chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
不思議活性 https://blog.goo.ne.jp/fushigikaxtusei/e/9e1b2aad16c5ef22bef0086ebfdd55d3

ちょっとした幸せを感じられたらな

ホームページとして、『太陽とともに・ふしぎかっせい』を作っています。 https://www5d.biglobe.ne.jp/~fushigi/ です。

ふー
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/01/25

ふーさんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 05/09 05/08 05/07 05/06 05/05 05/04 全参加数
総合ランキング(IN) 8,525位 8,919位 9,973位 9,413位 8,390位 8,366位 7,405位 1,034,730サイト
INポイント 0 50 0 10 10 0 60 130/週
OUTポイント 10 20 0 10 0 0 10 50/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
健康ブログ 168位 176位 197位 188位 164位 163位 150位 34,108サイト
気功 8位 8位 8位 8位 8位 7位 7位 179サイト
シニア日記ブログ 371位 386位 412位 405位 376位 374位 355位 4,910サイト
自分史・自伝 1位 1位 1位 1位 1位 1位 1位 73サイト
ポエムブログ 86位 84位 88位 89位 80位 79位 75位 5,623サイト
心の詩 9位 9位 9位 9位 9位 9位 8位 491サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 05/09 05/08 05/07 05/06 05/05 05/04 全参加数
総合ランキング(OUT) 27,621位 30,798位 33,224位 32,530位 31,699位 31,440位 26,715位 1,034,730サイト
INポイント 0 50 0 10 10 0 60 130/週
OUTポイント 10 20 0 10 0 0 10 50/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
健康ブログ 616位 692位 856位 710位 663位 647位 471位 34,108サイト
気功 9位 11位 12位 12位 12位 13位 11位 179サイト
シニア日記ブログ 794位 854位 904位 914位 883位 891位 800位 4,910サイト
自分史・自伝 1位 1位 1位 1位 1位 2位 1位 73サイト
ポエムブログ 156位 168位 206位 205位 188位 193位 155位 5,623サイト
心の詩 18位 17位 17位 18位 16位 18位 13位 491サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 05/09 05/08 05/07 05/06 05/05 05/04 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,730サイト
INポイント 0 50 0 10 10 0 60 130/週
OUTポイント 10 20 0 10 0 0 10 50/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
健康ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 34,108サイト
気功 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 179サイト
シニア日記ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,910サイト
自分史・自伝 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 73サイト
ポエムブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 5,623サイト
心の詩 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 491サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
  • 龍神伝説

    先日、ふと隣町の真楽寺に行ってきました。着いたのは午前九時頃、訪れる人はほとんどなく、新緑の木立のなか爽やかな冷気に身も心も洗われました。真楽寺には、甲賀三郎の龍神伝説にでてくる透明な池があります。ゴールデンウィークなのに訪れる人は少なく静かな世界でした。幾つかスマホで撮った写真の紹介です。龍神伝説ですが、甲賀三郎が龍神となる云い伝えです。要約すると、美しい妻と幸せに暮らす三郎をいつの日か2人の兄は妬むようになり、一族の繁栄のためにと嘘をついて、貴重な宝玉を取りに行こうと三郎を立科山に誘い出します。宝玉が眠るとされている深い深い人穴を三郎は藤のつるに掴まって下りていくと、兄たちは、そのつるを切ってしまい、三郎は奈落の底へと落ちてしまいます。これを知った三郎の妻は、悲しみのあまり夫の後を慕って、三郎を探すた...龍神伝説

  • 小倉百人一首 18

    第十八首住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路    人めよくらむ      藤原敏行朝臣  (?-901?)在原業平の妻の妹と結婚。三十六歌仙の一人で、能書家。部位恋出典古今集 主題夢においても人目を忍ぶ恋のもどかしさ 歌意住吉の海岸に打ち寄せる波の、そのよるという言葉ではありませんが、昼はもちろん、夜までもどうして私は夢の中の恋の通い道で人目を避けるのでしょう。「よるさへや」夜までも。「よくらむ」の「よく」は避ける。現実の世界ばかりでなく、夜までも、夢の中の通い路で、あの人はひと目を避けているのだろうか。夢にも会えないことよ。敏行の歌としては、「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今・秋上)の歌が秀歌として知られています。若くより能書家として知られ、『江談抄』、『古今』などに...小倉百人一首18

