当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
ようやく、朝晩の風も少し優しく私たちの気持ちを少し緩ませるほどに、季節も夏の終わりを感じさせるようになってきました。それにしても今年の夏は暑かったですね。猛暑という言葉では足りなく、「酷暑」という言葉を近年目にするようになってきて、気候変
できれば、住まい手の暮らしがその住まいで始まれば、創り手である私たちの存在はできる限り希薄であって良いと思っています。私たちはあくまで黒子ですから、メンテナンスやリノベのご相談などの時に、さっとサポートできる体制を取れていさえすれば、普段
私はそういう意味では、あまりにも創り込み過ぎることを、あえてしないように心かけています。なぜかというと、それをやってしまうと、私たちの匂いというか、気配がいつまでも残ってしまう気がしてしまうからです。完成時の出来具合を70% と言いました
人間の幸福というものは、記憶に織り込まれたプロセスを感じるということではないかなとよく思います。メンテナンスでお邪魔するずっと以前に住まいを建てさせていただいたお客様のところでは、あの時はこうだった。あの時はこんなことを皆でしたというよう
例えば住まいの豊かさを、出来上がった瞬間に照準を当てて考えれば、それはそれで一定の評価基準になるとは思うのですが、「住まい」という奥深いものを考えるときになかなかそれだけの価値基準では著しきれないものもあるなぁと思ったりするのです。私は常
とかく不安定な社会情勢の中で、昨日もお仲間とのオンラインイベントで建設費高騰の話題になりました。まあ、さまざまなものが短期間に異常な高騰しているということは間違いないのですが、果たしてコロナや戦争だけがその要因かと少し考えると、あながちそ
いつの間にか、さまざまなものを端折り、一見効率やコスパが良く、損得勘定ではプラスのような印象の所作に終始する近年の思考の傾向は、案外豊かさというものからは真逆に遠のいているような気がして、そんなイメージのことを書いてみました。経済性が最大
食事に限らず、住まいの中で繰り広げられる一挙一動の中には、効率や経済性では片付けられないものがたくさんあります。なんだか便利で効率的なものが最良という概念の虜になってしまっている私たちは、無駄というものを異常に嫌悪しますが、きっと私たちは
私などは寄る年並みになり、いよいよ食べるものへの執着が一層強まりました。一食の食事も、できればゆっくりと演出をして美味しく頂きたいという気持ちが強くあります。繁忙に任せて時にはジャンキーな食事も掻き込むように取りますが、出来れば質素でも本
もう10年以上も前のことですが、空間系のデザイン専門学校で非常勤の講師を仰せつかっていた時期がありました。 これからデザインというものを生業にしていく青年たちに何を語ろうかと講義の冒頭に枕話として時々話していた話題ですが、その頃「牛丼をお
戦争とコロナで世の中が疲弊しているのは誰の目にも明らかで、本当はそれに躍起になって対策をしていかなければならない国も、長年のごまかしの清算もままならないままにこんな事態に陥ったものだから、とにかく誤魔化すしか術がない模様で、私たちの日々は
住まい手家族の有り様に寄り添えば、従来のありきたりなLDKプランばかりが正解ともぎりませんし、本来の住まいにはなかった共有の空間が織り込まれてきて良いと思うし、自由をもう半歩でも一歩でも進めて考えていきたいです。いつも私が語る住まいの性能
戦前の大家族主義のから今日に至るまで、「家族」というものが次第にバラけて、個人単位に遊離してきた流れにも意味があると思います。土地の因習や、人間関係の膠着化した縛りを息苦しく感じた若者たちが、都市部に流れて核家族を形成し、やがてその核家族
血縁による家族だけを、「家族」という定義づけしていたのでは多様性に欠けるのではないかと最近つくづく思います。近頃、ようやく頻繁に取り上げられるようになってきた同性婚の話やLGBTの方達のことも、先進国の中では非常に対応が遅れているこの国の
一口に「家族」と言っても、戦後間もない頃と比べれば、極めてその要素が希薄になってしまったこの国だと思わないではいられません。高度成長期に都市部に人口が流れるパターンが定着してしまい、やがてそれが核家族化を生みました。大家族で何代も1箇所に
お盆休みも終わりました。8月は原爆の日や敗戦の日がありますし、ご先祖様を迎えるお盆もありますから、改めて「家族」というものを考えさせられることも多い時期ではないかと思います。家族は「家(いえ)」の「族(やから)」ですから、まさに字の如く家
