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2024/02/22

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  • ’80s アメリカの旅30

    25.ニューオリンズ ワシントンD.C.を夜出発して、ニューオリンズへ着いたのは翌日昼の12時半過ぎだった。南部の街は暖かい。久しぶりに青く晴れ渡った空を見た。のんびりとした雰囲気があり、和やかな気分になる。 ニューオリンズといえば、Jazz、ミシシッピー川が思い浮かぶ。南部ということでは、子供のころ好きだったちびくろサンボだろうか。とりあえず中心街であるフレンチクォーターへ向かう。家々はパステルカラーで塗られていたり,木で造られていたりと凝っていてきれいだ。メインストリートはバーボンストリートという名前だった。 ホテルに荷物を置いて名物の牡蠣を食べようと思い昼食に出た。街を歩くとオイスターバーが何件かあった。ガイドブックに載っていた1軒を選んで入ってみた。こぢんまりとした店構えでいい感じだ。レモンを絞った生ガキにケチャップ?のようなものをつけて食べるのがここのスタイルのようだ。うまかった。ビールのコースターにちびくろサンボのような黒人の子供の影絵が描いてあるのも雰囲気があった。 夜の8時半からプリザベーションホールという市営のイベントホールでデキシーランドJazzの演奏を聴いた。ここはJazz発祥の地であるニューオリンズがその文化を保存する目的で運営しているところで、格安で演奏を聴くことができる。小さな会場の為すぐ近くで聴くことができるのも観光客に人気がある理由だそうだ。この日も多くの客で狭い会場が一杯だった。演奏は4時間に及びとても盛り上がった。 演奏が終わって外に出ると至る所でJazzが流れていた。夜中の12時半だというのに多くの人が歩き回っている。ほとんどの店が窓を開けており、たくさんの人が楽しげにしているのが見えた。街は夜遅くまで賑わっていた。 ニューオリンズはアメリカで最も好きな街のひとつになった。

  • ’80s アメリカの旅29

    24.ワシントンD.C. ニューヨークを深夜出発して、アメリカの首都ワシントンD.C.へ朝6時頃到着した。早朝だというのにデポは結構な賑わいだ。ガイドブックにある通りこの街は黒人が多い。住民の約70%が黒人だそうだ。また制服を着た軍人がやたら目につく。その多くが黒人である。休暇で家へ帰る人たちなのだろう。 朝食を食べるためにマクドナルドへ行った。思えばこっちへ来て以来数多くのハンバーガー屋へ行った。マクドナルド、バーガーキング、ウエンディーズをはじめとする大手チェーンから地元の名もない店まで、おそらく一生で食べるハンバーガーのうちの大半をこの旅で食べただろう。 店でエッグマフィンを食べてコーヒーを飲んでいると、びしっとスーツを着込んだ黒人男性がハンバーガーを買っている。おそらく政府機関で働くエリートなのだろう。今まで僕がハンバーガー屋で見てきただらしないかっこの太った黒人たちとはまるで雰囲気が違う。官庁街のマックは同じハンバーガー屋でも高級感があり清潔で、格段に居心地がいい。コーヒーもおいしく感じる。 腹ごしらえを済ませて曇り空の中ホワイトハウスへ向かった。さすがアメリカの首都だ。街はきれいで、歩いていても気持ちがいい。ホワイトハウスはテレビでよく見るそのままの姿だった。とりあえず写真を撮った。周りに何人か観光客がいる。互いにシャッターを押しあった。この寒空の下お互いご苦労様です。 アメリカというと強い経済と軍隊、明るい文化をもつ豊かな国。夢を実現できる自由の国というイメージをもっていたが、旅をしているうちに少し印象が変わってきた。ビバリーヒルズ、サンタモニカなどの高級住宅街に住む大金持ちもいれば、住む家もないホームレスが道にごろごろしている極端な格差がある国だ。金持ちの多くはWASP (White Anglo-Saxon Protestant)とよばれる白人で、貧乏人のほとんどは黒人、ヒスパニックといったマイノリティだ。 格差は固定化しており容易にその垣根は超えられないようだ。貧困層の人たちは楽で儲かりそうな仕事にはなかなかつけない。官庁で働くかっこいい黒人はほんの一握りの人たちで、大半のマイノリティたちは低い賃金できつく危険な仕事に従事している。アメリカの強い軍隊も、その最前線はここで見た黒人兵たちが支えているのだろう。自由に夢を叶えられる人は現実にはかなり限られているのかもしれない。

  • ’80s アメリカの旅28

    23.ハーレム 地球の歩き方で、ハーレムツアーの紹介を見つけた。バスでハーレムを巡るというものだ。これまで映画、テレビ等を通して持っていたイメージは、凶悪犯罪が溢れる危険で怖いところ、というものだ。ひとりで行く勇気はないが、ツアーで安全に行けるなら、話のタネに行って見るのもいいか。ここまでで、ニューヨークでやりたかったことは粗方やった。このツアーをニューヨークの締めにしようと思い参加した。 集合場所であるバス乗り場には、それこそ世界中から来たと思われる様々な観光客が好奇心あふれる顔で集まっていた。40人ぐらいだろうか。皆少し緊張気味に見えた。バスはセントラルパーク、コロンビア大学と北上して行った。ハーレム地区に入ると皆窓にはりつき、「ワオ!」、「オー!」、などといかにも外人らしい歓声を上げながら、さかんにシャッターを押している。確かに、バスの窓から見える街は薄汚れた雰囲気であり、道を歩く人も少ない。たまに見える顔も黒人とヒスパニック系ばかり。時折見える細い路地は少しばかり危なそうに見える。 しばらくして一層大きな歓声が起こった。皆一斉にシャッターを押している。見るとドラム缶で焚き火をし、その周りに暖をとる人たちが集まっていた。焚き火は僕にとってそう珍しいものではない。子供のころは冬になると至る所で近所のおじさんが焚き火をしており、寒い日はあたらせてもらったりもした。外国人観光客にとってこれは特別なもので、いかにも貧しいスラムの雰囲気を表す光景に映るのだろうか。だとしたら記念に僕も写真を撮っておこうかと鞄からカメラを取り出した。が、カメラを持って窓の外を見たところで手が止まった。 焚火にあたるうちの1人は僕より若い少年で、何とも言えない悲しそうな眼でこちらを見ていた。結局僕はこのツアーで写真を1枚も撮ることができなかった。この手のツアーには二度と参加するまいと決めた。

  • ’80s アメリカの旅27

    22.夜景 「ディプロマットホテル」は立地が良いせいか地球の歩き方を見た日本人が結構泊まっているようだ。今日はホテルで出会った中日新聞のカメラマン、中沢さんとグリニッジビレッジ、ワシントンスクエア界隈へ行った。彼は30代前半、1週間の休暇を利用してジャズを聴きに来たのだそうだ。ニューヨークが好きで何度か来ているとのことで、特にグリニッジビレッジ界隈がお気に入りのようだ。芸術家や若者が多く住み、アトリエ、雑貨屋、古本屋、有名なジャズバーなどが集まるこのエリアは独特の雰囲気がある。 中沢さんは歩きながらいろいろなことを教えてくれた。壁の落書きを指さして、これはものすごく有名なものだから是非写真をとったほうがいいと言って、シャッターを押してくれたりもした。街のいたるところに似たような落書きがある。何で落書きを消さないんだろう・・・と僕はつい、つぶやいてしまった。「これは芸術だよ」「わからないかな~・・・」と、中沢さんは、少し悲しそうに言った。でも、落書きの美しさは、やはり分からなかった。 中沢さんごめんなさい。 グリニッジビレッジからリトルイタリー、チャイナタウンを回った後、有名なニューヨークの夜景を見ようとロックフェラーセンターのRCAビルへ行った。時間は夕方6時頃。辺りはすでに真っ暗だった。展望台から見下ろした景色は、RCAビルをライトアップする真っ白な光に照らされて昼間のように明るい。その中に様々な色の明かりが輝き、まさに宝石箱のような光景だ。ここからの夜景がニューヨークで1番美しいといわれる理由は、エンパイアステートビルとツインタワーが同時に見えるからだそうだ。この夜景は今まで見た中で最も美しい景色の一つだった。

