当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
福岡の昨夜の中秋の名月は、満月も重なって大きく優しいひかりに満たされてそれは美しいものでした。熱い夏ももう終わり、これからは少しずつ冬に向かっての季節と移って行きます。厳しい夏の次には冬も厳しいという傾向もあるそうですから、今年は寒い冬か
昨日は、TOYOURA福岡ショールームにて第2回目のSwing By が開催されました。午前中は髭の美味しい珈琲の入れ方。昭和の喫茶店文化で供給されていたコーヒーと90年代に輸入されたエスプレッソベースのカフェスタイルは、根本
前回ご好評だったtoyouraショールームでのイベント。SWING BYの第二段が本日9月28日(木)開催です。午前は、珈琲のいれ方講座と数秘の活かし方ワンポイント。午後からは個人鑑定となります。皆様のご参加お待ちしております。JUGEMテ
さて、「住」ですがこれは専門分野ですから、書けばキリがないのですが、私は時代の流れを汲み取れば、より個性的に進んで良いのではないかなと思ったりします。今までの常識に囚われる必要は全くないと言っても良いのかもしれません。戦争とコロナは、社会
世のお母さんたちが、必ずしも晩御飯を作ってお家で待っているなどという時代はもう遠い昔だと思っても良いのではないでしょうか。少なくとも、自分が生きていくために何を食べるかは、人任せではいけません。自分に合った食事を想像することは大切だと思い
「食」に関しては、少々こだわりがあるのかもしれません。と言っても決して美食家というわけではありません。私の場合は、もう随分前から自分の食事は自分で作っているので、外食以外はベースとして自分なりの考えの食事ということになります。特に食事制限
衣食住の「衣」の部分は、今流の流行に疎い私には語る術がないのかもしれませんが、この歳になり結果的にいつも考えているのは、よりシンプルに、よりジャストサイズにということだけが残りました。元々小兵の私には、既成販売の服
不確実な世の中で、あらゆる価値観が緩み始めて、さてこれからどんな世の中が始まるのだろうかと浮遊感の中不安が募る感覚に苛まれながらも、なんとなくもがき続けている近年の感覚は、戦争やコロナが導き出している現実なのかもしれませんね。物価の高騰な
どういうことかというと、一見汎用性のある住まいの末路は、戦後みなさんが見てきた通りなんです。そんなに大切に住み継がれてきたでしょうか。ここが重要なポイントで、一見、誰でも住む事ができる汎用性は、言い方を変えれば誰にでも消費されるものから一
もしかすると、これまでのように、誰もが容易に自分の代の家族のためだけの住まいをローンを組んでまで容易に建てるということができなくなってくる時代が到来するのではないかとも思います。一代一代にそれぞれ新築を建て続けていれば、それは供給過多にな
そんな中で、先ほど述べた比較的安易な理由から始まる住まいづくりがなくなってきて、住まい手の思いのこもった住まいづくりができていけばいいなと思いますが、このコスト高の中で、その思いを具現化することはなかなか大変な状況になってきていますので、
住まいづくりをする動機というものには、子育て世代で賃貸では手狭であるとか、庭のある環境で育てたいとか、あるいは晩年に終の住処として妥協のない住環境を欲したりと、人それぞれだろうと思います。いずれにしても大変な投資ですから、みな
このところの建設単価の爆上がりは、決して歓迎できることではないし、これまでよりもかなり厳しい条件下で住まいづくりをしていかなければならない状況なので由々しき事態と言わざるを得ません。どうしても、全てを予算内で賄うという事が厳しいケースも出
まさに、気候は近年激変していく中で、国のおっとり刀の省エネ基準義務化が始まるのですが、その基準が仕方ないことですが、下限設定ですのでそのために起こりうるリスクについて最近頭の中をぐるぐる回って離れません。過去の記憶として、高気密高断熱住宅
