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不思議活性 https://blog.goo.ne.jp/fushigikaxtusei/e/9e1b2aad16c5ef22bef0086ebfdd55d3

ちょっとした幸せを感じられたらな

ホームページとして、『太陽とともに・ふしぎかっせい』を作っています。 https://www5d.biglobe.ne.jp/~fushigi/ です。

ふー
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2022/01/25

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  • 賢治童話と私 18 土神と狐 1

    『土神と狐』1一本木の野原の、北のはずれに、少し小高く盛りあがった所がありました。いのころぐさがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗な女の樺の木がありました。それはそんなに大きくはありませんでしたが幹はてかてか黒く光り、枝は美しく伸びて、五月には白き雲をつけ、秋は黄金や紅やいろいろの葉を降らせました。ですから渡り鳥のかっこうや百舌も、又小さなみそさざいや目白もみんなこの木に停まりました。ただもしも若い鷹などが来ているときは小さな鳥は遠くからそれを見付けて決して近くへ寄りませんでした。この木に二人の友達がありました。一人は丁度、五百歩ばかり離れたぐちゃぐちゃの谷地の中に住んでいる土神で一人はいつも野原の南の方からやって来る茶いろの狐だったのです。樺の木はどちらかと云えば狐の方がすきでした。なぜなら土神の...賢治童話と私18土神と狐1

  • 老子道徳教 42

    第四十二章道化(道徳による徳化)道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、沖気は以て和を為す。人の悪(にく)む所は唯孤寡、不轂(ふこく)なり。而るを王公は以て称と為す。故に物は、或いは之を損じて而して益す。或いは之を益して而して損ず。人の教うる所、我も亦人に教う。強梁(きょうりょう)の者は其の死を得ずと。吾将た以て教えを為す父(はじめ)とす。道から陰と陽を生じ、陰と陽との他に、中性のもの、すなわち、冲気を生じたことを指す。とあるは、万物には、陰性と陽性の部分が備わっているが、その他に、中性の部分が備わっているので、全体の調和がとられていることをいうのである。孤寡は、孤児と、老いて夫のないやもめのことであり、不轂(ふこく)は、不善のこと、徳のないことであって、どちら...老子道徳教42

  • 一枚の絵画と詩 9 『花瓶の花』 オディロン・ルドン

    『一枚の絵画と詩』9『花瓶の花』1912年頃オディロン・ルドン(1840~1916)解説に、オディロン・ルドンは印象派の画家たちと同世代であるが、ルドンはもっぱら幻想の世界を描き続けた。象徴派の文学者らと交友をもち、象徴主義に分類されることもあるが、19世紀後半から20世紀初頭にかけてという、西洋絵画の歴史のもっとも大きな転換点にあって、独自の道を歩んだ孤高の画家というのがふさわしい。自然は彼にとってはつねに出発点にすぎず、むしろ尽きることのない不満と疑惑と不安の源泉であった。彼は自然を近くから眺め、探求し、孤立させ、言い難いほどの魔術的な謎めいた雰囲気のなかに捉えようとする。目に見える世界と並んで、そこにはつねに目に見えない世界が存在しており、この点では、先輩のロマン派の画家たちと共通するものをもってい...一枚の絵画と詩9『花瓶の花』オディロン・ルドン

  • 一枚の絵画と詩 8 『舞台の踊り子』 エドガー・ドガ

    『一枚の絵画と詩』8『舞台の踊り子』1878年エドガー・ドガ(1834~1917)このドガの『舞台の踊り子』は、なんて美しいのだろう。右足で体全体を支え両手を広げ上向いた顔から、踊り子は夢の世界にいるようです・・・・。この一枚の絵画『舞台の踊り子』に何の説明もいらないでしょう。ただ、解説として。ドガはすぐれたデッサンの名手であり、舞台の踊り子や、疾走する馬など、激しい運動を見せる対象をきわめて明確に捉え、画面に定着させ、油絵においても、形態はつねに明確であり、しばし明暗のコントラストによって、ことさらくっきりとその存在を主張するように描かれたと。また、ドガの描く女たちの肉体には、耳をすませば息づかいが聞こえてくるのではないかと思えるほどに、生命力のほとばしりが感じられる。ドガの絵を見ていると、表面的な美醜...一枚の絵画と詩8『舞台の踊り子』エドガー・ドガ

  • 一枚の絵画と詩 7 『夕映えの中の羊飼いの女と羊』 ミレー

    『一枚の絵画と詩』7『夕映えの中の羊飼いの女と羊』1868-70年ジャン=フランソワ・ミレー(1814~1875)解説に、ミレーは、風景画を好んだ他の画家よりも、働く農民の生活への関心が強く、農民画を多く制作している。農民の生活に向き合って真摯に観察したところにミレーの独自性がある。また、晩年の作品には、印象派的性格を見るなどとあり・・・・、私はミレーの描く光の表現に引き込まれました。ミレーの時代は日本では、江戸時代の終わりから明治時代のはじめ頃にあたるでしょうか。私はミレーの描いた『落穂拾い』や『馬鈴薯植え』などを見ると、それら人物に、生きるということの敬虔な姿を思います。そして、背景の風景からも、ありきたりという言葉でなく、時に敬虔なおもむきを受け取るのです。そして、この一枚の絵画、『夕映えの中の羊飼...一枚の絵画と詩7『夕映えの中の羊飼いの女と羊』ミレー