  • 龍神伝説

    龍神伝説

    先日、ふと隣町の真楽寺に行ってきました。着いたのは午前九時頃、訪れる人はほとんどなく、新緑の木立のなか爽やかな冷気に身も心も洗われました。真楽寺には、甲賀三郎の龍神伝説にでてくる透明な池があります。ゴールデンウィークなのに訪れる人は少なく静かな世界でした。幾つかスマホで撮った写真の紹介です。龍神伝説ですが、甲賀三郎が龍神となる云い伝えです。要約すると、美しい妻と幸せに暮らす三郎をいつの日か2人の兄は妬むようになり、一族の繁栄のためにと嘘をついて、貴重な宝玉を取りに行こうと三郎を立科山に誘い出します。宝玉が眠るとされている深い深い人穴を三郎は藤のつるに掴まって下りていくと、兄たちは、そのつるを切ってしまい、三郎は奈落の底へと落ちてしまいます。これを知った三郎の妻は、悲しみのあまり夫の後を慕って、三郎を探すた...龍神伝説

  • 小倉百人一首 18

    小倉百人一首 18

    第十八首住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路    人めよくらむ      藤原敏行朝臣  (?-901?)在原業平の妻の妹と結婚。三十六歌仙の一人で、能書家。部位恋出典古今集 主題夢においても人目を忍ぶ恋のもどかしさ 歌意住吉の海岸に打ち寄せる波の、そのよるという言葉ではありませんが、昼はもちろん、夜までもどうして私は夢の中の恋の通い道で人目を避けるのでしょう。「よるさへや」夜までも。「よくらむ」の「よく」は避ける。現実の世界ばかりでなく、夜までも、夢の中の通い路で、あの人はひと目を避けているのだろうか。夢にも会えないことよ。敏行の歌としては、「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今・秋上)の歌が秀歌として知られています。若くより能書家として知られ、『江談抄』、『古今』などに...小倉百人一首18

  • 小倉百人一首 17

    小倉百人一首 17

     第十七首ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとはありわらのなりひらあそん     在原業平朝臣  (825-880)平城天皇の皇孫で、行平の弟。美男で、『伊勢物語』の主人公とも。六歌仙、三十六歌仙の一人。部位四季(秋)出典古今集 主題竜田川に散り流れる紅葉の華麗な美しさ 歌意遠い昔、数々の不思議なことが起こっていたという神代でさえも聞いたことがありません。川面一面に紅葉が散り浮いて流れ、この竜田川の水を真紅色の絞り染めにするとは。ちはやぶるは「神」の枕詞。「神代」神武天皇即位より前の、神の治めた時代。神代七代。水くくるとは、まっ赤な色に紅葉がちりばめ、その下を水がくぐって流れるということですが・・・、今日の通説では、「こんなにまっ赤な色に水をくくり染めにするとは」と、川水に紅葉の流れるのを...小倉百人一首17

  • 小倉百人一首 16

    小倉百人一首 16

     第十六首立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む  中納言行平   在原行平(818-893)平城天皇の皇孫。漢詩に優れ、在原氏一門の子弟の教育のために奨学院を創設した。部位離別出典古今集 主題別れに際して名残を惜しむ人への挨拶 歌意あなたとお別れして、因幡の国へ行きますが、その地にあるいなばの山の峰に生える松のようにあなたが待っていると聞いたなら、今すぐにでも帰って来ましょう。因幡の山の峯に生えている「まつ」という名のように皆さんが私を待っていてくださると聞くならば一首のうちに二つの掛詞が用いられた技巧もこの種の挨拶の歌としては、いかにもふさわしいし、これから行く旅のさびしさをもこめていて、すぐれた離別歌として人々の心をひきつけたものと思われる。そして、技巧に流れようとするのを結句でひき...小倉百人一首16

