戦争終結論について考える
一昨日の昼、テレビのワイドショーで、ITを駆使して被爆の記録を後世に残そうとする渡邉東大教授の取り組みが放映されていた。私たちは原爆が落とされた時の巨大なキノコ雲をモノクロ写真でしか見ていないが、これに人工知能(AI)で色を付けると、雲の上部は薄いピンク、下の約9割が灰色という2色になっていた。灰色は、地上の建物などの破壊された塵芥が吸い上げられたものだとコメンテーターが語っていた。渡邉教授はカラー化の狙いを「過去のできごとと現在の日常との心理的な距離を近づけ、鑑賞者どうしの対話を誘発する」ことだと明かしている。確かにカラーで見ると、遠い昔の他人事のようであったものが、とても身近に感じられた。ロシアによるウクライナ侵攻によって核の脅威が現実のものとして迫ってきている折でもある。 ネットによると、当時の広島市の推定人口35万人のうち,9万〜16万6千人が,被爆から2〜4か月以内に死亡したという。テレビでは、77年前の東京大空襲で戦争孤児となった海老名香代子さん(83歳)がビデオ出演して、当時の体験を語っていた。 私の叔父(父の兄)は、東南アジアに出征し、戦死したという。祖父はこの叔父と叔
2022/08/13 11:41