 「talk」が自動詞で「discuss」が他動詞なのがまさにそうです。 「talk」は行為の主体になる存在が複数必要で、その複数の主体が共同で「talk」という行為を成立させている、その状態に重きを置いた自動詞。 一方「discuss」は、その「talk」を母体に、話し合っている内容に重きを置いたことで成立している行為。 つまり話し合っている議題なくして「discuss」という行為は成り立た…
結局のところ動詞というのは、その行為が何に重きを置いているのかが全て、と言えるでしょう。 例えば会話系の動詞「converse」、「talk」、「chat」、「chatter」、これらの動詞は共同主体型の自動詞です。 行為の主体が複数存在していることを前提にしており、その複数の主体間での言葉のやり取りに重きを置いています。 内容には重きを置いていない。 だから内容はただの追加情報となり、前置詞を伴う。 これに対して「discuss」という動詞はどうか。 議論するという意味ですが、この行為も「talk」らと同じで複数の主体が必要な共同主体型です。 ただ、会話とは違って「議論」という言葉には、内容…
「utter」という動詞をご存じでしょうか。 「utter」というのは、口を使った「発する」という行為のことを言います。 何を発するのか。 この「何を」にあたる部分が「utter」という行為の対象になります。 口から発するのは「音」ですね。 なので音に類するものが「utter」という行為の対象、つもりは目的語となります。 He uttered a cry of joy.[彼は歓喜の声を発しった] 場合によっては音以外のものを発することもあります。 She will utter a deep sigh.[彼女は深いため息を発するでしょう] 口から発するものをただの音ではなく言葉に絞った場合は、そ…
「fight」という動詞はその性質上、行為の主体が必ず複数発生します。 一方が戦うとき、もう一方も戦うわけですから。 両者が同じ立場で「fight」という行為を成立させている。 こういった動詞を私は共同主体型の動詞と呼んでいます。 そしてこういった共同主体型の動詞の多くは自動詞になります。 なぜなら、複数存在する主体が互いに作用し合っているだけで、外に向けて何かにエネルギーを作用させているわけではないからです。 つまり行為の主体自体が主体自身に作用して状態を変化させているだけ、という自動詞の方程式が成り立つわけです。 たとえば「converse」という動詞は「談話をする」という意味です。 談話…
時には、動詞のもつ性質がその行為の対象の属性をある程度絞ることがあります。 「read」なら対象は広く「読み物」を指し、「eat」なら対象は広く「食べ物」指し示しています。 そのため目的語を省略して自動詞として使用すれば、「I read.」で読書をする、「I eat.」で食事をするという意味合いになる。 日本語でいうところの「名詞+をする」の表現に変わる。 こういった類の動詞を私は対象内包型の動詞と呼んでいます。 それとは別に、動詞の持つ性質が、行為の対象だけでなく行為の主体へも影響を及ぼすことがあります。 たとえば「戦う」という行為は、行為の主体が複数存在していることを前提としています。 つ…
「read」や「eat」という動詞は、その行為の特性上、対象がどういったものであるのかがある程度推測できる。 「read」であれば読む物、「eat」であれば食べる物が、行為の対象になる。 行為自体が対象の属性をある程度限定させ、普通はその属性内のどれかが対象になる。 故に目的語をとらなくても「I read.」で読書をするという意味になり、「I eat.」で食事をするという意味になる。 こういった動詞を私は対象内包型の動詞と呼んでいます。 日本語では「読む」から「読書をする」に、「食べる」から「食事をする」に言葉が変わるのに対し、英語の場合は「read」や「eat」のまま目的語のあるなしで変わる…
英語の他動詞は、その行為の対象よりも主語の状態変化に重点が置かれるとき、目的語が省略される。 How well can you throw? How well(どれだけ上手に)、can you(あなたはできるか)、throw(投げることが)? 目的語が省略されたことで、何を投げているのかではなく「投げている状態」についての話がされているのがわかります。 要は、目的語は今どうでもいいよね、って感じです。 このように、英語というのは目的語がないならないで、主語の状態変化重視の意味で受け取ってもらえる言語なんです。 日本語の他動詞の場合は、必ずしもそうはならない。 試しに日本語の目的語を省略してみま…
