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よしなの音楽帖 https://yoshina447.blog.fc2.com/

クラシック音楽を自分の心が感じたそのままに記す事をモットーにしています。 クラシック・ギターのアナリーゼの考察実践の練習風景や、作品演奏動画、自作品をアップしています。 お知らせ下さればフォローいたします。

DAWソフトに詳しい方、是非お友達になってください。 オンラインで一緒にジャンル問わず何でもありのバンド演奏も如何ですか? 私はアコギ、エレキ、ベース、クラシック・ギターは演奏可能です。 自作品への参加も、お手伝いしてくださると助かります。

よしな
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2019/12/12

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  • 交響曲 第7番 イ長調 op.92(1)/L.v.ベートーヴェン/トスカニーニ(1936L/51L)

    ベートーヴェンの交響曲の中で、そのリズムによって生命が宿るように思える第7番をトスカニーニは2つの盤でそれぞれに思わず別の驚きが発見できる演奏を残してくれました。1936年の第7番が、動きが柔軟でニューヨーク・フィルの音の出方と精度を感じた第7番になっているのに対し、54年盤の最上段から振り下ろすようなソリッドさの中で勢いを増して飛び出て来るフレーズの生命力に押し切られる凄演に圧倒されながらも比べてしまうと...

  • P.de.ラ・リュー/ミサ曲 Cum iocunditale(喜びて)/モテット/他

    ネーデルランド楽派の音楽家達が、多旋律の新しい可能性とそれによる響きを試みていた頃、シンプル故に現在の機能和声とそれから逸脱して行った音楽以上の新しい響きがその頃には次々と生み出されて行ったのではないでしょうか。ラ・リューの工夫して試していったポリフォニーは、多旋律なのに文節を持つように、頻繁に長音で調和を取るように完全と付くハーモニーを響かせると感じます。ミサ曲では、各声部が交差するよりも平行に...

  • ピアノ作品集/E.サティ(1)

    本来なら最初にチッコリーニのもの(キレの良いコンソメの透明感を持つものですが)を示すべきだとは思うのですが、チャウダーの感触で(シチューよりは濃くないと言いたいのですが)アンニュイさを醸したロジェ盤の魅力からと何故か決めてしまいました。それは週末の夜、グラスを片手にクール・ジャズ或いはウエストコースト・ジャズに浸るような落ち着いた贅沢さを約束してくれるものです。実際に会うと印象が変わるのかも知れません...

  • フランス山人の歌による交響曲 op.25 (セヴァンヌ交響曲)/V.ダンディ

    皆さんは音楽を愉しまれる時に最初に細かくその盤に合った音量を探りますでしょうか。私は最小音が微かに感じられる位の音量を基準とするのですが、そこから録音によって音が生命を持つ場所をかなり細かく探ります。何故これを記すかというと、デュトワ盤の「フランス山人の歌による交響曲」はそれらの基準から少し離れて、重低音がズーンとなるくらいで初めてその美しさが香り立つ独特のものだと思うからです。言い換えるならば、...

  • 歌劇「フィガロの結婚」K.492(2)/W.A.モーツァルト/フルトヴェングラー(1953L)

    自分でも呆れる程、いつも思い出してしまうフルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」・・。愛が甘い毒を持って奏でられる時、その劇的な音楽の激流をもってラストを迎える時、モーツァルトの中に様式を越えたとんでもないものを見たように思います。そして、後にも先にもそれを感じるのはフルトヴェングラーだけなのでした。「魔笛」ではファンタジーの世界で意気揚々と音楽をしているような音楽力のようなものを放つのがフルトヴ...

  • 歌劇「フィガロの結婚」K.492(1)/W.A.モーツァルト/カール・ベーム(1968)

    「フィガロの結婚」の中でもズボン役で演じられるケルビーノに関する(フィガロの歌う「もう飛ぶまいぞこの蝶々」含む)アリアが印象に残る曲が多いと感じています。男性であるケルビーノが女声によって歌われ、しかも劇中で女装までするので紛らわしいのですが、そのケルビーノが後のドン・ジョバンニという話は

  • フランス組曲 d'après Claude Gervaise FP80の3つの形/F.プーランク

    F.プーランクの「フランス組曲」はC.ジェルヴェーズの作品を最初に管弦楽版として編曲し、それをピアノ用、室内楽用(辞典には記されていない)へとさらに編曲したようです。彼が1963年というかなり最近?まで活動していた事から、その足跡は曖昧さをほぼ残さず記され、編曲も含め全作品が完璧に近い形でBOXとなって発売されるのは嬉しいものです。その作風が現代的であり、普段着のような魅力を持つ事からピアノ作品ではピアニストに...

