多井畑厄除八幡宮のすぐそば、本来なら海岸付近に生息するウバメガシの広がる大きな枝の傘の下、猿田彦神社に2024年最初の参拝。
多井畑厄除八幡宮のすぐそば、本来なら海岸付近に生息するウバメガシの広がる大きな枝の傘の下、猿田彦神社に2024年最初の参拝。
🔷時系列でメモ代わりにダラダラとクリップしていきます
8世紀後半から伊蘇志臣/いそしのおみが拠点としていた地に立つ式内の大社。祭神は須佐之男命、宝塚随一の古社で、兵庫スサノオ四社のひとつ
行者山などが連なる山脈の端に位置し祭神は大山祇尊、境内にある恵比寿神社社殿は元清荒神清澄寺にて三宝大荒神が祀られていた社殿、見事な天保年間<1831-1845年>の作。
樹齢600年のさざんか、花の時期に遅かったのだがその雄姿を見たくて立ち寄ってみた。
法道仙人千日の行法の地、葛野庄/かどののしょうの総氏神、主祭神は神武天皇の父、咩咩草葺不合尊/ウガヤフキアヘズノミコト
牛馬の守護神舟城の天王さん、そして身を護る不思議の4文字サムハラの御神札授与とある。神仏習合の名残りたっぷり
兵主神社/ひょうずじんじゃ、は日本に19社ある兵庫/つわものぐらの鎮守、奈良時代、天平18年/746年の創建。疱瘡の守護神として広く知られる。
1960年以降埋め立て以前は大鳥居周辺は砂浜であり、文字通り「海の神社」であった。伊和神社・粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。
直良信夫の発掘調査により縄文時代の前期(約5,500年前)の土器が出土し、さらに旧石器時代(約12,000年前)のナイフ形石器も出土。近畿地方を代表する縄文遺跡である。
紫陽花と紅葉が有名な真言宗の寺院、最も美しい楼門と言われる雄姿、その先に見える紅葉参道が圧巻だ、立ち寄らないわけにはいかない。
古くは神功皇后、そして八幡太郎義家、そして4代将軍 徳川家綱ゆかりのこの地、かつては船寺という寺があったことからその鎮守としての始まりだった
一本の木を見る、というより会いに行く。群生の木花も見ものだが、ここ数年は一対一に面白みを感じている。南あわじ市の八木のしだれ梅、色合い、枝ぶりと実に見事だった。
箕面勝尾寺参拝のあと、車を北へ豊能町方面だ、戦国の武将、キリシタンであり利休七哲の一人でもある高山右近の故郷を見てみたい。
勝尾寺では「勝つ」とは他者を打ち負かすことではなく「自分と向き合い、自分の弱い心に打ち勝つ」という意味
箕面大滝の見事な美観に酔いしれたあとは一目千本、中千本と西側の山手を歩いた。滝道の混雑とは違い出会った方は数名だった。
瀧安寺のすぐ横の紅葉橋から、箕面大滝までを記録する。途中五月山への分岐、勝尾寺への参道と好奇心が騒いだ。
日本最初にして最古の弁財天と言われる。この日も芸能関係と思われる人が参拝されていた。宝くじ発祥の地というのも興味深い
みのお聖天 西江寺を出て滝に向かって歩く。道々の建物や風景を楽しみながら
今年の<2023年>紅葉狩りの締めくくりに、箕面公園で丸一日過ごすことにした。見どころたっぷりで、本当に楽しい一日だった。
法道仙人開基、そして弘法大師修行の地。後に秀吉の三木攻めにて焼失、鬼にまつわる祭「鬼踊り」など金剛寺とよく似た歴史を持つ。江戸時代に再建された本堂は美しい。
12月3日<2023>紅葉で有名な場所、三木市金剛寺に行ってみた。庭園を眺めることができる素敵な客間に入らせていただいて、展示物と景観を独り占めすることができた。
この日は丹波紅葉三山と言われるその艶姿をたっぷりと見せていただいた。伽藍や美しいイトサクラの写真は春の折の記録を。
岩戸に隠れたアマテラスを救出する際、上半身を裸で踊り、八百万の神々を沸かせた神。その伝説から石見神楽のルーツとされ芸能を司る神として信仰されている。そんな天宇受売命が単独で祀られる佐地神社に立ち寄った。
常瀧寺の大公孫樹登山道から見えた衝撃的な紅葉の場所へ勘を頼りに行ってみた。鳥居の前には鹿柵があり開錠施錠が必要となる。