  • ’80s アメリカの旅26

    21.ミュージカル ホテルに帰るとロビーに日本人らしき人がいた。どちらからともなく声をかけた。アメリカに来てこんなに自然に日本人と会話に入ったのは初めてだ。彼は京都大学の大学院生で、1年休学してニューヨークに留学しているそうだ。丁度遊びに来た友人が帰国するのをロビーで見送ったところだった。僕が今夜ミュージカルを見るつもりだというと、それじゃあ一緒に見ようということになった。 ミュージカルのチケットを安く買う方法は2つある。ひとつはマチネ(昼公演)のチケットを購入することだ。プログラムにもよるが、水曜日と週末に開演することが多い。スケジュールが合えばお勧めだ。もうひとつは当日の空席を購入する方法だ。目当てのチケットが出ていれば20~50%の大幅割引で購入できる。チケットはタイムズスクエアのTKTSブースで購入できる。 早速佐野君と行ってみた。有名だし面白いからとの理由で佐野君が薦めてくれた「雨に唄えば」をいくつかある作品から選んだ。気になったので聞いてみると、佐野君はこの舞台を見たことがあるそうだ。でも、面白いから何回見てもいいと言ってくれた。僕が喜びそうなプログラムを選んでくれたのだろう。いい奴だなぁ。 歌と踊りの華やかな舞台は楽しかった。特にこの舞台のウリである舞台上で降らせる大量の雨は圧巻だった。セリフはほとんど聞き取れなかったが、佐野君が通訳してくれたのでストーリーはよくわかった。舞台が終わり、ホテルで少し話した後、僕が昼間ですらあれほど緊張して乗った地下鉄で佐野君はアパートへ帰って行った。大した奴だ。 今日は本当にありがとうございました。

  • ’80s アメリカの旅25

    ⒛セントラルパーク エンパイアステートビルの展望台から広大な緑のエリアが見えた。一体何だろうと案内板を見て、それがセントラルパークだと知った。公園というにはあまりに大きい。まるで森だ。こんなのは見たことがない。ニューヨークという大都会の真ん中に、こんな大きな公園があるなんて驚きだ。正直なところ公園なんて興味なかったのだが、俄然見てみたくなった。早速バスに乗って公園に向かった。 タイムズスクェア、劇場街、プラザホテルを通り公園の端に着いた。バスで通り抜けるだけでも観光気分が味わえるゴールデンルートだ。公園の周りは馬車やジョギングをする人がいて結構賑わっている。中に入ってみた。行けども行けどもきりがない。公園内には湖まである。ちょっと日本では考えられない規模だ。 寒いせいかほとんど人がいない。と、思っていたら前方から誰かやって来た。僕に気付くとこっちに歩いて来た。やせた黒人の中年男だ。すり寄るようにして、「ドラッグどうだ。」「マリワナだよ。」としゃがれ声で言った。薬の売人らしい。かなり危ない感じで目がいっちゃてる。僕は不測の事態に備えてすぐ応戦できる(逃げられる?)態勢で、「ノー。いらない。」といってみた。すると彼は「あ、そう」という感じで、のろのろと歩き去った。意外と淡泊だ。「よかった~」と、ほっとした。寒く天気の悪い平日。セントラルパークの雰囲気は悪い。 もう公園はいいか。出よう。と思い北側に向かって歩いた。出口付近に来ると人が何人か集まっている。観光客のようだ。何だろうと思い行ってみると花が飾ってある。聞いたところジョンレノンの記念碑だそうだ。この一角は、ビートルズの歌のタイトルにちなんでストロベリーフィールズと名付けられているとのことだ。ここからすぐのところに生前ジョンレノンとオノヨーコが住んでいたダコタハウスがある。豪華なマンションだ。ここにも何人かのファンの姿が見える。今でも毎日ファンが訪れる有名な観光スポットだそうだ。やはりジョンレノンはすごい人気だ。

  • ’80s アメリカの旅24

    ⒚エンパイアステートビル バッテリーパークから市の中心部へ向かって北上した。進むにつれてビルが増えてきた。バスは高層ビルの谷間を走る。これぞニューヨークの景色だ。やはりバスにしてよかった。ひどい渋滞には閉口したが・・・。マンハッタンはとにかく車が多くて常に渋滞している。運転も荒い。特にタクシーはひどい。汚い地下鉄を選ぶか、渋滞を我慢してバスにのるか、状況と好みにより選択することになる。 エンパイアステートビル前でバスを降りた。さすがに風格がある。デザインも凝っている。ビルの前に立った時、キングコングを思い出した。キングコングが美女を片手にこのビルを上っていく映像が頭に浮かんだ。僕らの年代はかなりの人が〝エンパイアステートビル・イコール・キングコング〟ではないだろうか。一階で展望台のチケットを買い、エレベーターに乗った。 86階(320m)の屋外展望台からは、窓越しでなく直接ニューヨークの街を360度見渡すことができる。ここからの眺めは絶景だ。ツインタワー、パンナムビル他個性的な摩天楼、ブルックリンブリッジ、マンハッタンブリッジの2つの有名な橋、そして広大なセントラルパーク。天気が良いため川の向こうのエリアも遠くまで見渡せる。次に、いよいよ102階(381m)の第2展望台に上った。エンパイアステートビルの最上階にいると思うと爽快だ。ただ、ここは86階に比べると小さく、またガラスで囲われていて少しつまらない。展望台としては、断然第1展望台のほうが気に入った。

  • ’80s アメリカの旅23

    ⒙自由の女神 マンハッタン南端にあるバッテリーパークから自由の女神が見える。ここから見る自由の女神でも十分感動した。がここから出るフェリーで女神が立つスタテン島に行けるらしい。聞いたらやはり行きたくなった。チケットを購入するため早速窓口に行った。窓口のおばさんは今改修中のため中に入れないけどいいか、と聞いた。え、ということは普段は中に入れるってこと?このとき初めて観光客が自由の女神の中に入れることを知った。フェリーは思った以上に混んでいた。さすが世界的に有名な観光の目玉だ。近くで見るとなるほど女神は化粧直し中だった。まわりは足場だらけだ。何とも間が悪いが、何故かここにはまた来るような予感がしさほど残念でもなかった。次に来たとき登ればいいや、と思った。 フェリーの中に売店がありプレッツェルを売っていた。ニューヨーク名物だそうだ。試しに買ってみた。細長い固焼きパンとでも言うべきもので、大きな結び目のような独特な形をしている。ザラメの塩がまぶしていて、腎臓に悪いんじゃないかと思うほど塩辛い。日本で売っている真直ぐな形の甘いプレッツェルとは随分違う。そんなにうまいもんじゃないな、と思った。サイズが大きいのでそれなりに食べではあった。 フェリーを降りると市バスに乗ってエンパイアステートビルに向かった。地下鉄には一度乗って満足したし、やはり景色を見ながら移動したい。

  • ’80s アメリカの旅22

    ⒘地下鉄 遅い朝食というべきか早めの昼食なのか、とにかく腹ごしらえをしようと思い近くのデリへ入った。店は多くの客で賑わっていた。クラムチャウダーとピザ一切れをカウンターで買い、窓際の席でガイドブックを見ながら今日の予定を考えた。まずはホテルを探し、その後自由の女神に行こう。自由の女神はバッテリーパークというマンハッタンの突端にある公園から船に乗るのか。そこまでは、せっかくだから地下鉄で行ってみよう・・・。などとざっと行動計画を立てた。窓の外を見ると多くの人が行き交っている。皆歩くのがとても速い。 ミッドタウンの「ディプロマットホテル」に空き部屋を見つけチェックインした。古くて小さなホテルだが、タイムズスクェアにも近く立地がいい。せっかくニューヨークに来たんだから、便利な場所に泊まって動き回ろうと思いここに決めた。ここなら歩いてミュージカルも見に行ける。荷物を置くと、早速地下鉄の駅に向かった。悪名高いニューヨークの地下鉄である。少し怖い気がしたが、乗ってみたかった。話のタネにもなるし。 駅に着くとトークンという乗車用のコインを購入して改札を抜け、ホームで電車を待った。ホームは暗く、床に新聞紙やごみが散らばっていて汚い。電車を待つ乗客もあまりいない。何となく恐ろしげな雰囲気だ。清潔で明るい日本の駅とは大違いだ。そういえば、駅のトイレは安全の為コンクリートで塗り固めてあるとガイドブックに書いてあった。 びくびくしていると電車が来た。落書きだらけだ。この電車はハーレムを通る電車のようだ。路線により車輛の汚さに差があると聞いたことがある。電車に乗ると内側も落書きだらけだった。電車には数人の乗客がいた。きれいな若い白人の女の人もいる。思ったより普通じゃないか。少し安心した。日本から旅行に来たんだといって、その女の子に記念写真を1枚撮ってもらった。 しかし安心したのも束の間、しばらくするとほとんどの乗客は降りてしまい、薄汚れた感じの黒人のおじさんと2人きりになってしまった。しかもこのおじさん、さっきからぶつぶつ独り言を言い続けている。不安になって、停車予定駅と実際の停車駅をずっとチェックし続けた。すると、止まる筈の駅を電車が通過したのに気付いた。その後電車は次々と駅を通過し、止まる気配がない。どうしたことだろう。電車を乗り間違えたのではないか。自由の女神に行く電車の乗客がこんなに少ないわけはない。僕の頭に以前何かで読んだことの

