神功皇后の凱旋の折、大己貴命を祀り創建された。能・謡曲の高砂の舞台の一つ。境内には三代目相生の松、五代目の相生の松をはじめ野生的な枝ぶりの松が点在、そして圧巻なのは樹齢千年を超えるいぶきだ。
2024年5月
神功皇后の凱旋の折、大己貴命を祀り創建された。能・謡曲の高砂の舞台の一つ。境内には三代目相生の松、五代目の相生の松をはじめ野生的な枝ぶりの松が点在、そして圧巻なのは樹齢千年を超えるいぶきだ。
淡路国二宮にして、かつて天皇が畏れた荒ぶる神が祀られている。倭大国魂神は大国主神と同神とする説、大和国の地主神とする説などがある。奈良県天理市の大和神社の分祀とされている。
岩屋神社より分霊を受け六柱の神を祀ったのが創始であると推定されている。伊和志津神社<宝塚>水堂須佐男神社<尼崎>高砂神社<高砂>と合わせて兵庫スサノオ四社とされる。
江戸時代の平和な時期、農村にまで広がった芸能を今に残す貴重な場所。すぐ近くの下谷上農村歌舞伎舞台と合わせて行ってみた
国の重要文化財の農村歌舞伎舞台、1840年/天保11年再建の棟札があり、大きさ設備も全国的にみても比類ないもの。そして今も現役なのだ
当初は六甲山地のひとつの丹生山にあり、山田全体の鎮守だった。丹生山と言えば清盛が福原遷都の際に比叡山になぞらえて日吉山王権現を勧請した場所だ。
🔷時系列でメモ代わりにダラダラとクリップしていきます
日本の古代史を紐解いていくと何度もぶち当たる秦氏、神戸市北区の八多町もかつて秦氏の居住区だったのではとの説がある。物部守屋が創建したとされる八多神社を中心にいくつかの歴史ある神社が点在する。
水堂須佐男神社 古墳と万葉の花の宮 兵庫スサノオ四社|尼崎市
境内のほぼ全域が弥生後期の水堂古墳と呼ばれる前方後円墳に立つ神社。狛犬は室町時代作、兵庫スサノオ4社のひとつ。2024年正月、2日に参拝した
2024年の桜とコバノミツバツツジ、この上なく感動的なタイミングで見ることができた。今も何度も思い出す幸せな一日だったな
2024年5月
「ブログリーダー」を活用して、神戸ストリームさんをフォローしませんか?
神功皇后の凱旋の折、大己貴命を祀り創建された。能・謡曲の高砂の舞台の一つ。境内には三代目相生の松、五代目の相生の松をはじめ野生的な枝ぶりの松が点在、そして圧巻なのは樹齢千年を超えるいぶきだ。
淡路国二宮にして、かつて天皇が畏れた荒ぶる神が祀られている。倭大国魂神は大国主神と同神とする説、大和国の地主神とする説などがある。奈良県天理市の大和神社の分祀とされている。
岩屋神社より分霊を受け六柱の神を祀ったのが創始であると推定されている。伊和志津神社<宝塚>水堂須佐男神社<尼崎>高砂神社<高砂>と合わせて兵庫スサノオ四社とされる。
江戸時代の平和な時期、農村にまで広がった芸能を今に残す貴重な場所。すぐ近くの下谷上農村歌舞伎舞台と合わせて行ってみた
国の重要文化財の農村歌舞伎舞台、1840年/天保11年再建の棟札があり、大きさ設備も全国的にみても比類ないもの。そして今も現役なのだ
当初は六甲山地のひとつの丹生山にあり、山田全体の鎮守だった。丹生山と言えば清盛が福原遷都の際に比叡山になぞらえて日吉山王権現を勧請した場所だ。
🔷時系列でメモ代わりにダラダラとクリップしていきます
日本の古代史を紐解いていくと何度もぶち当たる秦氏、神戸市北区の八多町もかつて秦氏の居住区だったのではとの説がある。物部守屋が創建したとされる八多神社を中心にいくつかの歴史ある神社が点在する。
境内のほぼ全域が弥生後期の水堂古墳と呼ばれる前方後円墳に立つ神社。狛犬は室町時代作、兵庫スサノオ4社のひとつ。2024年正月、2日に参拝した
2024年の桜とコバノミツバツツジ、この上なく感動的なタイミングで見ることができた。今も何度も思い出す幸せな一日だったな
藤の開花時期と合わせて開園され、藤まつりが開催される。最長1m45㎝にもなる藤の花房、白・紫・ピンクなどの花が、谷風に揺らぐ、そして魔性の香り
多井畑厄除八幡宮のすぐそば、本来なら海岸付近に生息するウバメガシの広がる大きな枝の傘の下、猿田彦神社に2024年最初の参拝。
8世紀後半から伊蘇志臣/いそしのおみが拠点としていた地に立つ式内の大社。祭神は須佐之男命、宝塚随一の古社で、兵庫スサノオ四社のひとつ
行者山などが連なる山脈の端に位置し祭神は大山祇尊、境内にある恵比寿神社社殿は元清荒神清澄寺にて三宝大荒神が祀られていた社殿、見事な天保年間<1831-1845年>の作。
樹齢600年のさざんか、花の時期に遅かったのだがその雄姿を見たくて立ち寄ってみた。