イチョウは植えると、孫の代に実をつけるので公孫樹と書く。生きる化石とも言われる生命力の塊、樹齢1300年の大イチョウを見る。花言葉は長寿。
数年前にも時すでに遅しと落胆したが、二度目のこの日もすでに落葉してしまっていた。気分を変えての散策は、苔むした全山の様子と最深部の山際の石仏たちをしっかりと記録した。
5月<2023>に訪れて、その美的感覚に優れた場面の数々に、まさにここは桃源郷とタイトルにした。紅葉は少々タイミングを外したが期待通りの構図。このポストは紅葉に特化したものとする
今年の5月に新緑と花々を満喫した花の楽園 播州清水寺、11月26日に紅葉狩りに出かけてみた。記録は紅葉のシーンに特化したものとした。
光明寺、歴史深き名所の中にあって随所に魅せる美的景観にはため息ばかり、生まれて初めて見たマムシグサの果実にも驚かされた。
2011年正月に参拝して以来2度目の参拝になる。今回は境内社や神秘的な場所などもたっぷりと記録することができた。
火の魂と書いて火魂神社/かこん--、そしてそこにあるムクノキは樹齢600年/県下2位と言われるようだ。そして関西道の駅第一号「はが」に立ち寄ってみた。
紅葉にはまだ早いだろうと思いつつ、宍粟市の秘境を巡ってみることにした。途中猪の親子と遭遇引き返す場面も...
粟鹿神社の近くのスポット・リサーチで偶然に見つけた浄丸神社、水の清らかさは彦根の芹川に負けていないし、神秘性ではこちらの稲土川に軍配が上がる。
出石神社と並び但馬国一の宮、大国主命の子、阿米弥佐利命が主祭神で創建は古く紀元前。圧倒的な存在感の600年前の勅使門、また「栗鹿神社の七不思議」も興味深い
いくつもの大胆な由来が存在する高取山、主祭神は鹿島神宮の武甕槌尊/タケミカツチノミコト、配祀神として伊勢神宮外宮の豊受姫命/トヨウケヒメノミコト、ここでは稲荷大神となっている。 解放感と神秘の奥の宮エリアも興味深い
妙見信仰、御岳信仰、そして石切さんも。日蓮宗の題目碑に圧倒的な数の稲荷信仰、そしてそこは山を愛する人たちの聖地
かつて80もの貴重な仏像に感動した達身寺、この日は寺の外観と隣接する清住コスモス園をたっぷりと楽んだ。
五色の彼岸花という情報を得て一路、加古川へ。アットホームなムード、そこは小さな花の楽園だった。
厳かでいて、美的な萩の存在感が好きだ、須磨妙法寺に萩の寺とある、気持ちい天気の元で数か所のポイントと合わせて歩いてみた
箱根より西では唯一といわれる国の重要文化財の能舞台を見たくて、ところが修復中で...がしかし、無防備なその姿もなかなか味わい深いものだった。あと絵馬堂の見事な絵ときたら。
赤い鳥居がトンネルのように続く長い石段の写真に手が止まり、調べてみるとそのネーミングにあるまけきらいってのにも心を動かされた。伝説では、お抱え力士が負けてばかりの青山の殿さまをお助けしようと、稲荷たちが相撲取りになりすまし江戸にのぼり連戦連勝した_ 実に
須磨霊泉~平重衡囚われの松跡~村上帝社~元宮長田神社~菅の井~松風村雨堂|神戸市須磨
須磨寺の南側の史跡をのんびりと歩いて巡ってみた。おだやかな街並み、心地よい散歩だったな
忠孝という言葉でまず先に浮かぶ人物だ、おこがましいが私のヒーローの一人でもある。
16年前のこの日はコスモスと蕎麦の花が目的で小野市に行ったのだが、地図に国宝 浄土寺とあるのに気が付き紙のMAPで調べて訪れた。この時以来浄土寺には何度となく足を運ぶこととなった。偶然にも16年前とわずか2日違いの今日、晴天の中、伽藍を巡って写真を新しくした。
須磨にある綱敷天満宮と同じ伝承を持つ神社だ。社殿では聖徳太子の名も見ることができる。
古代より須磨は畿内と西国をつなぐ交通と軍事の要衝として地政学上重要視された場所。いまだ特定できていない須磨の関、候補の一つ関守稲荷神社に行ってみた。関の守護神として、まつられたのは間違いなさそうだ
須磨浦公園、幾度となく前を通り過ぎてきた源平史跡、初めてゆっくりと歩いてみた。
国道2号線沿いの須磨浦通6丁目当たりのコインパーキングに停めて西へ、この日は一ノ谷をたっぷりと歩いてみた。歩く目線は旅の醍醐味、路地の一輪の花も見逃さない
