楽しく生きていきたいと思った。限りある時間、せっかくだから楽しく生きたいと思った。そしたらふと思った。 僕はいつから大切な人たちに楽しく感じてもらえるような振る舞いをやめてしまったのだろうと。 だから楽しく生きるために、こんな僕だけれど、こんな僕なりに楽しく生きてもらえるようにしてみようと思う。
断酒し、1年が経過しても自問自答する日々。メリット、デメリットと一言では片付けられない葛藤を記録しています。
頭の中が少し混乱していて、何かをアウトプットしなければならない衝動にかられながら、じっとスマホを見つめていた。でも、何もかけなくて顔を上げたら、車のフロントガラス越しに遠くの山が目に入った。目に入った山の感想くらいならかけるだろうと、「山が綺麗だ」と書いてみた。山は山として、遠くのあの場所に存在している。おそらくずっと前から。これまで自分を除く何人の人たちがあの山を見つめたのだろう?それらの人たちはどんな思いで見つめていたのだろう。これから先、百年後、千年後、あの山はずっとあそこにあり続けるだろう。そのことに理由なんてないのと同じで、僕の頭を占領している物事たちもきっとたいした理由なんてない。
なんだろう? 誰だろう? なぜだろう? どうしよう?たくさんの自分自身への答えの出ない問いかけに少し混乱する。その問いかけの領域は、ほっておくとどんどん大きくなって、僕のこめかみはじんわりとした痛みを訴え始める。そして強い睡魔におそわれ、眠り、朝を迎える。
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楽しく生きていきたいと思った。限りある時間、せっかくだから楽しく生きたいと思った。そしたらふと思った。 僕はいつから大切な人たちに楽しく感じてもらえるような振る舞いをやめてしまったのだろうと。 だから楽しく生きるために、こんな僕だけれど、こんな僕なりに楽しく生きてもらえるようにしてみようと思う。
僕は小さな頃から最悪のシナリオを見据えて生きてきた。マラソン大会では、一番最後になりさえしなければ良いと思いながら三十人中5着になり、テストでは70点を下回らなければ良いと思い95点を取った。 人には裏切られても仕方がないと思い、親友と呼べるような友は出来なかった。ノストラダムスの予言が当たっても、20歳までは生きられるからと諦め、本気で挑戦して失敗することを恐れて、そこそこの挑戦しかしてこなかった。そんな繰り返しの中、僕は何を待っているのだろう?この霧がかかったような人生で、相変わらず傷つくことから目を背け、最悪のシナリオを思い浮かべながら、期待することを恐れているうちに、いつしか期待したく…
「課題の分離」 「執着を手放す」 「刺激と反応の間のスペース」 「期待しない事」これらの言葉はどれも目にしたときに、僕にある一定の影響を与え、自分の人生の道しるべとなる想いを気づかせてくれた。しかし少し遅れてそれらに対する逆説や矛盾点が頭を過ぎり、そしていつしか事情の中に埋もれてしまった言葉たちだった。 でもさっき、それらの言葉たちの僕なりの答えの尻尾みたいなものが頭の片隅によぎった気がして思うままに書きとめている。その尻尾はとても素早くて目を離した隙に見失ってしまいそうだから。自己成長をしたいと願うことは、それまで感じることのできなかったことが感じられるようになる事に繋がる。自己成長を願う自…
自分を見つめ直し、自分と対話し、正しく有ろうと思えば思うほど、周りの言動に過敏に反応し、苛立ち、べっとりとした思いに蝕まれていく。これを正しく有ろうとする事、自分が変わろうとすることで起こる好転反応だと言い聞かせながら、もがき、相手を見下していた。 僕は気が付かないうちに裸の王様に成っていた。僕が素晴らしいと思って身につけたものは、ホントは何も無かった。僕はただの裸だった。 正しさは相手に求めるものではない。 自分がどうありたいか、どうなりたいかの道筋に、相手の言動は関係ない。自分が身につけたいものに相手のお世辞が関係ないように。この気付きを大切にしたい。
生きていくことが億劫で、どうなってしまっても構わないと思いながら、一方で人の言動に過敏に反応し、回りから何かを与えてくれるのを待っていた。そんないびつな心のとげとげがいつの間にか消えていた。いつもの躁鬱の躁とも違った感覚。なぜだろう?
