大好きな歴史、とニュースを中心に、楽しいお勉強を頑張ります。
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飛鳥時代・・・日本がまだ倭国と呼ばれていた645年。クーデター乙巳の変によって、時の最高権力者・蘇我入鹿が暗殺され、強大な権勢をふるっていた蘇我氏が滅亡。古代日本を大きく変える政治改革・大化の改新が始まります。そんな中、天皇を中心とした新たな国づくりを目指す
昭和の選択です。昭和16年12月8日、日本はアメリカ、イギリスを相手に開戦をしました。太平洋戦争です。日本はどうして大国と戦争を始めてしまったのでしょうか?そこには、ヒトラー率いるナチス・ドイツとの軍事同盟が大きく影を落としていました。日独伊三国同盟!!復刻・
1590年、豊臣秀吉は、小田原の北条氏を攻めました。天下統一の総仕上げとなった戦場・・・そこに苦楽を共にした一人の武将の姿がありませんでした。秀吉の弟・豊臣秀長です。兄が壮大な夢を叶えるのを見届けることなく、秀長はこの世を去りました。全一冊 豊臣秀長 ある補佐
今から400年前の日本に、260年もの長きにわたる平和を実現させた人物がいました。戦国乱世に終止符を打った英雄・徳川家康です。家康が築いた天下泰平の世・・・この奇跡は”パクス・トクガワーナ”・・・徳川の平和と呼ばれ、世界にも広く知られています。しかし、家康75年
およそ100年続いた下剋上の世に終止符を打ったのは、関ケ原の戦いでした。石田三成の西軍8万4000の軍勢と、徳川家康の東軍7万4000の軍勢が相まみえた天下分け目の合戦です。勝ったのは東軍・・・勝因は、西軍の4人の武将達による裏切りがありました。最も西軍に痛手を与え、
1221年、日本の歴史を大きく変えた争いが起こりました。承久の乱です。相対したのは、京の朝廷と、東国武士を束ねる鎌倉幕府でした。後鳥羽上皇が、幕府執権である北条義時追討の院宣を発したことで、その火ぶたが切って落とされました。この時、後鳥羽上皇は治天の君・・・
検証!200年前のロシア危機~露寇事件 松平定信3つの意見書~
1806年、蝦夷地と呼ばれていた北海道周辺の島々に、突然異国の船が姿を現しました。ロシアの軍艦です。ロシア船は、樺太や択捉島にあった幕府の出先を次々と襲撃、略奪や放火を続けました。いわゆる露寇事件です。ことの発端は、通商を求めてきたロシアの申し出を、幕府が無
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