淡路国二宮にして、かつて天皇が畏れた荒ぶる神が祀られている。倭大国魂神は大国主神と同神とする説、大和国の地主神とする説などがある。奈良県天理市の大和神社の分祀とされている。
今年の<2023年>紅葉狩りの締めくくりに、箕面公園で丸一日過ごすことにした。見どころたっぷりで、本当に楽しい一日だった。
法道仙人開基、そして弘法大師修行の地。後に秀吉の三木攻めにて焼失、鬼にまつわる祭「鬼踊り」など金剛寺とよく似た歴史を持つ。江戸時代に再建された本堂は美しい。
12月3日<2023>紅葉で有名な場所、三木市金剛寺に行ってみた。庭園を眺めることができる素敵な客間に入らせていただいて、展示物と景観を独り占めすることができた。
この日は丹波紅葉三山と言われるその艶姿をたっぷりと見せていただいた。伽藍や美しいイトサクラの写真は春の折の記録を。
岩戸に隠れたアマテラスを救出する際、上半身を裸で踊り、八百万の神々を沸かせた神。その伝説から石見神楽のルーツとされ芸能を司る神として信仰されている。そんな天宇受売命が単独で祀られる佐地神社に立ち寄った。
常瀧寺の大公孫樹登山道から見えた衝撃的な紅葉の場所へ勘を頼りに行ってみた。鳥居の前には鹿柵があり開錠施錠が必要となる。
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淡路国二宮にして、かつて天皇が畏れた荒ぶる神が祀られている。倭大国魂神は大国主神と同神とする説、大和国の地主神とする説などがある。奈良県天理市の大和神社の分祀とされている。
岩屋神社より分霊を受け六柱の神を祀ったのが創始であると推定されている。伊和志津神社<宝塚>水堂須佐男神社<尼崎>高砂神社<高砂>と合わせて兵庫スサノオ四社とされる。
江戸時代の平和な時期、農村にまで広がった芸能を今に残す貴重な場所。すぐ近くの下谷上農村歌舞伎舞台と合わせて行ってみた
国の重要文化財の農村歌舞伎舞台、1840年/天保11年再建の棟札があり、大きさ設備も全国的にみても比類ないもの。そして今も現役なのだ
当初は六甲山地のひとつの丹生山にあり、山田全体の鎮守だった。丹生山と言えば清盛が福原遷都の際に比叡山になぞらえて日吉山王権現を勧請した場所だ。
🔷時系列でメモ代わりにダラダラとクリップしていきます
日本の古代史を紐解いていくと何度もぶち当たる秦氏、神戸市北区の八多町もかつて秦氏の居住区だったのではとの説がある。物部守屋が創建したとされる八多神社を中心にいくつかの歴史ある神社が点在する。
境内のほぼ全域が弥生後期の水堂古墳と呼ばれる前方後円墳に立つ神社。狛犬は室町時代作、兵庫スサノオ4社のひとつ。2024年正月、2日に参拝した
2024年の桜とコバノミツバツツジ、この上なく感動的なタイミングで見ることができた。今も何度も思い出す幸せな一日だったな
藤の開花時期と合わせて開園され、藤まつりが開催される。最長1m45㎝にもなる藤の花房、白・紫・ピンクなどの花が、谷風に揺らぐ、そして魔性の香り
多井畑厄除八幡宮のすぐそば、本来なら海岸付近に生息するウバメガシの広がる大きな枝の傘の下、猿田彦神社に2024年最初の参拝。
8世紀後半から伊蘇志臣/いそしのおみが拠点としていた地に立つ式内の大社。祭神は須佐之男命、宝塚随一の古社で、兵庫スサノオ四社のひとつ
行者山などが連なる山脈の端に位置し祭神は大山祇尊、境内にある恵比寿神社社殿は元清荒神清澄寺にて三宝大荒神が祀られていた社殿、見事な天保年間<1831-1845年>の作。
樹齢600年のさざんか、花の時期に遅かったのだがその雄姿を見たくて立ち寄ってみた。
法道仙人千日の行法の地、葛野庄/かどののしょうの総氏神、主祭神は神武天皇の父、咩咩草葺不合尊/ウガヤフキアヘズノミコト
牛馬の守護神舟城の天王さん、そして身を護る不思議の4文字サムハラの御神札授与とある。神仏習合の名残りたっぷり
兵主神社/ひょうずじんじゃ、は日本に19社ある兵庫/つわものぐらの鎮守、奈良時代、天平18年/746年の創建。疱瘡の守護神として広く知られる。