僕がこのブログに何かを記したくなるとき、そこにはいつも共通点が存在する。それは、自分と向き合う上で目の前にその時々の壁が存在しているということ。今回も例外ではなく、消化しきれない壁が存在し、無意識的にブログというツールを使って気持ちの整理をしようとしていた。自分と向き合おうと、自分の内側に進んでいこうとするとき、僕は時折まわりの言動にとても過敏に反応し、気持ちを抑えることが出来なくなる。今回の壁がそれにあたる。なぜ、どうして、自分と向き合おうとしていたのに、いつの間にかまわりのことが目につき、そして闇に沈んでゆく。その闇の中で、まわりが見えないほど、真っ暗闇になったとき、不思議と光が差し込んで…
成長点を起点として、植物は新たな芽を出し大きくなる。先に出ていた、今はもう芽とは呼べない葉の遺伝子を受け継ぎながら、より大きく、より高く成長する為に新たな芽を出していく。迷いなく、日差しを求めて成長していく。種類は変われど、何十億年も前からその成長を繰り返し、その時代時代に適応してきた。そう思うと、今の僕が抱えている問題はとてもちっぽけで他愛のない事に思えてくる。体の成長は止まったけれど僕はまだ心の中に確かに成長点を持っている。植物も、人も猫も成長し、次の世代にバトンを渡していく。そこに意味があるのかどうかは植物も、人も猫もわからないけれど、わからない意味を考えすぎて悩んでいるのは多分人だけ。…
僕がまだ子供だった頃、大人の人達は強くて完璧な存在だった。大人になった今、僕は弱くて不完全な存在である事に気がついた。 なぜだか僕は、大人は楽しいとか嬉しいとか、そういった感情を持ち合わせない存在だと思っていた。うまく言えないけれど、感情を超越した別の次元の絶対的な存在が、僕が思う大人の姿だった。そんな大人という存在になる為に、誰かに認められる為に、毎日たくさんのアルコールを飲んで、身の回りのとっても狭い世界観を斜に構え、多くの様々な物事を浪費し生きてきた。とても長い時間。そのことで、自分を追い込み、深い自己嫌悪に陥り、アルコールを手放してから三年が経ち、気がついた事がある。 大人もか弱く、不…
心のドアをノックする音が聞こえる。僕の心の内側から、小さくノックを続ける音が聞こえる。その音は、そこに意識を集中していなければ様々な雑音にかき消されてしまう程、とっても小さな音だけれど。ふとした拍子に確かに感じる。大切な何かを思い出せそう。 心のドアを開けても、怖いことなんて起こらないのはわかっているけど、昔の僕は外側からとっても頑丈な鍵をかけた。なんのためかは思い出せないけれど、今僕はこのドアを開けたいと思っている。
子供の頃はあまり季節の移り変わりに関心がなかった。春も夏も秋も、冬も。本能的に季節ごとの遊びに没頭し、時には季節はずれの遊びも気にすることなく没頭した。そんな季節を何周かするうち、いつの間にか大人になっていた。この年になって時折思うことがある。僕はあと何周、季節の移り変わりを体験するのだろう?そして気分が落ち着いている時には、語尾は体験できるのだろうに変わる。希望を先延ばしにすることは良くないことであるのは知っている。でも、まだ今を捕まえきれない。今を、一瞬一瞬を大切にした積み重ねの先を生きていきたい。
出社前、いつも寄るコンビニで一人のおじいさんが「トンガリコーンはありますか?」と店員さんに聞いていた。ただそれだけのことだったけれど、トンガリコーンを頼んだ誰かと、おじいさんのことを思い浮かべたらなんだか心が少しだけあたたかくなった。
休日の夕方、突発的にサザエさん症候群に襲われ胸が少し締め付けられた。何とかしなければと思い、今日という日の何かを残したくて、当てもなく百均に行った。百均には、クリスマスシーズンということもあって、たくさんの飾りが並んでいた。娘が小さかった頃、一緒にツリーに飾り付けをしたことを思い出し、また少し胸が締め付けられた。それでもキラキラした飾りを眺めているうちに、先日購入したシルバーティーツリーに飾って見ようと思いたち、どれにしようか悩んでいる僕の心は少しワクワクしてきた。ブルー系の玉が9つ入った物に決め、帰りの車で飾ることを想像したら、また少し心がワクワクした。 家にかえると箱を開け、早速ティーツリ…
頭の中が少し混乱していて、何かをアウトプットしなければならない衝動にかられながら、じっとスマホを見つめていた。でも、何もかけなくて顔を上げたら、車のフロントガラス越しに遠くの山が目に入った。目に入った山の感想くらいならかけるだろうと、「山が綺麗だ」と書いてみた。山は山として、遠くのあの場所に存在している。おそらくずっと前から。これまで自分を除く何人の人たちがあの山を見つめたのだろう?それらの人たちはどんな思いで見つめていたのだろう。これから先、百年後、千年後、あの山はずっとあそこにあり続けるだろう。そのことに理由なんてないのと同じで、僕の頭を占領している物事たちもきっとたいした理由なんてない。
なんだろう? 誰だろう? なぜだろう? どうしよう?たくさんの自分自身への答えの出ない問いかけに少し混乱する。その問いかけの領域は、ほっておくとどんどん大きくなって、僕のこめかみはじんわりとした痛みを訴え始める。そして強い睡魔におそわれ、眠り、朝を迎える。