  • ファウスト交響曲(3人の人物描写による)/メフィスト・ワルツ(管弦楽版/ピアノ版)/F.リスト

    リストはたちどころに心に焼き付いてしまう旋律や情景を描いてしまう作曲家だと思います。それは交響詩「前奏曲」の金管の煌めきであり、「マゼッパ」の金管の行進の雰囲気、「ハンガリー狂詩曲 第2番」開始のそれなどは誰もが一度は心を騒がせられた部分なのではないでしょうか。ピアノのヴィルトゥオーゾであったリストが、同時に交響詩など管弦楽作品にも多大な影響をもたらした事が分かります。実は、子供の頃はリストの交響詩...

  • 合奏協奏曲 op.2(全曲)/op.3 op.5 op.7(抜粋)/F.S.ジェミニアーニ

    ここで示したジェミニアーニのアルバムは、全曲のop.2は6つの協奏曲からなり、抜粋版も1つの協奏曲として完成された形で収録されています。この合奏協奏曲は作品番号の全てを通して聴く大宴会にも、その中から単一の協奏曲として取り出しても、実用音楽(その中には季節や風景に溢れる)の持つ娯楽というものを楽しめるものだと信じます。Francesco Savero Geminiani (1687-1762 伊)A.コレッリ、A.スカルラッティに学び、のちロンド...

  • F.J.ハイドン : サルヴェ・レジナ/テ・デウム/モテット

    古典派様式全体でハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを3つの巨峰とするならば、モーツァルトやベートーヴェンに比べると活躍期間の長かったハイドンは私の中では後期交響曲から接したせいか老齢の落ち着きを感じたのですが、3人の中で最もエレガントなチャーミングさを音楽から感じるのもハイドンなのでした。それは宗教曲に於いても、例えばサルヴェ・レジナのオルガンの短くピロピロとした刻みに非常に親しみ易さを感じた...

  • F.J.ハイドン/オペラ・アリア集

    このアルバムは、ハイドンの歌劇とカンタータから美味しい所どりのような楽しさを持つものですが、意外にも私はこの演奏を通してハイドンの別の顔が見えた事が嬉しく、また驚いたものでした。ハイドンの歌劇はあまり聴かれないように思うのですが、ここに聴くそれは何れも非常に明快な(大衆にも分かり易く且つ洒落た)娯楽があり、それは優雅で、ベートーヴェンの「フィデリオ」に見るような強いメッセージを潜ませない事による気軽...

  • ハルモニームジーク集(ドイツのシンプルなウインド楽器合奏)

    ウインド楽器のみによる小編成で繰り広げられる響きはとても不思議です。それは音の流れが息による自然なしなやかさを持ちながらも、その発音に於いてはタンギングというたった一つの舌が運動性に於いて4本の左指(ヴァイオリン属やギター)には少々不利な事による高速パッセージのしどろもどろさや、楽器の温まり具合やブレスの強弱で音程が変わるものが集まった時の若干の不安定さをかえって魅惑だと感じる事によります。しかし、...

  • F.J.ハイドン : ミサ曲集(5)/ミサ 第10番 変ロ長調 「テレジア・ミサ」 Hob. XXII:12

    静かに静かに浮かび上がるように開始される「テレジア・ミサ」は慈悲と憐れみが同居するような導入部と、その後に待つ大きな喜びを予見するようなキリエが特徴です。ここでもう一度通常文によるミサの構成*を確認すると、この第10番の、そしてハイドンのミサ曲の各典礼文の捉え方が浮かび上がるように思います。作曲家各自のミサ典礼文への微妙に違う捉え方が全体像の違いを生み、

  • F.J.ハイドン : ミサ曲集(4)/ミサ 第9番 ニ短調 「困苦の時のミサ」(ネルソン・ミサ) Hob. XXII:11

    長い校長の演説が、ある日予想外に短く終わった時に巻き起こった歓喜の拍手・・ぁ時代が人々の考え方の変化、生活の変化と共に移り変わって行く中で、ミサもそれまでの複雑なものが一般的ではなくなったとあります。(下記引用参照)それとほぼ同じくして音楽も新しい古典派様式へと変化して行ったのは必然であり、音楽だけ音楽史として別の流れに存在するのではなく、それは歴史と共にある事を知るのでした。ハイドンのミサ 第9番は...

