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みちのくの風の旅人 https://blog.goo.ne.jp/mitinoku-tentijin

上杉家の城下町米沢から、四季折々の暮らしの中で気付いた事を、公開絵日記の様に書いています。東日本大震災・原子力災害をきっかけに、2011年3月に始めました。

山形県の南の玄関口米沢は、歴史と伝統のある自然豊かな住み易い町です。四季折々の美しい姿と北国の文化を伝えたいと考えています。 ホームページ「新・天空の流れ雲」には、季節の写真をスライドショーで紹介していますので、こちらも是非ご覧ください。

風の旅人
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住所
米沢市
出身
長井市
ブログ村参加

2014/09/11

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  • 原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑧エピローグ~沈黙の悲しみ~

    福島県浜通り、特に原発に近い双葉郡の印象には、物言わぬ沈黙の悲しみが満ちていた。あの日から13年間、時計が止まり続けている帰還困難区域や、数百人もの命を奪った集落跡の広大な更地。少しずつ新たな一歩が始まっていた。これからも、現地を訪れて、見守り続けたいと考えています。ところで、NHK仙台放送局制作、毎週土曜日の朝の『被災地からの声つぎの一歩』を、13年前からほとんど欠かさずに観ています。9日双葉郡に出掛けた日の朝は、偶然にも双葉町の人達がTVに出ていました。酒田出身の歌手、白崎映美さんの「更地のうた」を、ふと思い出しました。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/◆前回のブログ記事の続き、浪江町から米沢の自宅に戻るまでを、以下書き記しました。◆11日の正午頃、請戸小学校を出発し...原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑧エピローグ~沈黙の悲しみ~

  • 原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑦前田の大杉と震災遺構浪江町立請戸小学校

    11月11日の朝、散歩の帰りにおおくまーとに立ち寄り、朝食用の食べ物を買って、ほっと大熊の部屋に戻った。9時半頃にチェックアウト、浪江町の請戸(うけど)小学校に行く途中、双葉町の観光スポット、前田の大杉【福島県天然記念物】の見学に立ち寄った。帰還困難区域の道路を走ること約20分、大通りから外れた所の稲荷神社に到着した。太平洋の海から2・3kmの距離にあり、津波の痕跡だ至る所に残っていた。家が解体されたのか、津波に飲まれたのか、土台だけがむき出しの所もあった。原発事故直後から全ての住民が全国各地に避難し、その時から13年、時計が止まったままの悲惨な光景だった。壊れた家が放置された姿が、あっちこっちに点在していた。行き交う住民は誰一人いない。工事関係者のトラックを見かけるだけだった。上の地図のピンク色の部分が...原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑦前田の大杉と震災遺構浪江町立請戸小学校

  • 原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑥大熊町の復興拠点

    11月11日(月)福島県双葉郡で、2度目の朝を迎えた。特に、大熊町と双葉町・浪江町は、原発事故現場に近く、8年間の空白を経て令和の時代に入り、ようやく限られた場所だけに帰還が許され、新しい街づくりが進んでいた。避難指示区域について、福島県のホームページの画像を掲載しました。詳しくは、こちらにアクセスして下さい。避難区域の変遷について-解説--ふくしま復興情報ポータルサイト-福島県ホームページ双葉郡8町村の、昨年4月現在の避難指示区域の概念図を上に示してあります。東京電力福島第一原子力発電所のある大熊町と双葉町、その北にある浪江町には、ピンクの領域で示された、帰宅困難区域が大きく広がっている、下の図は、大熊町の今年2月時点の詳しい区分図です。大熊町の国道6号線の東側は、ほとんどが中間貯蔵施設区域となり、かつ...原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑥大熊町の復興拠点

  • 原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑤楢葉町から大熊町へ

    11月10日昼前に平和集会の全日程が終了し、Jビレッジで解散した。その後、車で10分程走り道の駅ならはに到着した。昼食後、北側の日帰り温泉施設の2階の休憩スペースで、ゆっくりと休んだ。ホームページ→道の駅ならは 温泉・グルメ・日帰り入浴原発事故により、8年間休業を余儀なくされたが、2019年(令和元年)再開された。道の駅を後にして、今度は天神岬スポーツ公園(地図の右上にある)に向かった。大変眺めのいい所だった。ホームページ→施設案内–天神岬スポーツ公園キャンプ場や広場もあり、家族連れなどで賑わっていた。下の写真の奥にある煙突は、広野家老発電所のある所である。天神岬から車で約30分、大熊町の大河原地区の復興拠点にある、駐車場に到着した。参考ホームページ→ほっと大熊-大熊町交流ZONE午後4時前に到着したばか...原発事故と大震災・福島双葉地区の今;⑤楢葉町から大熊町へ

