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日本の隅っこの歴史 https://gomahn.hatenablog.com/

某所で郷土史をやっていた方が集めた膨大な資料(主に紙)をデジタル化する作業のため、紐解いた内容に少々個人的な感想を交えて書いていく、覚書的な性質の濃いブログです。

あざらしごまふ
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2024/08/12

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  • モンゴルが日本に攻めてくる話 その3

    前回は、フビライとアリクブケのカン位争奪戦争で、1264年にフビライが勝利したところまでをおさらいしました。今回からいよいよフビライ・カンの登場ですが(クビライ・カアンが元の発音に近いらしいですね。まあいいいや)前回の最後に書いた状況(モンゴルが日本に攻めてくる話 その2参照)と、まだしばらく『元』にはならないことから、今回は『元』になるまでのフビライの国をフビライ・ウルスと呼ぶことにします。 ではでは、まずはちょっと後戻りして朝鮮を見てみましょう。 1259年に高麗は実質的に滅亡し、モンゴルの支配を受けるようになりました。その前年に、洪福源(ホン・ボグォン)は、1241年に偽王子として人質に…

  • モンゴルが日本に攻めてくる話 その2

    ではでは、前回の続きから オゴタイ崩御の知らせを聞いた時、バトゥはハンガリーを陥落させた直後で、当地の支配は確立していませんでした。なので、カルパチア山脈以西を一旦放棄し、急ぎカラコルムへ戻ります。しかし、この遠征中にトゥルイ家のモンケとは不仲になっていたようで、帰国後はオゴタイの後継者を巡って、次期カンとしてオゴタイの長男グユクを推すオゴタイ家チャガタイ家と、トゥルイの長男モンケを推すジョチ家トゥルイ家とが揉めて、なかなか決着がつかなくなります。 すると、バトゥは自身の領地に戻り、1243年にはキプチャク草原のサライを首都としてジョチ・ウルスを独立政権化します。教科書でキプチャク・ハン国とよ…

  • モンゴルが日本に攻めてくる話 その1

    前回おさらいした梶原景時の変で原田種雄が秋月荘を拝領し、古処山に城を築いたのが1203年(建仁3年)です。古処山城については、過去にどこかで詳しく書いたつもりでいたんですが、今探しても見つけられないので、ちょっと書いておきます。 古処山は、福岡県のど真ん中にある山です。朝倉市と嘉麻市の間に跨っています。先述した通り、原田種雄が梶原景時の変に際して武田有吉の共謀を知らせた功によって秋月の領主となり、古処山に山城を築きました。以後、有事にはこの古処山を拠点に秋月氏は戦国時代を戦い抜きます。原田種雄が秋月を拝領したことで「秋月」の姓を名乗ることとなり、以後、一族は筑前秋月氏と呼ばれます。 古処山城は…

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