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藤田昌志の比較文化 https://fujita.muragon.com/

和・洋・中を比較文化学的に考察する。比較文化学については拙著(2018)『比較文化学』朋友書店刊 をご覧ください。自文化と異文化を両方、理解し、自己を相対化することを目指しています。たとえば「日本の中国観」などを通時的、共時的に扱います。

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2021/08/26

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  • 犬養毅 1855年6月4日〈安政2年4月20日〉― 1932年〈昭和7年〉5月15日)

    犬養毅 (1855年6月4日〈安政2年4月20日〉― 1932年〈昭和7年〉5月15日) 阿部眞之助(2015)pp.225-253 内容要約 犬養はもと犬飼と言った。木堂によって犬養と改めた。漢学の素養がある彼の文字感が「飼」の字を忌ましめたのであろう(p....

  • 大隈重信 (1838年 3月11日〈和暦:天保9年2月16日〉- 1922年〈大正11年〉1月10日)

    大隈重信 (1838年 3月11日(和暦:天保9年2月16日)- 1922年(大正11年)1月10日)  阿部眞之助(2015)pp.133-161   内容要約 大隈の屋敷には食客が絶えず、少なくとも二三十、多ければ四五十人がゴロゴロしていた。その中には五代友厚もい...

  • 伊藤博文 (1878-1909)

    伊藤博文 (1878-1909) 阿部眞之(2015)pp.101-129      伊藤博文は、木戸ほどではないが、相当の大頭であった。下級武士にすら属しておらず、長州の農村の百姓の子としてこの世に生を受けた(pp.102-103)。 明治の末期、伊藤博文と大隈重信は一...

  • 山縣有朋 (1878-1922)

                          山 縣 有 朋 今回から、人物評伝など、特にトピックを決めず、心に響いたものの内容要約とノートとなります。乞うご期待! 山縣有朋 (1878-1922)         阿部眞之助(2015)『近代政治家評伝』文春学藝ラ...

  • 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』終章 pp.258-266

    近代化によって失われたものは何か? 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』終章 pp.258-266 内容要約 漱石は漢文調の表現が使えなくなり、言文一致体を採用することと並行して「人間が収まるべきところに収まる」という漢文が伝統的に持っている世界観も作品...

  • 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』于言法: pp.238-253

    北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』于言法: pp.238-253 内容要約 迂言法とは短い語句で言えることを、わざと複数の言葉を使い、いいかえる修辞法のことで、たとえば「トイレに行く」ことを「小用を足す」とか「お通じがある」などと表現するものである(p.240)...

  • 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「さらす」: 視点 pp.209-233

    恥 を さ ら す 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「さらす」: 視点 pp.209-233 内容要約 『門』という小説は、お米の苦悶する姿をくり返し描き出し、正確に言えば、物語の彼女の苦悶する身体を描き、内面を描かない(p.212)。病床で...

  • 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「訳す」:翻訳調 pp.194-205

    森 田 思 軒 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「訳す」:翻訳調 pp.194-205 内容要約 明治の文学者、斎藤緑雨は江戸文学の素養を武器に、スタートしたばかりの明治文学を痛烈に批判した...

  • 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「とどめをさす」: 隠喩pp.173-190

    北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「とどめをさす」: 隠喩 pp.173-190 内容要約 漱石の小説は知識人の男がよく出てくるが知識人の女は出てこない(p.174)。 隠喩は認識である。隠喩が長くなると諷喩になる。諷喩を利用しているジャンルが箴言というスタイル...

  • 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「歩く」:描写 pp.151-170

    ロビンソンクルーソー 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』「歩く」:描写 pp.151-170 内容要約 漱石はダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を批判している。一貫した視点・解釈及びそれにもとづく修辞的工夫がないと...

  • 漱石と美文

    水底の感 水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、永く住まん、君と我。 黒髮の、長き亂れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢ならぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。 うれし水底。清き吾等に、譏り遠く憂透らず。有耶無耶の心ゆらぎて、愛の影ほの見ゆ。 ――明治三十七年二月...

  • 漢文学と英文学 漱石の選択

    漢文学と英文学 漱石の選択 北川扶生子(2020)「こだわる」 pp.79―91 内容要約 ダーウィンの進化論は生物の進化論であり、理系の世界の話であったが、ハーバード・スペンサーはそれを文科系にも援用して文化の一方向の進化を唱えた。社会進化論である。文学も西洋文学...

  • 明治40年代の漢文の状況

    高 山 樗 牛 (1897年 (明 治30))「支那文学の価値」 明治40年代の漢文の状況 北川扶喜子(2020)pp.37-58  「ねじふせる」 要約 漱石の『虞美人草』が書かれたのは1907年、明治40年のことで、それは「自分で結婚...

  • 言文一致体の成立 明治20年(1888)―明治40年(1908)

    言文一致体の成立 明治20年(1888)―明治40年(1908) 北川扶生子(2020)序章 内容要約 漢文調(p.18)は荘重で、公的、権威的文体である。漱石は『虞美人草』で男を手玉に取り利で利用しようとする藤尾を「正義」でさばいたが、その描写は漢文調によるもので...

  • 蛤御門の変前後 1863年―1864年

    蛤御門(はまぐりごもん) 蛤御門の変前後 1863年―1864年 1863年8月18日、公武合体派のクーデターで朝議一変し(8月18日の政変)、失脚した長州系志士は落首、流言で京の治安を乱そうとした。新撰組がそれを取り締まる。勤王志士が翌1864年6月20日前...