全国で戦没者追悼式が行われているようですが、本日は太平洋戦争終戦の日です。私たちが子供の頃には夏休みの半ばの出校日に合わせて、戦争経験者のお話などを聴く平和教育が行われ、夏の空を見ると私などはそのことを思い出します。77年という月日が経ち
先ほど「すけべ根性」と書きましたが、確かに条件の良い時代であれば、新築の家を建ててそこに住み続け、都市開発が進み地価が高騰し、やがて売却するときにイニシャルコストを取り返すなどという言わば「うまい話」が成立した時代もあったかもしれません。
ここまで書くと汎用性のないものは、次の住まい手が見つからないままに朽ち果てるから、結局一代限りで長く住み継がれずにスクラップアンドビルドを助長しないかと問われることがありますが、私は決してそうではないのではないかということを言いたいのです
「個性」とは「他と違う」というところから発生しているものではなくて、自分が湧き出て他から自由であるという部分から始まらなければ本物ではないように思います。他から始まれば、他の存在が前提ですから、純粋な個性ではない。住まい手の内面に肉薄して
極めて個人的な私的空間である「住まい」において、その「住まい手」固有の要素というものは、必然としての個性であって、そのことは誰にも迷惑をかけるわけではないし、何人の邪魔も許容する必要のないものだと思います。35年もこんな仕事をしていると、
私はよく、その言葉を口にします。住まいはフィット感だと。有名なファッションデザイナーが、最大のおしゃれは体にフィットしたものを身につけること。という意味の言葉を口にしていて、すごく感動した記憶がありますが、住まい空間もそうだなといつも思い
地球環境的に見ても、これからのこの国の有り様を想像しても、この80年延々と続けてきた土建業のスクラップアンドビルドの繰り返しをこれ以上して良いはずはありません。これから建てられるあらゆる一棟一棟が、大変重要だと考えます。そう考えれば、しが
今日は長崎原爆の日ですね。メディアが年々あまり大きく取り上げないことに疑問を感じています。このところのきな臭い空気感の中だからこそ、日本人として絶対に忘れてはならない6日と本日9日。すでに当時の被爆者の方はご高齢でなかなか生の証言をお聞か
世の中で「経済」というお題目が価値観の最優先ワードになってしまって久しいのですが、住まいづくりにおいてもその影響下でそこから始まる価値観の住まいづくりが大多数である現状は否めないのです。ですが、「住まい」をなんのために建てるかという命題に
制度や規制というものは、いつの時代もベースの基本的な部分を縛るだけで、それで全てがOKということになる基準ではありません。広く普及できるベースですから、未来に向けてどこまで通用する性能かということは別問題ですから、視野を広く俯瞰する必要が
人気のエリアの土地の価格が下がらないという現象は何なのかと自分なりに考えるのですが、需要と供給のバランスにおいて、需要が固くあるから下がらないわけで、疲弊している社会の中で誰がその土地を買っているのかといえば、やはり大きく資本
コロナで社会が一変し、ウクライナでの戦争もこれほど長期化ししてしまうことで私たちの身の回りのあらゆることが大きな歪みを抱えたまま難しい航行を強いられていることは、誰の感覚でも共通していることではないかと思います。その上にこの国は、20年も
ある程度高性能化(むしろ適正な性能への前進) が進めば、ブームのような今の気運はなんとなく収まり、また別の真新しいキャッチーな言葉に翻弄されて、別のブームへと移行していくのが業界の常ですから、熱のようにうなされる時期が過ぎればまた以前のよ
住まいは誰にとっても安らぎの場所だと思います。兎角乱れている現代社会の荒波にストレスマックスの皆さんが、心身ともに解放されて落ち着ける場所でありたいといつも思います。そのために、室温度がストレスない性能であることは必要な前提条件として住ま
コロナ以降、ある意味私たちはよく立ち止まり、さまざまに考えることが多くなりました。コロナはどう考えても人類にとって良いことではありませんが、そんな中でも社会が一度立ち止まり、考えることを忘れてしまった状態をあらためて見直すきっかけになって
どんなに変えたいと思っても、なかなか変わらない業態に時々苛立ちすら覚えますが、そもそもこの国の住まいづくりの仕組みがどういうプロセスを経て生まれて来たものなのかはしっかりと考えていくべきことなのだと思います。第一に、現在のこの業態の生産体
この国の場合、ほとんどの戸建住宅は「住宅産業」と言われる、さまざまな微妙に異なる立場で住まいづくりをしている業態が渾然一体となって、年間何千何万と言う全体の新築棟数を担っているのが実情です。良し悪しは別として、全体の数としては圧倒的に大手
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史