  • ’80s ある旅の情景21

    ⒗ニューヨーク到着 手足が痺れる感覚で目が覚めた。見るとフリーウエイの路肩にバスが止まっている。バスが故障したので代わりのバスが来るのを待っていると、隣の席の男性が教えてくれた。暖房も停止しているようで凍える程の寒さだ。手足の痺れは寒さのためだったようだ。時計を見ると、朝の5時。 すっかり目が覚めた僕に、どこから来たのかと隣の男性が話しかけてきた。30代半ばぐらいだろうか、カジュアルではあるがきちんとした身なりの白人だ。日本から来てアメリカ一週旅行をしていると言うと、ボストンには行ったか、ボストンは非常に美しい町なので是非行くべきだ、と薦めてくれた。ボストンの話や旅の話で盛り上がり、僕らはすっかり意気投合した。そして、僕がいかにも貧乏旅行の学生に見えたのであろう(本当にそうなのだが)、「自分はボストンに住んでいる。家には寝室が5つあるので、ボストンに来たら遠慮せず泊まってくれ」と言い連絡先をくれた。 こちらに来て何人ものアメリカ人に、家に泊まりに来いと誘ってもらった。初対面の人間をこうも気安く自宅に招待するなんて、日本ではちょっと考えにくいことだ。よほど親切でオープンなのか。それとも恵まれた住環境の故なのか。日本も住宅事情がもう少しよければこうなるのだろうか・・・ 30分ほどして代わりのバスが来た。乗客はみんな順序良く乗り換え、新しいバスでもそれぞれ全く同じ席に座った。アメリカ人もこういうところはちゃんとしてるんだなと思うと親近感がわいた。 マンハッタンに入るとバスは摩天楼の間を縫うように進んだ。ビルに日の光が遮られて道が薄暗い。思わずバスの窓から巨大なビル群を見上げた。やっぱりニューヨークはすげぇなー。バスは約1時間遅れで朝10時半にミッドタウンのデポに着いた。ロサンゼルス以上に巨大で、沢山のバスが行き来しており、多くの乗客でごった返していた。外は高いビルが建ち並ぶ、映画やテレビで見るまさにあのニューヨークだった。クリスマスシーズンを迎えた街は活気があり、エネルギーに溢れているように見えた。

  • ’80s ある旅の情景20

    ⒖ナイアガラ シカゴを夜出発して早朝バッファローに着いた。ここはナイアガラの滝へ行くためのアメリカ側の起点となるデポだ。洗面所で顔を洗って歯を磨いた。凍えるような寒さだがお湯が出るので助かる。アメリカで驚くのはどんな田舎の洗面所でも必ずお湯が出ることだ。こんなときアメリカの豊かさを実感する。日本もいつか各家庭や公衆便所の水道の蛇口からお湯がいくらでも出る日が来るのだろうか。 バスは朝6時半に出発して、真っ暗な道を走り出した。ここから国境を越えてカナダへ入る。カナダとの国境の小さな街中を走っていると道沿いの家が皆クリスマスの飾り付けをしていた。シンプルではあるが各家庭それぞれが趣向を凝らした電飾がとてもきれいで、幻想的な光景だった。いつの間にか12月になっていた。 バスのなかで簡単なパスポートチェックを受けて国境を越えた。いよいよカナダに入国だ。途中「ワォー!」という歓声ともどよめきともつかない声が沸き起こった。窓の外を見ると、川が溢れて道が水浸しだ。大丈夫なのだろうか。真っ暗な中、水浸しの道を進むというのは結構恐ろしい光景だ。 7時半にナイアガラのデポに着いた。約1時間かかった。外は猛烈な吹雪だ。真っ白で何も見えない。ナイアガラの滝までは徒歩で10分ぐらいなのだが、恐ろしく長い道のりだった。本当に遭難するんじゃないかと思ったほどだ。雪に覆われた滝はきれいだった。苦労した甲斐があった。吹雪の中で滝を見たあとミノルタタワーに上ってみた。ここは滝を正面から見ることができるビューイングスポットで、滝を見るには最適な場所のひとつだ。吹雪は2時間ほどで止み、先ほどと打って変わった青空の下で見る滝はきれいだった。 滝の周りの遊歩道を歩き回った後、夕方もう一度ミノルタタワーに上った。せっかく日本から来たのだからカクテルライトに照らされた滝を是非見ていくべきだと、土産物屋のおばさんに勧められたからだ。夕方6時半ごろタワーに行くと、おばさんが席に案内してくれた。そこは滝の真正面の特等席だった。ライトに照らされたナイアガラは本当にきれいだった。僕はコーヒーとサラダを食べながら飽きることなく滝を見ていた。 ナイアガラ公園内にあるアメリカ橋という橋を渡って国境を越えることができる。滝を見た後、ここで入国審査を受け、歩いてアメリカへ再入国した。わずか半日のカナダ滞在だった。バッファローのデポへは夜9時に着いた。ここで今夜12時15分発のバス

  • ’80s ある旅の情景19

    ⒕シカゴ(2) やっとシカゴに着いた。長く寝たおかげで体調は万全だといいたいところだが、やはり何となく体が重い。外に出ると高層ビルが立ち並んでおり、その陰で薄暗いほどだ。シカゴは歴史的な建造物が多く、凝ったデザインのビルが多いことで有名だ。建築好きにはたまらなく魅力的な場所だそうだ。素人の僕が見てもかっこいいと思う建物が多い。しかしここもとにかく寒い。歩いていると、そこかしこでマンホールの蓋から真っ白い湯気が立ち上っている。またビルの至るところから蒸気が立ち上るのが見える。空は灰色でどんよりと曇っている。雪こそ降っていないがソルトレイクシティを上回る寒さだ。 シカゴでは是非行ってみたいところがある。世界一の高層ビル、シアーズタワーだ。なんと120階建だ。早速チケットを買いエレベーターで最上階へ上った。しかし残念なことに最上階の展望ルームからは何も見えなかった。窓の外は真っ白だった。曇り空の為ビルに雲がかかっていたのだ。残念ではあったがビルが雲を突き破っているとはさすがだ。こんなのは日本ではお目にかかれない。これはこれでいい経験ではある。記念に近くにいた観光客にシャッターを押してもらい写真を1枚とった。背景の窓は真っ白だ。 今日の宿は「トーキョーホテル」、1泊20ドル。真っ黒のかなり年季の入った建物だが、街の中心にあり立地がいい。エレベーターは古く、驚いたことにドアが手動だ。オペレーターがいて開け閉めをしてくれる。こんなのに乗ったのは初めてだ。さらに驚いたことには運転も手動だった。行先を告げるとオペレーターがエレベーターの内側に付いたハンドルをぐるぐる回して運転するのである。どういう仕組みなのか分からないがハンドルを回している間は動き、回すのをやめると停止した。ここまで完全マニュアル式のエレベーターに乗ったのは後にも先にもここでだけだった。 部屋は15階の2号室だった。窓からの景色が抜群で、真正面にビッグジョンが見える。長いバス旅の果て、シャワーを浴びて、ビールを飲みながらきれいな夜景を見る。思いがけない贅沢な時間になった。このときの景色は僕の心に長く焼きついた。ぼろぼろだった部屋の記憶はすぐに薄れたが、この夜景の美しさはずっと覚えている。

  • ’80s ある旅の情景18

    ⒕シカゴ(1) その日夜8時20分のバスでソルトレイクシティを後にした。この町には13時間滞在した。朝から降り続いた雪はいつのまにか霙に変わっていた。シカゴまで37時間。途中休憩を挟みながらではあるがこんなに長くバスに乗るのは初めてだ。この旅のハイライトのひとつといえるかもしれない。 このルートの大半は、西部劇に出てくるような砂漠の中を延々と走る。アメリカの中部は思った以上に田舎で何もない。途中通ったデポのいくつかはまさにバス停で、無人の待合所だった。こんなところには二度と来る機会がないかもしれないから降りてみたいという誘惑に駆られたりもした。が、ガイドブックにも載ってない、右も左もわからない小さな町で降りたら、帰れなくなるんじゃなかろうか。そもそもホテルもなさそうだしと思い、考え直したりした。通路の向こう側のおじさんに、ここはどんなところなのかと尋ねてみたが、「見た通り。何もないよ。」とそっけない。そりゃそうだろう。窓の外は見渡す限りの砂漠で他には何も見えない。 旅程には3時間おきの休憩が組み込まれている。食事の時間は休憩が長めにとられる。さすがに1日半も座りっぱなしだと体がガチガチになる。腰や背中のストレッチをする人も多い。何回か一緒に食事をしている間に乗客同士仲よくなり会話もはずむ。長い移動であればあるほど貴重な時間だ。長いバス旅の間いろんな人と話をした。途中で降りた人や乗ってきた人もいたが、シカゴに着いた時にはみんな顔見知りになっていた。