アルコールに溺れていた頃、足の不調に気が付き、アルコールが原因であると特定されることで、アルコールを飲むことを禁じられることを恐れ、アルコールを辞めたあとはアルコールのせいであって欲しいと願っていた。そんな中、その症状に対して始めて耳にした病名は、シャルコーマリーテゥース病というものだった。
植物の剪定に摘芯という方法がある。先端を切り詰める事で、植物の上に成長しようとする性質を幹を太くする方へと変化させ、より力強く育てるための大切な役割となる。これを怠ると、幹が細いまま樹高は高くなり、場合によっては強風などの影響で折れたり、倒れたりしてしまう。この摘芯は、人間でいう苦労に置き換える事ができる。植物も人も同じ。
向き合うことがこれ程辛いとは思わなかった。向き合うことが成長に繋がることを知らなかった。だから向き合う。自身のために。
覚醒するということに救いを求めていた自分がいた。きつくても、いつかきっと楽になると。その為にたくさんの本を読み、考え、自問自答を続けてきた。でもそれはきっと、オセロの石が黒から白に変わるような、一瞬の時間ではおこらない。ブラックコーヒーにミルクを一滴ずつ垂らすように、少しずつ、少しずつ、自分の心を正しい色に染めていからければならない。僕は誰とよりも一番長く、これまでもこれからも自分の心と付き合っていく。だからゆっくりでも、一滴ずつ、正しい色に染めてゆく。
誰かにとっての“雲の中の一筋の虹”になるよう努めて下さい。 マヤ·アンジェロウ今日も一日が始まってくれた。誰かにとっての一筋の虹になりたい。
この一週間で僕の手に残った花の香りの数は、いくつあっただろう?それらのうちのいくつかは、はっきりとこの手に残っている。そんな一週間の振り返り方も疲れた僕にささやかな心地よさをもたらしてくれる。にほんブログ村
休日の夕方、突発的にサザエさん症候群に襲われ胸が少し締め付けられた。何とかしなければと思い、今日という日の何かを残したくて、当てもなく百均に行った。百均には、クリスマスシーズンということもあって、たくさんの飾りが並んでいた。娘が小さかった頃、一緒にツリーに飾り付けをしたことを思い出し、また少し胸が締め付けられた。それでもキラキラした飾りを眺めているうちに、先日購入したシルバーティーツリーに飾って見ようと思いたち、どれにしようか悩んでいる僕の心は少しワクワクしてきた。ブルー系の玉が9つ入った物に決め、帰りの車で飾ることを想像したら、また少し心がワクワクした。 家にかえると箱を開け、早速ティーツリ…
頭の中が少し混乱していて、何かをアウトプットしなければならない衝動にかられながら、じっとスマホを見つめていた。でも、何もかけなくて顔を上げたら、車のフロントガラス越しに遠くの山が目に入った。目に入った山の感想くらいならかけるだろうと、「山が綺麗だ」と書いてみた。山は山として、遠くのあの場所に存在している。おそらくずっと前から。これまで自分を除く何人の人たちがあの山を見つめたのだろう?それらの人たちはどんな思いで見つめていたのだろう。これから先、百年後、千年後、あの山はずっとあそこにあり続けるだろう。そのことに理由なんてないのと同じで、僕の頭を占領している物事たちもきっとたいした理由なんてない。
なんだろう? 誰だろう? なぜだろう? どうしよう?たくさんの自分自身への答えの出ない問いかけに少し混乱する。その問いかけの領域は、ほっておくとどんどん大きくなって、僕のこめかみはじんわりとした痛みを訴え始める。そして強い睡魔におそわれ、眠り、朝を迎える。
アルコールに溺れていた頃、足の不調に気が付き、アルコールが原因であると特定されることで、アルコールを飲むことを禁じられることを恐れ、アルコールを辞めたあとはアルコールのせいであって欲しいと願っていた。そんな中、その症状に対して始めて耳にした病名は、シャルコーマリーテゥース病というものだった。
植物の剪定に摘芯という方法がある。先端を切り詰める事で、植物の上に成長しようとする性質を幹を太くする方へと変化させ、より力強く育てるための大切な役割となる。これを怠ると、幹が細いまま樹高は高くなり、場合によっては強風などの影響で折れたり、倒れたりしてしまう。この摘芯は、人間でいう苦労に置き換える事ができる。植物も人も同じ。
向き合うことがこれ程辛いとは思わなかった。向き合うことが成長に繋がることを知らなかった。だから向き合う。自身のために。
覚醒するということに救いを求めていた自分がいた。きつくても、いつかきっと楽になると。その為にたくさんの本を読み、考え、自問自答を続けてきた。でもそれはきっと、オセロの石が黒から白に変わるような、一瞬の時間ではおこらない。ブラックコーヒーにミルクを一滴ずつ垂らすように、少しずつ、少しずつ、自分の心を正しい色に染めていからければならない。僕は誰とよりも一番長く、これまでもこれからも自分の心と付き合っていく。だからゆっくりでも、一滴ずつ、正しい色に染めてゆく。
誰かにとっての“雲の中の一筋の虹”になるよう努めて下さい。 マヤ·アンジェロウ今日も一日が始まってくれた。誰かにとっての一筋の虹になりたい。
この一週間で僕の手に残った花の香りの数は、いくつあっただろう?それらのうちのいくつかは、はっきりとこの手に残っている。そんな一週間の振り返り方も疲れた僕にささやかな心地よさをもたらしてくれる。にほんブログ村
他人に花をもたせよう。自分に花の香りがのこる。斎藤茂太にほんブログ村