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  • 継体持統⑯:鎌足の切ない境遇

    中臣鎌足の長男の定恵は孝徳天皇ご落胤、次男の不比等は天智天皇ご落胤。男系で鎌足の血を継ぐ者はいない。俗説ではあるのだが、鎌足に対する扱いが酷すぎて切ない。 日本書紀には案外、鎌足の事績が少ない 中大兄皇子のブレインにして大化改新の立役者とされる中臣鎌足だが、日本書紀を読むと、案外事績が少ない。 乙巳の変前後で暗躍する大量の記載はあるが、まだ10代の中大兄皇子を担ぐなど小説じみていて、全て作り話とも解釈できてしまう。 孝徳朝設立時に「内臣」という他に見られない官職に就いて、以後、白村江の敗戦まで事績がなく、この間は実際には活躍はなかったとの解釈もできてしまう。 白村江の敗戦後、唐・新羅との外交調…

  • 継体持統⑮:韓人殺鞍作臣

    蘇我入鹿は淵蓋蘇文をまねて軍事独裁政権樹立を目指した。当時の北東アジア情勢を考えると、入鹿の目指した未来は至極真っ当であり、十分に勝算があった。が、現実には、ミウチに邪魔されて挫折する。 上宮王家は何故皆殺しにあったか 日本書紀によると、643年10月6日に蘇我蝦夷が病に倒れ、蘇我入鹿が大臣家の家督を得て、10月12日に上宮王家を排し古人大兄皇子の擁立を謀り、その後(上宮聖徳法王帝説では10月14日)、上宮王家は討滅された。 蘇我氏は物部の軍事力を継承しており、上宮王家も崇峻天皇以来の軍事力を保有していた。 緊迫の度を深める北東アジア情勢に対応するため、蘇我氏は上宮王家との軍事力の統合を企図。…

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