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2024/02/22

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  • ’80s ある旅の情景6

    ⒌ヤオハン決死隊 ホテル加宝のリビングに座って5~6人で話していたときのことだ。「18時30分か、どうする?」とヤナギさんが言った。「じゃんけん?」「前回負けたもんは除いてくれんか。わし、この前命がけで行ったんやで」「毎回が勝負だよ。新しい参加者もいるし」「じゃあ、今日は負けた2人が行こうか」ということでじゃんけんが始まった。19時過ぎるとヤオハンの弁当が半額になる。そこで、彼らはこうして決死隊を組んでヤオハンに買い出しに行くのである。 当初どちらかというと和やかに感じたこの界隈は、実はあまり治安のよくないエリアであることがだんだんわかってきた。リトルトーキョーだけは安全だとのことだが、そもそもリトルトーキョー自体がスラムに囲まれているというひどい立地だ。こちらに来てから、街を歩いていた知り合いが突然背後から撃たれただとか、わずか一ブロック歩く間に女性が2度襲われた、といった恐ろしい話をいくつも聞かされた。車に乗ってるときさえ安心できない。ダウンタウンでは、深夜は赤信号でも決して停車してはならないと言われたりもした。 というわけで、夜暗くなってからこの辺を歩き回るには、それなりの覚悟を要する。しかし日本食の誘惑には抗いがたく、ついつい決死隊を組んでまでもヤオハンに通ってしまうのである。幸い買い出しの途中で不幸な目にあった人はまだいないようだ。

  • ’80s ある旅の情景5

    ⒋日米文化会館の英語講習 今日はリトルトーキョーの日米文化会館での日本人向け英語講習に来てみた。ここのことはホテルの宿泊客であるヤナギさんに教えてもらった。日本人が集まるホテルに泊まるいちばんのメリットは、なんといってもこういった日本人向けの情報が入手しやすいことだろう。 この講習会は月~木夕方、3時間、18時から21時まで開かれている。17時40分ごろに着くと、集会室のドアの前で開場時間を待っている人が2人いた。開始10分前にドアが開くとのことだ。前に並んだ女の人は語学留学の学生で、ここには時々来ているそうだ。けっこうかわいい。ロサンゼルスに来て1年らしい。待ってるうちに人数が増えてきて10人以上になった。 名前を登録しただけで簡単に受講が認められた。特別な入会制限はなく、受講費は年会費50セントのみという安さだ。日本人の話し相手を求めて参加する人もいれば、英語習得の必要に迫られた真剣な人まで受講者は様々だ。学生から老人まで年齢も幅広い。メンバーの入れ替わりは激しいようだが、気が向いたときだけたまに参加するというスタイルで、長く通っている人も少なくないようだ。しばらく来ていなかった人が久しぶりに顔をだすといったことも珍しくないそうである。 先生は日系アメリカ人のリチャード塩田さん。50歳前後だろうか。ボランティアで教えているようだ。隣人と英語で挨拶したあと、順番に自分の相手をみんなに向かって紹介するという形で授業が始まった。内容は会話の練習、基本的なフレーズの習得、リスニングの基礎等多岐にわたった。夜、日本から遠く離れた場所で、知らない人達と英語の授業を受けていると思うと、何だか不思議な気がした。途中15分間の休憩があった。いろんな人の話が聞けて面白かった。日本人との会話を求めて受講している日系人のおじさんやおばさんは、地元の方ならではの現地情報や変わった経験談をいろいろ教えてくれた。全体を通して和やかで明るい雰囲気の授業だった。

