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Pithecanthropus Erectus https://squeezeme.hatenablog.com/

本、映画、音楽、ラジオ、ムーミン、スポンジ・ボブが好きです。レゴも。読んだ本などの感想をブログに書いています!

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2022/01/25

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  • 庄司薫『ぼくの大好きな青髭』

    主人公であり語り手でもある薫君は、麦わら帽子に昆虫網に付け髭という奇異ないでたちで真夏の空の下に突っ立っていて、その場面からこの物語は始まる。これまでの三作は毎回、家の中から始まっていたのだから、おお、なんか新鮮、と思う。 というかこの作品においては自宅のシーンは、ほんのわずか、自殺(未遂)して生死をさまよっている高橋との思い出を回想する時にだけ登場する。他はオール新宿ロケ。新鮮。 レギュラーメンバーの小林と由美は、電話でのみの出演。これも新鮮。 とはいえ二人は最後の最後に姿を表し、全てを持っていく。本当に全てを持っていく。その根こそぎっぷりがかっこよくて、私は泣いた。由美のあの短いセリフ、あ…

  • 庄司薫『白鳥の歌なんか聞えない』

    本作においても語り手である薫君のおしゃべりは絶好調であり、のりにのっている。しかし前二作と違うなあと私がなんとなく感じたのは、薫君以外のキャラもしゃべりまくっているということだ。薫君も相変わらずしゃべるのだが、他の人たちもとにかくしゃべる。というか、薫君が「それで?」とか「どうして?」みたいな感じで、話を促す役割を演じる場面が多い気がする。なんとなく。 それはさておき、私は、読み終えて落ち着きをなくしてしまった。だって、なぜ前作の『さよなら快傑黒頭巾』と終わり方が同じなの? 二つの作品ともに、耳をすまして終わるのは、なぜ。 そもそもこの『白鳥の歌なんか聞えない』と『さよなら快傑黒頭巾』の関係は…

  • 庄司薫『さよなら快傑黒頭巾』

    先日、『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読んだ時に私は、語り手の薫君がおしゃべりすぎることについて、「戦略的にそのようなキャラを演じているのでは」と思ったのだけれども、続編となるこの『さよなら快傑黒頭巾』を読んで、このおしゃべりは演技ではできないような気がしてきた。やっぱりこの人は生粋のおしゃべりだと思う。 もちろん、語り手なのだから、しゃべってくれないと読者としては困るので、おしゃべり大歓迎なのだが、それにしたってしゃべりすぎ、と思わずにはいられない。 序盤はずっと、やることがなくて暇だなー、みたいなことを延々と話している。ほんとに延々と。いやー、やることない、なーんもない、あーあ、ほんと、なーん…

  • 庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

    この小説の主人公で語り手でもある薫君は、とにかくしゃべる。いや語り手なんだからしゃべるのは当然なのだけれど、それにしたって、しゃべりすぎじゃない? って思うくらい、薫君、しゃべってしゃべってしゃべりまくる。 幼馴染の由美の要配慮個人情報なんかも、気にすることなくマイクの前で平然としゃべりまくる(マイクは私のイメージです。ラジオパーソナリティっぽいので)。 なぜこんなにしゃべるのか? 饒舌すぎない? 当時の若者は皆、こんなにおしゃべりが上手だったのか。そんなことはないだろうと私は思う。薫君が、常軌を逸したおしゃべりなのだと思う。 そしてこれは、本来の薫君がここまでのおしゃべりというわけではなくて…

  • 『鏡花短篇集』川村二郎編

    われもさあらむと思はざりしにもあらざりき。いまはたしかにそれよと疑はずなりて、のたまふままに頷きつ。あたりのめづらしければ起きむとする夜着の肩、ながく柔かにおさへたまへり。(p.23) みたいな文章を、素養がないものだから私は、すらすらと読むことができない。だからどうするのかと言えば、気合を入れて読むのである。気合を入れて、呪文みたいな文章を、ひとつひとつ、自分の知っている言葉に置き換えていく。 「われも」は「わたしも」、「さあらむ」はわかんない、「思はざりし」は「思わない」かな? 「あらざりき」もわかんないけどなんか否定っぽくない? ということは、「われもさあらむと思はざりしにもあらざりき」…

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