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愛知県の刈谷市に、世界最大級の送信所があったのですが、地元住民以外には知られていません。世界の無線通信が実現したのは、大正時代から昭和初期に、大出力の長波を使って、モールス信号による方式でした。第1次世界大戦が終わって、日本国が先進国の仲間入りを果たした時期でした。 昭和4年に、日本とヨーロッパ諸国との通信のために「依佐美送信所」が開設されました。しかし、長波による通信は数年間で終わり、短波通信に代わりました。その後、使途が変更されて、潜水艦向けの送信所として、戦時中は日本海軍が使用し、戦後はアメリカ海軍が使用していました。軍事施設のため一般人は入場禁止でしたから、知られていなくて当然です。 …
三重県の四日市市には、昔、「海蔵受信所」がありました。 愛知県刈谷市の「依佐美送信所」と対の関係でした。 昭和3年に開設されて、約10年間、ヨーロッパ諸国からの長波の無線電波を受信していました。 当時の最新鋭無線機を4台設置して、自動受信した情報を名古屋の国際電信局へ専用回線で伝送していました。 1辺が50mの菱型ループアンテナを2基連携させて、特殊な方法で微小電波を受信していました。依佐美送信所と同時に着工されたのですが、依佐美送信所より1年早く昭和3年3月に竣工しました。短波通信の時代になったので、昭和13年11月に廃止されましたが、アンテナの一部はそのまま残されていましたが、昭和34年9…
約100年前の話ですが、ヨーロッパ諸国との直通無線回線が確立して、「名古屋電信所」が担当していました。 「欧文モールス符号」を使って、「依佐美送信所」と「海蔵受信所」を専用回線で結んで、自動送信と自動受信を実現していました。「テレックス方式」による世界最先端技術であって、「鑽孔テープ装置」や「カーボン式自動記録機」などが使われました。 それまでの国際電報は、海底ケーブルや有線接続回線を複数利用して送受信されていました。長時間を要した上に、通過国に情報が漏れる状態でした。これが、無線による直接通信になったのですから、官公庁や商社には、画期的な進展でした。
現在では、「高周波の発生」は半導体回路によって容易に実現します。無線通信の媒体である「電波」は、アンテナを「高周波で共振」させて、飽和した電界から磁力線の波が空中に放射される現象です。従って、高周波を発生させることが必須条件です。 短波通信に使う高い周波数であれば、真空管やトランジスタ回路で、容易に高周波を発生することができます。しかし、長波通信では、低い周波数であるので、回路が複雑になります。 無線通信の始まりは、マルコーニによって発明された「超長波」による方法です。アンテナからの電波をON-OFFさせて、「モールス符号」で情報を送受信しました。この方式では、「高周波発電機」で高周波を発生し…
昔のことですが、愛知県刈谷市(昔は依佐美村)に、高さ250mの鉄塔が8本建っていて、頂部に細い銅線のアンテナ素子が長手方向に16本並列に展張されていました。そして、アンテナ線の真下には、地下60cmの位置に銅のアース線が網目状態に埋設されていました。その広さは、横幅700mで長手方向に1,800mでした。(東京ドームの27倍の面積) これが、長波送信所「依佐美送信所」の「逆L型アンテナ」でした。 この用地は借用されていたので、地主は耕作が許されていました。太平洋戦争中と戦後の食糧難の時には、地主は賃貸料と合わせて潤ったことでしょう。 地上からはアンテナ線が見えないので、何を目的とした鉄塔か知ら…
