思い付きで製作開始した水田は、ようやく最後の1枚になりました。 使用予定水田表面材の端材を置いて見ると、余裕で使えそうです。 完成風景をイメージすると工作意欲が湧いてきます。 ここで先の事を考えずに作った袖石垣が問題になりました、この折れ曲がり角度では水田➌面積が狭くなって...
シナリー重視コンセプトで、昭和40年代風景再現を目指しレイアウト製作中、電気技術関連を充実してます。
これまで『我道を行く!』でレイアウト製作を進めてきましたが、『これからどう進む?』を考えたくなりブログを開設しました。 拙レイアウトに関する、ご感想ご意見などございましたら、ご遠慮なくコメントを頂戴できれば幸いです。
拙ブログは何でもネタにしており、4年前に第2の趣味として始めた俳句についても『旅・鉄道関連句』を紹介してます。 興味のない方はスルーされるので、アクセス数が少ないのは当然ですが、それでも興味を持っていただける読者が少しはいらっしゃる様です。 所属俳句結社機関誌1月号に会員が...
民家Aの畑ユニットが完成しました。 畑サイズ決める採寸時に解ってましたが、先行製作した本線築堤部を削り込んで設置する事になります。 【1月15日7:30外気温-9℃】 工作サボってらえないと暖房した自室でできる工作のつもりで始めましたが、1年で一番寒い時期に屋根裏作業する羽...
『国鉄近代型蒸機』と言う言葉は昔から使われてますが、定義がある訳ではありません。 多少強引に定義すると、20世紀前半に製造されて鉄道院/鉄道省/国鉄在籍機になり、20世紀後半まで現役活躍した蒸機と言えるのではないかと思います。 この定義ではB-E動軸数呼称形式ではC52(1...
畑の植栽に大苦戦です。 畔に焼鳥串を刺したので天面が若干丸くなり砂を撒いてあるので据わりが非常い悪く、視力低下が輪を掛けました。 発育初期の小さな株を1畝10本目安で植栽しようとしたのも苦戦の原因でした。 丸1日で1/3弱に業を煮やし方針変更しました。 ゼリータイプ瞬着を使...
日本の鉄道網が最も充実したのは1950年頃でした。 1960年代に入ると採算性の低い地方私鉄や路面軌道の廃線が始まり、1970年代1980年代は国鉄ローカル線が大量廃線され、その流れは今も続いてます。 国鉄路線では早期1970年に廃線された根北線の紹介です。 鉄道は昔から人...
ダンボール利用で大根畑の畝を実感的に作る事ができました。 隣の畑は風景に変化を求めて仕舞畑にする事にしました。 冬越えで栽培する玉ネギやニンニクを除き冬の畑はお休みです。 5-6月は何処の畑も野菜栽培で一杯ですが、季節設定の晩秋になると、大根や白菜など冬野菜を除き今年の栽培...
今年初めての工作になります。 これまで厳冬期は屋根裏が極寒でボンドもボンド水も乾かない処か凍結する恐れがあり、寒さは苦手なので工作休止期間にしてました。 夏場の自室工作は可能でしたが、最近数年の夏は暑く自室工作もできず夏季休業でした。 エアコンのない夏場自室工作は無理でも、...
第4章は新線敷設完了から、開業以来70年続いたアプト式廃止までの3ヶ月の経緯を紹介しました。 その続編で最終回です。 10.アプト式廃止後の3年間 1963年10月ダイヤ改正で上野発長野までの優等列車はほぼ全て電車化されました。 アプト式廃止により、歯軌条撤去した現在線を下...
ここまで計画から開業までと、開業からアプト式廃止前夜までの計93年間を紹介しました。 今回は新線営業開始前夜からの話で、やっと筆者実体験のある時代に近付きました。 8.信越本線電化 1963年5月末に碓氷峠越え新線敷設工事が完了し、全線慣熟運転が開始され、営業運転に必要な施...
