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  • 継体持統⑱:中臣鎌足の実像

    日本書紀をよく読むと、天智と鎌足は相性が悪いようにしか見えない。実は天智とは仲が悪かったんじゃなかろうか。 孝徳天皇の寵臣としての働き 軽皇子=孝徳天皇が乙巳の変の首謀者であるというのは、遠山美都男先生により解明され、近年相当に市民権を得てきた。 中臣鎌足は孝徳天皇の寵臣であったのは間違いない。 従って、中臣鎌足は乙巳の変で暗躍していたのは間違いないだろう。 一方の中大兄皇子は乙巳の変当時は10代の若年。日本書紀のような鎌足との密談はフィクションとしても、乙巳の変では三韓の調の儀式に皇族として古人大兄皇子とともに侍立していたのだろう。若い武者は儀式の見栄えも良くする。 鎌足は侍立していた皇子た…

  • 継体持統⑰:天智と鎌足は相性が悪い?

    乙巳の変のエピソードも天智天皇から妃を賜った件も作り話とすると、中臣鎌足が天智天皇の寵臣であったこと自体に疑問が出てくる。 侮れない天武天皇との関係 壬申の乱で中臣氏が近江朝の重臣であったことから、天武天皇は鎌足の遺族を冷遇していたという説が多いが、本当だろうか? 天武天皇が天智天皇の娘を4人も娶ったのは有名な話だが、天武天皇は鎌足の娘についても2人も娶っている。妃の年齢からして壬申の乱後のことと思われる。 一方の天智天皇は鎌足の娘を娶っていない。 系譜を見る限り、鎌足は天智天皇より天武天皇に近かったと解釈できる。 孝徳・鎌足・天武という親新羅派人脈 天智天皇のブレインである鎌足は当然親百済派…

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