  • 青春の旅・・・ 10

    青春の旅・・・ 10

    10〇世間にて“足は裸足で、胸ははだけ私は世間の人々と交わる服はぼろぼろで埃まみれでも私はつねに至福に満ちている自分の寿命を延ばす魔術など用いないいまや、私の目の前で樹々は息を吹き返す*****ひとりのブッダが一周まわって来たときには必ず彼は世間の中にいるそれが誰もが出発するところでありそれが誰もが終わるべきところでもあるそれが第十句だ世間の人々と交わるというこのことは誰もが神聖であることのひとつの大いなる認識、了解だそれならば、もうヒマラヤへ行く必要などどこにもない僧院の隔絶の中に自分を隠す必要などどこにもない自分自身を孤立させておく必要などどこにもない人々と交わるということが何百万というさまざまな形で、<神>と交わることなのだ“足は裸足で、胸ははだけ私は世間の人々と交わる”長寿というのは。依然として死...青春の旅・・・10

  • 老子道徳経 81

    老子道徳経 81

    第八十一章顕質(質朴を顕す)信言は美ならず、美言は信ならず。善者は弁ぜず、弁者は善ならず。知る者は博からず、博き者は知らず。聖人は積まず。既に以て人の為にして己愈(おのれいよ)いよ有り。既に以て人に与えて己愈いよ多し。天の道は利して害せず。聖人の道は為(な)して争わず。この章は、天の道は、万物に対して、利することがあって、損を与えることがないが、その、天の道を、常に行っている聖人は、信言については如何に対処しているか。善ということ、知るということ、蓄えるということについては、いかに対処しているかということを明らかにするものである。老子八十一章を通じて、道について説いている言葉は、老子が、信言としているところであるが、世人の憧れるような、美言をもって述べることはできなかった。また、道を行う善人は、世人の憧れ...老子道徳経81

  • 老子道徳経 80

    老子道徳経 80

    第八十章独立(国は独立して民は移ることがない)国を小とし民を寡とす。民をして什伯(じゅうはく)有らしむ。人の器にして而も用いざれば、民をして死を重んじ、而して遠く徒(うつ)らざらしむ。舟輿(しゅうよ)有りと雖も之を乗ずる所無し。甲兵有りと雖も之を陳(つら)ぬる所無し。民をして結縄に復して之を用いしむ。其の食を甘(うま)しとし、其の服を美とす。其の居に安んじ、其の俗を楽しむ。隣国相望みて鶏狗(けいく)の声相聞こゆ。民、老死に至るまで相往来せず。この章は、小国で少数の人民よりいない所こそ道が行なわれ易いのであって、人民の幸福には、勝れた人も、便利な器物も、美食も、美肌も必要としないものであることを説く。自然の状態において、最も道に近いのは赤子である。赤子が誰にも愛されているのは、人は道に近いものを愛するという...老子道徳経80

  • 老子道徳経 79

    老子道徳経 79

    第七十九章任契(契を司る者に任す)大なる怨みに和(むく)うは必ず余怨有り。安んぞ以て善と為すべけんや。是を以て、聖人は左契を執りて人を責めず。有徳は契を司り、無徳は徹を司る。天道は親しみ無し、常に善人に与(くみ)す。過酷な政治を行って民の怨を受け、その怨をやわらげようとして、税を軽くしたり、税の取りたてをゆるめたりしても、怨は消えるものではないのである。一度重い税をかけられ、激しく取り立てられると、民は食う物や着る物までが足りなくなって、飢えや寒さに苦しみ、親子兄弟が共に暮らすことができず、はなればなれになるものさえ生ずるからである。以上のようなわけであるから、聖人は約束をしたことを引合すための左契を取るが、債権者の持つべき右契は持たないのである。これは、催促をして、人からものを取り立てるということを忠実...老子道徳経79

