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7代目以降も見てみましょう。前々回に見たように、3歳で当主となった7代目は傀儡で、父親の小栗宗徳が実権を握ります。東大路保義氏の記述によると、前野家は使用人の末まで6代目派と7代目派に分かれて対立反目し、紊乱(ぶんらん)の極めに陥ります。7代目は父親の死
埋蔵金の在りかを考える上で、歴代の前野小平治の人物像に焦点を当ててみたいと思います。もちろん注目は、前野家の中興の祖で、埋蔵金を埋めた本人である5代目(佐蔵)です。前々回に見た通り、佐蔵は4代目の子供ではなく、3代目が亡くなる年にもうけた末子です。59歳で
前回、5代目前野小平治が埋蔵金を埋めるまでをたどってみましたが、今回はその後です。前野家小平治が、必ずしもその子供によって襲名されていない点にもご注目ください。弘化3(1846)年5代目が死去。全国的な凶作に見舞われ、6代目(4代目の子、1825~69年)は本邸
前々回で、前野小平治の埋蔵金について少し長めの概要を掲載しましたが、事実あるいは事実と見られることを、さらに詳しく時系列に並べてみたいと思います。前野家の代々の当主については、9代目小平治の前野いねさんの夫である東大路保義氏が文章を残しており、それも参
いよいよ、前野小平治の埋蔵金を取り上げます。埋蔵金に関する本には必ず登場するなど、中部地方の埋蔵金伝説の中では、たぶん最も有名ではないでしょうか。前野小平治の埋蔵金は、前野家の興亡や子孫による発掘の試み、盗掘者と見られる人物の情報などが絡んで、ドラマ性と
埋蔵金伝説の舞台である愛知県南知多町を車で訪ねました。自動車専用道の知多半島道路と南知多道路を使えば、名古屋から一時間ほどです。前野小平治の子孫の方は現在、名古屋に住んでおり、南知多町内に家と敷地はありますが、切り売りを重ねて残ったもので、往時の面影はあ