第2章では蒸機運転で輸送力が飽和した1898年から、電化された1912年、ED42登場の1930年、更に戦争の空白期を経てED42配備完了の1947年まで49年間の経緯を紹介しました。 6.歴史は繰り返す 第3章はED42配備完了以降の続編です。 ◆熊ノ平土砂崩落事故 鉄...
本シリーズは鉄道P誌に掲載された複数記事を、碓氷峠越えをキーワードに、明治初期から歴史を追ってその変遷をまとめ直した物です 前回、東京-京阪間鉄道敷設計画が始まった1870年から横川-軽井沢間開業の1893年、そして蒸機増備で輸送力増強した1898年(明治31年)までの経緯...
1893年(明治26年)横川-軽井沢間が開業して信越本線が全通し、『碓氷峠越え』が始まりました。 1997年北陸新幹線高崎-長野間開業で横川-軽井沢間は廃止され、百年余の歴史の幕を閉じました。 明治初期の計画段階に遡り『碓氷峠越え』の歴史を振り返ります。 1.明治初期の鉄道...
昭和35年は1960年、64年前の米坂線紀行文がありましたので紹介します。 随所に日本が元気だった時代の香がしますので、原文記事を引きながら、筆者の思い出や考証を加え、正月箸休めにまとめてみました。 筆者の米坂線乗車経験は、1975年か1976年の勤務先ワンゲル夏合宿飯豊連...
明けましておめでとうございます、本年もよろしくお願い致します。 今年も可能な範囲で延伸線建設を着工部分から時計回りに進めます。 カーブ鉄橋まで到達すれば良いのですが、解決すべき課題が残っており、やってみなければ解りません。 先日K氏の駅の植物学を掲載しました。 氏が『レイア...
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思い付きで製作開始した水田は、ようやく最後の1枚になりました。 使用予定水田表面材の端材を置いて見ると、余裕で使えそうです。 完成風景をイメージすると工作意欲が湧いてきます。 ここで先の事を考えずに作った袖石垣が問題になりました、この折れ曲がり角度では水田➌面積が狭くなって...
都会の皆さんが新緑だ避暑だ紅葉狩りだと押し寄せて来る観光地に住んでるので、定年退職後のGWは何処にも出掛けず家庭菜園の畑仕事が定番でした。 基本365連休なので、混雑するGWを選ぶ理由がないからです。 なのに連休初日4月27日に東京へ出掛けました。 ★『準急あずさ!?』で新...
鉄道P誌1964年1月号掲載記事落穂拾いの続編です。 【鉄道P誌1964年1月号表紙】 3.国鉄のNo.1めぐり 新年1月号に合わせた企画記事が掲載されてます。 国鉄一の●●●と言っても、時代と共に変化する物もあれば変わらない物もあります。 国鉄自体が消滅しJRに変わってる...
一番駐車帯側、貯水槽の水で工作する水田➊が完成しました。 続いて水田➋を製作しますが、水田間標高差を決めなくてはなりません。 傾斜地棚田の田越し灌漑では、水田間標高差が40-50cmは珍しくありませんが、この場所で大きくすると、川の増水時に水田➌の冠水リスクが高くなり、標高...
前回7mmに狭くした畔幅がまだ広過ぎて作り直しになった処まででした、その続編です。 なおこの水田を水田➊と名付けます、貯水槽側から水の流れ順に➊➋➌とします。 ➊10mm工作材を半裁して狭い畔材を作りました、7mmと並べると差は歴然としてます。 ➋貯水槽前畔も2mmカットし...
鉄道P誌1964年1月号掲載記事は1963年の出来事でしたので、テーマ別で紹介済みです。 今回はこの号単独掲載記事の落穂拾いです。 【鉄道P誌1964年1月号表紙】 表紙は国内初の屋根上運転台、先頭車前面客席を実現した名鉄パノラマカーです。 アイディアは小田急が先行した様で...