  • 青春の旅・・・ 9

    青春の旅・・・ 9

    9もしあなたが本当に涅槃を遂げていたらあなたは世間に帰って来るだろうもうそこには何の恐れもないからだもうあなたはどこにもいられるいまや、地獄でさえ天国であり暗闇でさえ光でありそして、死でさえも生なのだもう、何ものもあなたを迷わせることができないあなたの達成はトータルだ完璧だ究極だハスの花でいなさい!〇根源への帰還“根源に還るためにあまりにも多くのステップが踏まれすぎたはじめから盲でつんぼだったほうがよかったのに!自分の真の住み家にいて外のことにかわりなし__川は穏やかに流れゆき花は赤く色づいている*****“あまりにも多くのステップが踏まれすぎた・・・・・”実際のところそんなにたくさんのステップを踏む必要などひとつもなかったしかし、これはあなたが第九の地点に来てはじめて認識されることだ<家>に帰り着こうと...青春の旅・・・9

  • 老子道徳経 78

    老子道徳経 78

    第七十八章任信(信に任すことのできる言(ことば))天下の柔弱は水に過ぐるは莫し。而して堅強を攻むる者の之に能く勝れるもの莫し。其の以て能く之より易きは無し。弱の強に勝ち柔の剛に勝つは、天下知らざること莫(な)く、能く行なうこと莫し。故に聖人云く、国の垢を受くる、是を社稷(しゃしょく)の主と謂う。国の不祥を受くる、是を天下の王と謂うと。正言は反するが若し。水は他の物を脆弱にしたり、崩壊させたりすることとができるのであるが、水と同じように、他の物を脆弱にしたり、崩壊させたりすることのできるものは、他にはないのである。柔弱が、常に剛強に勝つということは、柔弱はいつも急がず、あせらずに、剛強の分子と融合し、分解し、或は、結合してその剛強性をゆるめ、或は、崩壊させる作用をするのである。老子が、柔は剛に勝つ、というこ...老子道徳経78

  • 老子道徳経 77

    老子道徳経 77

    第七十七章天道(天道は弓を張るがごとし)天の道は其れ猶(なお)弓を張るがごときか。高き者は之を抑え、下き者は之を挙ぐ。余り有る者は之を損じ、足らざる者は之に与う。天の道は余り有るを損じて足らざるを補う。人の道は則ち然らず。足らざるを損じて以て余り有るに奉ず。敦(たれ)か能く余り有るを以て天下に奉ぜん。唯(ひと)り、有道の者な是を以て聖人は為して恃まず、功成りて処(お)らず、其の賢を見わさんことを欲せず。天の道は、弓を張るときに、高い所を抑えて低くなし、低い所を挙げて高くするように、総ての高き者は抑えるように、低き者は挙げるように、また、有余あるものはそれを減じて、足りない者に補ってやるように、平均させるように働くものである。然るに、人のやることは、これと反対であって、足りない者の方を減損させて、有り余って...老子道徳経77

  • 老子道徳経 76

    老子道徳経 76

    第七十六章戒強(強を戒める)人の生くることは柔弱なればなり。其の死することは堅強なればなり。万物草木の生ずることは柔脆なればなり。其の死することは枯槁(ここう)なればなり。故に、堅強なる者は死の徒にして、柔弱なる者は生の徒(ともがら)なり。是を以て、兵強ければ勝たず。木強ければ共にす。強大なるは下に処り、柔弱なるは上に処る。人の生れたときは全身柔軟であって、骨さえ柔らかである。心のかたくなのところがなくて、自由に変えることができる。泣いていても、直ぐ笑うようになるし、おこっていても、直ぐにこにこと、機嫌をよくすることができるのである。しかし、人は生長し、年を取るに従って柔軟さがなくなって、身体が硬くなり、死ねば身体は全く固くなって、手足を曲げることも難しくなってしまうのである。また、心に潤いとか、自由さと...老子道徳経76