ヘリコプターもクレーン車もない時代の高所作業の話です。 「依佐美送信所」のアンテナ設備は高さが250mでした。最初に、8本の鉄塔に対して、横に4本の吊架線を張りました。次いで、16本のアンテナ線を吊架線に1本ずつ結束しました。最後に、両端を8本ずつ束ねて、2系統の給電としました。 この作業が、どの様に実施されたかは記録にありません。しかし、竹かごの写真が残っていました。全て、人力で行ったのですから、大変な危険作業であったことが推察できます。 戦後、昭和22年にアメリカ軍が使用する際に、アンテナ線を更新しました。 この時の工事方法は、記録に残っています。地上でアンテナ素子を組み立てて置いて、吊架…
電波を出すためには、アンテナ線が給電高調波の周波数に共振する状態を保つ必要があります。 「依佐美送信所」の「逆L型アンテナ」では、端末が電圧最大となり、12万ボルトに達しました。アンテナ素子と鉄塔との絶縁は困難であるので、鉄塔の底部に碍子を並べて大地と絶縁していました。従って、鉄塔にも高電圧が印加されて、推定値で2万ボルト程になっていました。 この為、、鉄塔基部の周囲を柵で囲い「高電圧注意、立入禁止」の表示がありました。それなのに、子供が感電死した痛ましい事故があったと記録されています。
「依佐美送信所」の地元に住む人の話では、鉄塔への落雷が多かったと言われます。 鉄塔はアースされておらず、碍子で地面から浮かせてありました。また、支線には碍子が挿入されていました。稼働時には、鉄塔も高電圧となるので、避雷針設備の設置は不可能でした。 実際の落雷状態は、落雷した鉄塔頂部に雷光が繋がり、一部の支線が赤く染まって雷の通路となったようです。体験した人しか表現できませんが、凄まじい閃光と張り裂ける爆音だったそうです。 一般に、雷雲が近ずくと、地表面が雷雲の電位(プラスまたはマイナスの高電位に帯電状態)に対して、逆極性になります。 雷雲が近ずくとノイズが激しくなって通信できませんので、送信所…
ヨーロッパ諸国までの直線距離は約1万 Kmあります。この間を、地表面に沿って長波の電波を送信しました。その電波の強さは80KWが必要でした。大変効率の悪い「逆L型アンテナ」でしたので、アンテナ入力は最低500KWの給電でした。従って、”500KW送信所”と称されて、世界最大級でした。 「依佐美送信所」では、複雑な方法で高周波を発生させていましたので、送信所では1,000KWの電力を消費していました。当時としては、大工場並みの電力需要家でした。 当時は、水力発電が主要な電力源でしたから、電力会社に稼働予定を連絡して、矢作川水系の水力発電所をフル稼働する状態でした。 数年後には「短波による無線通信…
一般に、「アース抵抗値」の低減は、電気保安上から必要があって規制されています。 家庭用のアース抵抗値は100Ω以下です。 工場の高圧電気設備では10Ω以下です。「逆L型アンテナ」に於いては、別の観点から重要な要素です。 アンテナへ給電された電力は、アースを経由する電気回路に電流が流れて、電力が消費されます。「依佐美送信所」の場合は、アース抵抗値が0.9Ωでした。土地自体の土壌抵抗値と網の目状に配置されたマルチアース極で決まる値ですが、最良の条件でも0.7Ω以下にはならないでしょう。 アンテナ回路に600KW給電すると、アンテナ電流が700A程となり、アース抵抗で440KW程が無駄に消費されてし…
高周波発電機の回転数が変動すると、発信電波の周波数の変動につながります。発信電波の周波数が変動すると、相手の受信所では、受信信号が不安定になり、受信不能にさえなります。 そこで、高周波発電機の回転数を正確に制御するために「ワードレオナード方式」が採用されていました。「依佐美送信所」では、回転数の変動率が ±0.02%で制御されていました。 回転数が変動する要因は、モールス信号のMARK とSPACE に合わせてアンテナ入力が100%と50%の2値変動することでした。その他の要因として、電力会社からの高圧電気の電圧降下や周波数低下もありました。当時の電力事情は、現在とは大違いであり、家庭向けの電…