  • F.J.ハイドン : ミサ曲集(3)/ミサ 第8番 変ロ長調 「オフィダの聖ベルナルドの讃美のミサ」(ハイリッヒ・ミサ) Hob. XXII:10

    ハイドンの後期6大ミサの1曲である第8番は辞典によると第7番と同じ年に作曲されています。その創作意欲に驚くばかりで、しかもジャンルの違う作品も同時に進めていた事を思うと(1曲集中型のシングル・スレッド脳の私には・・あぅ)異世界の人のように思えてしまうのでした。それにしてもハイドンのミサ曲には呼び名が多くて迷いそう。~~~~~~~唐突ですが、今日は会社で社長と同僚との気まずい一瞬に遭遇してしまい、居合わせた私に...

  • F.J.ハイドン : ミサ曲集(2)/ミサ 第7番 ハ長調 「よき四月斎日のミサ」(戦時のミサ/太鼓ミサ) Hob.XXII:9

    キリエの明るさが麗しい第7番はやがてその趣が段々と変わって行き、通奏低音を持ちながらも例えばクレドの途中で劇的に切り替わる物語性にバロック時代とは確かに違ったミサの姿を感じ、同時にそれが大きな魅力となっています。それは、バーンスタインがこの作品に思い入れを持っていた事からも伝わると思われるのですが、ここでもハイドンの音楽がいかに多様性を秘めたものであるかが窺われます。古典派様式という最もフォーマッ...

  • F.J.ハイドン : ミサ曲集(1)/ミサ曲 第2番 変ホ長調 Hob.22-4「大オルガン・ミサ」

    シューベルトのミサ曲を記していた頃、同時に古典派のハイドンの宗教作品も記したいと思っていました。それは、ルネサンスやバロックの膨大な作品で知る多旋律ミサと、それらが色濃く残ったり、和声感が変わったり、モノディの集合体のようになったりと、姿を変えて行った古典派以降の作品たちの葛藤を感じたからなのかも知れません。モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスやブルックナーと、ミサは西欧音楽で様式感を変えなが...

  • 交響曲 第6番 ホ短調/R.ヴォーン=ウィリアムズ

    標題が付いていてもおかしくないような第6番は*オネゲルと近い感覚を持ちますが、新古典主義に感じる無情さ・無機質なものにロマン派がまだ燻ぶるような情緒も含まれ、これが第4番との趣の似て非なる特徴だと思います。それは続く「南極交響曲」の予兆の様でもあり、ヴォーン=ウィリアムズの交響曲がベートーヴェンに見るような巨大な山ではなく、全体で少し捉えどころのないと感じられる遠景の連峰のように感じています。*今回の...

  • 南フランスに君臨したガストン3世の宮廷音楽集(14世紀後半)

    ガストン3世Gaston Fébus(フォワ伯) (1331-1391 仏)オルテスという街を調べてみるとフランスとスペインを隔てるピレネー山脈の大西洋に近い側にあるようです。その地では演奏家たちが競って自分をアピール(フォワ伯の嗜好もおおいに影響を与えたと思われる)していたのだろうと伝わるアルバムです。音楽史に於いて、大きな様式の括りの中に独立するように点在する地方色、それらは現在よりも多彩であり、しかもその独自性は強烈であ...

  • 同じ演奏家が同一作品のピッチを変えて再録音した意味を探る/A.ロボ:「わがハープは悲しみの音に変わり」・他

    ピッチが変わると、同じ定旋律、典礼文を持ちながらも、その祈りの意味・状況が違って聴こえる不思議があり、この事によって祈りというものにも個人により、また、時によりその濃淡を変えて行く事があるのだと感じたものでした。同時に、こう言った宗教曲で祈りに優劣がある筈がなく、その真摯で敬虔な祈りのムラこそ人間なのだと思った次第です。[収録作品]・「わがハープは悲しみの音に変わり」 Versa est in luctum (℗1987) (℗1...

  • フランス・バロックのリュート歌

    ここに演奏されている作品、作曲家はギターを通してまだ1度も接していなかった事を知りました。鍵盤楽器にその座を譲るまで宮廷でもステータスであったリュートが、こうして歌とリュートという現在の弾き語りと似た形式で聴くと、当時の暮らしや世相をありのままに感じられるような錯覚を持ちます。そんな中で、フランスのものに絞られたこのアルバムは、当時の人々の様子や嗜好が歌われ、地方色として感じられる事が魅力なのだと...