  • ’80s ある旅の情景17

    ⒔ソルトレイクシティ(3) 町中の店が閉まっていたのは感謝祭の為だったようだ。雪の為歩き回ることもできないので、パイプオルガンの演奏を聴いた後、結局デポにもどった。電光掲示板の前でバスの時間をチェックしていたとき、学生風の東洋人がおどおどとこちらの様子を窺っているのに気付いた。何だろうと思っていると、「あの~・・・、日本人ですか・・・」と、おそるおそるという感じの小声で話しかけてきた。そうですと答えた瞬間、打って変って彼の態度はなれなれしいと言っていいほど親しげになった。久しぶりに日本人に会えてよほどうれしいのだろうか。 二言三言ことばを交わした後突然、「ちょっと荷物を見ててもらえない?」と彼は言った。そして自分のスーツケースを僕の前に押し出すが早いかどこかに行ってしまった。トイレにでも行ったのだろうと思っていたのだが、いつまでたっても戻ってこない。僕は、何かあったのかと心配になったがその場を動くわけにもいかず寒いロビーで彼を待ち続けた。結局彼が戻ってきたのは1時間後だった。そして、悪びれる風でもなくごく簡単な礼を言うと、荷物をもってあっという間に消えた。 せめて理由を説明して納得させて欲しかった。何とも言えない空しい思いが後に残った。僕は不快な気持ちを振り払うため、よほどの事情があったのだろうと思うことで自分を納得させようとした。 こんなにひどいのは後にも先にもこの1回きりだったが、旅行中に出会った日本人の中には、こんなところまで来て日本人に会いたくないといわんばかりに露骨に嫌な顔をする者、妙に馴れ馴れしくあつかましい者、が少なからずいた。身内意識が強い故だろうか。それとも旅慣れていないせいなのだろうか。いずれにしても日本人同士とはいえ他人であることに変わりはない。過度な甘えは慎むべきだろう。外国人、日本人を問わず誰に対しても敬意と節度をもって接することを心がけようと強く思った。

  • ’80s ある旅の情景16

    ⒔ソルトレイクシティ(2) ソルトレイクシティはユタ州の州都で、キリスト教の一派であるモルモン教の本拠地として有名だ。見どころは、その名前の由来となった巨大な塩湖と、モルモン教総本山の大聖堂だ。夏場であれば塩湖も魅力的だったのかもしれない。が、とにかくめちゃくちゃ寒い。とても湖に行こうという気は起こらなかった。よって、もうひとつの見どころである大聖堂に向かった。デポからそう遠くないところにあるとのことなので、歩いて行ってみることにし、雪の中を歩きだした。 ソルテレイクシティはサンフランシスコとはまた違った意味で美しい町だった。清潔で引き締まった感じがある。静謐といった表現が適切かもしれない。雪の中を歩いている人はもちろん誰もいない。がそれにしても静かすぎる。なぜか商店も全て閉まっている。どうしたことなのだろう。 どれくらい歩いただろうか。大聖堂のあるテンプルスクェアについた時には体が冷え切っていた。大聖堂はその名の通り巨大な教会で、威厳を感じさせる佇まいだった。中に入ると丁度パイプオルガンの演奏が始まるという。僕は多くの人たちに交じって教会の椅子に座った。演奏は荘厳で美しく、心が洗われる気がした。感謝祭の特別演奏だそうだ。 ちょっと得した気分だった。

  • ’80s ある旅の情景15

    ⒔ソルトレイクシティ(1) サンフランシスコを夜9時に出発して翌朝7時40分にソルトレイクシティに到着した。雪が降っている。温暖なカリフォルニアから一転して真冬の雰囲気だ。サンフランシスコ--ソルトレイクシティ間は最短ルートをとれば8時間程度の行程だ。しかしサンフランシスコで懲りたので、おかしな時間に到着しないよう、あえて遠回りであるデンバー経由のルートをとった。 この旅の基本方針として、 ⒈バスはなるべく夜行を使いホテル代を節約する ⒉できるだけ午前中に到着するスケジュールを組む という2つの方針を立てていた。午前中到着は治安と時間を有効に使うという、2つの目的からだ。知らない街で暗い夜間にホテルを探すことは危険だし精神的な負担も大きい。 このような理由から選んだこのルートは幹線道路からはずれた道を多々通り、なかなか見ごたえのある興味深い景色にあふれていた。とくにロッキー山脈を越えるデンバー近辺はいかにも西部劇に出てきそうなアメリカの砂漠を見ることができて面白かった。星空の下で見た景色は美しく、幻想的だった。夜行バスならではの体験だ。ただ、大半寝ていたため見逃した風景もたくさんあっただろうことは残念だが・・・。

  • ’80s ある旅の情景14

    ⒓サンフランシスコ(2) 幸い寒い季節に朝っぱらから歩き回るワルもいないようだ。7時頃から明るくなり始めたので、とりあえず地図を見ながら安いホテルが集まっているあたりへ向かった。夜が明けるとサンフランシスコは美しい港町だった。瀬戸内で生まれ育ったせいか、僕は海沿いの町が好きだ。 公園でしばらく時間をつぶした後、ダメもとであらかじめ目星をつけておいたホテルへ行ってみた。朝8時頃だった。チェックインは当然無理だろうが、バックパックをフロントに預けて身軽になりたかった。ホテルのフロントは感じのいい中年の女性で、意外なことにあっさりチェックインさせてくれた。6時にバスで着いて歩いて来たというと、親切にも朝食を勧めてくれた。コーヒーとトーストのシンプルなものだったが本当においしかった。冷え切った体が温まった。 部屋を確保するとそのまま観光に出かけた。チェックインした「ウエスタンホテル」はユニオンスクェアに近い便利な場所にあった。まず市バスでゴールデンゲートブリッジに行った。霧でところどころ覆われてはいるが、サンフランシスコのシンボルである赤い橋はきれいだった。次にケーブルカーに乗ってフィッシャーマンズワーフに行った。この頃には霧はすっかり晴れていた。埠頭に座って屋台で買ったクラッカーとクラムチャウダースープを食べ、遅い昼食をとった。今日はサンフランシスコの名物に3つ触れられた。明日はチャイナタウンに行ってみよう。観光気分が俄然盛り上がってきた。 サンフランシスコは坂が多いことで有名だ。しかも勾配が半端じゃない。その為ケーブルカーがこの町になくてはならない交通機関として長い間親しまれてきた。近年効率性から自動車に取って代わられているとのことで残念だ。 坂とケーブルカー以外で印象に残ったのは花屋と大道芸人だ。街の至るところで花屋を目にする。坂道の途中に点々とある小さな花屋が街をいっそう美しく見せている。また、人が集まるところには必ずといっていいほど大道芸人がいる。1人で複数の楽器を演奏する者、人形劇をする者、歌を歌う者、と様々だ。皆楽しそうにやっていて、つられてこちらも明るい気分になる。 サンフランシスコは美しく楽しい町だった。ここには1日半滞在し、翌日の夜グレーハウンドで旅立った。最悪のスタートだったサンフランシスコはアメリカで1番好きな町のひとつになった。

  • ’80s ある旅の情景13

    ⒓サンフランシスコ(1) 出発まで1時間半。長い待ち時間ではあるが物珍しさできょろきょろしているうちに意外に早く出発時間になった。サンフランシスコ路線は人気のようで乗客は多い。乗り切れなくなったらどうするんだろうと思ったが、乗客が溢れた場合は何便でも増便を出すそうだ。乗れないという事態は決して起こらないとのこと。予約不要でいつでも乗れるのはありがたい。さすがアメリカは豊かだ。 車内は広くて結構きれいだ。座席もゆったりしていて乗り心地は悪くない。いよいよアメリカ一周の旅が始まる。バスはゆっくりとロサンゼルスの街を抜けて行った。バスから見る街は静かできれいだった。フリーウエイをしばらく走るとあたりは真っ暗になった。逆に、街中で真っ黒に見えた空は群青色を濃くした色に変わった。10月下旬の空は澄み渡り一面星に覆われている。バスは真直ぐにどこまでも続く道を延々と走った。 目が覚めるとバスは深い霧の中を走っていた。窓の外は真っ白で何も見えない。しばらくするとサンフランシスコのデポに着いた。ここはロサンゼルスと比べるとかなり小ぶりだ。腕時計を見ると6時少し前だった。あたりは真っ暗だ。途中のバス停で降りたのか乗客は10人程に減っていた。それぞれ行先が決まっているのだろう降車すると皆すぐにいなくなってしまった。 ターミナルの建物は閉まっており中に入れない。僕は真っ暗なダウンタウンのど真ん中に1人取り残されてしまった。最初に頭に浮かんだのは、バスターミナルの周りはどこも治安が悪いという言葉だった。右も左もわからない治安の悪い場所で早朝路頭に迷う。旅の第1歩としては強烈だ。街は静かで、霧に覆われていた。僕はデポのベンチで明るくなるのを待つことにした。おかしな人が通りかからないことを祈りながら・・・。