  • 松平容保(かたもり)について

    松平容保(かたもり)について 京都の秋の名物行事、「京都の古本市」は11月に以前は、金戒光明寺で行われていた。その近くに聖護院八つ橋があり、元祖と本家でどちらが古いか醜く争ったのは記憶に新しい。金戒光明寺は、幕末、会津藩の本陣があり、松平容保がいた時期がある。京都守護職...

  • 北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』ボケる pp.124-148 『吾輩は猫である』について

    北川扶生子(2020)『漱石文体見本帳』ボケる pp.124-148 『吾輩は猫である』について 内容要約 ・『吾輩は猫である』(以下、『猫』と省略する。)は天下泰平の駄弁。どこにもたどり着かない言葉の洪水。これがこの小説の魅力である(p.125...

  • 柄谷行人 漱石論 『虞美人草』 柄谷(2017)pp.366-372

    柄谷行人 漱石論『虞美人草』柄谷(2017)pp.366-372  ・『虞美人草』 は1907年、明治40年に朝日新聞に連載された。東京帝大講師をやめて、朝日新聞に入社した漱石の最初の仕事である。この時、漱石は初めて作家としての自覚を持った(pp.366-36...

  • 漱石 『虞美人草』内容 登場人物 ノート

          ヒロイン 藤尾を思わせる三越百貨店のポ スター 北川扶生子(2020)p.38  漱石 『虞美人草』あらすじ 登場人物 ノート あらすじ Wikipedia 閲覧 甲野藤尾(こうのふじお)は虚栄心の強い美貌の女性。...

  • 柄谷行人 漱石論 「それから」 内容 ✙ ノート

    柄谷行人 漱石論 「それから」 内容 ✙ ノート 柄谷行人(2017)pp.347-349 内容    「それから」は明治42年、朝日新聞に連載された。「それから」は「三四郎」のそれからである。 「門」は「それから」のそれからで、これら三作品を三部...

  • 日本の自然主義について

    自然主義について 漱石が『吾輩は猫である』を書いた1905年、1906年は自然主義全盛期で、1906年から1909年が自然主義の時代であると文学史上はされている。元来、フランスの科学主義としての自然主義が日本に移入された時は、遺伝と宿命という科学を中心とした主義で...

  • おめでたいアメリカ幻想 朝ドラ カムカムエブリバディ 終了

    どこまでもついて行きます アメリカ命 千切れんばかりにしっぽ振る ポチ日本よ どこへ行く 背中(せな)で泣いてる 唐獅子牡丹 ああ 高倉健が なつかしい てめえら人間じゃねえ たたっ斬ってやる 犬HKを ぶっつぶせ ! おめでたいアメリカ幻想 朝ドラ カムカム...

  • 漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 十一 + ノート

    漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 十一 + ノート あらすじ 十一 「床の間の前に碁盤を中に据えて迷亭君と独仙君が対坐している。~」 床の間の前で迷亭と独仙が碁を打っている。寒月と東風が相並んで、そのそばに主人が座っている。...

  • 漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 九、十 + ノート

    漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 九、十 + ノート あらすじ 九 主人のあばた面の話。主人はあばたが目立たないように長髪にし、いつも鏡であばたが目立たないように気を付けている。加々美はうぬぼれの醸造器あると同時に自慢の消毒器である。 女中のお...

  • 漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 七、八 + ノート

    漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 七、八 + ノート あらすじ 七 吾輩は最近、運動を始めた。新式運動には蟷螂(かまきり)狩り、蝉(せみ)取り、松滑り、最後に垣巡りがある。服装についての吾輩の考えを述べた。裸体画は誤りである。 薬湯、鉄砲など...

  • 漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 五、六 + ノート

    漱石(1905-1906)『吾輩は猫である』 あらすじ 五、六 + ノート あらすじ 五 「二十四時間の出来事を洩れなく書いて、洩れなく読むには少なくとも二十四時間かかるだろう。いくら写生文を鼓吹する吾輩でもこれは到底猫の企て及ぶべからざる芸当と...

  • 漱石(1905)『吾輩は猫である』 あらすじ三、四 + ノート

    漱石(1905)『吾輩は猫である』あらすじ 三、四 + ノート あらすじ 三 「三毛猫は死ぬ。黒は相手にならず、いささか寂寞の感はあるが、幸い人間に知己ができたのでさほど退屈とも思わぬ。~」 主人はジャム好きで、たくさんジャムをなめる。 ...

  • 漱石(1905)『吾輩は猫である』 あらすじ一、二 + ノート

    漱石(1905)『吾輩は猫である』一、二 あらすじ + ノート 一 あらすじ 「吾輩は猫である。名前はまだ無い。~」 いくら放り出しても台所へあがってくる野良猫は主人の許可で置いてもらうこととなった。中学校教師の主人はわがままで、主人が猫を水...

  • 柄谷行人 「草枕」について 内容要約 ✙ ノート

    柄谷行人 「草枕」について 内容要約 ✙ ノート (平成17)『草枕』新潮文庫 pp.213-220 内容要約 ・「草枕」は明治38年「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を書いた後の翌年、書かれた漱石の作品である。明治38年は、...

  • 江藤淳「漱石の文学」 内容要約 + ノート

    江藤淳「漱石の文学」 内容要約 + ノート 江藤淳「漱石の文学」(平成17)『草枕』 新潮文庫 pp.200-212 内容要約    ・漱石文学の核に潜んでいるのは、寄席趣味に象徴される江戸的な感受性である(p.202)。漱石の生家と養家いずれも...

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