  • ’80s ある旅の情景4

    3.映画館 遅めの朝食を済ませて、ダウンタウンのブロードウェイへ出かけた。映画館や商店などが集まるにぎやかな通りだが、同じブロードウェイでもニューヨークのとは違いすさんだ雰囲気だ。 ここに来たのはポルノ映画を見るためだ。これはアメリカへ行ったらやってみたいと思っていたことのひとつだ。僕は〝ⅩⅩⅩ(トリプルエックス)〟の看板を掲げた映画館のうちの一つに入った。館内は真っ暗だったが、足元の明かりを頼りに席に座った。初めのうちこそ、日本では見れないノーカット映画を大画面で見ているんだ、という感動めいたものもあったが、ストーリーがあるわけでもなし、しばらくすると飽きてきた。やはり何事も実現するまでが楽しいのだろう。 目が慣れてきたので周りを見渡してみた。平日の昼間のせいもあるだろうが客はあまりいないようだ。床にはごみがころがっており薄汚いという表現がピッタリだ。なにやらごそごそと客席も落ち着かない雰囲気だ。 館内がどうなっているのか興味がわいたので、トイレにでも行ってみようと席を立った。通路への出入口に背の高い人が1人立っていた。非常灯の明かりでちらっと見ただけなので、顔はよくわからなかったが黒人のようだ。190センチぐらいはあっただろうか。トイレは汚かった。出口に向かうと、さっきのでかい黒人が立っていた。こちらを見ている。ショッキングピンクのピタッとしたワンピースを着ている。 どうやら女性(女装した男性?)のようだ。後をつけてきたのだろうか・・・ と思った瞬間、そのでかい女はおもむろにミニスカートをたくし上げて下着をこちらに見せた。それから自分の股間を指さしながら、「○○ダラー、○○ダラー」(○○は金額。いくらだったかは忘れた)と大きな太い声で連呼し始めた。まさに「ヒェ~」で、必死の思いで彼女の横を駆け抜けた。席へ戻ってしばらくの間、ふ~ん、こっちではああいうのは違法じゃないのか・・。とか、日本では中々できない経験ではあったなぁ。などと、どうでもいいことをぼ~っと考えた。

  • ’80s ある旅の情景3

    ⒉リトルトーキョー(2) ロサンゼルスの中心街は高層ビルが立ち並ぶ都会で活気がある。街の中心と思われる辺りでバスを降りて歩いてみた。店舗のウインドウに映ったリュックを背負う自分の姿は見るからに旅行者で景色に馴染んでいない。自分は本当によそ者なんだと感じた。 街の中心部にある公園を抜けてしばらく行くと大きな市場があった。衣類、生活雑貨をはじめとして、肉、野菜、果物、乳製品、パンなどさまざまな食料品が売られている。しかも安い。地元の特産品と活気があふれている。ここにいると自分も元気になる気がする。 市場で食パン一斤、洋ナシ数個、〝トロピカーナ〟というブランドのオレンジジュース、バドワイザー3缶を買いホテルに向かった。バドワイザーと値段が安いトロピカーナのジュースは、アメリカ滞在中の定番品になった。 ホテルに着いたのは午後1時を回ったころだったと思う。「ホテル加宝」は街の中心部からからはずれた閑散とした場所にあった。日当たりはよさそうだ。歩いている人はほとんどいない。どちらかというと和やかな雰囲気に思えた。建物自体はなかなかきれいだ。入口は小さなホテルに似つかわしくない頑丈そうな鉄の扉だった。この扉はいつも鍵がかかっており呼び鈴を押すと中から開けてくれる。宿泊客には合鍵を渡してくれるようだ。宿泊料金は朝食付き週93.5ドル。1ドル204円だから19,074円。ダブルルームしか空きがなかったのでしかたない。シングルルームは週71ドルなので、空いたらすぐに移してもらうことにした。しかし長期滞在者が多く中々空きは出なさそうだ。 チェックインを済ませると部屋に荷物を置いて周辺の散策に出かけた。数ブロック先にホテルニューオータニがあった。ロビーには、スタッフや宿泊客など多くの日本人がいた。なんか安心する。ホテルでタウンマップをもらいリトルトーキョーへ行ってみた。何軒かの店と小さなホテルが通りを挟んで立ち並んでいる。思ったより小さなエリアだ。 どこに行ってもチャイナタウンを造る中国人をはじめ、一か所に集まって街を造ることが多い他国人に比べ、日本人がこのような街を造るのは珍しいようだ。以前見た映画ゴッドファーザーで、移民が力を合わせて生き抜く手段として、リトルイタリーを建設する過程が描かれていたことを思い出した。リトルトーキョーを建設した日本人移民にもいろんな思いや歴史があったのだろう。 夕方ホテルへ帰った。共同のシャワーを浴びて、