  • ’80s ある旅の情景12

    ⒒LAデポ 出発前は危険なエリアを夜歩くと思うと緊張したが、バス停からの距離も思ったほど遠くなく、あっけなくデポについた。時間は6時過ぎだった。グレーハウンドのターミナルはこちらではデポと呼ばれている。ロサンゼルスのデポはニューヨークと並び最大級の規模だ。多くのバス乗り場があり、たくさんの人が待合室で待っていた。日本で購入したアメリパスをカウンターに渡してサンフランシスコまでの乗車券を発行してもらった。アメリパスは外国人向けの期間内乗り放題の周遊券で使用開始から一カ月間有効だ。アメリカ全土とカナダの一部で使用可能だ。このパスをカウンターで見せて乗車券を発行してもらう仕組みになっている。チケット発行時に窓口で“インシュアランスはどうするか?”と聞かれた。はて、どこかで聞いたことがある言葉だが何だっけ?僕はその言葉の意味が分からずしばしのやりとりになった。窓口の人は何度か言い換えながら説明してくれた。アメリカに来て2週間、僕の英語はいまだに“保険”という単語さえ分からないレベルだった。保険は8ドル95セントだった。 ロサンゼルスのデポは規模も最大級だが治安の悪さも最高レベルのようで、この時も銃を持ったガードマンが待合所周辺をガードしていた。待合所はデポの中にある柵で囲まれたエリアで周辺の天井に防犯用監視カメラがいくつか設置されている。ここには乗車券を持っている者しか入れないので一応安全地帯といえる。待合所の椅子に座っていると、柵の外で、ヒスパニック系だろうか、汚い身なりの男が監視カメラの真下の床に横になろうとしていた。何度か体の位置を少しずつずらしながら寝そべった。どうやらいくつかある監視カメラの死角を探して寝るつもりのようだ。暖房が利いて暖かく安全な24時間オープンのデポはダウンタウンのホームレスにとって格好の避難所であるようだ。 当然ながらその男はほどなく現れたガードマンに連れ去られた。

  • ’80s ある旅の情景11

    ⒑アメリカ一周の旅へ 英語を勉強しながら楽しく気楽な生活をここで満喫することにももちろん意味はある。特定の街に定住し周りの人間と深く付き合うという生活からも学ぶべきことは多い。しかし、それは僕がアメリカに来た目的とは違う。僕は少しでも多くのものを見、多くの人と出会うことにより、広い世界を肌で感じるために旅へ出た。結局僕は、いろいろ理屈をつけて楽な道に逃げようとしているではないか。そう考えると、居ても立っても居られなくなった。今すぐ出発しなければだめだ。ぐずぐずしていては決心が鈍る、と思った。 翌日、ホテルをチェックアウトすると、フロントへ荷物を預けてアダルトスクールへ最後の授業を受けに行った。授業終了後、先生に今までのお礼と今夕グレーハウンドバスで出発すると伝えた。先生は、せっかく授業に馴染んできたところなのに残念だ。でも、すばらしいことだからがんばれ。旅行が終わったらまた学校に戻って来なさいと言った。30代後半ぐらいのちょっときれいな優しい先生だった。クラスメートも口々に応援してくれた。このアダルトスクールに通ったのは1週間強だったが、みんなと別れると思うと少しさびしかった。 その後しばらく街を散歩してから預けた荷物を受け取りにホテルへ戻った。4時頃だった。事前に確認したバスの出発時間は夜8時だ。時間があったのでとりあえずロビーで時間をつぶすことにした。そこへ何度か話したことがある日本人の泊り客がやって来た。30歳前後の痩せ型の男性だ。茶色の革ジャンとサングラスが遊び人っぽい。ロサンゼルスが好きで会社の休暇を利用して遊びに来ているらしい。一週間程度の予定でここに滞在中とのことだ。今夕グレーハウンドでサンフランシスコに出発するというと、バスターミナルの周りは治安が最悪だからタクシーで行ったほうがいいよと教えてくれた。確かにグレーハウンドのターミナルは基本的にダウンタウンの中心にあり、大概そこはその街で最も治安が悪い。ガイドブックにも気をつけようと書いてあった。 とはいっても、この先のことを考えるとできるだけ出費は押さえたい。僕はタクシーを避け、ターミナルの近くを通るローカルバスで行くことにした。安全を考え少し早目の5時半頃ホテルを出た。

  • ’80s ある旅の情景10

    ⒐森田 ホテルへ移ってからも森田はなにかと気にかけてくれた。現地の情報や心得を教えてくれ、ロサンゼルスにいた2週間強のあいだ週末ごとに車で迎えに来て面白そうな場所を案内してくれたりした。最初の土曜日はホテルニューオータニのロビーで落ち合いハリウッドへ向かった。フリーウエイを走ってしばらくすると、「おっ、あれあれ!」と森田が窓の外を見るよう促した。そこには山並みに立てられた〝HOLLYWOOD〟の白い文字看板があった。見たことのある景色だ。Billy Joelのアルバムのジャケットだったか・・・。 本当にアメリカに来たんだなと思った。チャイニーズシアターで有名人の手形を見た後UCLAへ行き、夜はリトルトーキョーでかつ丼を食べた。森田は日本食が恋しくて毎週末リトルトーキョーへ通っているそうだ。 翌週は金曜日と土曜日の2回出かけた。金曜日はアナハイムのディズニーランドへ行った。意外に来園客は少なかった。そのためかどうか多くのアトラクションが中止となっていた。スペースマウンテンが止まっていたのは少し残念だった。 土曜の夜はサンタモニカへ飲みに行った。この辺りは治安が良いみたいで、日本と変わらぬ賑わいようだ。みんな楽しそうに騒いでいた。パブを2軒はしごした後ディスコへ行った。まるで映画サタデーナイトフィーバーのような大変な盛り上がり方だ。超満員でとても長くいられる状態ではない。早々に店を後にした。 夜のビーチに座ってビールを飲んでいると、「おいおい、本当にここはアメリカなんか?日本と全然かわらんがな。皆がおったら今頃焚き火を始めるとるんじゃねえか」と森田が笑いながら言った。海を見ながら飲むビールはうまかった。その夜ホテルに帰ったのは午前2時半だった。

  • ’80s ある旅の情景9

    ⒏ロサンゼルスでの日常 ロサンゼルスに来てからアダルトスクールをはじめとして多くの知り合いができた。ホテルでの自炊にも慣れてきたし生活は快適だった。こちらは食料品等の生活必需品も安いしホテルも1週間、1ヵ月と長期のディスカウント料金の設定がある。日本人コミュニティもあり、飲食店の店員を中心とする日本人向けのアルバイトも充実している。日本人が長期滞在をするには非常に楽な場所である。事実、なんとなく住み着いている日本人が大勢いた。そのころの僕の平日は大体こんな感じだった。 8時頃 起床、洗顔・歯磨き、テレビのニュースを見ながら朝食 9時~14時半 アダルトスクール 14時半~18時 街をぶらぶら、市場等で買い物、読書 19時~20時 シャワーの後、自炊による夕食 食パン、ビール、ステーキ 20時~24時 テレビ、読書等、たまにホテルのロビーで宿泊客と談笑 24時頃 就寝 自炊の食材は大体市場で買った。こちらは牛肉が驚くほど安いのでほぼ毎日大きなTボーン・ステーキを食べていた。調理器具、食器はホテルが無料で貸してくれた。自炊をしている分には食費はかなり低く抑えられた。生活も安定し、毎日楽しく過ごしているうちに、このまま英語の勉強をしながらここに留まるのもいいかな、などと思い始めた。