最近では、見かけなくなりましたが、昭和初期の「電力配電盤」には天然の大理石パネルに電流計や開閉器、表示灯などがはめ込まれていました。強度があって、電気的特性が優れていたからです。 時代が変わり、ベークライト板に代わり、現在では、焼付塗装の鉄板となりました。 「依佐美送信所」の運転操作盤は「天然の大理石」です。回転機械は2セット据え付けられていましたので、左右対称に、各5面で構成されていました。全体では、高さが2.5m、全幅で12mとなり、厚さ30mmの大理石に計器類と表示灯、抵抗器の操作ハンドルが取り付けられています。 下図は、昔懐かしい立派な運転操作盤です。
複雑な「ワードレオナード方式」を採用した高周波発電機システムでは、故障頻度が高いと予想されます。建設時には、「高周波発電機システム」を2セット並べて設置されました。 故障が発生すると、短時間で予備機システムへ切り替えることが出来ました。 ところが、高周波発電機自体の故障や修理困難な故障が発生すると、修復に時間を要します。予備システムが修復されるまでは、運転員や管理者の精神的負担が増大します。 そこで、戦後に、アメリカ軍が使用した際には、機器単独で予備機と切替使用できるように改造されました。それが「たすき掛け運転方式」でした。切り替え用の接続配線とピン挿入式マトリックス盤が追加されました。 この…
「依佐美送信所」のアンテナ給電は500KW であり、これには700KVA の高周波を発生する必要がありました。ところが、目的の周波数の発電機を製作することが技術的に困難でした。 そこで、高周波発電機の出力周波数を必要周波数の1/3として、後段で3倍周波数に変換して、目的の周波数の電波を放射していました。 この3倍周波数に変換するのは、「トリプラー」と「フィルター回路」の組合せで実現していました。原理は、単巻トランスの鉄芯を過飽和状態に保って、大きく歪んだ磁力線に含まれる第3高調波成分だけを利用するものです。 これは、「トリプラー」単独では実現できませんが、後段に設置された「フィルター回路」で第…
「モールス信号」は、最も単純な情報伝達方式でした。 長点と短点の組合せで文字を表して、文字を連ねて単語として、単語を区切って送信しました。つい最近まで、船舶の「SOS信号」に使われていましたが、現在では廃止されています。 初期の無線通信では、一定の高周波を発生させた状態で、「モールス符号」に同期させて、アンテナ給電をON-OFF制御していました。ところが、大電力のアンテナ給電では、切り替え時の電力変動ショックが前段の機器に悪影響を及ぼします。更に、切り替え時に、大型のリレー接点からノイズが発生します。 そこで、500KW 給電の「依佐美送信所」では、無接点方式を採用していました。 切り替え時に…
依佐美送信所は、ヨーロッパ諸国方向を見通せる位置にあった!?
ヨーロッパ諸国との無線通信施設の建設が計画されたのは、大正時代の世界通信勃興期でした。 最適地として愛知県の「依佐美村」に決定された事情については、確かな記録がありません。日本の中央部に位置して、名古屋に近く、ヨーロッパ方向に対して、山岳地帯から外れていて、電波の通りが良好な場所でした。電波の減衰度からは、日本海側の地方が有利ですが、積雪によるアンテナ線の破断が危惧されます。 実際に、どの様な検討が為されたかは定かでありませんが、テレフンケン社では過去の実績から得たノウハウが提示されて選定されたものと推察します。それは、中央電信所と送信所と受信所の相対的な位置関係です。受信所は、送信所の送信電…
送信所の電気回路解析は、1枚の稼働データシートから始まった!?
