当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
実際の工事では、目の前に形がどんどん現れてきますし、具体化がどんどん進むので誰の目にもわかりやすいのですが、プロセスの中でひとつひとつを積み上げていく作業は、遅々として進まないようものがない分、寡黙で地味な作業の期間といえます。ただ、ここ
最近の社会情勢を鑑みると、日々手続き上の事務仕事は複雑化して手間ばかりが増えて、ともすると一体誰のためにこの仕事をしているのだろうかと思いたくなるほど、作業が住まい手の想いとはなかなか近づけない場面もしばしばあります。その上で、昨今の建設
住まい手ご家族のことを考えながら、あれやこれやと考えている時間ほど楽しいことはありません。ご家族が笑い合いながら、日々を送れるための空間を、どうやったら構築できるか、様々な要素を総合的に判断しながら組み上げていくことが一番好きなんだと思い
原点に立ち返れば、私はなぜ今住まいづくりをしているのかということになるのですが、そもそもものづくりが好きで、考えることが好きで、そのことで人様のお役に立ったり、そのことで褒めていただいたりやりがいを感じることが好きなんだと思います。我欲で
社会状況から、個人の住まいづくりをしていく環境が厳しさを増している昨今の状況から、40年近くにわたる自分の仕事を振り返り、一体今、自分は何をしていくべきなのかなぁと考えることが多いこの頃です。志や向かう姿勢は当初からほとんど変わっていない
この所の毎日のように続く酷暑を皮膚感覚で感じていると、これから創り出していかなければならない住まいというものは、まさにシェルターのような、私たちの生命を維持するための装置のような意味合いが出てくるのではないかなと思ったりします。温度を制御
かつては伝統工法でなぜ良かったかといえば、今とは違う気候風土があるとは思います。圧倒的に夏がまだ凌ぎやすかった。30℃を超える日などが稀だったとすれば、打ち水、風鈴で凌げたのかもしれません。冷房装置がなかった当時、室内を完全に隔離すること
要するに、伝統工法は日本の穏やかな風土の中で四季の移ろいをたくさん感じながら豊かに住むことには向いていたのですが、今となってはその工法はごく一部に限られています。それに取って代わって戦後進められて来たのは日米合作の木軸在来工法が普及して、
そもそもの日本の木造住宅は一年を通して四季を感じ、自然環境と共生していく理にかなったものとして歴史を重ね寝て来ました。ただ、私がいうそう言う伝統工法の木造住宅と、現在の戦後の軸在来の木造工法は全く別種のものです。木造を語る人でこの定義から
昨日の福岡市内の最高気温34℃、内陸部の久留米なんか37℃とすでに人間の体温ごえを示していました。明らかに、これまでとは誓ったフェーズに入ったという気がしてなりません。以前からお話ししているように、人間の身体は、本来の平熱に至るよりも少し
厳しい時代だからといって、夢のマイホームを諦めるなんてにわかには許容できません。コスト高は否めませんが、そこはなんとか知恵を使って、一捻りもふた捻りもした特殊解を導き出していきたいといつも思います。こんな状況になる以前にも、私はよく、住ま
極端に言えば、内外装の仕上げというものは、後々リノベーションで変えていくことが可能ですが、例えば窓の取り替えというものはなかなか後々は難しいものがあります。妥協してペアの複合サッシなどに落ち着かせるくらいなら、樹脂トリプルにしておくことが
優先順位を明確にして、優位なものから取捨選択していくことが鍵だと言いました。例えば地の利が優先なら小さい土地にミニマルな暮らしを想像するとか、広々暮らしたいとなれば少し郊外を選択するとか、想定の予算に住まいを当てはめていくためには、優先順
まず、土地の購入からという方は、途中から資金繰りに困られるケースが少なくないので、この数年の激変を考慮して、決してギリギリの予算立てで無理して土地を購入されないことをお勧めします。少しゆとりを持って、俗にいうランクを少し下げ気味に吟味した
かつてハウスメーカーがこぞって連呼した「夢のマイホーム」という言葉が常套句だった時代はすでに遠く、このわずかな数年のコスト爆上がりは、私たち庶民の夢を打ち砕くには十分なインパクトがあって、お仲間と意見交換ほすれば、ため息がついてくる日々が
私は住まいづくりをしていて、新しい時代のことを考えると、あらゆることの見直しと再構築、完全な個人レベルの選択と創造の起点に立っている気がしてなりません。家族の在り方もこれからは多様だし、性別、年齢、血脈、帰属のコミュニティー全てが自由にな