  • ’80s ある旅の情景8

    ⒎アダルトスクール 日米文化会館の英語講習で知り合った現地のおばさんにアダルトスクールというものがあることを教えてもらった。アダルトスクールとは、州や市の税金・援助で運営される政府公認の語学学校で、英語を母国語としない移民のためにESL(ENGLISH AS A SECOND LANGUAGE)クラスを安価(年50セント)で開講しており、読む、書く、聞く、話す、の英語四技能を総合的に学べる。学校自体は月曜日から金曜日の週5日制で、9時から14時半くらいまでの開講らしい。入学は随時認められ、受講時間・期間とも各自の都合に合わせてかなり柔軟に対応してくれる。僕も、行ったその日に簡単なクラス分けテストを受け、そのまま授業を受けた。クラスは基礎から上級まで八段階ぐらいあり、僕は中級クラスに入った。 アダルトスクールは日本人にあまり知られていない為、語学学校と違ってほとんど日本人がいない。僕が行ったところはロサンゼルスのダウンタウンという場所柄か中南米からの移民が大半を占めていた。クラスメートの年齢は10代から60代ぐらいと幅広く、国籍も多様だった。彼らは、とても積極的に授業に参加する。ブロークンイングリッシュを駆使して発言しまくる。そのため授業はにぎやかで活気があった。これだけ積極的に話せば上達は早いだろう。人懐っこい人が多く、ここでもたくさんの人と知り合った。校舎は平屋の簡素な建物で、校庭にあった卓球台が休み時間に生徒の人気を集めていた。 通学の為、アダルトスクールへ歩いていける「ブランドン」というホテルへ移った。ここも地球の歩き方で紹介されていたところだが、加宝と比べると日本人は少なく、部屋にキッチンがついていたこともあり、ロビーに行くこともぐっと少なくなった。ここに来てから人と話す時間は激減した。

  • ’80s ある旅の情景7

    ⒍治安 こちらに来て数日後の出来事だった。初めてダウンタウンのブロードウェイに行ったとき、前から来たホームレスの黒人が、ギミーアダラーと声をかけてきた。僕は「ノー」と小声で言ってかぶりを振り、通り過ぎた。日本ならまず何も起こらないだろう。しかしこのときはいつもと随分違った。まず背後で大きなブレーキ音がなった。そして、なんだろうと振り返ると、ドラマでよく見たことのある光景が目に飛び込で来た。それは、「急停車したパトカーから警官が2人降りてきて、黒人をホールドアップさせ、壁に押し付ける」 という一連の逮捕劇で、一瞬の早業だった。何が起こっているのかすぐにはわからなかったが、どうやら、その黒人が僕を狙っているのを、たまたまパトロール中の警官が見つけて助けてくれた、ということらしい・・・ やはり、ここは日本ではないのだ。 こちらではよく、ギミーアダラーだとかワンダラープリーズと声をかけられる。このような場合の対処法として”地球の歩き方”には、「相手の目を見て、毅然とした態度で”ノー!”と言おう」と書いてある。しかしこれをすると、恐ろしい目でにらまれたり、きたない言葉を投げつけられたりすることがままある。特に、低い声で威圧的にお金をくれという相手の場合は、そうなることが多かった。やばい雰囲気になって、走って逃げたこともある。日本人同士の会話に置き換えて考えれば分かることだが、同じギミーアダラーにも「お金を恵んでください」と「金をよこせ」には大きな違いがある。両者に同じ対応をすればどうなるかは想像に難くない。相手が外国人だからといって違いはないだろう。やはり何事も常識に照らして考えてみることが大事だ。ちなみに他の多くのガイドブックには、「安全の為、絡まれた時すぐ渡せる少額のお金を用意しておこう」と書かれていることを帰国後知った。 単独行動は同行者がいる場合に比べて犯罪等のターゲットになる確率が圧倒的に高い。これはひとり旅の大きなデメリットだろう。旅行者にとって最も大切なのは安全対策だ。土地勘がないよそ者が正しく判断し対処することはとても難しい。危険の度合いがわからないからだ。地元の人がもつ“どこがどの程度危険か”といった情報や知識がないし、馴染みのない土地では危険を察知する嗅覚が働かない。そのためこのあたりは治安が悪いといわれると、過度に恐れるかたいしたことはないだろうと高を括るか、という極端な反応をしがちだ。前者の場合は行

  • ’80s ある旅の情景6

    ⒌ヤオハン決死隊 ホテル加宝のリビングに座って5~6人で話していたときのことだ。「18時30分か、どうする?」とヤナギさんが言った。「じゃんけん?」「前回負けたもんは除いてくれんか。わし、この前命がけで行ったんやで」「毎回が勝負だよ。新しい参加者もいるし」「じゃあ、今日は負けた2人が行こうか」ということでじゃんけんが始まった。19時過ぎるとヤオハンの弁当が半額になる。そこで、彼らはこうして決死隊を組んでヤオハンに買い出しに行くのである。 当初どちらかというと和やかに感じたこの界隈は、実はあまり治安のよくないエリアであることがだんだんわかってきた。リトルトーキョーだけは安全だとのことだが、そもそもリトルトーキョー自体がスラムに囲まれているというひどい立地だ。こちらに来てから、街を歩いていた知り合いが突然背後から撃たれただとか、わずか一ブロック歩く間に女性が2度襲われた、といった恐ろしい話をいくつも聞かされた。車に乗ってるときさえ安心できない。ダウンタウンでは、深夜は赤信号でも決して停車してはならないと言われたりもした。 というわけで、夜暗くなってからこの辺を歩き回るには、それなりの覚悟を要する。しかし日本食の誘惑には抗いがたく、ついつい決死隊を組んでまでもヤオハンに通ってしまうのである。幸い買い出しの途中で不幸な目にあった人はまだいないようだ。

  • ’80s ある旅の情景5

    ⒋日米文化会館の英語講習 今日はリトルトーキョーの日米文化会館での日本人向け英語講習に来てみた。ここのことはホテルの宿泊客であるヤナギさんに教えてもらった。日本人が集まるホテルに泊まるいちばんのメリットは、なんといってもこういった日本人向けの情報が入手しやすいことだろう。 この講習会は月~木夕方、3時間、18時から21時まで開かれている。17時40分ごろに着くと、集会室のドアの前で開場時間を待っている人が2人いた。開始10分前にドアが開くとのことだ。前に並んだ女の人は語学留学の学生で、ここには時々来ているそうだ。けっこうかわいい。ロサンゼルスに来て1年らしい。待ってるうちに人数が増えてきて10人以上になった。 名前を登録しただけで簡単に受講が認められた。特別な入会制限はなく、受講費は年会費50セントのみという安さだ。日本人の話し相手を求めて参加する人もいれば、英語習得の必要に迫られた真剣な人まで受講者は様々だ。学生から老人まで年齢も幅広い。メンバーの入れ替わりは激しいようだが、気が向いたときだけたまに参加するというスタイルで、長く通っている人も少なくないようだ。しばらく来ていなかった人が久しぶりに顔をだすといったことも珍しくないそうである。 先生は日系アメリカ人のリチャード塩田さん。50歳前後だろうか。ボランティアで教えているようだ。隣人と英語で挨拶したあと、順番に自分の相手をみんなに向かって紹介するという形で授業が始まった。内容は会話の練習、基本的なフレーズの習得、リスニングの基礎等多岐にわたった。夜、日本から遠く離れた場所で、知らない人達と英語の授業を受けていると思うと、何だか不思議な気がした。途中15分間の休憩があった。いろんな人の話が聞けて面白かった。日本人との会話を求めて受講している日系人のおじさんやおばさんは、地元の方ならではの現地情報や変わった経験談をいろいろ教えてくれた。全体を通して和やかで明るい雰囲気の授業だった。

  • ’80s ある旅の情景4

    3.映画館 遅めの朝食を済ませて、ダウンタウンのブロードウェイへ出かけた。映画館や商店などが集まるにぎやかな通りだが、同じブロードウェイでもニューヨークのとは違いすさんだ雰囲気だ。 ここに来たのはポルノ映画を見るためだ。これはアメリカへ行ったらやってみたいと思っていたことのひとつだ。僕は〝ⅩⅩⅩ(トリプルエックス)〟の看板を掲げた映画館のうちの一つに入った。館内は真っ暗だったが、足元の明かりを頼りに席に座った。初めのうちこそ、日本では見れないノーカット映画を大画面で見ているんだ、という感動めいたものもあったが、ストーリーがあるわけでもなし、しばらくすると飽きてきた。やはり何事も実現するまでが楽しいのだろう。 目が慣れてきたので周りを見渡してみた。平日の昼間のせいもあるだろうが客はあまりいないようだ。床にはごみがころがっており薄汚いという表現がピッタリだ。なにやらごそごそと客席も落ち着かない雰囲気だ。 館内がどうなっているのか興味がわいたので、トイレにでも行ってみようと席を立った。通路への出入口に背の高い人が1人立っていた。非常灯の明かりでちらっと見ただけなので、顔はよくわからなかったが黒人のようだ。190センチぐらいはあっただろうか。トイレは汚かった。出口に向かうと、さっきのでかい黒人が立っていた。こちらを見ている。ショッキングピンクのピタッとしたワンピースを着ている。 どうやら女性(女装した男性?)のようだ。後をつけてきたのだろうか・・・ と思った瞬間、そのでかい女はおもむろにミニスカートをたくし上げて下着をこちらに見せた。それから自分の股間を指さしながら、「○○ダラー、○○ダラー」(○○は金額。いくらだったかは忘れた)と大きな太い声で連呼し始めた。まさに「ヒェ~」で、必死の思いで彼女の横を駆け抜けた。席へ戻ってしばらくの間、ふ~ん、こっちではああいうのは違法じゃないのか・・。とか、日本では中々できない経験ではあったなぁ。などと、どうでもいいことをぼ~っと考えた。