果して作れるかと心配した貯水槽が何とか完成しましたので、この水を使って米作りをする小型水田を設計し製作します。 駐車帯と県道石垣、及び右端を流れる小川土手に囲まれた台形スペースが水田用地です。 ここに3枚の小型水田を作ります。 当社従来線17枚の水田風景と完成形は何度も紹介...
年初から毎水曜日にレイアウト製作記事を公開してきましたが、温かくなって作業が捗ってるので今週は2回にします。 来月北海道旅行するので先に進めたい気持ちもあります。 製作中水田には用水路がありません、流量のある水源がないからで、地下水を使います。 【前回より転載】 日本国内で...
筆者にとってNHK全国俳句大会入選は大きな出来事でも、読者の皆さんには『どーでも良い事』と十分承知しており、この更新で週末中2日は無理と考えた臨時増刊小ネタです。 浜松町-羽田間の東京モノレール開業以降当り前の交通機関になりましたが、それ以前のモノレールは新幹線と並んで未来...
『にゅうせん』と言っても入線でなく、2023年NHK全国俳句大会で入選しました。 俳句を趣味とする人が目指す最高の舞台で、応募総数3万件以上/10万句弱での入選です。 2021年からの応募なので3回目の挑戦でした。 俳句を始めた以上何時かは全国大会で入選を目標にしてましたが...
自分で仕事増やして忙しがってるのだから世話はありません。 県道に石垣作り、紙粘土で傾斜地にして草を生やし、適当に樹木や岩を配置すれば1週間で完成するエリアに、田越し灌漑小型水田を作る事にしました。 現在では耕作放棄されてまず見られない風景です。 施工エリアは北基台が露出して...
今回は鉄道P誌1963年12号単独掲載記事の紹介でテーマ性ありません。 【鉄道P誌1963年12月号表紙】 表紙は青大将『つばめ』色に塗られたコンテナ特急貨物列車『たから』号です。 貨物輸送市場をトラックに奪われ続けてた国鉄の挽回策でしたが、期待効果はありませんでした。 1...
1963年、昭和38年は新型鉄道車両の当たり年でした。 国鉄では103系/115系/165系がこの年登場と言えば十分で、その後長年通勤区間、近郊路線、中長距離優等列車として活躍した車両達です。 私鉄では小田急NSE車登場もこの年でした。 派手さは今一歩ですが京王5000系...
県道駐車帯は基台端で風景途切れてますが、石垣の下は谷で川が流れてます。 冬場は里から登って来た車が、洞門先トンネル出口の雪が深いと困るとチェーン装着場として使われますが、晩秋のこの時期は川対岸の山の紅葉が見事で駐車する休憩スポットになります。 駐車帯の転落防止柵はコンクリー...
前回紹介した鉄道写真コンクール入賞作品の続きです。 別号には佳作作品が掲載されており、特選/推選/入選/佳作までが入賞になる様です。 その他掲載された選外写真と個人的に気になる写真を合わせて紹介し1回分とします。 ★入選『残雪』1963.03.17 前回最後が芸備線備後落合...
1963年に行われた鉄道写真コンクールの入選作の発表です。 撮影日と掲載号からすると、応募〆切が7月末、審査結果発表8月末の様です。 毎年続いてるとしたら、今年69回目になりますがどうなのでしょう。 60年間で写真はアナログからデジタルへ激変、被写体も大きく変化し、評価基準...
駐車帯と洞門出口石垣塗装までが前回でした、その続きです。 陽光下で艶が目立った塗色は室内光でも少し艶があります。 当社標準技法のフラットアース/ダークグリーン薄め液でウェザリングします。 ウェザリング終了、艶は消え落ち着いた色調になりました。 洞門側石垣に3mmU字材側溝排...
さて、今年から鉄道P誌紹介をテーマ毎に切り替えましたので、その裏話や落穂拾い的記事で隙間を埋めて完結させます。 【鉄道P誌1963年8月号表紙】 表紙は電車化された上越線急行『佐渡』です。 信越本線電化特集号で、廃止されるアプト式に関連し興味深い記事が多く掲載されてます。 ...
