盤珪禅師の説く「迷い」とは何か?
江戸時代の禅僧・盤珪永琢禅師が、その簡単な言葉によって、「迷い」の本質についてズバリと説いて下さっているので、見ていきたい。迷うこととは、どのようなことであるかといえば、我が身にひいきがあるからこそ、迷うのである。我が身にひいきがあることとは、どのようなことかといえば、まず、誰であっても、隣の人が自分のことを謗ったと聞いては、それを怒り、その人を見ては憎み、(言葉は)聞こえぬと思い、その人の物言うことをも、悪し様に聞くなどということをするのは、我が身にひいきがあるからである。このように怒り、腹立たせれば、自分に具わった仏心を修羅道の罪に換えてしまうのだ。また、隣の人が自分を褒めたり、喜ばしいことを自分に申し聞かせる際には、未だ誉められる内容も見えず、喜ばしいことも降り来る前に、早くも喜んでしまうではないか...盤珪禅師の説く「迷い」とは何か?
2023/06/23 09:54