  • ’80s ある旅の情景3

    ⒉リトルトーキョー(2) ロサンゼルスの中心街は高層ビルが立ち並ぶ都会で活気がある。街の中心と思われる辺りでバスを降りて歩いてみた。店舗のウインドウに映ったリュックを背負う自分の姿は見るからに旅行者で景色に馴染んでいない。自分は本当によそ者なんだと感じた。 街の中心部にある公園を抜けてしばらく行くと大きな市場があった。衣類、生活雑貨をはじめとして、肉、野菜、果物、乳製品、パンなどさまざまな食料品が売られている。しかも安い。地元の特産品と活気があふれている。ここにいると自分も元気になる気がする。 市場で食パン一斤、洋ナシ数個、〝トロピカーナ〟というブランドのオレンジジュース、バドワイザー3缶を買いホテルに向かった。バドワイザーと値段が安いトロピカーナのジュースは、アメリカ滞在中の定番品になった。 ホテルに着いたのは午後1時を回ったころだったと思う。「ホテル加宝」は街の中心部からからはずれた閑散とした場所にあった。日当たりはよさそうだ。歩いている人はほとんどいない。どちらかというと和やかな雰囲気に思えた。建物自体はなかなかきれいだ。入口は小さなホテルに似つかわしくない頑丈そうな鉄の扉だった。この扉はいつも鍵がかかっており呼び鈴を押すと中から開けてくれる。宿泊客には合鍵を渡してくれるようだ。宿泊料金は朝食付き週93.5ドル。1ドル204円だから19,074円。ダブルルームしか空きがなかったのでしかたない。シングルルームは週71ドルなので、空いたらすぐに移してもらうことにした。しかし長期滞在者が多く中々空きは出なさそうだ。 チェックインを済ませると部屋に荷物を置いて周辺の散策に出かけた。数ブロック先にホテルニューオータニがあった。ロビーには、スタッフや宿泊客など多くの日本人がいた。なんか安心する。ホテルでタウンマップをもらいリトルトーキョーへ行ってみた。何軒かの店と小さなホテルが通りを挟んで立ち並んでいる。思ったより小さなエリアだ。 どこに行ってもチャイナタウンを造る中国人をはじめ、一か所に集まって街を造ることが多い他国人に比べ、日本人がこのような街を造るのは珍しいようだ。以前見た映画ゴッドファーザーで、移民が力を合わせて生き抜く手段として、リトルイタリーを建設する過程が描かれていたことを思い出した。リトルトーキョーを建設した日本人移民にもいろんな思いや歴史があったのだろう。 夕方ホテルへ帰った。共同のシャワーを浴びて、

  • ’80s ある旅の情景2

    ⒉リトルトーキョー(1) シャワーの後、”地球の歩き方”を広げてみた。ロサンゼルスの項をみると日本人が集まるホテルがいくつか紹介されている。リトルトーキョーの近辺に多くあるようだ。やっぱり最初は日本人街の近くがええか。僕はいくつかの紹介文を読み、「加宝」というホテルに目星を付けた。心が決まると眠くなってきた。いつのまにか夜11時を過ぎていた。 朝起きるとシャワーの音が聞こえた。朝シャワーを浴びるんか・・・。森田はここでの生活にすっかり馴染んでいるようだ。シャワー室から出てきた森田に、「今日からホテルに泊まるわ」と告げた。 「何でぇ?えれぇ急じゃなぁ。」「そがん急がんでももうちょっとおったらええが。」「大家のおばはんもええ言うとるでぇ。」「遠慮せんでもええのに。」 森田はしばらくの間引き留めてくれたが、僕の気持ちが変わらないと知ると学校が終わったら送ると言ってくれた。でも僕はバスで行こうと決めていた。迷惑をかけたくないのもあったが、ここから先は自力でやりたかった。 朝8時頃家を出て、大通りのバス停で待っているとロサンゼルス市街行と思われる大型のバスが来た。路線番号頼りなので少し不安だ。バスに乗るとすぐに運転手にたどたどしい英語でロサンゼルスの中心街に行くか、と尋ねた。イエスと言ったのは聞き取れた。ほかにもいろいろしゃべっていたがさっぱりわからない。とりあえず空いている席に座った。乗客は10人ぐらいだった。老人と黒人ばっかりだ。バスは結構きれいだった。 しばらくして日本のバスには必ずある、降車を知らせるための呼び鈴がないことに気付いた。どうやって降りるんだろうと周りの様子を窺っていると、斜め後ろのおばあさんが窓の下の黒いベルトを押した。すると次のバス停でバスが停車。おばあさんはよたよたと降りて行った。どうやらこちらの呼び鈴のボタンは窓の下に張り付けられたゴムベルトのようだ。右も左もわからない状況では、「その場でいちばん頼りになりそうな人に聞く。」「周りの人がどうしているか見て真似る。」のが1番いい。それから後、僕はずっとそうした。

  • ’80s ある旅の情景1

    1.アメリカ入国 1980年代半ばの10月。大学を休学した僕はカリフォルニアに向かう飛行機の中にいた。長いフライトの後やっと到着したロサンゼルスの街を窓から見おろしたとき、これから始まる旅への期待で胸が高鳴った。 12時過ぎに空港に着いて飛行機を降りると長い行列に並んだ。税関を抜けるのに1時間以上かかった。聞きしに勝る混雑だ。個人旅行者に厳しいといわれる入国審査では案外すんなり四ヵ月の滞在許可を出してくれた。インドで懲りて代表的な問答を事前に予習した成果だろうか。本当はもう少し長く滞在したいと思ったのだが、昨年より観光ビザでの滞在に対する規制が厳しくなり(原則3ヵ月、長くて4ヵ月)、かなり厳格に運営され始めた。4ヵ月を認めてもらえただけでもよしとすべきなのだろう。時間は14時になっていた。 空港を抜けると森田に電話した。地元の友人である森田は、家業を継ぐためサンタモニカに留学して宝石鑑定の勉強をしていた。僕は待ち合わせ場所のタクシー乗り場へ歩いた。そして歩道にバックパックを置いて、その上に座った。少し眠くなり始めたころ、ねずみ色の車が目の前で急停車した。15時を少し過ぎていた。「わりぃ、わりぃ。待った?道がでぇれえ混んどったんじゃ~」と言いながら車から降りてきた森田は、あいかわらず人懐っこい笑顔で「時差ボケ大丈夫?」と聞いた。 日本からの乗換地であるソウルを出発した後すぐ時計を17時間遅らせた(19時発のとき午前2時にした)ためか時差ボケは特に感じなかった。時差のある場所へ行くときは常に出発直後に時計の針を現地時間に変えて眠ることにしている。この時差ボケ対策はかなり効果的だと思う。ソウルで乗り換えたのは格安航空便の大韓航空で来たからだ。日本航空は高根の花だった。 荷物をトランクに入れて車に乗りこんだ。森田が椅子に転がっているラジカセのスイッチを入れると聞いたことのある英語の曲が流れてきた。カーステレオはついていないようだ。フリーウエイに入ると車はどんどん加速した。スピードメーターはやっぱりマイル表示なんだな・・・などと妙なことに感心した。 途中スーパーで買い物をして森田のホームステイ先へ行った。サンタモニカの閑静な住宅街にある大きな一戸建だ。あたりのどの家も芝生の庭に木が植えられていた。大家の奥さんは愛想よく出迎えてくれた。今日はここに泊めてもらうことになっている。 夕食は2人で料理したおでんだった。先ほどスーパ

  • ワイングラスで美味しい日本酒アワード2024

    2月上旬に私もスタッフとして参加した“ワイングラスで美味しい日本酒アワード2024”の結果が発表されました。より広い世代、国の方々に日本酒を広げることを目指して2011年に始められたこのコンテストも今年で14年目となりすっかり定着した感があります。

