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日時:令和4年8月31日 08時40分ごろ 住所:滋賀県高島市新旭町饗庭 状況:熊の目撃情報 現場:航空自衛隊饗庭野分屯基地の入り口ゲート付近 ------------------------ 日時:令和4年9月2日 08時50分ごろ 住所:滋賀県多賀町大君ケ畑 状況:熊らしき獣2頭の目撃情報 現場:国道306号 ※三重県いなべ市との境界の鞍掛峠(鞍掛トンネル)の手前 ------------------------ ...
文庫桜田門外の変の後、彦根藩は勤王の旗印を刻印を明らかにしました。この文庫は、江戸時代に多賀大社の神職などを務めた車戸(くるまど)家の文庫で、昭和7年の造営時に現在地に移築されました。幕末期の車戸宗功(そうこう)は勤皇の考えが強く、長州藩士ら勤王方と彦根藩老との仲介役を務め、徳川幕府家の井伊家の領内にある中で、長州の伊藤俊介(後の博文)らと、この文庫内で密会していたといいます。大釜寛永10年(1633)と元禄12年(1699)の銘が入った釜が2つあり、多賀大社が造営された竣工時に湯神楽に使うために寄進されたとされています。神輿庫昭和の造営時に、参集殿の西側から移築され、鉄筋コンクリートで築造されました。神輿と鳳輦(ほうれん)が保管され、4月22日の古例大祭(多賀祭り)の際、町内を巡行します。鐘楼天文24年(15...多賀町を巡る(13)多賀大社「文庫~つり鐘」
奥書院は多賀大社に残る最も古い建物で、江戸時代中期、安永12年再建の不動院書院跡です。鶴の間床の間に富士山と鶴が描かれています。彦根藩井伊家の参内の時の休憩所ともなり、勅使の間ともいわれています。狩野派の絵師による襖絵は、元々多賀大社の別当寺(神宮寺)であった天台宗不動院の大書院にあったもので、安永2年(1773年)の大火で大書院が焼失した際にも持ち出されて無事だったそうです。庭園(国名勝指定)奥書院から見下ろすように築かれた安土桃山時代の池泉観賞式の庭園で、広さは約二百坪。正面に守護石を据え、左右に鶴と亀の岩島を配し、大きな自然石を渡して橋としています。天正16年(1588)豊臣秀吉が、母・大政所の病気平癒を祈願して奉納した米一万石をもとに築造されたと伝えられています。ブログランキングの応援よろしくお願いしま...多賀町を巡る(14)多賀大社「奥書院・名勝庭園」
日時:令和4年6月12日 08時10分ごろ 住所:滋賀県高島市朽木雲洞谷 状況:クマの目撃情報 現場:北川に架かる滋賀県道・京都府道781号麻生古屋梅ノ木線の広神橋付近 座標:35°20'10.3