  • 原発事故と大震災・福島双葉地区の今;④ 伝承館見学

    11月10日、フィールドワークの最後に「東日本大震災・原子力災害伝承館」を見学した。下の名称にリンクを貼っています。クリックしてみて下さい。ホームページににアクセスできます。東日本大震災・原子力災害伝承館最初に約20分程度、語り部による災害直後の実体験に基づく話を、40人程度が入れそうな研修室で聞いた。若い世代の語り部だった。震災時小学6年生だったそうです。伝承館のパンフレット↓その後、円形の大きなシアターで、様々な映像を10分ぐらい見てから、展示室をゆっくりと見学した。その際に、写真も沢山撮ったが、ほとんどがホームページに載っているものと、類似しているので、ブログには一部の写真のみ掲載しました。見学ルートの写真2年後の写真東北六魂祭原発事故前に双葉町にあった、通りをまたぐ大きな看板。伝承館を見学後、常磐...原発事故と大震災・福島双葉地区の今;④伝承館見学

  • 原発事故と大震災・福島双葉地区の今;③平和集会フィールドワーク

    タイトルの一部を、福島県浜通りから福島双葉地区に変更しました。浜通りは福島県の太平洋側全部を言い表します。相双地区はいわき市を除いた部分で、北は新地町を含む相馬地区と、双葉郡8町村の双葉地区を併せた総称です。東京電力福島第一原子力発電所の20km圏内に、双葉地区のほとんどが収まります。上の地図上で、楢葉町(ならはまち)の広野町との境界線近くに、Jビレッジはあります。また、福島第一原子力発電所は、双葉町と大熊町の海岸付近にあります。ーーーーーーーーーーーーーーー相双地区の観光サイト→https://sou-sou-fukushima.jp/ガイドブックはこちら→https://sou-sou-fukushima.jp/guide双葉郡ぐるりんガイド2023年度版次の福島県HPにアクセスして、PDFファイルを...原発事故と大震災・福島双葉地区の今;③平和集会フィールドワーク

  • 原発事故と大震災・福島県浜通りの今;② 平和集会(全大会と分科会)

    10月上旬、山形県の退職者の協議会から、Jビレッジで開催予定の日教組平和集会への参加要請があり、心が動いた。7・8年前に国道6号線の放射線量の数値が下がり、3km園内を通れるようになった時に、南のいわき市から一気に北の南相馬市に走り抜けたことがあった。20km圏内の道路の両側は、関係者以外立ち入り禁止のバリケードだらけだった。後日、当時のブログ記事に詳細をupしているので、紹介します。11月9日(土)11時半頃米沢をマイカーで出発した。約180km、途中休憩を入れても14時少し前に、Jビレッジホテルに到着した。13年前なら4時間以上を要していたはずである。北は北海道、南は沖縄県まで、全国から200人ぐらいが参加し、15時から全体会が開催された。3階のコべンションホールは超満員だった。東北からの参加者の席は...原発事故と大震災・福島県浜通りの今;②平和集会(全大会と分科会)

  • 原発事故と大震災・福島県浜通りの今;① プロローグ

    11月9日~11日、二泊三日で福島県双葉郡に出掛けた。東京電力福島第一原子力発電所のある地域です。初めの一泊二日の部分は、日教組平和集会(会場:楢葉町にあるJビレッジ)に参加した部分です。プラス1日は、せっかくの機会に恵まれたので、個人的に自由に行動した部分です。写真や資料が沢山あるので、5・6回に分けてグログに掲載したいと考えております。※このブログは、スマートフォンでも見ることが出来ますが、写真画像が小さく見ずらいかも知れません。是非,PCかタブレット端末でご覧ください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2023.3.11未曾有の大事故が起きた福島第一原子力発電所から、約4kmの所にある伝承館の、パンフレットです。見学の詳細については、後日順を追って掲載します。約20km圏内の拡大地図↓下の...原発事故と大震災・福島県浜通りの今;①プロローグ

    地域タグ:福島県

  • みちのくの秋2024ー5D;秋のドライブルート(西吾妻スカイバレーから米沢へ)

    会津米沢街道檜原歴史館前で10分程度休憩した後、再び檜原湖の周回道路を走り、早稲沢T字路を左折した。ここは、檜原湖東岸道路との交差点で、小さな集落になっている。直線的な上り坂が2・3km過ぎると、ヘアピンカーブの急登、西吾妻スカイバレーに入った。15分位で白布峠の駐車場に到着した。峠は山形県と福島県の県境。南は檜原湖と磐梯山のある福島県側。北は米沢盆地。下の写真↓西吾妻スカイバレー↓夏の高温の影響で、今年の紅葉は今一つの出来だった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今回の120kmのドライブルートは10月末に通った訳ですが、30年程前から幾度となく通ったコースです。しかしながら実際には、喜多方に出掛けて大峠を通ってまた帰って来たり、会津若松まで足を延ばしたりと、いろいろしている。また、1...みちのくの秋2024ー5D;秋のドライブルート(西吾妻スカイバレーから米沢へ)