  • おでんで熱燗ステーション

    寒さ厳しい2月の週末、JR両国駅まぼろしの3番線ホームでおでんを食べながら燗酒コンテスト入賞酒を飲むという、聞いただけで心が躍るイベント「おでんで熱燗ステーション」に行ってきました。

  • 斎藤酒場_十条

    商店街で有名な十条駅のすぐ近くにある斎藤酒場は1928年開業の老舗居酒屋。外観は木造瓦葺きで余計な装飾もなく至ってシンプルな造り。店内は仕切りがなく広々として天井も高いので開放感がある。年季の入った柱や一枚板のテーブル、壁一面に張られた手書きメニューやレトロなポスターなどが飴色の空間を作り出し、昭和な雰囲気満点。各テーブルに飾られた生花がそこはかとない上品さを醸しているのも良い。

  • 喜の川_一関

    以前から行きたかった平泉を訪問し一関に宿泊。日本酒の品揃えが豊富であるとホテルに紹介された居酒屋「喜の川」に行きました。 入口はこじんまりとしていますが、いかにも東北の居酒屋といった風情を感じます。中に入ると10席ほどのカウンターと奥に座敷があり意外に広い店内は、18時半という早い時間であるにもかかわらず、すでに大変な混みようで盛り上がっていました。

  • 観月雅楽演奏会

    暑さがやっと収まり、空気が澄んだ秋空に浮かぶ月が日増しに美しくなってきました。 10月25日に大宮の氷川神社舞殿で催された観月雅楽演奏会は、美しい月を見ながら雅楽の演奏と舞を楽しむというこの季節にぴったりの催しでした。

  • 最高金賞の燗酒

    以前スタッフとして参加した全国燗酒コンテスト2023の最高金賞受賞42社の表彰式が10月中旬にありました。コンテストでは全国241社から出品された808点が、お値打ちぬる燗部門、お値打ち熱燗部門、プレミアム燗酒部門、特殊ぬる燗部門(にごり酒、古酒等)の4部門に分けられ、52名の審査員によるブラインドテイスティングで審査され、各部門の上位5%、42銘柄が最高金賞に認定されました。(詳細は以下のサイトをご覧ください。 http://www.kansake.jp/#aOutline)

  • 花火酒

    花火を見ながら酒を飲む。 至福のひと時です。 今年は2回花火を見ました。1回目は夏の盛りの8月初旬、2回目はやっと涼しくなった10月中旬。夏の花火もいいですが、空気が澄んだ秋の花火も風情があってとてもよかったです。

  • 武蔵の國の酒祭り2023

    9月30日(土)「武蔵の國の酒祭り2023」のボランティアスタッフを務めました。2013年から東京都酒造組合が催すこのイベントは、醸造の神様『松尾神社』が鎮斎される大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)で日本全国から集まった酒を利き酒するという、まさに「酒祭り」と呼ぶにふさわしいもの。コロナ禍で中止が続いたため4年ぶりの開催です。

  • 小川町地酒めぐり_埼玉県

    9/23(土)埼玉県の小川町で開催された地酒めぐりのイベントに行きました。小川町は池袋から東武東上線で1時間強の町。初めて行ったのですが中々風情のあるところで、和紙のふるさと、小京都などとも呼ばれている歴史ある町です。すぐ近くの川越は小江戸だし埼玉も中々奥深い。 地酒めぐりは、駅から分20分おきに走る専用シャトルバスで松岡醸造、晴雲酒造、武蔵ワイナリーをめぐるというイベントで、各蔵で日本酒とワインの試飲、やきとり、コロッケ、たこ焼き、ゆでハムなどなど地元グルメを楽しめ、音楽ステージも開催されまるという結構凝ったものです。3会場で使える試飲チケットは前売り1,500円とリーズナブル。

  • キャンプ酒2

    良い季節になってきたので、週末那須高原へキャンプに行きました。 車で走ること2時間強、いつもならキャンプ場へ近づくにつれ気温も下がってきて高原らしいさわやかな気候になってくるのですが、思いのほか暑い。 キャンプ場に着き、テントを張ってもろもろのセッティングを終えた12時半ごろには汗びっしょりになっていました。すぐにでも椅子に座ってビールを飲みたいところですが、その前にシャワーを浴びることにしました。

  • キリンビール 横浜工場

    キリンビール 横浜工場は、京浜急行生麦駅から徒歩約10分と便利な立地で、敷地内にビアホールも有る、工場見学プラスアルファが期待できる魅力的な施設です。緑の多い落ち着いた環境に佇む工場は、モダンで洗練された建物。雰囲気もグッドです。

  • 真夏の熱闘、全国燗酒コンテスト

    8月1日全国燗酒コンテストのスタッフを務めました。 当日朝8時に開催場所である神保町の学士会館に集合したスタッフは約40人。皆日本酒大好き、燗酒大好きといった雰囲気に溢れています。準備があらかた完了したころ審査員が会場入りし、10時半に熱戦の火ぶたが切られました。

  • 日本酒のまち京都・伏見

    日本3大酒どころの一角を占める京都・伏見。駅を出るとすぐの商店街アーケードには日本酒のまち京都・伏見という大きな垂れ幕が下げられており、伏見の酒を飲ませる飲食店や酒器を販売する店などがあり、灘に劣らず日本酒を前面に出して町おこしをしていることが伺える。 ここでは、ぶらぶらと歩きまわって酒の町の風情を堪能し、点在する蔵を見学するといった楽しみかたができます。

  • 月桂冠の酒まんじゅう

    日本3大酒どころ京都・伏見の老舗「月桂冠」の大倉記念館を訪れました。 ここでは月桂冠の歴史に沿ってストーリー形式で展示された京都市有形民俗文化財指定の貴重な酒造道具の数々を見ることができ、また敷地内の井戸で酒造に使われる伏見の名水、伏水(ふしみず)を飲むことができます。中庭もきれいで、この日は天気が良かったのでとても気持ちよく過ごせました。 酒好きにはぜひ訪れたい場所のひとつでしょう。

  • 灘五郷酒蔵巡り_白鶴

    菊正宗から5~6分歩いたところに日本酒生産量トップを誇る白鶴酒造の資料館があります。初めて知ったのですが、この前に訪問した菊正宗と白鶴は同じ一族が経営しており、本家の菊正宗は本嘉納(ほんかのう)、分家の白鶴は白嘉納(はくかのう)と呼ばれているとのことです。 灘の酒が生産量日本一になったのは、良質な仕込み水である宮水の発見、六甲山系の急流を利用した水車による精米、六甲おろしの寒気、海路を使った輸送などの恵まれた立地条件によるといわれる。しかし江戸時代に発展したこの地が、今でも20超の日本酒メーカーを有し日本酒の25%を出荷し続ける日本一の酒どころであり続けられるのは、この両家を代表とする灘の酒造メーカーの長年の努力によるところが大きいのだろう。

  • 灘五郷酒蔵巡り_菊正宗

    櫻正宗から歩いて5~6分、剣菱の魚崎蔵の前を通りすぎて少し行ったところに菊正宗の酒造記念館があります。 このあたりは酒蔵が密集しており、通りの名前も「酒蔵通り」と、まさに酒の町という風情です。

  • 灘五郷酒蔵巡り_櫻正宗

    世界一の酒産量を誇るといわれる灘で4つの酒蔵を巡りました。 梅田から阪神電車で約30分の魚崎駅で下車。スマホの地図を頼りに歩こうと思ったのだが、画面が小さいため全体像をつかみづらく弱っていたところ、運よく駅員さんが通りかかった。酒蔵を周りたいので周辺の様子がわかる地図はないか尋ねたら、「灘の酒蔵」というモデルルート付きのとても見やすい地図を出してくれ、にこやかに道を教えてくれた。 さすが日本一の酒どころ灘五郷の駅員さん、酒飲みに親切です。

  • 春日大社至福のひととき

    季節外れの台風接近による大雨のなか春日大社に参拝しました。 前日から大阪に滞在していた私はこの日奈良に移動する予定だったが、朝ニュースをみると兵庫、大阪、京都、和歌山と、奈良を除いた近畿地方一帯に大雨警報が発令されており、電車もいつ停まるかわからない様子。 午後に向けて雨量が増すことは分かっているので、予定通り奈良に行ってもホテルに缶詰めになるのがおちだろう。予定を変更して、新幹線が止まる前に東京に帰るか、宿泊中のホテルに延泊して台風をやりすごすかのどちらかが現実的だろうと、この時は思っていたのだが…

  • 久村の酒場_酒田

    北前船で栄えた酒田にある老舗居酒屋「久村の酒場」に行きました。庄内地方は日本有数の米どころで清涼な水にも恵まれているため古くから酒造りが盛んな地。そこで人気のあるこの店は、酒屋が経営することから日本一の角打ちとも呼ばれているそうです。

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