  • バロック・トランペットのための音楽

    テレマン、バッハ、ヘンデル、ビーバーたちお馴染みの音楽家の作品だけでなく、このアルバムで初めて触れる事が出来た作品の作風というものにバロックの別の顔を感じたように思います。トランペットという派手で存在感の強い楽器と、それを活かす組み合わせニ長調とハ長調という当時のフォーマットのような金管が活躍する調で繰り広げられるバロックの雅さはまさにこの時代の響きを感じます。このオムニバス・アルバムは、「水上の...

  • レクイエム・他/M.カルドーゾ

    「REQUIEM(邦題:タリススコラーズ~レクイエムを歌う)」という2枚組のアルバムにはイベリア半島の3人の作曲家によるレクイエム・その他が収録されています。そして、そこには共通するもの、即ちパレストリーナの書法への関連、また、彼ら3人がお互いに影響し合った事が窺えます。私が推測している事は、時の宮廷の要求が極力重なった音に濁りのない明快さを求めたという場所的・時代的風潮があるのではという事です。それは土地柄...

  • 弦楽四重奏曲 第6番 ト長調 op.101/D.D.ショスタコーヴィチ

    ショスタコーヴィチにとってト長調はもはや真っ当なものではなく、その軽やかで明るいという特性を利用して何かやってやろうとしているとさえ思えます。彼はまるで悪知恵というものが働くように、ただひたすらそれを探し出して来るのだと思うのでした。弦楽四重奏曲 第6番 ト長調 op.101作曲 : 1956年初演 : 1956年 レニングラード(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)スコアの自筆楽譜では、第1楽章を1956年8月7日に、第2楽章...

  • レクイエム(6声)/D.ローボ

    古楽の世界は、多分この数十年(少なくとも2-30年以内)に新しい発見・研究が急速に進んだのではないでしょうか。それは私の持つ辞典には掲載されていない作曲家たちに多く出会うようになり、幸いにも彼らの事は演奏という形で、また、検索すれば(全てではありませんが)誰でも知る事が出来るという凄い時代なのだと感じます。イベリア半島のルネサンスからバロックの作曲家達ではT.L.deヴィクトリア、M.カルドーゾ、A.ロボ、D.ローボ...

  • グリーンスリーヴズという1枚のアルバム/心の日曜日(5)

    仮眠で何とかしのいだ3日間、やっと1日だけとれた今日はゴロゴロと転がる事に決めました。という事で、リフレッシュを兼ねて今日届いたばかりのアルバムを

  • 日本歌曲集/三善晃

    三善晃さんは、私の中ではギター曲「エピターズ」、「プロターズ」という現代作品の作曲家というイメージがあります。ブローウェルの現代音楽とキューバの風が混ざったような作品達を弾くのが好きな私は、ギターの深い余韻の無機質感が創り上げる世界に魅せられています。そのイメージで最初接した三善晃さんの歌曲は、何と、紗(しゃ・うすぎぬ・さ)の繊細な抒情と日本の暮らしに息づいてきた独特の感性が心に染み込むものであった...

  • ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44/R.シューマン

    シューマンはピアノ五重奏曲をこの1曲だけ作曲しています。シューマンの音楽が外へと向かった時の華やかさもまた特筆されるべきものではないでしょうか。コンサート用の伸びやかで華々しい感覚は、ブラームスが渋く表したのと好対照の、いえ、ヴィルトゥオーゾがノッタ時の実力+α+α・・の神懸った瞬間を(もしかしてクララの或る日のそれを)彼は知っているのではないかと思うのです。そして、もう一つシューマン独自のものが存在し...

  • ピアノ三重奏曲 第1・2番/R.シューマン

    シューマンにとって、ある決まった楽器や同ジャンルで描きたかったものは、彼自身の心が最も反応する固定されたイメージが存在したのではないかと思うようになって来ました。2つの三重奏曲でシューマンが選んだ調はニ短調とヘ長調、裏返せばどちらも同じ響きが移旋によって現れる関係となり、三重奏曲に於いてシューマンが描いた世界が見えて来ると思えました。それは家庭・家族であったと感じます。ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 o...

  • アダージョとアレグロ 変イ長調 op.70/ロマンス op.94-1/R.シューマン

    9月に入るとあっという間に暮れになると感じるのは私だけでしょうか。もう少しするとブラームスが恋しくなるのもいつもの事なのですが・・、私は少しでも音楽への理解が増したのかというと、ますます混迷するばかりのような気がします。アダージョとアレグロ 変イ長調 op.70編成 : Hrn(またはVc)/P作曲 : 1849年☆原題は「ロマンスとアレグロ」(引用:クラシック音楽作品名辞典/三省堂)ホルンまたはチェロでの演奏のために作曲された...

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