  • 青春の旅・・・ 7・8

    青春の旅・・・ 7・8

    7〇牛の超越“牛にまたがって私はわが家にたどり着く私は穏やかだ牛も休むことができる夜明けが至福の休息のうちに訪れた私の草屋の中で私は鞭も手綱も捨ててしまった”*****<心>によって組み立てられた、でっち上げられた解答でも経典から借りてきた解答でもなくあなたの実存から湧き上がる花開く、咲き誇るあなたの全面的な<天命>を顕在状態にもたらすあなたを完全に覚醒させる、そうした<解答>__それはひとつの<実現>になるだろう<解答>ではなくひとつの<実現><解答>ではなくひとつの<啓示><解答>ではなくひとつの<体験>それも実存的な__これこそ十牛の物語のすべてだその<探索>は実存的なものなのだ禅は最もストレートな道だそれはまっすぐ標的に向かって行くけっしてあっちへ行ったりこっちへ行ったりしないけっしてめぐりめぐっ...青春の旅・・・7・8

  • 老子道徳経 75

    老子道徳経 75

    第七十五章貪損(たんそん)(貪(そこな)れば損う)民の飢するは、其の上の税を食むことの多きを以てなり。是を以て飢(いいうえ)す。民の治め難きは、其の上の為すこと有るを以てなり。是を以て治め難し。人の死を軽んずるは、其の生を求むることの厚きを以てなり。是を以て死を軽んず。夫れ唯り生を以て為すこと無き者は、是れ生を貴ぶに賢れり。上に立っている為政者は、民の租税を以て仕事をなし、生活をしているものである。もし、上に立つ者が名利の念に駆られて、大きな事業を起こしたり、豪奢な暮しをしたりすれば、必ず重税を取り立てることになり、そのために、民は自分の食料にもこと欠くようになり、飢えに苦しむ者が多く生ずるようになるのである。地位を得、或は富を得れば、その生活を豊かにし、生を全うすることができると思ってやっていることが、...老子道徳経75

  • 老子道徳経 74

    老子道徳経 74

    第七十四章制惑(惑いを制すべきところ)民、死を畏れずんば、奈何ぞ死を以て之を懼(おど)さん。若し民をして常に死を畏れしめ、而して奇りを為す者は吾執らえて之を殺すことを得ば、敦(たれ)か敢えてせん。常に司殺する者有り。夫れ司殺する者に代わる、是を大匠に代わりて斲(けず)ると謂う。夫れ大匠に代わりて斲るは、其の手を傷つけざること有ること希なり。民が死を畏れないならば、死刑という重罰を以て嚇かしてもききめはないであろう。民が死を畏れないようになるのは、重税を課せられたり、職業上に種々の煩わしい禁令を出されたり、絶えず強盗や騒擾が人民を悩ましていて、この世に生きる喜びも楽しみもないと思うからである。第二十七章に、聖人は常に善く人を救う。故に棄人なし。常に善く物を救う。故に棄者なし。不善人は善人の資なり。その資を愛...老子道徳経74

  • 老子道徳経 73

    老子道徳経 73

    第七十三章任為(天は人の為すところに任す)敢に勇なれば則ち殺す。不敢(ふかん)に勇なれば則ち活く。此の両つの者、或いは利し或いは害す。天の悪(にく)む所、敦(たれ)か其の故を知らん。是を以て、聖人は猶これを難(はばか)るがごとし。天の道は、争わずして善く勝つ。言わずして善く応ず。召かずして自ずから来る。繟然(せんぜん)として善く謀(はか)る。天網は恢恢として、疎といえども失わず。敢えてするに勇となることは、生を生ずるの厚きことであって、第五十章に述べてあるように、死の徒となることである。これに反して、敢えてせざるに勇なる者は、善く生を摂する者であるから、生の徒であり、其の死地無き者であり、常に活路を開いているものである。天地自然の道は、古来から今日に至るまで、少しも変らないものである。人間は、自然に背き、...老子道徳経73