仁王門の浜側に並ぶ塔頭とネパール大審査復興祈念堂 祈りの回廊・亜細亜万神殿に向かった。見どころがたっぷりとある大本山須磨寺、すっかりファンになってしまった。
石段を左右に昇りつつ、時折見える須磨の海、自然林のパワーと色鮮やかな幟で洗練された十三佛巡りと七福神巡りを楽しみ (学び) ながら、足腰の鍛錬にもちょうどよい参拝距離。やはり須磨寺奥の院でも神秘的な何かをしっかりと感じ取ることができた。
須磨のど真ん中、源平ゆかりの広大な敷地に、実にたくさんの心のより所がある。また過去の事案から今現在のネット社会の諸問題までにも目を向ける姿勢は心強く感じた。
武庫川の源流が流れ出す山間、西暦645年法道仙人により開創の天台宗寺院。7月17日に行った三田市母子の天狗岩稲荷神社の記録時に知った場所だ。龍蔵寺は檀家の無い修行道場で、敷地内の随所に掲げてある確信を突く言葉に頭が完全にジャックされてしまった。
篠山市、国道176号線のすぐそばにある日本一のモミの木に会いに行ってきた。モミの花言葉は高尚、時間、永遠 ⊳花言葉由来
大好きな須磨海岸の真正面、真北に位置する綱敷天満宮。私にとってなじみ深いこの場所は菅原道真が大宰府に向かう途中立ち寄った場所だった。
妙法寺、須磨区の地名ともなるほどの歴史深く、行基に清盛の息のかかった場所でもある。
光源氏が侘び住まいをした場所と言われ、そのことから源氏寺、源光寺などと呼ばれていた。芭蕉に子規の句碑など素敵なポイントがいくつもあって大興奮だった
最強の厄除け神社と検索して出会った場所は、なんと我が町神戸市にあった。奈良時代/770年に、疫病を鎮める儀式をした場所が今も現役で、ここにはってある水にひな形を浮かべると厄や災いを除け、穢れを祓えるという。
役行者や神々は山々を自由に飛び回ったと伝えられているが、巨大な石に乗って飛び回っていたとも聞いたことがある。誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていない巨大な石造物、日本三奇のひとつ石の宝殿・生石神社へ
空海が開き、法然が再興、そして境内には高砂の歴史が色濃く残る。特筆すべきは建築物と黒松の圧倒的な存在感。しばし立ち止まり見とれてしまった。
武蔵の弟子であり養子の宮本伊織が1653年に改築した全社殿、寄贈の三十六歌仙図絵馬、灯篭がある。起源は天岩戸の話に関連した出来事が伝承されている。
初代明石藩主の小笠原忠政、後の忠真が創建した能舞台、そして播磨灘はすぐ目の前。何度も何度も足を運びたくなる、そんな場所だった。
巨岩が頭の上に覆いかぶさり、恐怖の念におそわれます_ と解説板にある神秘的かつ恐ろしい磐座がある天狗岩稲荷神社へ。そこは三田市の最北端母子。
小さな山門から幽玄な石段に導かれ、開放的な境内へと登りゆく。そこでは遠くの山並みが実に美しい眺めだった。
宝塚の波豆八幡神社に行った折、石造鳥居の解説板で県下一古い石造鳥居のある三田市藍本の酒垂神社も波豆石で構造形式も同じだとのことを知った。⊳波豆八幡神社の記録
創建は神功皇后元年/201年と言われる古社、古代では南に突き出した岬、美しい海岸を持つ西国街道の要所であった。その海岸は昭和初期に埋め立てされてしまった。
平安時代より由緒ある場所、上豊富地域の総社だった島田神社は平成21年の修復工事によって500年前の姿に蘇った。福知山市内で最古の木造建築である。
室町時代の留学僧である愚中周及/ぐちゅう しゅうきゅうが開山。栄華を極めている京都五山へ対抗し厳格な禅風を守り、中国様式色濃く残す臨済宗妙心寺派の禅宗寺院である。福知山十景に選ばれている。
車でのアプローチ、スロープの途中のゲートを自分で開けて入る。そして帰るときにまた閉めておく。少し不安を感じたが紫陽花は実に見事だった。特に仁王門から左右の紫陽花の間をを縫って登る石段は素晴らしい参道だ。地元のNPOが育てるまさに穴場。
花は小さな仏さま、そう書かれた入山券が気に入っている。関西花の寺第一番札所。花浄土とも言われる境内の仏たちとあじさいを満喫した。究極の癒し、そんな数時間だった。
