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いつも ご訪問いただき ありがとうございます お友達に習って 「2人の願い事メーカー」を やってみました 「2人で畑を耕したい」2人で畑仕事をすると 仲良…
空鞘稲生神社(広島市中区本川町)の末社、恵美須神社です。 寛政10年(1798年)に勧請されたとあります。 さらに、明治35年3月中島新町の「恵美須神社」を合祀したとあります。 広島市で私が出会った「恵美須」と書きますえびす様は、 広島市中区榎町の「恵美須神社」と 広島市安佐南区祇園の安神社の末社「恵美須神社」と、 そしてこの空鞘稲生神社の「恵美須神社」です。 恵美須と書きますえびす様は島根県美保関のえびす様です。 広島市、他にもおられますかね。 sobanikutama.hatenablog.jp
広島市中区本川町の空鞘稲生神社の境内にあります「幸神社(こうじんじゃ)」です。 御祭神は、猿田彦大神です。 御由緒は、天文年間(1532年頃)の創建で「彦山明神」と称していましたが明治4年「幸神社」と改称したとあります。 天文年間は、広島城が天正17年(1589年)毛利輝元により築城される以前で、 広島湾頭は、武田氏と大内氏の勢力争いが激しい頃です。 彦山明神は、武田氏方の国人領主が創建したのでしょうか。 それとも大内氏方でしょうか。 安芸武田氏は、天文10年(1541年)、毛利元就によって銀山城が落城して滅亡しました。 誰が、どんな思いで開運(みちひらき)の神様、猿田彦大神を祀ったのでしょう…
原爆直後、元安川で芽吹いたクスノキ移植されてすくすくと育っています。
広島市中区本川町にあります空鞘稲生神社の 注連石を潜りますと原爆クスノキがあります。 このクスノキは、 昭和20年8月6日、広島に原爆が投下され、 焼け野原になりました爆心地近くの元安川左岸に被爆直後芽吹いたクスノキです。 被爆焼死したクスノキから芽吹いたこのクスノキを愛おしいと附近住民によって大切に育てていましたところ、 元安川左岸の土地整備により、この命を惜しんだ氏子によって、この地に移されたそうです。 近年、パワーをあやかりたいと参拝者が増えているそうです。 一瞬にして失った父や母や子や恋人や友だち、多くの物を失い、廃墟になった大地から新しい生命が芽吹いた時は、どんなに励みになったことで…