  • 青春の旅・・・ 5・6

    青春の旅・・・ 5・6

    5宗教とは何かの信条の探索じゃない宗教とはまさに自分の実存の基盤そのものを知ろうとするまさに自分の存在の岩盤そのものに触れようとする努力だその自分の存在の岩盤の体験がわれわれが<真実>という言葉を使うときの意味なのだそれは実存的なものだそれはひとつの<体験>なのだ〇牛を手なづける“鞭と手綱は必要ださもないと彼はどこかの泥んこ道へそれかねないよく手なづけられれば彼も自然におとなしくなるそうなれば、つながれなくても彼は主人に従う”6〇牛に乗ってわが家に帰る牛に乗ってゆっくりと私はわが家に向かって帰る私の横笛の音は夜のしじまに響きわたる手拍子で脈打つハーモニーをうたい私は無限のリズムを取るこの調べを聞いた者は誰でも仲間にはいるだろう”*****“鞭”は覚醒のシンボルだそして“手綱”は内なる統制のシンボルだ覚醒と...青春の旅・・・5・6

  • 青春の旅・・・ 4

    青春の旅・・・ 4

    4〇牛を捕まえる“大変な苦闘の末私は彼を取り押さえる彼の偉大な意志と力は無尽蔵だ雲海のかなたの高原に突進しあるいは不可侵の峡谷に立つ”集中というのは意識の狭隘化だ集中された心はほかのすべてに対してごくごく無感覚になるそれに対して、瞑想とは起っている一切に醒めることどんな選択もなくただ無選択に醒めていること__“私は鶯の歌を聞く太陽は暖かく、風はやさしく岸辺の柳は青々としているここに牛の隠れる余地はない!”これほどまでの感受性のもとではどうして牛が隠れられよう?牛が隠れられるのはあなたが一つの方向に集中している場合だあなたがどの方向にも集中していないときただあらゆる方向に開いているときどうして牛が隠れられる?ビューティフルな経文だもうそこには牛の隠れる余地はないなぜならば、隅から隅まであなたの意識に落ちこぼ...青春の旅・・・4

  • 老子道徳経 72

    老子道徳経 72

    第七十二章愛己(己を愛する)民、威(そこ)なわるることを畏れざれば大威至る。其の居る所を狭むること無かれ其の生くる所を厭(しいた)ぐること無かれ。夫れ唯り厭げず。是を以て厭わず是を以て、聖人は自ら知りて自ら見わさず。自ら愛して自ら貴しとせず。故に、彼を去てて此を取る。聖人は、自分の身を何よりも大切にしているのであるが、第七章に、聖人は、其の身を後にして身先んじ、其の身を外にして身存ずとあり、第十三章には、身を以て天下をおさむることを愛すれば、乃ち以て天下を託すべしとあるように、人の望むような地位や、権勢には少しも執着心をもたないようにして、天から附与せられたことは厭うことなく、固く守るべきである。それが、道に適うことであるからである。威を畏れざれば、の威は、天命のことを指す。其の居る所を狭しとすること無く...老子道徳経72

  • 老子道徳経 71

    老子道徳経 71

    第七十一章知病(強知の病)知りて、知らずというは上なり。知らずして、知るというは病なり。夫唯(ただひと)り病を病む。是を以て病まず。聖人の病まざることは、其の病を病むを以て、是を以て病まず。知らないことを、知っているように言ったり、知っているように装ったりすることの多いのは、古から今日に至るまで変らないようであるが、これは、自分を物識だと思われたいたいとか、知らないと恥だとか、知らないと軽視されるとか、何れも強い競争心から起こっていることである。しかし、このことは、人を欺き、自分をも欺くことであって、いつかは偽がわかり、信用を失うことになるのは免れ難いことである。誰でも悪いことだと知りながら、知らないことを知っているように装うのであるから、これは万人に共通にある、心の病とも言うべきものである。以上に述べた...老子道徳経71

ブログリーダー」を活用して、ふーさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ふーさん
ブログタイトル
不思議活性
フォロー
不思議活性

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用