法道仙人千日の行法の地、葛野庄/かどののしょうの総氏神、主祭神は神武天皇の父、咩咩草葺不合尊/ウガヤフキアヘズノミコト
牛馬の守護神舟城の天王さん、そして身を護る不思議の4文字サムハラの御神札授与とある。神仏習合の名残りたっぷり
兵主神社/ひょうずじんじゃ、は日本に19社ある兵庫/つわものぐらの鎮守、奈良時代、天平18年/746年の創建。疱瘡の守護神として広く知られる。
1960年以降埋め立て以前は大鳥居周辺は砂浜であり、文字通り「海の神社」であった。伊和神社・粒坐天照神社とともに播磨三大社とされる。
直良信夫の発掘調査により縄文時代の前期(約5,500年前)の土器が出土し、さらに旧石器時代(約12,000年前)のナイフ形石器も出土。近畿地方を代表する縄文遺跡である。
さまざまな興味深い伝説や史実がある鷲林寺は、歴史ロマン溢れる場所だ。山号は六甲山
古歌・謡曲に「高砂の尾上云々」とうたわれた名所、神功皇后が三韓征伐の際に住吉大明神を勧請したことが起源とされている。能の人気作「高砂」にも詠まれた尾上の松(相生の松)がある。
聖徳太子開基伝承をもつ寺院、国宝の本堂と大師堂は素晴らしい。穏やかな日差しの中、心休まる数時間、宝物館では太古のロマンにどっぷりと酔いしれた。
リンク追加など修正とお知らせNotification of link addition and other corrections2015年の記録をチェック修正していますChecking and correcting the 2015 recordVérification et correction du dossier 20152015년 기록 확인 확인检查和更正2015年的记录🔹裏ワザ!
ここはまさに穴場、桃源郷とも言える美空間。どの場所からもその手の掛け方、侘び寂びが見て取れた。また私一人のためにわざわざ本堂前までリーフレットを持って来てくださり、ごゆっくりと言っていただいた。実に気持ちのいい方だったな。
日本各地で見られる御陵神社、その祭神は様々だ。今日は三田市貴志の御陵神社、国の重要文化財に指定された本殿を見る。
天稚比古命が大国主の娘の下照姫命(高比売神)との恋に溺れ悲劇の結末を迎える伝説がある。その下照姫命を主祭神とし、天稚比古命を配祀する神社だ。
創建はインドの僧・法道仙人、山号は御嶽山、本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所第25番札所であり二つの本堂が見事な天台宗の広大な山寺だ。
新丹波七福神の寺の一つとして福禄寿が祀られる桂谷寺、山号は照月山、宗派は天台宗。花の寺としても人気のようだ。
慶雲2年/705年法道仙人により開基、円仁が中興の祖。本尊は天竺から伝えられたと言う薬師瑠璃光如来(秘仏)。明智光秀による焼き討ちに合うまでは九十三坊を擁し栄華を極めた白毫寺、九尺藤の季節に足を運んだ。
真紅の霧島つつじが一の宮神社の境内を埋め尽くす様というキャッチフレーズを見て即計画した。静かな境内は実に瑞々しく素敵な場所だった。
戦国時代の面影が色濃く残る境内全域が国の史跡となっている。荒ぶる木々の見事な枝ぶり、威圧感たっぷりの本殿はまるで城のようだ。
天平3年/731年に行基が昆陽池を造成するのと並行して貧民救済を目的とした「昆陽施院」が寺の始まり。また過去に信長の焼き討ち、阪神大震災での苦難から逞しく復興している
境内の7本の杉が県指定の天然記念物、最長の夫婦大杉は樹齢1000年を優に超える桁違いのスケールに圧倒された。
由緒を読む限り、時代時代において一線級の場所であったことがよくわかる。まさに要塞のような山寺だったのではと想像した。
丹波紅葉三山の一つとして有名な圓通寺だがこの春、一本のイトザクラを観るために行くことにした。
ことのほか一本桜というものに強く惹かれる。数年前に圧倒された岐阜の薄墨桜の感動が私をそのように仕上げてくれたような気がする。樽見の大桜、県下最大のエドヒガン桜、樹齢は千年超え
日本古来の原種のヤブツバキ、樹齢は不詳だがその大きさから千年椿と呼ばれている。一帯は丹後天橋立大江山国定公園のエリアだ。
周囲は宝塚にあって川西の飛び地にある満願寺、聖武天皇の勅願によって勝道上人が創建して以来、それぞれの時代時代のヒーローたちに重要視されてきた寺院。高野山真言宗、本尊は開眼阿弥陀如来/めあきのあみだにょらい
樹齢300年を超えるエドヒガン桜の見事な枝ぶりと、丁寧に手をかけておられる境内をゆっくりと楽しませていただいた。