継体持統⑱:中臣鎌足の実像
日本書紀をよく読むと、天智と鎌足は相性が悪いようにしか見えない。実は天智とは仲が悪かったんじゃなかろうか。 孝徳天皇の寵臣としての働き 軽皇子=孝徳天皇が乙巳の変の首謀者であるというのは、遠山美都男先生により解明され、近年相当に市民権を得てきた。 中臣鎌足は孝徳天皇の寵臣であったのは間違いない。 従って、中臣鎌足は乙巳の変で暗躍していたのは間違いないだろう。 一方の中大兄皇子は乙巳の変当時は10代の若年。日本書紀のような鎌足との密談はフィクションとしても、乙巳の変では三韓の調の儀式に皇族として古人大兄皇子とともに侍立していたのだろう。若い武者は儀式の見栄えも良くする。 鎌足は侍立していた皇子た…
2024/10/19 00:55