  • みちのくの秋2024ー5C;秋のドライブルート(檜原湖西岸風景)

    いよいよドライブルートも後半に入った。米沢から喜多方経由の道の駅裏磐梯までの距離と、西吾妻スカイバレー経由で米沢に戻る距離が、ほぼ60km前後である。10月29日の午後1時頃、道の駅裏磐梯を後にして、檜原湖西岸を15分ほど走り、会津米沢街道檜原歴史館前の駐車場に車を停めて休憩した。途中にも檜原湖のビュウポイントがあったが、今回はスルーした。駐車場から道路を横断すると、檜原湖の湖面が目の前に迫ってくる。右手には磐梯山が聳(そび)えている。↓地図の上部(檜原湖の北部)、会津米沢街道檜原歴史館前で10分程度休憩しました。会津米沢街道檜原歴史館↓30年来ここには車を何度も停めたが、中を見学したことがない。来年あたりには見学してみたい。磐梯山の引いた写真↓湖の岸も写っている。左手の山の向こうは山形県。福島県との県境...みちのくの秋2024ー5C;秋のドライブルート(檜原湖西岸風景)

  • みちのくの秋2024ー5B;秋のドライブルート(喜多方から檜原湖へ)

    道の駅嘉多の郷を後にして、喜多方バイパスを約5km程南下、途中左折して檜原湖方面に向かった。30分弱で、道の駅裏磐梯に到着した。秋の観光シーズン中だったので、平日にもかかわらず駐車場は80%ぐらい車で埋められていた。紅葉もちょうど見頃を迎えていた。レストランは昼時とあって大変混んでいた。食券を購入し待つこと約15分、注文品の喜多方ラーメンを受け取り、屋外のテーブルにお盆に乗せて運んでようやく食べることが出来た。約40・50分、道の駅裏磐梯の店内外で過ごした。地図の右下にあるのが、道の駅裏磐梯です。午後1時頃、道の駅を後にして、檜原湖西岸を一路米沢の自宅に向けて北上した。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー次回は、会津米沢街道檜原歴史館前で休憩し、撮影した写真を掲載予定です。_/_/_/_/...みちのくの秋2024ー5B;秋のドライブルート(喜多方から檜原湖へ)

  • みちのくの秋2024ー5A;秋のドライブルート(喜多方へ)

    平成4年に大峠道路(国道121号線)が開通してからは、福島県会津方面に出掛ける機会が多くなり、30回以上は行っている。先月の29日、紅葉の見物の定番になっている秋のドライブルートを13年目の愛車デミオでドライブした。米沢→喜多方→檜原湖→西吾妻スカイバレー白布温泉→米沢。約120km賞味3時間30分。自宅を10時前に出発、約50分で道の駅嘉多の郷に到着した。お土産(喜多方ラーメンと菓子類)を買ったり、ため池の堤防を散策したりしてから、喜多方バイパスを南下、途中左折して檜原湖方面に向かった。道の駅嘉多の郷↓喜多方市の北部と中心部の地図↓今回のドライブルート全図↓ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー次回、この続きは道の駅裏磐梯の様子を掲載予定です。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_...みちのくの秋2024ー5A;秋のドライブルート(喜多方へ)

  • 天童よしみコンサートツアー in シェルターなんよう 2024-10-25

    10月上旬、県内でのコンサートツアーの新聞折込チラシ(以下の写真)が入った。地元で紅白出場歌手の歌を聴く機会はめったにない事なので、主催者の世界芸能㈱コンサート事務局に電話して、天童よしみと三山ひろのチケットを申し込んだ。いずれも、ステージそばは1500円増しだったが、折角なのでSS席を予約した。10月25日、チラシの天童よしみのところに受付番号を記載して持参、引換に夜の部のコンサートチケットを受け取ることが出来た。当日は夕方5時まで仕事だったので、軽く夕食を済ませてシェルターなんよう(南陽市文化会館)に到着し、会場の席に着いた時には、コンサートが始まっていた。会場での写真撮影は禁止されていたので、生の天童よしみの代わりに、コンサートチケットの写真を示します。とても良いコンサートだった。テレビの歌謡番組で...天童よしみコンサートツアーinシェルターなんよう2024-10-25

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