僅か3年3か月、未完の都、恭仁京あとを訪れた。平城京の大極殿が恭仁宮へ移築、そのあと難波宮、近江紫香楽宮、そして再度平城京と目まぐるしく都は変わっていったが大極殿はそのままこの地に残され天平18年/746年山城国分寺の金堂となって生まれ変わった。
岩船寺で紫陽花を満喫したあと、山門の西にある石段を登り、かつては岩船寺鎮守、今は岩船地区の氏神、重要文化財の白山神社と春日神社へ。そして当尾石仏の里ウォーキングのいくつかのポイントを巡ってみた。
京都府の南端、奈良県境に近い当尾/とうのの里、多くの石仏や石塔があることで有名な場所にあじさいを観にでかけた。関西花の寺 第十五番 岩船寺。
第53代淳和天皇の第四妃(後の如意尼)が空海の力を借りて開いた真言宗御室派の別格本山。秘仏如意輪観音像は空海が山頂の巨大な桜の木を妃の体の大きさに刻んで作った。
暴れ川として知られた武庫川の本流・支流域に分布している素戔嗚神社、中でも高司のそれは江戸時代初期の建立の本殿、二つの相殿がある。
かつては物部氏の拠点でもあったこのあたり、中山寺にかけて重要な古墳が点在、売布神社からも銅鐸が出土した。祭神 下照姫神(高比売神)そして配祀神 天稚彦神の夫婦神
源満政が天延元年/973年に創建したといわれる波豆八幡神社、そしてここは後の源氏の八幡信仰の発祥地、そして聖地となる。見事な本殿は国の重要文化財
さまざまな興味深い伝説や史実がある鷲林寺は、歴史ロマン溢れる場所だ。山号は六甲山
古歌・謡曲に「高砂の尾上云々」とうたわれた名所、神功皇后が三韓征伐の際に住吉大明神を勧請したことが起源とされている。能の人気作「高砂」にも詠まれた尾上の松(相生の松)がある。
聖徳太子開基伝承をもつ寺院、国宝の本堂と大師堂は素晴らしい。穏やかな日差しの中、心休まる数時間、宝物館では太古のロマンにどっぷりと酔いしれた。
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ここはまさに穴場、桃源郷とも言える美空間。どの場所からもその手の掛け方、侘び寂びが見て取れた。また私一人のためにわざわざ本堂前までリーフレットを持って来てくださり、ごゆっくりと言っていただいた。実に気持ちのいい方だったな。
日本各地で見られる御陵神社、その祭神は様々だ。今日は三田市貴志の御陵神社、国の重要文化財に指定された本殿を見る。
天稚比古命が大国主の娘の下照姫命(高比売神)との恋に溺れ悲劇の結末を迎える伝説がある。その下照姫命を主祭神とし、天稚比古命を配祀する神社だ。
創建はインドの僧・法道仙人、山号は御嶽山、本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所第25番札所であり二つの本堂が見事な天台宗の広大な山寺だ。
新丹波七福神の寺の一つとして福禄寿が祀られる桂谷寺、山号は照月山、宗派は天台宗。花の寺としても人気のようだ。
慶雲2年/705年法道仙人により開基、円仁が中興の祖。本尊は天竺から伝えられたと言う薬師瑠璃光如来(秘仏)。明智光秀による焼き討ちに合うまでは九十三坊を擁し栄華を極めた白毫寺、九尺藤の季節に足を運んだ。
真紅の霧島つつじが一の宮神社の境内を埋め尽くす様というキャッチフレーズを見て即計画した。静かな境内は実に瑞々しく素敵な場所だった。
戦国時代の面影が色濃く残る境内全域が国の史跡となっている。荒ぶる木々の見事な枝ぶり、威圧感たっぷりの本殿はまるで城のようだ。
天平3年/731年に行基が昆陽池を造成するのと並行して貧民救済を目的とした「昆陽施院」が寺の始まり。また過去に信長の焼き討ち、阪神大震災での苦難から逞しく復興している
境内の7本の杉が県指定の天然記念物、最長の夫婦大杉は樹齢1000年を優に超える桁違いのスケールに圧倒された。
由緒を読む限り、時代時代において一線級の場所であったことがよくわかる。まさに要塞のような山寺だったのではと想像した。