  • 老子道徳教 41

    第四十一章同異(道の異同)上士は道を聞いて、勤めて之を行なう。中士は道を聞いて、存するが若く亡(うしな)うが若(ごと)し。下士は道を聞いて、大いに之を笑う。笑われずんば以て道と為るに足らず。言を建けて之を有す。道に明るきは昧きが若し。道に進むは退くが若し。道に夷(ひと)しきは類するが若し。上徳は谷の若し。大白は辱なるが若し。広徳は足らざるが若し。建徳は揄(ひ)くが若し。質直は渝(あ)せたるが若し。大方は隅無し。大器は晩く成る。大音は声希(すくな)し。大象は形無し。道は隠れて名無し。夫れ唯道は善く貸(あた)えて且つ成す。上士というのは、道を聞いて、忠実に道を行う人である。忠実に道を行っているうちには、無限の妙味のあることが次第に会得できるようになり、道から離れないようになるのである。中士というのは、道を聞い...老子道徳教41

  • 久しぶりに

    久しぶりに、娘と子供たちが帰ってきました。秋晴れの日、近くの昆虫体験学習館に行って来ました。女の子ではありますが、小さな虫たちに興味を持ちカブトムシの背に触れたりしました。家に帰ってきてからも、小さな庭にくるトンボやバッタなどを追いかけていました。自分は、二・三歳の頃の記憶はありませんが、子供時代は今より自然に囲まれていて、自然とのふれあいは楽しい想い出です。三歳位になると、いろいろと主張されますが、まだ、言葉もうまく話せない下の子は無邪気です。自分の娘の小さな頃を想い返したりもしますが、人生って、繰り返しなんだなと・・・・。元気をもらった、秋晴れの日でした・・・・。久しぶりに

  • トアール星と地球 10 ぼくと宗教と・・・ 3

    32月11日は「建国記念の日」です。この日は「紀元節」とも呼ばれ、初代神武天皇が橿原の宮にて御即位された日本のはじまりの日です。日本は紀元前660年に誕生したのです。日本史年表として、古代(縄文~院政期まで)、中世(院政期~戦国時代まで)、近世(戦国~幕末まで)、近代(明治~戦前まで)、現代(戦後~現在まで)です。そして、ぼく自身は昭和に生まれ、しらけ世代と呼ばれています。しらけ世代は、1950年〜1964年生まれで2023年現在59歳〜72歳の定年前後である世代です。団塊世代に次ぐ世代であることから、ポスト団塊世代とも呼ばれています。しらけ世代が過ごした時代は、団塊世代で活発だった学生運動も沈静化を迎えた時期でした。しらけ世代は「しらける」という動詞が由来となっており、政治について無関心で、しらけた態度...トアール星と地球10ぼくと宗教と・・・3

  • トアール星と地球 10 ぼくと宗教と・・・ 2

    2○○先生と出会った、同じくその頃、韓国の超能力者○○先生の書かれた本との出会いがありました。その中からの紹介です。大体において筆者が従来の心霊科学者と違うのは、人間の魂を一種の四次元的生命体だと見ている点である。三次元生命体であるわれわれ肉体人間と魂が根本的に違うところは肉体はいつかは消滅するはかない生命に違いないが、魂である霊魂は時間をのり越えて永遠を生きる生命体であるという点であるが、それよりも、魂も生命体である以上は、分裂増殖してその個体をふやす方法が肉体人間とは全然違うということである。今迄、宗教は人間の魂をすくうのだけを目的として存在した傾向があるが、人間とは魂だけの存在ではないのであり、肉体をもった存在であり、日々その肉体の影響を受けて生きている存在なのである。だから、肉体の本質と魂の本質を...トアール星と地球10ぼくと宗教と・・・2

  • トアール星と地球 10 ぼくと宗教と・・・ 1

    地球にて。『ぼくと宗教と・・・』はじめにぼくは宗教ということを本当に考えたことはなかったのです・・・・。ぼくの家には神棚があり、神棚には、皇室の御先祖である天照大御神と、氏神様、崇敬する神社のお神札が祀られています。それとは別に、仏壇があり亡き両親の位牌が祀られています。で、今回、ぼくは、いろいろと考えてみました。1先ずは、ぼくの家の宗派は、曹洞宗です。仏教の生みの親、お釈迦様の第二十八代目の弟子、達磨大師が六世紀にインドから中国に渡来して、禅宗を開きました。禅はいつしか中国中に広まり、その禅宗のなかの一つが曹洞宗と呼ばれるようになりました。日本へは、鎌倉時代初めに栄西禅師が臨済宗を、道元禅師が曹洞宗を伝え、江戸時代には隠元禅師が黄檗宗を伝えたとあります。菩提樹の下の瞑想の末に悟りを開いたお釈迦様とありま...トアール星と地球10ぼくと宗教と・・・1