国の省エネ政策としては十分に意味のある今回の性能義務化ですが、個々の住まいづくりにおいて、その認識を誤ると、夏のリスクに関して少し懸念が残るということは少しお分かりいただけたでしょうか。あくまで性能は下限設定であり、省エネへの寄与という意
冬のための断熱を基準として、この国の断熱基準などもこれまで決められてきた経緯がありますから、南に降るほど基準値が緩くて、例えば寒冷地より九州の方が断熱材を薄くしても良いというエリアマップの元に基準が定められているわけです。「断熱」とは「熱
長年、この国の「断熱」は、冬の寒さを凌ぐためのものでした。みなさんの感覚も防寒具を着る感覚に近い方も多いのではないかと思います。その「断熱」が今回初めて国の基準として加減が決められていく改正が行われます。省エネの観点から、建物の性能を上げ
ようやく、少し涼しく感じられる朝晩がやってきましたが、例年よりはまだまだ夏を引きずっているような気がします。これで一気に秋めいて肌寒くなるのかと思うとちょっと恐怖ですが、この夏の冷房は暮らしの必須アイテムとなってしまいましたね。エアコンが
数十年前の経験から、中途半端な気密断熱化は九州の場合、夏に外部の熱はじわじわ入れてしまう上に、外に逃げきれないという問題を起こしかねないので、要注意だということを書いてきました。今回の省エネ基準義務化は、まったく熱性能に関して何も考えずに
九州のこの数年の夏を考えると、酷暑に対する何らかの対策は必須で快適以前の生命の危険を意識するほどの暑さをどう凌いでいくかと言うことが近々の課題だと思うのです。かつて高気密高断熱住宅が南下して九州に入ってきた頃の話をしました。来年春から始ま
少しずつ、住まいの熱性能を上げていくことが緊急の課題であることは間違いありません。そして、来年からの義務化に関しても、その下限を決めるプロセスとしては歓迎して然るべきだと思います。ただ、一つだけ気になるのは、そのレベルがどういうものかとい
あまりにも急激に、私たちの周りの環境が変化していると思わないではいられない近年の状況を考えると。住まいのあり方もかなり柔軟かつ臨機応変に変えていかなければならない。夏が過ぎていく今、今年は暑かったねぇだけでは済まない気がしてなりません。四
朝晩の温度がだいぶ楽になってきました。まだ日中の暑さは否めませんが、いわゆる酷暑はゆきすぎて、秋を迎えようとしています。それにしても、あまりに暑い夏はこの数年毎回記録を更新し、天気予報も体温超えの予想気温を報じるようになりました。エアコン
心の底からくつろげる者同士、今までの概念ら少し外れても、家族と呼べる人たちで暮らすすますというものがあっても良いのかもしれません。行政や法律の方がまだまだなかなかついていけないのかもしれませんが、独居老人や単身世帯、シングルの子育て世代な
息の詰まる当たり前の家族と暮らすよりも、職場や趣味の合う仲間との共同生活に魅力を感じるというのはなんとも寂しい思いもしますが、今まで疑いもなく通り過ぎてきた部分で、コロナや戦争という社会情勢の不安定さも相まって、ひとつひとつ自分と向き合い
例えば、核家族的な4人家族がひとつ屋根の下で暮らしていても、かつてのようにダイニングテーブルに食事で全員集まるということが少し希薄になりました。食事を共にすることがあっても、それ以降はそれぞれの部屋でスマホでYouTubeをみたりゲームを
かつての大家族主義の家族は、生まれながらにしてその人の位置付けが自ずと決まっていて、家父長制度色恋なかでよく言えば、守られている。悪く言えばがんじがらめに縛られているイメージの中に個人があるという感じだったのかもしれません。戦後の高度成長
住まいづくりを35年以上続けてきて、これまで。基本的にはその住まいは複数の方のための住まいであることが基本でしたから、私はいわゆるご家族のための住まいを作ってきたことになります。独居の方の割合がどんどん増えていますから、社会情勢からすれば
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史