丹波紅葉三山の一つとして有名な圓通寺だがこの春、一本のイトザクラを観るために行くことにした。
ことのほか一本桜というものに強く惹かれる。数年前に圧倒された岐阜の薄墨桜の感動が私をそのように仕上げてくれたような気がする。樽見の大桜、県下最大のエドヒガン桜、樹齢は千年超え
日本古来の原種のヤブツバキ、樹齢は不詳だがその大きさから千年椿と呼ばれている。一帯は丹後天橋立大江山国定公園のエリアだ。
周囲は宝塚にあって川西の飛び地にある満願寺、聖武天皇の勅願によって勝道上人が創建して以来、それぞれの時代時代のヒーローたちに重要視されてきた寺院。高野山真言宗、本尊は開眼阿弥陀如来/めあきのあみだにょらい
樹齢300年を超えるエドヒガン桜の見事な枝ぶりと、丁寧に手をかけておられる境内をゆっくりと楽しませていただいた。
美女丸と幸寿丸の悲しくもはかない物語を今に残す寺、そしてそっと見守るかのように頼光四天王の筆頭である渡辺綱の御廟が境内を見渡せる場所にある。
明治に入り神社に移行した多田院/多田神社と区別するため地元では「たぶとじんじゃ」と呼ばれている。wikiより
源満仲をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公を祀る、清和源氏の聖地だ
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多井畑厄除八幡宮のすぐそば、本来なら海岸付近に生息するウバメガシの広がる大きな枝の傘の下、猿田彦神社に2024年最初の参拝。
🔷時系列でメモ代わりにダラダラとクリップしていきます
8世紀後半から伊蘇志臣/いそしのおみが拠点としていた地に立つ式内の大社。祭神は須佐之男命、宝塚随一の古社で、兵庫スサノオ四社のひとつ
行者山などが連なる山脈の端に位置し祭神は大山祇尊、境内にある恵比寿神社社殿は元清荒神清澄寺にて三宝大荒神が祀られていた社殿、見事な天保年間<1831-1845年>の作。
樹齢600年のさざんか、花の時期に遅かったのだがその雄姿を見たくて立ち寄ってみた。
法道仙人千日の行法の地、葛野庄/かどののしょうの総氏神、主祭神は神武天皇の父、咩咩草葺不合尊/ウガヤフキアヘズノミコト
牛馬の守護神舟城の天王さん、そして身を護る不思議の4文字サムハラの御神札授与とある。神仏習合の名残りたっぷり
兵主神社/ひょうずじんじゃ、は日本に19社ある兵庫/つわものぐらの鎮守、奈良時代、天平18年/746年の創建。疱瘡の守護神として広く知られる。
1960年以降埋め立て以前は大鳥居周辺は砂浜であり、文字通り「海の神社」であった。伊和神社・粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。
直良信夫の発掘調査により縄文時代の前期(約5,500年前)の土器が出土し、さらに旧石器時代(約12,000年前)のナイフ形石器も出土。近畿地方を代表する縄文遺跡である。
紫陽花と紅葉が有名な真言宗の寺院、最も美しい楼門と言われる雄姿、その先に見える紅葉参道が圧巻だ、立ち寄らないわけにはいかない。
古くは神功皇后、そして八幡太郎義家、そして4代将軍 徳川家綱ゆかりのこの地、かつては船寺という寺があったことからその鎮守としての始まりだった
一本の木を見る、というより会いに行く。群生の木花も見ものだが、ここ数年は一対一に面白みを感じている。南あわじ市の八木のしだれ梅、色合い、枝ぶりと実に見事だった。
箕面勝尾寺参拝のあと、車を北へ豊能町方面だ、戦国の武将、キリシタンであり利休七哲の一人でもある高山右近の故郷を見てみたい。
勝尾寺では「勝つ」とは他者を打ち負かすことではなく「自分と向き合い、自分の弱い心に打ち勝つ」という意味
箕面大滝の見事な美観に酔いしれたあとは一目千本、中千本と西側の山手を歩いた。滝道の混雑とは違い出会った方は数名だった。
瀧安寺のすぐ横の紅葉橋から、箕面大滝までを記録する。途中五月山への分岐、勝尾寺への参道と好奇心が騒いだ。