  • ’80s ある旅の情景2

    ⒉リトルトーキョー(1) シャワーの後、”地球の歩き方”を広げてみた。ロサンゼルスの項をみると日本人が集まるホテルがいくつか紹介されている。リトルトーキョーの近辺に多くあるようだ。やっぱり最初は日本人街の近くがええか。僕はいくつかの紹介文を読み、「加宝」というホテルに目星を付けた。心が決まると眠くなってきた。いつのまにか夜11時を過ぎていた。 朝起きるとシャワーの音が聞こえた。朝シャワーを浴びるんか・・・。森田はここでの生活にすっかり馴染んでいるようだ。シャワー室から出てきた森田に、「今日からホテルに泊まるわ」と告げた。 「何でぇ?えれぇ急じゃなぁ。」「そがん急がんでももうちょっとおったらええが。」「大家のおばはんもええ言うとるでぇ。」「遠慮せんでもええのに。」 森田はしばらくの間引き留めてくれたが、僕の気持ちが変わらないと知ると学校が終わったら送ると言ってくれた。でも僕はバスで行こうと決めていた。迷惑をかけたくないのもあったが、ここから先は自力でやりたかった。 朝8時頃家を出て、大通りのバス停で待っているとロサンゼルス市街行と思われる大型のバスが来た。路線番号頼りなので少し不安だ。バスに乗るとすぐに運転手にたどたどしい英語でロサンゼルスの中心街に行くか、と尋ねた。イエスと言ったのは聞き取れた。ほかにもいろいろしゃべっていたがさっぱりわからない。とりあえず空いている席に座った。乗客は10人ぐらいだった。老人と黒人ばっかりだ。バスは結構きれいだった。 しばらくして日本のバスには必ずある、降車を知らせるための呼び鈴がないことに気付いた。どうやって降りるんだろうと周りの様子を窺っていると、斜め後ろのおばあさんが窓の下の黒いベルトを押した。すると次のバス停でバスが停車。おばあさんはよたよたと降りて行った。どうやらこちらの呼び鈴のボタンは窓の下に張り付けられたゴムベルトのようだ。右も左もわからない状況では、「その場でいちばん頼りになりそうな人に聞く。」「周りの人がどうしているか見て真似る。」のが1番いい。それから後、僕はずっとそうした。

  • ’80s ある旅の情景1

    1.アメリカ入国 1980年代半ばの10月。大学を休学した僕はカリフォルニアに向かう飛行機の中にいた。長いフライトの後やっと到着したロサンゼルスの街を窓から見おろしたとき、これから始まる旅への期待で胸が高鳴った。 12時過ぎに空港に着いて飛行機を降りると長い行列に並んだ。税関を抜けるのに1時間以上かかった。聞きしに勝る混雑だ。個人旅行者に厳しいといわれる入国審査では案外すんなり四ヵ月の滞在許可を出してくれた。インドで懲りて代表的な問答を事前に予習した成果だろうか。本当はもう少し長く滞在したいと思ったのだが、昨年より観光ビザでの滞在に対する規制が厳しくなり(原則3ヵ月、長くて4ヵ月)、かなり厳格に運営され始めた。4ヵ月を認めてもらえただけでもよしとすべきなのだろう。時間は14時になっていた。 空港を抜けると森田に電話した。地元の友人である森田は、家業を継ぐためサンタモニカに留学して宝石鑑定の勉強をしていた。僕は待ち合わせ場所のタクシー乗り場へ歩いた。そして歩道にバックパックを置いて、その上に座った。少し眠くなり始めたころ、ねずみ色の車が目の前で急停車した。15時を少し過ぎていた。「わりぃ、わりぃ。待った?道がでぇれえ混んどったんじゃ~」と言いながら車から降りてきた森田は、あいかわらず人懐っこい笑顔で「時差ボケ大丈夫?」と聞いた。 日本からの乗換地であるソウルを出発した後すぐ時計を17時間遅らせた(19時発のとき午前2時にした)ためか時差ボケは特に感じなかった。時差のある場所へ行くときは常に出発直後に時計の針を現地時間に変えて眠ることにしている。この時差ボケ対策はかなり効果的だと思う。ソウルで乗り換えたのは格安航空便の大韓航空で来たからだ。日本航空は高根の花だった。 荷物をトランクに入れて車に乗りこんだ。森田が椅子に転がっているラジカセのスイッチを入れると聞いたことのある英語の曲が流れてきた。カーステレオはついていないようだ。フリーウエイに入ると車はどんどん加速した。スピードメーターはやっぱりマイル表示なんだな・・・などと妙なことに感心した。 途中スーパーで買い物をして森田のホームステイ先へ行った。サンタモニカの閑静な住宅街にある大きな一戸建だ。あたりのどの家も芝生の庭に木が植えられていた。大家の奥さんは愛想よく出迎えてくれた。今日はここに泊めてもらうことになっている。 夕食は2人で料理したおでんだった。先ほどスーパ

  • ワイングラスで美味しい日本酒アワード2024

    2月上旬に私もスタッフとして参加した“ワイングラスで美味しい日本酒アワード2024”の結果が発表されました。より広い世代、国の方々に日本酒を広げることを目指して2011年に始められたこのコンテストも今年で14年目となりすっかり定着した感があります。

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