当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
これから、なんちゃって高性能に惑わされないためにも、高性能とはあくまでベースだと言うお話をしました。少なくとも、お打ち合わせの中で、「これくらいでいい」「これ以上はいらない」と言うような表現をするプロがいたとしたら、その方のお話は少し眉に
穿った見方をすれば、言葉が形骸化していけば、今後は「大したことない高性能」とか、「言うほどでもない…」とか、「実は粗悪な…」というようなものがカオスのように現れてくると言うことです。25年ほど前に、一時的に高気
いつもよく言うことですが、しばしば言葉というものは軽々しく消費され、元からあった深い意味も、だんだん希薄になって、時間が過ぎればその後、形骸化していってしまう傾向は否めません。「高性能住宅」という言葉が連呼されるたびにその範疇は広がり、さ
前回の項で「快適」とはノンストレスであるということを書きました。要は室内の温度を快適領域に温存する性能であり、なおかつそのために消費するエネルギーも極限まで下げられた住宅を「高性能住宅」と定義することについてはあまり反論は出ないと思います
世の中に流布する住まいの情報は、今、エコ・省エネ・高性能という言葉が多用され、そういう言葉を見ない広告を見ないほどに消費者ニーズにそったマーケティング戦略が花盛りです。もちろん、皆さんが関心を寄せている分野がどんなものでも加熱するのは時代
諸外国が火力や原発よりも、再生可能エネルギーの方が安価な時代に入っているというのに、未だこの国のエネルギー事情は、20世紀ままだというのは信じられないことですが、要は既得権益を頑なに守ろうという勢力が衰えないシステムが元凶だと言わざるを得
さて、内と外という意味では、個性的な間取りやデザインという以外にも、内には断然、快適を担保した省エネ性能という事もあると思います。快適性とは、前回のお話でもそのことをお話ししてきましたように、すなわち日々ノンストレスであるという事です。良
住まいというものは住まい手の「巣」である以上、内部に関してはもっともっと住まい手のためだけにカスタマイズした個性的なもので良いというのが私の思いです。でなければフィット感に希薄さが残ります。むしろそうあらねばならないとさえ思います。お仕着
日本の住まい事情からすると、この公私の、言い換えれば内外の考え方が少し逆転してしまっているのではないかなと思うほどに違和感を感じてしまうことがあります。内部空間は、もっともっと個性的で良いはずですし、他と一律になる必要性はないのですが、み
住まいとは、極めてプライベートなものだと言うのが、常に私が言っていることです。ごくごく私的な空間は。個性的であるべきだし、無二のものであって当然だとずっと語ってきています。その考え方にブレはなく、やはり住まいとは、住まい手固有のものであっ
快適という言葉がお題目のように使われすぎて、住宅分野では何が何だかわからない状態ですが、本来住まいづくりの世界においては、そもそもの仕様が高性能で、冷暖房で無理やり沢山のエネルギーを使わなくても、基本が整っている空間にのみ成立するものが本
一口に「快適」と言っても、言葉を使われる方の認識や、表現がまちまちですので、受け取る側の感覚に沿わないこともありますから、注意が必要です。こと、住まいに関しては一時的な刺激となる快適には、時間を過ぎると裏返し不快になってしまうという副作用
快感として感じるものも、いわゆる刺激ですから、少し時間が経てばそれはストレスとして感じます。冷房が効いた部屋に入った瞬間には爽快感という快感を得られるのですが、低すぎる室温は体の熱をどんどん奪い、そのうち足元が冷えるという不快感につながり
前回の稿では「省エネ」の前に、大前提として果たして日本の住まいは「快適」か?というお話をしました。では「快適」とはどんな状態かというお話なのですが、まぁ反対の「不快」は理解できると思います。要するに、なんとなく気持ちが悪くてストレスなわけ
「何も足さない、何も引かない」というのは、確か1995年のウイスキーの広告のコビーでした。過不足なく混ざり気がないシンプルなことが一番美味しいんだという意味合いだと思いますが、何事もそうで、本来のものとは至ってシンプルなものだと思ったりし
さて、この項の最後です。先の国会の中で、2025年の省エネ基準義務化のことが決まりましたから、これからますます日本の住まいは省エネ一辺倒で大騒ぎになること間違いなしです。ただ、この見方について、注意深く考えなければならないのは、どこをベー
我慢を前提とした基準を払拭するために、本当の快適性をまずは徹底して満たすことから始めなければなりません。言葉面だけを捉えて、とかくそういうことを贅沢だとか過剰だとかいうから先に進まないのです。実は何も、満足を満たすということは冬の室温を極