昨日3月21日の最高気温は+1℃、あと少しで真冬日の寒さでした。 今朝の予想最低気温は-10と真冬並み、暑さ寒さも彼岸まで何て『嘘だろ~』と言いたくなる気候です。 1963年鉄道の話題最終回は北海道・東北・甲信越編です。 ◆北海道編 動力近代化の波は北海道にも押し寄せてまし...
前回の続きです。 三角棒と角棒組合せで石垣角度出しする方法が予想以上に上手くいき、5枚中駐車帯3面の目途が立ちました。 今回は洞門出口県道の石垣作りからです。 ここの県道は2.5%勾配で、石垣上辺が傾いた石垣なので、面倒な工作になりそうです。 石垣作りの前に洞門出口に40m...
元記事が7ページ掲載でボリュームがあったので2回に分けました。 東北本線と花輪線分岐駅好摩の機関車駐泊所の水タンクは、当社倉元駅水タンクとほぼ同サイズです。 好摩は大機関区がある盛岡から21km、花輪線8620三重連基地の荒屋新町まで38kmの位置にあり、給水施設は当然とし...
シナリーガイド著者K氏寄稿記事の紹介です。 筆者は親から離れて旅が可能になった高校進学から無煙化まで10年ありましたが、マニアを除けば厄介者扱いされてた現役時代蒸機を知る最後の世代が高齢者になりました。 その後の復活蒸機のイベント列車は別物です。 復活蒸機は別物でも、若い人...
さて地形の削り出し作業です。 削り過ぎはNG、削っては現場様子見の繰り返しで少しづつ整形しますが、そのプロセスは記事になりません。 フォーム厚半分の12.5mmまで削り一旦できましたが、雪崩覆い置くと車両の隠れる部分が多くNG、更に薄く広く削り、台車が良く見える様にしました...
70年を超えるTMSの歴史で新製品紹介欄に始めてNゲージ製品が登場したのがこの号です。 紹介されたのは勿論関水金属(KATO)C50とオハ31系で、この記事を読むと当時のTMSがN最初の製品をどう見てたかだけでなく、Nゲージの将来をどう見てたかも解ります。 【TMS1966...
寒さが一段落した3月初旬から延伸線建設を再開し2ヶ月近く経過しました。 これから梅雨明けまでが屋根裏作業が一番やり易い時期なのでピッチを上げて進めます。 やり直しできない作業手順に迷い右往左往する様をお見せし恥ずかしいですが、ご容赦ください。 紙粘土が乾いた処でセットし次...
同号には摂津鉄道と並び、筆者レイアウト製作に大きな影響を与えたレイアウト『有度山麓鉄道』が紹介されてます。 【TMS1966年1月号表紙】 ◆概要 有度山麓鉄道は大正から昭和初期の時代設定のレイアウトです。 摂津鉄道がこんなレイアウト作れたらの憧れの存在だったのに対し、自分...
一旦完成の雪崩覆いユニットと県道洞門ユニットの追加・固定作業と、設計見直しに伴う検討に大変手間取りました。 やり直しが非常に困難な人生最後のレイアウト製作なので仕方ありません、地形製作の開始です。 黄色★位置基台裏から県道洞門ユニット12mm下駄に2.5mm下穴を空けて20...
同号のフォトトピックスで紹介された前年秋各地の運転会の様子です。 【TMS1966年1月号表紙】 ◆交通博物館 万ぜ橋時代の交通博物館で開催された運転会の様子です。 交通博は会場を提供しただけで鉄道友の会を始め様々なグループの参加イベントです。 【TRCレイアウト】 多数の...
北基台西端地形製作ベースは30mmキューブ材x2+4mm合板64mmでは低く、更に10-14mm嵩上げが必要と解りました。 県道洞門ユニット足に使った従来線基台から切除した12mmコンパネが丁度良いのですが、30mm角に切り出すの面倒です。 何かないかと探すと。 ➊ありまし...