なぜ自動詞と他動詞を見極める必要があるのか。 「後ろに目的語がないのでその文章は文法的に間違いです」とならないため? もしそうだとしたら、それはただの杞憂に過ぎないかもしれません。 何故なら、たいていの他動詞は自動詞としての機能も併せ持っているからです。 例えば「kick」という動詞。 蹴るという行為は、明らかに対象が存在してこそ成り立つ行為であり、エネルギーの流れが存在します。 なので当然の他動詞です。 が、しかしです。 たとえこれを目的語なしで使ったとしても、文法的に間違いです、なんて言われる筋合いはない。 That horse kicks. あ~あやっちゃったね、「kick」は他動詞だか…
自分で意識していなくても、感覚器官というのは機能しており、意識するしないにかかわらず感覚器官が情報を捕らえ脳に伝達すれば、否が応でもそれを認識することになる。 そうやって発生した認識が「see」や「hear」です。 一方で、自分から意識の焦点を絞るという自身の状態変化を意味するのが「look」や「listen」です。 それらとは別に、「事の成り行きを見届ける」という意味の「watch」という動詞があります。 つまり「watch」は「対象がどうなるのか、どうするのか」を見ようとする行為です。 なので、変化が起きる可能性の低いものに対しては普通使いません。 変化が起きる可能性を感じるからこそ「どう…
「look」や「listen」が意識の重点を意図的に移動させるという自分の変化を意味する自動詞なの対し、「see」や「hear」は感覚器官によって情報を認識するという意味があります。 情報ありきで成立する動作なので、他動詞としての性質を持つ。 Look at that. did you see that? この文は、「あれに向かって視線を移動させて。あれを視覚によって認知しましたか」という意味です。 感覚器官で情報をとらえ、脳がそれを認識する、それが知覚動作の本質です。 そこから発展した表現方法として「I see.」というのがあります。 「ああ、わかったよ」っていう意味です。 知覚動詞が持つ「…
他者の存在を必要とせず自分一人で状態を変化させる動作は自動詞、他者の存在ありきで他者に作用することで成立している動作は他動詞、というのであれば、では「見る」という行為は他動詞でしょうか、自動詞でしょうか。 見るっていう行為には、必ず何かしらの対象が存在しています。 対象を必要とせずに見るという行為ができないので、「見る」は他動詞ということになります。 日本語の「見る」という言葉は汎用性が高くいろんな場面で使えますが、英語の「見る」はもう少し細分化されており、状況によって使い分けます。 有名なのが「look」「see」「watch」の3つです。 しかしこの中で、「look」だけは他動詞ではなく自…
自動詞とは、誰もいない、何もない空間で、自分一人でもできる行為。 この考えは実は表面的なもので本質ではない。 自動詞の本質は「状態の変化」です。 ○○な状態になる、というのが自動詞の本来の意味です。 するんではなく「なる」という感覚です。 「The window opnes.」は、窓が開いた状態になるということです。 主語になっている窓が自らの意思でその状態になったわけではなく、主体性はないんですが、それをあえて主語にした場合の表現です。 本当のことを言うと、どこかに主体性を持ってその状態を生み出した原因が存在しているはずなんですが、その原因を無視した表現となります。 原因をしっかり表す言い方…
I opne the window. [私は窓を開ける] この文は、主語の「I」から発せられた「opne」のエネルギーが「the window」に作用して、その結果窓が開いた状態へと変わる、という意味です。 ここで使われているopenを他動詞と言います。 The window opens. [窓が開く] 先ほどはエネルギーの受け手だった窓を主役にした文章です。 動作の結果として開いた状態になる窓自体を主語にしたことで、エネルギーの流れというものが存在しない文章となりました。 自己で完結しており、他者への働きかけがない、それが自動詞です。 I run. [私は走る] I sleep. [私は眠る…
What is wrong? 直訳すると「何が悪いんですか」とか、「何がまずいんですか」とか、「何がダメなの」など。 「いや~しまったなあ」と何かやらかした風な友人や、あからさまに落ち込んでいる友人に一言。 「What's wrong?」 日本語だと「どうしたの?」って訳されることもありますが、英語の「what's wrong?」は日本語の「どうしたの?」ほど汎用性の高い言い回しではない。 日本語の「どうしたの?」は、ヤッター!っと飛び跳ね喜んでいる友人に対しても使うことができます。 いわば「right」と「wrong」の両面を持っているわけですが、それに対し英語の「what's wrong?…
「ブログリーダー」を活用して、セヴンさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。