  • 老子道徳教 40

    第四十章去用(去が用(はたら)けば来がある)反は道の動なり。弱は道の用なり。天下の万物は有より生ず。有は無より生ず。この章は、反は動の本であり、弱は強の本であり、無は有の本であるという、道の根本原理について説く。人は、行くということについてはよく考えているが、かえるということについてはよく考えていないことが多いのである。例えば、山に登ったり、遠方へ行ったりするような場合は、頂上に着き、或は、先方に到着すれば、それで目的を達したように思うことが多いのであるが、そこで、登山のことが終ったわけではない。必ず下山して帰って来るまでの体力や、食料や、時間を用意してかからなければならぬのである。人は、動と、強と、物を重視して、これだけあればことが足りると思いがちであるが、これらはその反面であって、他の反面であるところ...老子道徳教40

  • 一枚の絵画と詩 6 『トレドの風景』 エル・グレコ

    『一枚の絵画と詩』6『トレドの風景』1597-1599年エル・グレコ(1541~1614)ジョルジョーネの『嵐・テンペスタ』が1508年頃として、エル・グレコの『トレドの風景』は、1597~1599年頃制作とのこと。エル・グレコはジョルジョーネの次の世代ですが、エル・グレコの『トレドの風景』とジョルジョーネの『嵐・テンペスタ』は、どこか通じるところがあると思うのです。それは、『トレドの風景』の雲海のかたまりが嵐を呼んでいるのと、画面中央の橋と川の流れの構図が似ているところから来ているのかも・・・・。また、二人の画風は違っていても、私は二人の画家に共通する何かを感じるのかもしれません。そんな意味でも、この一枚の絵画、『トレドの風景』も、また、詩的な一枚の絵画なのだと思うのです・・・・。・尚、エル・グレコにつ...一枚の絵画と詩6『トレドの風景』エル・グレコ

  • 一枚の絵画と詩 5 『嵐・テンペスタ』 ジョルジョーネ

    『一枚の絵画と詩』5『嵐・テンペスタ』1508年頃ジョルジョーネ(1477~1510)解説に、色彩豊かで詩的な風景描写、抒情的で人物と風景が調和した作品のジョルジョーネ。人物の周囲に広がる風景を、風景画といえるほどのレベルで丁寧に描きあげ、『嵐・テンペスタ』は最初の風景画ともいわれていると。また、ジョルジョーネの描く絵画からは、微かに覆い流れている一種憂愁の気配が感じられ、言葉にならない『一枚の絵画と詩』として、ジョルジョーネの描く絵画は、どれもが詩的であると思う私です・・・・。画面左下に若者を配し、右側に乳飲み子と母親の裸婦、中央には小川が流れ、そして空を走る稲妻・・・・。言葉にすれば、それだけのことですが、言葉にならない「詩想の画家・ジョルジョーネ」です。一枚の絵画と詩一枚の絵画と詩5『嵐・テンペスタ』ジョルジョーネ

  • 一枚の絵画と詩 4 『果物をもつ女』 ゴーギャン

    『一枚の絵画と詩』4『果物をもつ女』1893年ポール・ゴーギャン(1848~1903)ゴーギャンといえば、私は野性的な風貌のタヒチの裸婦を思います。この『果物をもつ女』もそうですが、健康的な肉感を感じさせるゴーギャンの筆使いは、強く迫ってきます。ただ、この『果物をもつ女』の別名は『あなたはどこへ行くの?』ということで、作品の左下のサインの所に書かれたカナカ人(南洋諸島の原住民)の言葉である。ということを知ると、ゴーギャンのタヒチの裸婦は、大きな生きるということの意味にもつながるひとつの題材であったのではと思うのです。1897年の大作の題名は、『われわれはどこから来るのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くか』となっていて、解説によると、・・・・左上隅に描き込まれた題名は絵を説明するのでも絵がその説明な...一枚の絵画と詩4『果物をもつ女』ゴーギャン

  • 老子道徳教 39

    第三十九章法本(根本に法(のっと)る)昔の一を得たる者。天は一を得て以て清し。地は一を得て以て寧し。神は一を得て以て霊なり。谷は一を得て以て盈つ。万物は一を得て以て生ず。侯王(こうおう)は一を得、天下の正を為して、其の之を致(いまし)む。天以て清きこと無くんば、将た恐らくは裂けん。地以て寧きこと無くんば、将た恐らくは発せん。神以て霊なること無くんば、将た恐らくは歇まん。谷以て盈つること無くんば、将た恐らくは竭(つ)きん。万物以て生ずること無くんば、将た恐らくは滅せん。侯王以て貴高なること無くんば、将た恐らくは蹶(つまず)かん。故に、貴は必ず賎を以て本と為す。高は必ず下を以て基と為す。是を以て、侯王は自ら孤寡(こか)、不轂(ふこく)と称す。此賎を以て本と為すに非ずや、非ざるや。故に、車を数うるに致れば、車無...老子道徳教39

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