最近紹介した線路脇のストラクチャと機関車駐在所のネタ本紹介です。 【TMS1966年1月号表紙】 新春特大号なのか通常号より増ページされ価格アップ、記事内容も充実してます。 表紙は掲載作品車両・ストラクチャ・レイアウト使うのが普通ですが、デフォルメした蒸機置物(オルゴール?...
北基台西部の一番奥北側に雪崩覆いユニットを固定完了したので、奥から手前への原則で地形製作の準備に移行します。 県道洞門ユニット加工後の雪崩の通り道、雪崩覆いから洞門まで185mmです。 この間の斜度を平均3%で6mm弱、地形製作自由度を確保した5%で10mm弱の標高差が必要...
冬の関西本線島ケ原に続きシナリーガイドK氏の訪問レポートで、今回は姫新線佐用(さよ)にあった機関車駐泊所です。 機関車駐泊所は最も小規模の機関庫と言え、盲腸ローカル線終着駅や補機区間の連結開放駅、そしてこの佐用の例の様な区間列車終着駅に設置されてました。 付帯施設は給水塔と...
4月4日拙ブログコメント欄へ『ykhm9330』さんから質問が届きました。 鉄道模型を始めた当初誰しもが悩む共通の問題ですし、文書回答でご理解いただくのは非常に難しいので、ブログ記事で回答する事にしました。 2重エンドレスにポイント4個で渡線2ヶ所、双方エンドレスを渡線で相...
雪崩覆いユニットのシナリー追加で固定前準備作業が完了しました。 ユニット西端はユニトラックR315/15度です、ここから2本目のR315/45度にフィーダー設置してます。 過去記事に書いた様にユニジョイナー接触抵抗は無視できない値で、経年劣化含めると1ヶ所当たりS248x1...
TMS200特別号記事からの最後はトロリーラインレイアウトの紹介です。 【TMS1965年2月号表紙】 ◆トロリーラインレイアウト トロリーラインレイアウトとは単に路面電車が走る市街地レイアウトではなく、実際に架線を張って架線集電を行うレイアウトの意味です。 Nのトロリーラ...
トンネルポータル上の地面製作を終了しました。 ◆地表面製作と植樹 続いて地表面製作と植樹を行います、ユニット固定後では作業困難だからです。 ユニット地表面製作法を過去記事で確認しました。 ①中性洗剤数滴垂らした少量の水を用意します。 ②水の量の3-4倍のボンド投入、高浸透性...
TMS200特別号紹介の続編です。 【TMS1965年2月号表紙】 ◆作品グラフ&製作記 キハニ5000 作品グラフ2番手はキハニ5000、形式名を聞いて『アーアレね』と解る人は極く少数だと思います、筆者も初耳でした。 キハニ5000は昭和4年から12両製造された国鉄(鉄道...
延伸線東基台西部の建設はドライブイン擁壁が仮完成し、雪崩覆いユニット、県道洞門ユニット、背景板で囲まれたエリアの地形製作に移ります。 完成から3年近く経過した雪崩覆いユニットはまだ固定してません。 裏側スペースがないので工作は前面から、従って奥から手前の順番になり、固定前準...
前回TMS200特別号表紙になったC54製作記紹介の中で、鉄道模型マニアには他人がやらない事をやりたいという気持ちがあり、それは現在でも変わりませんと書きました。 【TMS1965年2月号表紙】 今回は筆者のレイアウト製作のこだわり、『ポイント定位/反位と駅構内線形』につい...
先日紹介した『冬の関西本線島ケ原』のネタ本はTMS1965年2月発行の200特別号です。 【TMS1965年2月号表紙】 表紙はサウンドシステム搭載の16番C54、サイズ的にはC55でもC57でも良かったハズなのに、何故マイナーなC54を選んだのか気になります。 ◆200号...