さて、風の時代といわれるようになって、社会基盤がなんだか盤石なものでもないと皆が気づき始めた。そして、一人一人が「で、あなたはどうするの?」と聞かれているのだけれど、ピンとこないままに流れている人も少なくないのではないでしょうか。コロナで
かつて土地に膠着し、代々その場所に住んで大家族主義を規範として生きることの多かった私たちの先祖たちは、その中に身を置くことに安堵して、身の安全や日々の糧を確保する手段を得ていたのかもしれません。一方、膠着化した自分のポジションに息苦しさを
私の家の郷里は父方は四国は愛媛県の半島の鄙びた漁村で、母方は山梨県の甲府ですから、子供の頃は海暮らしと山暮らしの両方を交互に楽しむような夏休みを送っていました。現在の拠点の福岡は、父の仕事の関係で根付いただけで、実はなんのゆかりもない土地
お盆になりますね。故郷に帰省されたり、お墓参りをしたり、ここ数年のコロナの制約がようやく緩んで、今年はそういうアクションを起こされる方も多いのではないでしょうか。時代は刻々と変化しますし、日々の生活の中では、そのリアルをやり過ごすだけて精
「ここは九州だから断熱はそこまでいらない」という当たり前のように語られる言葉は、完全に冬に焦点を当てた断熱のことだけを考えた時代にそぐわない言葉だということをよくよく理解してください。夏は九州ほど過酷です。断熱とは「熱」を「断つ」わけです
さまざまな立場の方達が住まいに携わっていますから、その一々を否定するつもりはありませんが、気候変動の加速に相反して、私たちを取り巻く省エネの意識や、快適を知り渇望するパワーは極めて弱いと言わざるを得ません。一人暮らしのお年寄りが宅内熱中症
建物の断熱性能を検討する場合、冬も夏も空調で室内温度を制御しようとした場合、近年の気候からするともはや夏の季節のほうが負荷が大きいと言うことは少し説明できたかもしれません。なんとなく、かつての気候を思い浮かべれば、打ち水、風鈴
近年の夏の厳しさを考えると、恐ろしいほどのスピードで気候変動は続いていて、例年記録更新をする最高気温は、体温超えという異常自体なのです。住まいの性能も、なんとなく冬目線で暖房効率に助力する程度のものから、外部と完全にシャツとアウトできるレ
厳しい夏の暑さが続いています。お年寄りの宅内熱中署による死亡事故が報じられていますが、加齢すると暑さへの反応も少し鈍りがちで知らず知らずのうちに時が経ってしまって、取り返しがつかなかい所まで言ってしまうということもあるそうですから、エアコ
今から思えば、H氏がお元気だった頃に、一度ふたりで蓮の花の開花の音を聞きに行けばよかったなぁと思いますが、時の流れ後悔しても変わりませんから、生きているうちに一度、その音に必ずや遭遇して、いつかあちらで再会したら、その話ができるようにして
晩年、H氏は何がきっかけだったのか、様々な植物に深く興味を持ち、日々研究者のようでした。独立をされた時もバオバブの木を会社のイメージロゴに採用するなど、その造詣の深さはことあるごとに発揮されていました。二人で歩いているとよく、植物の話にな
設計業界に立ち戻り、資格をとって独立開業したのは26歳の時でした。今から思えばただただ無鉄砲なだけで、なんの根拠もなく始めたので仕事なんかありませんでした。学生時代のオープンデスク制度の伝手でわずかばかりの下請け仕事をいただきながら始まり
私はもう40年も前に母校を卒業して、まずは京都の社寺建築専門の会社の設計部に入社しました。青臭い志だったかもしれませんが、どうせやるなら最高峰の仕事がしたいとその道を選んだのです。職人さんではなく設計部社員の採用でしたから、もちろんデスク
今、福岡城址のお濠の蓮が盛りを迎えています。先日、たまたま知人があげたインスタの記事を見てふと思い立ち移動中に立ち寄って少し眺めていたのですが、時間を忘れて見入ってしまうほどの美しい蓮の花はなんとも神々しく、昔から仏様ごとに常に引用される
社会体制や経済が乱気流のように不確実なものになってきて、えも言われぬ個人に感じる浮遊感の中で、これからこの街並みがどのように変わっていくのだろうかと思うことがあります。カオスがさらに極まりゆくのか、それとも個人が自意識に目覚め始めて独自の
「ブログリーダー」を活用して、建築YA髭さんをフォローしませんか?
当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史