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日本の隅っこの歴史 https://gomahn.hatenablog.com/

某所で郷土史をやっていた方が集めた膨大な資料(主に紙)をデジタル化する作業のため、紐解いた内容に少々個人的な感想を交えて書いていく、覚書的な性質の濃いブログです。

あざらしごまふ
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2024/08/12

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  • 鹿ヶ谷の陰謀 ~ 治承・寿永の乱前半

    さて、平治の乱から15年くらい経った1176年(安元2年)、夏ごろから急に宮中は不幸が続きます。後白河上皇の妻、建春門院。二条天皇の中宮、高松院。後白河上皇の孫、六条上皇。近衛天皇の中宮、九条院。と、相次いで亡くなってしまいます。 この時の天皇は、六条上皇の三つ年上の叔父で、後白河上皇の息子、高倉天皇です。六条天皇は享年13才ですから、この当時16才ということになります。高倉天皇の母親は建春門院こと平滋子(たいらのじし)。清盛からみれば義妹にあたる人です。つまり、高倉天皇はお母さんを亡くしたことになり、同時に母方のバックアップを失ったことになります。奥さんは清盛の娘の平徳子(たいらのとくし)で…

  • 保元の乱と平治の乱 おさらい

    筑前秋月家 その2でちらっと書いた、源平合戦こと治承寿永の乱をおさらいしようとしたんですが、なにしろ知識が中学レベルの素人なもので、ここからおさらいしないと理解できませんでした。 なので、保元の乱からはじめます。 承平天慶の乱で、平将門と対立した将門の従兄弟、平貞盛(承平天慶の乱 おさらい参照)は、北山の決戦で平将門を討ち取り、従五位上に叙せられ、その後も出世を重ねます。貞盛の息子たちもそれぞれに地歩を固め、四男維衡(これひら)は伊勢国に地盤を築き、藤原道長の元で『道長四天王』と呼ばれるまでになります。以後、平維衡の子孫たちは『伊勢平氏』とよばれることとなりました。 維衡から100年ほど経った…

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