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↑このページは「源氏山探訪記」の8ページ目で、源頼朝公が畠山重忠に命じて再建した、佐助稲荷神社(神奈川県鎌倉市佐助2丁目-22-12)の紹介です。佐助稲荷神社は、永く鶴岡八幡宮の境外末社で、明治42年(1909)に独立した社となったようです。また、源頼朝を歴史的快挙に導いた伝説から、別名「出世稲荷」と呼ばれ、信仰を集めているそうです。※このリンクからは「源氏山探訪記」の1ページ目から順に御覧いただけます。↑自分は、...
佐助稲荷神社(さすけいなりじんじゃ)源頼朝の夢枕に立ち平家挙兵を促したと言われる稲荷
佐助稲荷神社は閑静な住宅街の奥、銭洗弁天と鎌倉大仏の中間で鎌倉の隠れ里と言われる地にあり、朱の鳥居を抜ける参道から神狐、境内には所狭しと白狐が祀られています。 伊豆の蛭ヶ小島に流されてた源頼朝が病気に臥せっていたときに、「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち平家挙兵を促しました。頼朝は若い時代に佐殿と言われており、その佐殿を助けた神と言うことで佐助稲荷と言われています。後に幕府を開いた頼朝は、かくれ里に祠を探し当て稲荷神社を建てたと伝えられています。 社務所の脇には縁結びの十一面観世音菩薩が祀られています、良縁に恵まれなかった姫君、赤松幸運が出家して現世の若い男女に良縁があるようにと祈願して彫ったと伝えられていています。 いのちの水、霊狐泉は昔より麓の田畑を潤す水源の地で、境内の片隅には霊狐の神水と称される湧き水があり、生命の源であるこの水源を霊狐泉として讃..