おそらくは、ここでずっと書いて来ているように、これからは高性能、省エネという言葉がさらに蔓延して、いよいよカオスな状況になってくると思います。みなさんが住まいを考えるとき、これらの言葉はあまり意味をなさないものになってしまうかもしれません
省エネという言葉は、聞き心地が良いですし、誰も非難しようのない緊急の課題ですから、ついつい何だかわからないままに使ってしまいがちな言葉ですが、言葉というものはあまり使い慣れすぎると劣化して消費されるようなところもありますから、注意が必要で
今回の選挙で、この国はいよいよ「何も変えたくないという事なかれ主義」の蔓延によって、身動きが取れずに、本当にこのまま倒れていくのではないかという不安が大きくなりました。投票日二日前に起きた元総理の銃撃事件によって、まるでその人の全てが免罪
さて、この稿の最後です。大上段に「建てない勇気」と書きましたが、その前には、「誤魔化しに安直な住まいを」と書いた方が良かったかも知れません。国力も弱まり、もうそんなにスクラップアンドビルドを繰り返す余力も残っていないのに、今更、すぐにまた
これまでのように、レールに乗ったように左右を見回して、周りと同じような感覚で住まいづくりをすることが、社会情勢からなかなか難しい時代に入っていくのではないか。そういう意味合いを込めて、「建てない勇気」と書きましたが、私たち人間は生きている
【昨日を踏まえての明日の投票】この国はどこまで壊れるのか…。
昨日、あってはならない事が起きてしまった。元総理の遊説中の銃撃事件、搬送先で命を落とされてしまった。 民主主義において絶対にあってはならない暴力による言論封殺。容疑者の犯行の背景など闇に葬られる事なく徹底して解明されていかなければならない
タイトルに「建てない勇気」と書きましたが、皆さんが住まいを建てなければ、生業が成り立たない私が今回こんなタイトルでお話をしているのですから、事態が深刻であることはお分かりいただけると思います。ただ、絶望的かといえば、私は必ずしもそうとは思
この国自体の状況が、必ずしも良くない「今」をどう捉えるべきかを考えています。一番問題なのは、20年も個人の収入としての賃金が変わらず、非正規雇用などが増え、「自由な社会」というイメージとは裏腹に不安定になり、あらゆる社会保障が希薄になって
さて、今週末は参議院選挙ですね。この選挙が終われば基本的には3年間国政選挙はない可能性が高いので、政府は必然的に現体制が盤石になり、やりたい放題の3年間なってしまう重要な選挙なんですが、この無風状態というか、あまり騒がない世間というものは
例年とのデータを比較すれば、今年は2週間も梅雨が早く終わり、降るべくして降る雨がまだ降らないままに梅雨が明けたということができると思います。本来なら福岡は追い山の7月15日前くらいまでは、かなり雨天の確率が高いのですが、降りません。今回の
猛暑が、酷暑という表現に変わり、毎年観測史上初という言葉が連呼される中で、今年も不穏な天候が続きます。今朝から九州は台風4号の上陸で、終日雨の予報だと思います。温度は少し和らぐかもしれませんが、ゆっくりの進路で今回のように梅雨時にあまり降
「観測史上最高の…」などという文言が再三色々な場面で目立つようになりましたが、その度に予測不能な気候の大変化が常にリアルタイムで起こっているということなのではないでしょうか。前述の経験値から、例年の折れ線グラフか
私は若い頃、一時的に建築設計の仕事場を離れて山中の土木現場で助監督の仕事をしていたことがあります。自ら身体と精神を鍛え直したいと志願して一年弱の短い期間でしたが、一日中重たい測量機械を担いで山中を歩き回る仕事をしていました。土木現場は建築
今年の夏はどうなってしまうのだろうと思うくらい暑いですね、「暑気払い」 という言葉がありますが、どれだけ払っても追いつかないくらい今年は暑いです。昔の人も暑さには警戒を怠らなかったようで、この季節になると6月末から私が毎月一日に参拝してい
ここ数日の福岡は、いきなりの梅雨明けから一気に夏本番の様相で、午前中から温度上昇が急激で、午後からはじっとしていてもじんわり汗かせにじむほどの暑さを繰り返しています。例年であれば、7月1日から始まる博多の風物詩、博多祇園山笠のフィナーレ、
リアルな空間を創造することを生業としている者の一人として、加速度的なデジタルコンテンツの普及で、存在感が徐々に希薄になりつつあるこの「リアル」の質を、再構築しながら向上を図り、ひとたび「我が家」に舞い戻れば、大気汚染や電磁波と同じようにカ
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史