「依佐美送信所記念館」には、約100年前の設備機器が陳列されています。しかし、動力配線や制御配線がありませんので、稼働できません。「産業遺産」としての博物館ですから、稼働の必要はありませんし、これで良いのです。 しかし、技術者の立場では、機器類の内部構造や動作原理を知りたいところです。更には、どの様な状態でヨーロッパ諸国との通信が実施されていたのか、詳しい内容も知りたいところです。 そこで、入手できる資料に目を通して概要は掌握できたのですが、電波が放射された理論的根拠が不明のままでした。アメリカ海軍で使用時の「1枚の稼働データシート」が唯一の実測値となって、設備の動作解析が始まりました。「ガイ…
当時の送信所は、大型の回転機械が並び、高電圧の高周波機器や大型の高周波コイルと多数の高圧コンデンサーで構成されていました。 操作パネルは開放型で、空調設備もありませんでした。騒音と発熱で、耐え難い職場環境であったと推察します。 僅かな計測器だけで運転しなければならず、積み重ねた経験が頼りでした。高価な設備であり、昼夜に亘って、重要な通信情報を扱うことで、多大なストレスを生じたであろうと推察できます。 筆者は、嘗て高圧ガス製造業で働き、高圧プラント、大型圧縮機、高圧電気回路などの操作を経験しました。従って、当時の作業員の運転操作状況や困難さを推察できます。 当時の「運転操作マニュアル」は見当たり…
「依佐美送信所」は、500KWのテレフンケン式超長波送信所として、昭和4年に完成しましたが、それよりも4年前に、アルゼンチン国のブエノスアイレスに500KWの類似施設がありました。この送信所では、高周波発電機の出力は6,000Hz であったと報告されており、「周波数逓倍器」で目標とする周波数に変換していました。 従って、この送信所が「依佐美送信所」の原型になったと推察できます。 アルゼンチンはスペイン語圏であり、ヨーロッパからの移民が多数いて、ヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国、南アフリカなどとの通信回線が必要でした。 当時は、アメリカのゼネラルエレクトリック社がアレキサンダーソン式高周波発電機に…
「インターネット回線」で、情報が世界中に、しかも、瞬時に伝わる現代では、私たちは、電気・水道と同様に、身近なものとして「国際通信」を意識しています。しかし、実際には、「国際通信」と「インターネット回線」は別物です。 我が国の通信事情の近代史をたどると、興味深い現実がありました。 「国際通信」を「国家間にまたがる情報伝達」と位置づけますと、1850年に、ドーバー海峡に海底ケーブルが敷設されて、英仏間で「モールス信号による有線通信」が発端でした。そして、大陸内の各国で電信路を敷設して、主要な各国に電信路が完備しました。 日本では、明治30年代中期になって、デンマークの会社「大北電信会社」が日本海に…
それは、スウェーデンの「グリメトン無線局」です。 1950 年代から 1996 年の間は、潜水艦への送信も行われました。そのため1968 年にはトランジスタや真空管を採用した2台目の送信機が導入されて、 現在もまだスウェーデン海軍が運用しているようです。 従来の発電機式送信機の 17.2kHz と同じアンテナを使っているが、2台目の送信機は 40kHz 付近で設計されているようです。 1996 年に、旧式の発電機式送信機は運用を停止しました。 しかし、送信機の状態が良かったので、「世界遺産」に登録されました。 「世界遺産」の発電機式送信機は、「アレキサンダーソン・デイ」と「クリスマス・イブ 」…
「依佐美送信所」の開設は、商用の「国際無線電信」が目的でした。ここの送信設備は、ドイツのテレフンケン社で製作されたもので、人海戦術で延べ1万人を動員して2年間で完成しました。 ところが、既に「短波通信」が実用化されており、数年間の運用後に予備役となり、隣接地に「短波送信所」が建設されました。 暫くして、太平洋戦争が始まり、今度は「潜水艦向けの送信所」となりました。終戦後は、アメリカ海軍の「潜水艦向けの送信所」でした。 アンテナが複調式に改造されて、太平洋と日本海をカバーしていました。 超長波による無線通信は、波長が長いので減衰損失が少ないうえに、海面に沿って電波が伝わるので、潜水艦向けの一方通…