1960年以降埋め立て以前は大鳥居周辺は砂浜であり、文字通り「海の神社」であった。伊和神社・粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。
直良信夫の発掘調査により縄文時代の前期(約5,500年前)の土器が出土し、さらに旧石器時代(約12,000年前)のナイフ形石器も出土。近畿地方を代表する縄文遺跡である。
紫陽花と紅葉が有名な真言宗の寺院、最も美しい楼門と言われる雄姿、その先に見える紅葉参道が圧巻だ、立ち寄らないわけにはいかない。
創建はインドの僧・法道仙人、山号は御嶽山、本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所第25番札所であり二つの本堂が見事な天台宗の広大な山寺だ。
新丹波七福神の寺の一つとして福禄寿が祀られる桂谷寺、山号は照月山、宗派は天台宗。花の寺としても人気のようだ。
慶雲2年/705年法道仙人により開基、円仁が中興の祖。本尊は天竺から伝えられたと言う薬師瑠璃光如来(秘仏)。明智光秀による焼き討ちに合うまでは九十三坊を擁し栄華を極めた白毫寺、九尺藤の季節に足を運んだ。
真紅の霧島つつじが一の宮神社の境内を埋め尽くす様というキャッチフレーズを見て即計画した。静かな境内は実に瑞々しく素敵な場所だった。
戦国時代の面影が色濃く残る境内全域が国の史跡となっている。荒ぶる木々の見事な枝ぶり、威圧感たっぷりの本殿はまるで城のようだ。
天平3年/731年に行基が昆陽池を造成するのと並行して貧民救済を目的とした「昆陽施院」が寺の始まり。また過去に信長の焼き討ち、阪神大震災での苦難から逞しく復興している
境内の7本の杉が県指定の天然記念物、最長の夫婦大杉は樹齢1000年を優に超える桁違いのスケールに圧倒された。
由緒を読む限り、時代時代において一線級の場所であったことがよくわかる。まさに要塞のような山寺だったのではと想像した。
丹波紅葉三山の一つとして有名な圓通寺だがこの春、一本のイトザクラを観るために行くことにした。
ことのほか一本桜というものに強く惹かれる。数年前に圧倒された岐阜の薄墨桜の感動が私をそのように仕上げてくれたような気がする。樽見の大桜、県下最大のエドヒガン桜、樹齢は千年超え
日本古来の原種のヤブツバキ、樹齢は不詳だがその大きさから千年椿と呼ばれている。一帯は丹後天橋立大江山国定公園のエリアだ。
周囲は宝塚にあって川西の飛び地にある満願寺、聖武天皇の勅願によって勝道上人が創建して以来、それぞれの時代時代のヒーローたちに重要視されてきた寺院。高野山真言宗、本尊は開眼阿弥陀如来/めあきのあみだにょらい
樹齢300年を超えるエドヒガン桜の見事な枝ぶりと、丁寧に手をかけておられる境内をゆっくりと楽しませていただいた。
美女丸と幸寿丸の悲しくもはかない物語を今に残す寺、そしてそっと見守るかのように頼光四天王の筆頭である渡辺綱の御廟が境内を見渡せる場所にある。
明治に入り神社に移行した多田院/多田神社と区別するため地元では「たぶとじんじゃ」と呼ばれている。wikiより
源満仲をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公を祀る、清和源氏の聖地だ
三木市吉川町に国指定重要文化財の本殿がある2社を訪ねた
『如意寺旧記』によれば、大化元年/645年 法道仙人が多聞天の教化により当山に櫨/はぜの木に刻んだ地蔵菩薩と毘沙門天を祀ったのが起源とされる天台宗寺院
🔷長田神社廣田神社・生田神社とともに神功皇后以来の歴史を持つ名社、祭神は事代主大神、かつては境内には数百の鶏が飼われており、外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていたそうだ。
鎌倉時代の本殿と、10年毎に能楽を奉納する舞殿、三田市の大川瀬住吉神社に2023年正月に