日本最初にして最古の弁財天と言われる。この日も芸能関係と思われる人が参拝されていた。宝くじ発祥の地というのも興味深い
みのお聖天 西江寺を出て滝に向かって歩く。道々の建物や風景を楽しみながら
今年の<2023年>紅葉狩りの締めくくりに、箕面公園で丸一日過ごすことにした。見どころたっぷりで、本当に楽しい一日だった。
丹波紅葉三山の一つとして有名な圓通寺だがこの春、一本のイトザクラを観るために行くことにした。
ことのほか一本桜というものに強く惹かれる。数年前に圧倒された岐阜の薄墨桜の感動が私をそのように仕上げてくれたような気がする。樽見の大桜、県下最大のエドヒガン桜、樹齢は千年超え
日本古来の原種のヤブツバキ、樹齢は不詳だがその大きさから千年椿と呼ばれている。一帯は丹後天橋立大江山国定公園のエリアだ。
周囲は宝塚にあって川西の飛び地にある満願寺、聖武天皇の勅願によって勝道上人が創建して以来、それぞれの時代時代のヒーローたちに重要視されてきた寺院。高野山真言宗、本尊は開眼阿弥陀如来/めあきのあみだにょらい
樹齢300年を超えるエドヒガン桜の見事な枝ぶりと、丁寧に手をかけておられる境内をゆっくりと楽しませていただいた。
美女丸と幸寿丸の悲しくもはかない物語を今に残す寺、そしてそっと見守るかのように頼光四天王の筆頭である渡辺綱の御廟が境内を見渡せる場所にある。
明治に入り神社に移行した多田院/多田神社と区別するため地元では「たぶとじんじゃ」と呼ばれている。wikiより
源満仲をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公を祀る、清和源氏の聖地だ
三木市吉川町に国指定重要文化財の本殿がある2社を訪ねた
『如意寺旧記』によれば、大化元年/645年 法道仙人が多聞天の教化により当山に櫨/はぜの木に刻んだ地蔵菩薩と毘沙門天を祀ったのが起源とされる天台宗寺院
🔷長田神社廣田神社・生田神社とともに神功皇后以来の歴史を持つ名社、祭神は事代主大神、かつては境内には数百の鶏が飼われており、外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていたそうだ。
鎌倉時代の本殿と、10年毎に能楽を奉納する舞殿、三田市の大川瀬住吉神社に2023年正月に
和気清麻呂公開基、称徳天皇の勅願寺にして弘法大師大願成就のお寺が再度公園に隣接してある。この日は厳寒の折、ご住職は境内に私一人にもかかわらず黙々と火を燃やし続けてくれた。
かつての生田神社の神域領内で供米/くまい地だった熊内/くもち、滝寺と呼ばれる滝勝寺の鎮守として寺伝によれば文武天皇の時代に役小角が建立したという。
多数の磐座群、境内外より弥生土器や石斧、石剣など種々の遺物が出土したこと、社頭の灯明台の神火は「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯...保久良神社の社記によると、神功皇后が三韓征伐から帰られた後、広田・長田・生田神社を祭った後、保久良に宝物を収めたとされてい
浄土寺の国宝阿弥陀如来像が有名だが。街中の庶民の信仰場所を覗いてみた
現地の案内板に創建年代について人皇十代とも養老6年/722年ともとある。古書は焼失したとのことだが人皇十代といえば紀元前の話、定かではないが崇神天皇のころになる。
記録を書き始めるにあたって、HPを読んだが、その情熱の塊のような内容に驚くと同時に、私に何かできないだろうかとも思わせるものがあった。
江戸時代寛文年間に行われた出雲大社本殿造営に際して当社の神木妙見杉を部材に提供した御礼として、出雲大社から譲られたという三重塔、寛文5年/1665年3月に移建された。三重塔、本殿、拝殿の3棟が国の重要文化財に指定されている。 近世以前は但馬妙見と呼ばれ、妙見(北
799年/延暦18年4月9日、布引の滝の大洪水で崩れかけた場所から、村人の刀祢七太夫が御神体を背負い、7,8日ご鎮座地を探しめぐっていると、突然御神体が重くなったため「これは御神意であろう」と安置したという。その場所が今の生田の杜である。